お見舞いに行こう!
───俺は選ばれた人間だ。
テストでもスポーツでも簡単に点を取ることが出来るし、どんなことでもやろうと思えば出来るからだ。
なのに周りの大人は馬鹿ばかりだ。まるで俺の才能を理解出来ていないのだ。両親は何時まで経ってもこんな田舎に俺を閉じ込めて、俺の才能を埋もれさせる気だ。
まったく、人間ってのはどいつもこいつも馬鹿ばかり。
「ぎゃははは! おら、死ね!!」
向井ハルキはとうに衰弱仕切った猫を蹴り上げると、楽しそうに笑った。弱い者をいたぶるのはスカッとして気持ちが良い。それに気付いたのは同級生を虐めている時だった。
自分は選ばれた人間で、周りの人間は自分を楽しませるための駒だ。だから俺は何をやっても許されるし、罰を受ける事も無い。
実際には向井ハルキの家庭は精々中流階級が良いとこなのだが、ハルキは見栄を張る両親によって、自分が上級国民だと錯覚していた。しかし、それに気付いてはいない。
何をやってもいい。
どんな人間も俺より下。
それは正しかった。
ついこの間までは。
「ぎゃははは! おら、死ね!!」
自分を蹴りつける悪魔のような人間。なんて酷いことをするのだろう。しかし、ハルキは蹲ることしか出来なかった。恐怖だ。恐怖が身体を凍り付かせたのだ。
痛みによって身体が支配されている。全身が痺れるように痛い。しかし、その男が暴力を止めることは無かった。何度も執拗に、自分が痛がる場所だけを蹴り上げてくる。
「や、辞めろ! 辞めてくれぇッ!!!」
そう叫んだ瞬間、身体が下に落ちていく。
「おええぇぇっ!!?」
強烈な吐き気と身体の痛み。確実に四十度は超えているであろう熱が全身を覆っている。ここはベッドの上で、意識がたった今戻ってきたのだ。
酷い悪夢を見た。
ビッショリと濡れた服を脱ぐことも出来ずに、ハルキは意識を保ち続ける。ここは何処だ? ファルシ公国に何とか辿り着いたはいいが、そこからの意識がない。
だが今はそんなことすら酷く考えられない。強烈な熱が身体の芯から湧いてくる。⚫玉の傷口から入ってきた雑菌に対する身体の防衛反応だ。
しかし熱を下げねば、まともに思考すらも出来ない。ハルキは近くにあった花瓶を見付けるとそれに手を伸ばす。あの中には水が入っている筈だ。それを飲んで少しでも熱を下げるのだ。
だが距離的に届きそうで、ギリギリ届かない。いつもならこんな距離は歩いて取りに行けば良いが、それすら困難な状態だ。あと少し、あと少しで届きそうなのだが、やはり届かない。
「う、うぐぉぉっ!!」
力を振り絞って、前のめりになりながら手を伸ばす。
「何だ? 水が欲しいのか?」
花瓶を誰かが掴み取る。
その手には全ての指に禍々しい指輪が嵌められていた。
「ほら飲めよ。鼻からな」
花瓶がハルキの鼻に添えられる。そして容赦なく傾けられると、中の水が重力に従ってハルキの鼻の奥に流れ込んで来る。
「んがッ!?? ンオオオッッ!!!」
言葉では説明出来ない程の激痛。家畜のような叫び声を上げると、割れそうな頭を四方八方に振り回す。
痛い、痛い痛い痛い痛い、これは地獄か。
そう思える程の痛みに悶絶すると突然髪を掴まれて、顔を上げさせられる。そこには怪我人に対する手加減などは感じられず、代わりに凝縮された悪意が込められていた。
「よう、クソホモ野郎。俺のこと覚えてるかァ? お前にスキル奪われた性で、言葉が分かんなくなっちまってよォ、困ってるんだわ」
「あっ……あっ……!?」
幻覚ではない。目の前に居るのは、向井ハルキの前歯をへし折り、⚫玉を潰した張本人だ。一見すると女のようにも見えるその男は、顔に邪悪な微笑みを讃え、虫を殺す子供のような残虐な視線を送ってくる。
それに気付いたハルキは直ぐに叫び声を上げて助けを呼ぼうとするが、それすらも見透かされていた。
「だ、だrッッ!!?」
バキィッ!
