自由を手に入れよう!
「ああッ!? なんだこの氷! う、動けねえ!」
アレハンドロの手足は一瞬にして氷付き、地面へと固定された。目隠しをしていた伊月だったが、ベッドの上からでも分かるほどの冷気が漂っているため、男は負けたのだろうと確信した。
(どうせなら、相打ちになってくれりゃあいいんだがな)
そんなことを考えていると男の叫び声が部屋中に響きわたった。蘇我蛭子がアレハンドロの腕の肉をナイフで削ぎ落したからだ。まるで生ハムの原木のように薄くスライスされた腕からは滲んだ血液が滴り落ちる。
「う゛う゛う゛う゛」
猿轡を嵌められ目隠しまでされた伊月が、低いうなり声をあげて抗議すると漸く蘇我蛭子の視野に伊月の存在が映った。急いで駆け付けた蘇我は伊月の拘束具を外し始める。
「ぷはッ! なんだよこの状況、殺されるかと思ったぜ」
「伊月くん、大丈夫かい!? なにか酷いことはされなかったかい?」
「酷いのはお前の頭だろ」
正論をかますと蘇我はキョトンとした顔を浮かべた。どうやら心外だったらしい。
「ついでにスキルも解除しろよ。お前のせいでこんな目にあったんだぞ」
「え、それはダメだよ。逃げちゃうし」
「おれはペットのハムスターかよ。別に逃げねえよ、そこにいる男に用がある」
「ん~、まぁそういうことなら。はい、これで自由だよ」
伊月はのっそりと起き上がると、蘇我蛭子を睨みつつ視線の先をアレハンドロに変える。
「まさか、こっちの世界でカルテルの連中に出会すとは思ってなかったぜ」
「カス野郎が! 見てんじゃねえ! 叔父兄が絶対オマエをぶっ殺しにいくからな!!」
「おーおー、威勢だけはあるんだな、田舎者がよォ」
伊月は指輪の小型ナイフを突き出すと、アレハンドロの頬を切り裂いた。
「痛え! な、何しやがる!?」
「何って、お前らの方が知ってるだろ?」
カルテルの人間を相手に、より残虐な価値観を押し付ける伊月。産まれた時から最上位にいた伊月にとって、スラム街から成り上がったような薄汚いサルがどんな悲鳴を上げるのか、少しだけ興味があった。
「お前ら、メキシコじゃあ好き放題やってるそうじゃないか、ええ?」
「んがぁっ!! ふんっ!!」
アレハンドロは伊月を睨み付けながら、凍り付いた体を必死に動かそうとする。
「まあ、お前らみたいな田舎者は知らねえだろうが、世の中には“頂点支配者”ってのがいてな。お前のとこのボスなんか二日も在れば消し飛ばせる力を持ってるんだぜ?」
伊月は両手でアレハンドロの顔を掴むと、そのまま両眼に親指を突き刺していく。
「がぁーッ!!!?」
「目の前にいる俺が、その支配者だ! 忘れんじゃあねえぞ、クソボケがッ!!」
完全に両眼に親指を沈み込ませ、奥深くに抉っていく。
「あー! あー! あー!」
声にならない声で絶叫を繰り返すアレハンドロ。伊月はそれを見て大声で嗤うと、アレハンドロの凍った体を蹴り、バラバラに崩した。
そして床に転がった生首は僅かに、瞬きを繰り返す。
「おい、死ぬ前に教えろよ。お前らは組織ごとこっちの世界に来たのか?」
「くそっ……たれ……」
「くくく、無駄な人生ご苦労さま、だな」
伊月はつまらない玩具に退屈したように、肩を落とすと男の頭を壁に向かって蹴った。それはゴロゴロと転がりながら、壁にぶつかって止まる。
「つまらねえな……」
「僕は楽しかったよ!」
───忘れていた、蘇我蛭子がいた。
「なあ、蘇我。一生に一度のお願いだから死んでくれねえか?」
「もぅ! 僕は伊月くんと結婚するまでは死なないよ!」
「世界で一番聞きたくねえ告白だな……」
「伊月くんは天邪鬼だなぁ。もっとジブンに、正直に生きろよ!」
「うるせえ! 俺はお前が嫌いだ!」
どんっ!
