事故に気を付けよう!
ファルシ領内、東砦前。
伊月の率いる魔物集団は、百体以上の群れをなして砦に行進していた。その中でも先頭に立ち進軍するオスロは軽々と門番の首を槍で切り裂いた。
「ば、化け物だぁぁぁ!!」
その叫び声の一瞬の隙だけでつい最近増兵された門番たちはもの言わぬ屍になり、臓物を撒き散らす。赤い鮮血が飛び散り伊月のローブを染めるが、気にもせずに進軍が再開された。
───予想以上だ。
オスロはその巨体に見合ったパワーを持ち、一撃で人間たちを屠ることが出来る。この怪物を止めることはファルシ国内の人間には不可能であろう。
それを確信すると伊月はオスロの腹を足で挟むように蹴り、猛スピードで駆けていく。その巨大な物体に気付いた町内のファルシ人たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
「このクソ土⚫共が、大人しく征服されろ!」
路上にいた人間たちをオスロが大槍で切り裂きながら、伊月は上から弓矢で打ち貫いていく。その後を大量のキメラが通っていき、死体を貪り、息のある者すらもトドメを刺していった。
彼らが通った後にはバラバラになった人間の肉塊が置き去りにされていく。まるで地獄のような光景だった。女も子供も関係ない、ただ単に虐殺されていくのだ。
突然の事態にパニックになったファルシ国民たちはわれ先にと他人を押し退けて助けを呼ぶ。
「誰か助けてくれえええ!!」
「兵士を何をしている!? 誰でもいいから奴らを止めろ!」
「やめてッ! 子供は殺さないで!」
阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられるなか、南部にある塔から警告音のような鐘の音が鳴り響く。どうやら異常事態に気付いたらしい。
すでに町の中には侵入しているが、これで漸くまともな戦力が出てくるはずだ。伊月は顔を愉悦で歪めると、使い魔たちに命令を出して四つのグループに分裂させた。
そして彼らは町の隅々まで探し出して、人々を殺戮していく。デコボコの道路が血に染まった頃、やっと装備を整えた兵士たちが伊月の前に現れる。
彼らはこの凄惨な光景を見て絶句していた。
「き、貴様……何者だッ! なぜこのような野蛮な行為をっ!」
「くくく……」
答える必要はない。
そうして笑みを浮かべた伊月に対して兵士長は不気味なものを感じて背筋が凍っていた。この男は人間ではない。何か得体の知れない化け物であろう。
その判断を即決で下し、兵士たちを束ねて魔物軍団に立ち向かっていく。
「全軍、突撃ィィィ!」
長めの柄を持った槍で武装しているファルシ兵たち。彼らの戦術は一糸乱れぬ整列、そして敵の付け入る隙を作らない陣形を作り相手を串刺しにしていくのだ。
雑魚のキメラたちはリーチの差から、グサグサと突き刺されて簡単に絶命していく。しかしそれは悪魔で下等な生物が相手だからだ。
そして致命的なのは、本来その武器と陣形と戦術は対人間用に作られたものであるということ。
オスロに跨がる伊月は躊躇なく隊列に突進して、兵士を踏みつけていく。それだけで肉塊が飛び散り、悲鳴が錯綜していく。どんな手段を使っても超えられない生物の格差。
蟻は象には勝つことが出来ない。
オスロのたったの一振りで仲間の兵士たちは首を切り飛ばされ、死んでいく一瞬の時間。その瞬きをしている間に死の時間が訪れる。
「うわああ!!」
「痛えええ! 手がぁ!!」
あっという間に先頭の兵士たちを惨殺すると、中央のファルシ城目掛けて四足の蹄が駆けていく。この圧倒的な戦力、この力があればこの国を制圧するのも時間の問題だ。
「はははッ! 早く俺を倒してみろ! でなければお前らの家族が死ぬぞ!」
兵士たちを踏み潰しながら、高笑いを決める伊月だったが前方からのハイライトに気付いたのは、その直後だった。
極めて人工的な光。そして現代にしか存在しない化学物質の塊。それは時速150kmの速度でオスロに乗った伊月目掛けて突進してきた。
正面からぶつかり合い、お互いに轟音を響かせながら吹き飛んでいく。伊月は何もないところから突然現れた鉄の塊に呆気にとられ、次の瞬間には遙か後方へと吹き飛ばされていた。
「グァッッ!!?? なんでプリ⚫スがぁッッ!!」