一瞬にして視界が揺れる。
顎を全力で殴打され、脳震盪を起こしたのだ。
「ガキが、舐めてると潰すぞ!」
ハルキの頭の中ではチカチカと光りが脳内を駆け巡り、ベッドの上で身体が虫のように痙攣する。伊月は直ぐにハルキの髪を掴み直すと、再び耳元で喋った。
「もう一度聞くぜ。お前が奪ったスキルはどうやったら、俺のとこに帰ってくる?」
「し、知らないっ……! 知らないんだよぉ……!」
恐らく本当の事だろう。
京都人は息を吐くように嘘をつくため、伊月は子供の頃から相手が嘘をついているか直ぐに見抜く事が出来る。そうでなくても、向井ハルキにはそこまでの度胸がないのは分かっている。
だがそれが分かると、途端に能面のようなノッペリとした表情になる伊月。ここまでの苦労は水の泡になり、これから予想される苦難は面倒なことこの上ない。
虚無感が身体を支配しているのだ。
そのあまりに無機質な表情にゾッとした向井ハルキは、顔を下に下げて許しを請う。
「ご、ごめんなさいぃっ……ゆ、許して……!」
「……ごめんで済んだら、ぶぶ漬けはいらないんどすえ」
目的を失った伊月は、さっきの花瓶を地面に落とすとその割れた破片を拾い集める。その動作には迷いがなく、何かしらの意図があることを悟ったハルキ。
今度はその破片を一枚ずつ、丁寧にハルキの口に入れていく伊月。何か、何かが行われようとしている。それがどんなものであれ、向井ハルキにとっては碌なものではないことは確かだ。
「や、やべてくれよぉ! 俺が悪がったよぉ……! 何でも言うこと聞くから……!」
「はぁ? お前まだ自分の立場が分かっていないのか? 命乞いなんてものはな、清く正しく生きている善人だけがしていいものなんだぜ? お前みてぇな悪党は、三流もいいとこだな」
ハルキは目の前の視界がぼやけていくのを実感した。頭の中の脳みそが、恐怖によって急速に萎縮しているからだ。
「や、やめ……」
「冥土の土産だぜ。覚えときな、悪党には悪党の美学ってものがあるってことをよ!!!」
ベッドの上に立ち、外道伊月が最初に放ったのは渾身の蹴り。それはハルキの顎を完全に打ち砕き、口の中では割れた破片が口内をズタズタに引き裂いていく。
「ガァッッ!!?」
「さっさと、あの世に逝きやがれ!」
それから顔面だけを執拗に狙った蹴りの連打をお見舞いする。顔の骨を打ち砕き、目を潰し、残りの歯を全てへし折り、怒りという怒りを込めた伊月のキックが炸裂する。
最後の蹴りが顔面に突き刺さると、ハルキの耳から血が流れていくのが見えた。そこからはピクリとも動かなくなり、向井ハルキは完全に死んだ。もう二度と人を襲う事は無いだろう。
「やっとくたばったか。ざまあみろ」
捨て台詞を吐いてはみたものの、気が晴れる訳でもなく、結果としてはスキルを奪われたままだ。敗北とまでは言わないものの、この歯痒い結果には堪えきれない。
「クソがっ!」
もう一度ハルキの死体を蹴り上げる。当然ながら何の反応もないが、ストレス解消にはなった。これで伊月はスイッチを切り替えて、次の行動に移る。
一度や二度の失敗でウジウジしていては、出来ることも出来なくなる。これからどれほどの苦労になるかは分からないが、この世界の言語を学習すれば良いのだ。
その為には時間と資金、それと教養のある人間を探す必要がある。それまでは裏で隠れながら生活するほか無い。
伊月は向井ハルキが着ている服の襟を掴むと、そのまま引き摺って元来た場所に帰っていく。このファルシ城は正面の大門以外に、ある程度権力の高い人間が出入りすると思われる鍵付きの扉があったので、伊月はそこから入ったのだ。