やはり伊月はこの女が嫌いだった。
「もぅ、僕たちは似たもの同士なんだから一緒にいるべきなんだよ」
中学生の時、一人で京都に引っ越してきた蘇我蛭子は、外道家という巨大な権力の構造を見て憧れを抱いた。そして自身と薄く繋がっている外道家との血筋を運命的なものだと考えるようになったのだ。
1000年以上も前に朝廷に逆らい、権力を奪われ辺境に追いやられた蘇我家は大富豪ではあるものの決して王の器ではなかった。
しかし外道家はどうだろうか?
1991年、ソ連崩壊後。国外に大量に流出したソ連製の兵器や弾薬を誰よりも早く嗅ぎつけ、南アフリカに膨大な量の武器を売り捌いた武器商人『外道清華』。
1976年、ブラジルに渡り、違法な金山を12箇所所有しながらコーヒーショップで資金洗浄していたマネーロンダリングの帝王『オウマ・ソトミチ』。
1955年、アメリカ合衆国のカリフォルニア州を中心として不動産業を営みながら、ロビー活動を行い債権の発行利権に食い込んだ不動産王『外道羅刹』。
1939年、満州でアヘンを蔓延させ、東南アジアのゴールデントライアングルでケシを栽培してヘロインに精製。密貿易によってニューヨークにまで麻薬を広めたアジア史上最悪の麻薬王『外道閻魔』。
どの時代の当主であっても必ず歴史に影響を与え続け、人類史上でも稀な絶対支配者として君臨してきた。それがどれほどの価値を有するブランドなのかは、誰の目からみても明らかだ。
伊月の前で仁王立ちになると、蘇我は胸に手を当てて言った。
「この蘇我蛭子は、外道伊月と対等な協力関係を結びたい!」
その言葉には純粋な好意が含まれていたが、伊月にはどうでもいいことである。しかしながら返答としてはこうだった。
「ちっ、しょうがねえな。足引っ張るんじゃねぇぞ」
以外にもあっさりと伊月は協定を結んだ。蘇我蛭子は現時点では伊月よりも遥かに強い。そしてスキルの有用性を考えれば、利用価値は十分にあるだろう。もしも死んだら死体を回収して奴隷として召喚すればいい。
伊月はあくまで商売人であるため、自分のプライドよりも利益を選んだのである。
「やった! 宜しくね、伊月くぅん!」
(用が済んだら始末してやる……)
無表情なのっぺり顔で蘇我と握手すると、伊月は小屋の外へと歩き出した。
「あれ、どこいくの?」
「どこってファルシ公国に決まってるだろ」
予想もしていないトラブルのせいで、伊月は戦力のほぼすべてを失ってしまったのだ。それらを全て取り戻すには一度ファルシ公国に戻るしかない。
最低でもオスロの死体だけは取り戻さなければならない。
「あの使い魔たちなら、火あぶりにされて灰になったよ?」
「……灰はどこだ」
「うーん、たぶん町はずれの丘じゃないかな。あそこに廃棄物とか捨ててるみたいだし」
「ふん、むしろ手間が省けたな」
そう言うと伊月は寝たきりで鈍った身体を鳴らして解すと、勢いよく厩に向かっていった。そして一度だけ振り返ると、
「一つ言っておくが、普段は別行動だからな。俺たちは仲良しクラブじゃねーんだからな」
「もぅ、障害者には保護者が必要なんだよ?」
「クソが! いい加減ガ〇ジ扱いするのはやめろ!」
「んふふ、君は怒った顔もかわいいなぁ!」
伊月は害虫を見るような目で蘇我を見ると、今度こそ沈黙を貫き歩き出す。
蘇我蛭子はニヤリとした笑顔を浮かべ、スキルで気配を消し去り闇に紛れていった。
これでもう、仲間や