原住民には親切に!
「なんだよこりゃ……」
外道伊月は珍しく狼狽えている。
それもその筈、自身の身体はさっきの事故でぐちゃぐちゃになり、肋骨が折れて肺にまで突き刺さっていたのだ。
当然喋れるような状態ではなく、動けるような余裕もない。
しかし、だ。
目の前に広がるのは雄大な自然、ひたすら続く草原だった。時刻は朝方だろうか、霧掛かった風景を途方に暮れながら眺めていた。
おかしい、こんなことはあり得ない。そう思いながらも現実が変わることはない、これは何かの罰だろうか、とも考えたがそんな訳ないので思考をやめた。
何はともあれここから離れねばと思い、歩き出す。
「!?」
足を踏み出して伊月は驚いた。歩ける。それがどんなに凄い事なのかは、伊月にしか分からないだろう。生まれつき身体が弱く、病弱な彼は歩くのにも大変な労力を伴う。
しかし今は疲れることもなく、すらすら歩くことが出来る。ムーンウォークも出来る。しかも走れる。
これが如何に凄い事なのかは、本人にしか分からない。
「くくく……歩くのって楽しいな……」
老人みたいなことを言いながら、伊月はひたすら歩き続けた。だがこの場所が何処かなのかは以前として分からなかったが、障害物のない草原をひたすら散歩するのは心地いい。
───それにしてもここはどこだ。草原といえばモンゴルだが、一瞬にして日本から飛ばされるなんてことがあり得るか? それ以前に、なんで虚弱体質が治った? これは遺伝的な要因で、どうにかなる訳がないのに。
そんなことを考えながら3km程の道のりを歩くと、霧の中からテントのようなものが見えた。
(ゲルか? いや、少し違うな。なんだアレ……)
その時である。
「おうおう、別嬪さんじゃねーかー! こんなとこでなにしてんだ?」
後ろを振り向くと、まるで遊牧民族のような薄汚い格好をした人間がいた。
(敵か!? クソ武器がねえ!)
焦る伊月とは対照的に、その人間は手を前に突きだして、某独裁者のようなポーズを取ると「俺はエジンだあ、お前はなんてーんだー?」と言う。
(日本語……いや違う。英語でもない)
エジンと名乗る原始人は、独特な言葉を使っていたが、それを伊月は理解できた。というより、頭に直接理解するように命令されているような感覚がした。
「い、イツキでーす。えと、ここは何処ですかー?」
相手は俺を女だと誤解しているようなので、それを利用して無害を装う。ちょうどあの、喪神のようなビッチを演じる。
(畜生……最悪だな)
「あー? ここはアルト高原に決まってるだろー。可笑しなやつだナー」
アルト高原。
そんな名詞は聞いたことない。
「あのぉ、地図とかって無いんですかぁ?」
「ちず……? なんだーそれー?」
やはり原始人だった。
「あ、あはは……あの大きな町とかってぇ、近くに無いんですかぁ?」
「近くならー、南に15kmくらいのとこに大きな集落があるぞー。俺と同じ民族だー」
───15kmか。歩いていくには少し遠い、しかもこの原始人が言っていることが正確かどうかも分からない。ならばもう少し情報を引き出すべきか。
「ところでよーイツキー。お前どっから来たんだー? 良かったら家に来いよー」
「……えぇ、いいんですかぁ?」
そう言いながら、ゆっくりとゲルのような建物に入っていく。中は暖かく、思ったよりも広い空間だった。室内には色々な動物の骨や鉈が無造作に置かれており、清潔といった概念とは無縁だと思える。
「お腹はすいてるかー? ちょうど昨日取れたエルギィの肉が残ってるから食えよー」
エルギィの肉。なんだそれは。そう思っていると、エジンが天井に吊るされたものを取り外し、俺に向かって渡してくる。しかし、差し出されたのはどう見ても毛むくじゃらのサルのような物体だった。
「うぇっ……別にいいですよー。私ぃ携帯食料持ってますからぁ」
そう言いポケットから、コンビニで買ったカ⚫リーメイトを取り出して見せる。
「なんだそれ? 食えんのか?」
俺は大袈裟に頷くと、エジンにそれを渡して食べるように促した。
「ん……うめえ! なんだよこれ、旨すぎる!」
黙ってろ。
「あはは、まだ有りますよ。あっ落としちゃったぁ」
エジンはそれを見ると乞食のようにカ⚫リーメイトに群がり、その場でがつがつと食べ始める。
「うめえ、うめえよ! まだ下に落ちて───」
「死ね」
伊月は後ろ手に持った鉈でエジンの首を切り落とした。首からドバドバと躍り出る血液を眺めながらふぅと溜め息をつく。
そこに一切の動揺はない。
そもそも殺人は初めてではないからだ。
15歳の頃にはヤクザを海に沈めていたし、ほぼ全ての犯罪に手を染めていた。伊月にとってはただの作業である。
しかしどうだろう。“前の世界”と違って、こっちでは金で人を操ることは出来ない。故に自分の手で実行せねばなるまい。
「だりいなぁ……」
口ではそう言いながらも、伊月は顔が綻ぶのを止められない。この世界では一体何れだけの財や何れだけの人間が居るのだろうか。
それを奪い、蹂躙することが出来るのは何れだけ幸福な事だろうか。
「くくく……けけけけけ……あははははは!!!」
ここに、後にグリドジャール帝国と対を成し、残虐王として君臨する魔王『外道伊月』が誕生した。