鍵とは言っても、スイスの銀行が使っているようなロックシステムではなく、旧時代の簡易な鉄製の鍵だったので、犯罪のスペシャリストである伊月は難なくピッキングでこじ開けた。
その場所へ戻るために石造りの通路を渡って、歩いて行く。しかし部屋を出てから僅か数秒ほどで、何者かの気配を察知して伊月は身を屈める。
誰かの足音だ。段々と音が大きくなってくる。人数は一人分だが、此方にやって来るようだ。
その人間が持っているランプの光が伊月の傍を照らす。
「む? そこに誰かいるのか? もしやハルk」
「オラァッ!」
伊月の持てる力を込めた渾身のパンチ。それは男の腹に突き刺さり、一瞬にして意識を刈り取っていく。
「へ、危なかったぜ。バレるかと思った」
そう言って手の埃を払う。しかし伊月は気付いていない。たった今腹パンで気絶させた相手は、この国の王であることに。
「ん? そう言えば此奴の喋っていた言葉……」
たった今、この男が喋っていた言葉。聞き間違いで無ければ、確かに意味を理解できたのだ。もしそうなら伊月のスキルは───
「情報!」
伊月はその場で直ぐに鑑定スキルを発動する。
名前: ゲドウ イツキ
種族: ヒューマン(純血)
Lv: 13 (2342/3400)
HP: 320/320
MP: 1868/1870
固有スキル:『創造召喚』Lv1
スキル:『世界言語』Lv10『鑑定』Lv10『人心掌握』Lv1『商人』Lv1『剣術』Lv2『詮索』Lv2『異邦人殺し』Lv1
魔法:『精神汚染』Lv1
耐性:『疫病耐性』Lv1
状態: 正常
「くくく……ははは! 戻ってるじゃあねえか!」
伊月は歓喜に震えた。ここ最近で一番嬉しい出来事だ。これで面倒なことをせずに済む。向井ハルキを殺害したことで、奪われた言語スキルが戻ってきたのだ。
その喜びの余韻に浸っている伊月の元へ、再び誰かの足音が近づいてくる。直ぐさまに気分を切り替えて、身を潜める伊月。
ランプの光が此方に迫ってくる。
「あれ? 誰かの話し声がしたような気がしたんですが、気のせいだったのでしy」
「オラァッ!」
伊月の持てるだけの悪意を込めた凶悪なパンチ。それは女の腹に突き刺さり、一瞬にして意識を刈り取っていく。
「ふー、危なかったぜ。連続で来てんじゃねーよ、クソが」
そう言って手の埃を払う。しかし伊月は気付いていない。たった今腹パンで気絶させた相手は、この国の王女であることに。
「それにしてもコイツら誰だ? 見た感じ兵士でもねぇしよォ」
ここに来るまでに伊月は一度も兵士に会っていない。城といっても、常に見回りがある訳ではないが、あまりにも拍子抜けだ。それはこの国が平和であることの裏返しなのか、はたまた単に財政に余裕がないのかは分からない。
だがこのまま向井ハルキを持ち帰るのはいいが、伊月が襲った二人をそのままにするのは不味い。城にいる人間が攻撃されたとなれば、余所者の異邦人である伊月が敵性分子として風評被害に合うかも知れない。
なのでこの二人には、適当に改竄された事実を創ってしまえば良い。伊月は二人の気絶させた人間を治療室のベッドまで引き摺ると、服を剥ぎ取り真っ裸にさせた。
二人の腕を絡めさせ、ついでに向井ハルキの指をナイフで切断して、その滴る血を女の股ぐらに塗り込んでいく。
「くくく……汚え⚫⚫⚫だな」
これで伊月の襲撃はバレない。二人はベッドで記憶を無くすほど抱き合っていたという事実だけが残るからだ。
伊月はハルキの死体を再び引き摺ると、揚々と出口の扉に向かって行った。
この後、とんでもない事になるとも知らずに。