最悪の二人!
「やあ、こんなところで会うなんて奇遇だねえ」
そういって蘇我は遠慮なく伊月の部屋の窓をこじ開け、這いずりながら入ってくる。伊月は心底嫌そうな顔をしながら仕舞っていたスーツに着替えた。
「で? なんの用だよアバズレ」
「もぅ! 僕は常識人なんだからそんな言葉使わないでよ。まるで僕が売春婦みたいに思われるじゃないか」
「一応気にしてたのか」
蘇我は服についた埃を落とすようにして、手で払うとそのまま立ち上がる。伊月とはかなりの身長差があるが、威圧感はない。そして妙に演技らしい仕草で言った。
「これでも純真な乙女だからね!」
「穢れだけの純粋悪ってことか?」
「もぅ、僕にだって良心はあるよ。昔、障害者を助けるボランティアだってしたことあるもん」
「それ俺のことか?」
「うん、そうだよ」
「このサイコ野郎が」
助けられた覚えなど一度もないが、自分が助けたということになっていることに恐怖を感じる。確か精神病棟では一日に何度も抗うつ薬を飲まされるらしいが、元々この女はイカれていたので薬の影響ではないようだ。
伊月が知る限り、蘇我蛭子は初めて出会った13歳頃から一貫してこういう性格だった。道北にいた時は同級生の頭に石を入れた麻袋でフルスイングし、頭蓋骨を陥没させて植物状態にした。それを隠蔽しようとした親の方針で伊月と同じ京都の中学校に送られてきた。
こちらの都合も知らずに送られてきた殺人マシーンは、抜群の身体能力でバレーボールの全国大会を制し、勉学でも成績優秀者として見られていたが、その裏ではえげつないサディストでもあった。伊月が商売の敵を消すために殺しを行うのとは対照的に、自身の快楽を満たすためだけに人を殺している。
その頃に、連日京都で起こっていた殺人事件は大半が蘇我によるものだ。売春婦や障害者、ヤクザや半ぐれなど、社会的な立場が弱いものだけを狙って殺人を行う。奴なりに頭を使っていたのだろうが、伊月は気づいていた。
いつも自分に付きまとってくるこのイカレ女からは、裏社会の人間特有の臭いがする。普通ではありえないことだった。自分と同じ血の臭いに慣れた犯罪者が同じ学校にいることが。
「さっさと要件を話せ。でなきゃ窓から飛び降りるんだな」
「んふふ、じゃあこれを見てよ」
蘇我は袖から羊皮紙に包まれた袋を取り出す。中から出てきたのは透明なクリスタルのような結晶体。当然ながらそれには見覚えがあった。
「覚せい剤か」
「そう、純度76パーセントのアイスだよ」
これが出てきたことがどういうことか。伊月にはすぐに理解出来た。それを商品として扱う以上は絶対に理解しなければならないのだ。
「作成者は?」
「不明……だったけどつい最近分かった。Drアルマンドという科学者だ」
「くくく、どっかで聞いた名前だな」
3年前アメリカの麻薬取締局は一人の男を指名手配した。その男はヒスパニックのとある大学生で、アメリカで薬物の研究をしていた科学者でもあった。しかし、突然長期休学を取り、メキシコに旅行にいったきり帰ってこなくなった。
麻薬組織に就職していたのが分かったのは失踪して半年後のことだったが、中毒者の間ではもっと前から噂になっていた。腕のいい料理人がメキシコにいると。純度90パーセント以上の覚せい剤を安定製造できる料理人はカルテルに高級で雇われ、あっという間に組織の幹部となった。
それがDrアルマンドこと、オセゲラ・フアン・アルマンドという男だ。
「来たんだな、この世界にカルテルの連中が」
「うん、街中にうじゃうじゃ紛れてるよ」
気づいてはいたが、予想よりも大規模な転移をしているらしい。最悪なのは組織の構成員が全員来ている可能性だが、それは恐らくないだろう。もしもそうだったらこの国は今頃火の海になっているはずだ。だから目安として数十から数百人規模として見たほうがいいだろう。