地面に投げ飛ばされ、ゴロゴロと地に転がされ全身の至る所を叩きつけられる。擦り傷、全身打撲、そして足と腕、肩の骨折が一瞬にして訪れた。
「ああああ!! クソォォォ!!! なんだあああ!!!??」
言葉にならない叫び声を上げる。ここまでの大怪我をしたことなど今までの人生で一度も無かった。あの転移前の自動車事故に遭うまでは。
一度は外道伊月に死を与えた悪名高きプリ⚫スが、またもや伊月を轢いたのだ。そして瞬時に憎悪を募らせると、伊月は残骸となった車を睨み付ける。何処かの誰かが車ごとこの世界に転移してきたのだ。
白い煙を上げて停車している車からは、ゆっくりと誰かが降りてくる。ドアを開けた手は皺くちゃでまるで老人の手のようだ。
「な、なんだ一体……どうしたんだろう」
男の名は飯塚幸三。彼は訳の分からないままこの異世界に突然転移してきたのだ。しかし男は目の前に広がる凄惨な現場には目もくれず、自身の愛車を呆然と眺めていた。
「……これじゃあフレンチに遅れるじゃないか」
飯塚がそう呟いた瞬間。真後ろから、神速のスローイングナイフが投げられ飯塚の足を貫く。
「痛あああッッ!??」
「俺はもっと痛ぇんだよォォォ!!! クソ爺がァァ!!」
瞬間湯沸かし器のように頭に血が上り、憤怒に駆られた伊月は足を引きずりながら、飯塚の元へ迫っていく。そのあまりの気迫に押されて飯塚は後ずさりしていく。
「や、やめろ! 私は上級国民だぞっ!? 瑞宝章という勲章だって持っているんだ! 私に手を出したらタダでは───」
「老⚫が、舐めてると潰すぞ!」
御年88歳の老人に対して、なんの遠慮もなく拳をたたき込む伊月。レベルアップによって強化された身体能力のため、簡単に鼻の骨を砕き割るほどの威力が出た。
「おご”……!」
鈍い音がした後、地面に倒れる飯塚。血管が切れたことで大量の出血が鼻から噴出する。飯塚はその自らの血液で気道が詰まり呼吸が出来なくなった。
「瑞宝章か四川省か知らねえが、そんな物が何だってんだよ、てめえ!」
「す、すみまっ! ごふっ!?」
そのまま腹を蹴られて地面を転がる老人は、視界の端に光るものを捉える。普段は服の下に隠れている伊月が身に付けているネックレス。吹き飛ばされた時に服の外に出てきたのだ。
その首飾りには、赤い水晶のような欠片の中に、何かの動物の爪が埋め込まれていた。しかし明らかに犬や熊とは違い、人よりも巨大な生物の爪であることは確かなようだ。
それは仏教世界で云うところの『鬼』の爪である。千年以上前に外道家は鬼と交わったとされており、その首飾りを持つことが外道家の正統後継者である証であった。
「そ、それは!?」
今から65年前、1950年代の日本。まだ飯塚が下級国民だった頃、政府の関係者として働いていた飯塚はそのネックレスを見たことがある。
国会に自由に出入りし、自分の上司どころか、官僚や役人たちが挙って頭を垂れる部外者の男がいた。どんなコネを持っているのかは知らないが、その男の言うことは必ず施工され、あらゆる利権を貪る権利を持っていた。
男の名は『外道羅刹』。
カリフォルニアに広大な土地を所有する不動産王でありながら、日本政府を顎で使う化け物。その男が同じ首飾りをしていたのだ。
『お前如きの首を飛ばすのは造作もないことだ。お前の上司は私の忠実な犬なのだから』
そう言われた遠い記憶が呼び覚まされる。
「き、貴様……そ、そとみ───」
言葉を喋る時間も無く、飯塚は茶色い視界に頭を押し付けられ、息を塞がれる。地面にあった泥の水溜まり、伊月はそこに飯塚の頭を押し付けた。
「ぼぼっ!?」
「ぶぶ漬けは如何どすぅ~?」
京都人特有の陰湿なやり方で老人をいたぶる伊月。アドレナリンの過剰分泌により、普段は隠している残虐性が表に出てきたのだ。
「た、助けっ! んぼぼぼ!!?」
「あはは!! 老人介護は楽しいなぁ!」
飯塚は泥水を飲みながら、必死で息を吸った。このままではこのキチ⚫⚫に殺されてしまう。そのあまりの恐怖にパニックになりながら叫んだ。
「誰か私を助けてくれええ!!」
その瞬間、廃車確定したプリ⚫スが唸り声を上げて変形していく。それは全身が鋼鉄で出来た巨大なゴーレムだった。その大きさは10メートルを優に超えており、振り上げられた拳は伊月に目掛けて降ろされた。
「なにぃぃぃ!?」
咄嗟のことに伊月は避けきれず、受け身を取った。