だがその全員が何等かの能力者だと考えれば、伊月の苦悩も理解できるだろう。
「戦力差が絶望的だな」
そういいながらも嘲笑できるのは勝てる自信があるからではなく、単に諦めに近い感情からだ。やつらを全員始末するのに一体何か月掛かるか予想も出来ない。
「伊月くん、カルテルは放っておいて他の国に行くのもありなんじゃない?」
それを聞くと伊月は心底愉快そうに笑った。
「あっはっは! お前もたまには面白いこと言うな」
「え?」
「全員殺すに決まってんだろ」
伊月は真顔で言った。カルテル相手に逃げ回っていても、何れは他の異邦人に出くわすことは避けられない。ならば早めに処理してレベルを上げて他の転移者に差をつけるしかない。だから殺すのは早ければ早いほどいい。
「えへへ、やっぱり伊月くんには敵わないや」
「くくく、カルテルは見つけ次第始末するぞ」
ここから先は生存競争だ。純粋な生物としての闘争。メキシコの麻薬カルテルが生き残るか、日本の密売人と掃除屋が生き残るか。この地上においてもっとも残虐な争いが今、幕を開けようとしていた。
◇ ◇ ◇
アーバンモローの地下に幾重にも張り巡らされた巨大迷宮。いくつかある入口から財宝を求めて多くの冒険者が探検に向かったが、未だに踏破した者はいない。全30階層からなるこの迷宮は〈太陽の迷宮〉と呼ばれ、伝承では太陽神が作ったとされている。
大陸にある他の迷宮と比べても遥かに攻略が難しく、公式では王国軍の精鋭が命がけで辿り着いた階層が15階層までだった。長い歴史の中でそこまでしか到達出来ていないことから考えると如何に攻略が難しいか、初心者でも理解できるだろう。
そしてその15階層に到達した人間が、新しく表れた。
「ザーコザーコ! ザコゴブリン♥ 弱すぎて相手に成らなかったぞ♥」
そう言いながらも息切れを起こし、全身に掠り傷を負った少女。壁に飛び散った血や肉片を見れば、どれほどの激闘が繰り広げられたかが分かる。相手は身長6メートルもある巨大なゴブリンロードと呼ばれる怪物だったが、少女と戦い、そして負けた。
歴史に新たな1ページが刻まれると同時に、少女の心には戦いの虚しさとさらなる力への欲望に支配されていた。
戦いとはなんと虚しく甘美なものだろうか。この行為はあまりに神聖すぎる。
僅か12歳にして、少女は戦争の持つ魔力に憑りつかれていた。
そこへ、後ろの通路からカツカツという二つの足音が聞こえてくる。それはピカピカに磨かれた革靴の音だった。その闇の奥から現れたのはグレーとシルバーのスーツを着た大柄な二人の男。
二人ともそっくりな顔をしており、一目で双子の兄弟ということが分かる。
「ガブリエラ、迎えに来ました」
「あー♥ ザコマルコにザコジョゼじゃない♥ ザーコザーコ!」
突然罵られた双子は顔色一つ変えずに袖からナイフを取り出す。そのナイフでゴブリンロードの身体を抉りだし、黒い魔石を取り出すと、それをガブリエラに渡す。
「もー♥ 勝手に魔石出さないでよ。このよわよわマルコ♥」
「ガブリエラ。地上では“緑の悪魔”がカルテルに襲撃を繰り返している」
「しーらーない♥ 地上のことは勝手に対処してよ。私はここから出ないもーん♥」
そこへジョゼが歩いてきて、ガブリエラの血の付いた顔を、布で拭いた。
「いやー♥ 触らないで―♥ 暗い部屋で男に犯されちゃーう♥」
「ガブリエラ」
「しつこい、地上に戻れ」
双子は目を合わせて顔を横に振ると、再び髑髏のついたわに革の靴で、カツカツと音を立てながら暗い迷宮に戻って行った。それを見届けると、ガブリエラはさらに先の迷宮の奥へと向かっていく。
「私もしかして最強かぁ♥ だからマルコとジョゼが呼びに来たんだー♥ 私がいなきゃ何にも出来ないんだからぁ♥」