入国審査!
ファルシ公国の東砦。そこは西側とは違い国内の民族が出入りするための砦なので常時解放されており、警備兵も非常に手薄だ。通常は特に検査などもなく、誰でも自由に出入り出来る。
しかしその砦を護る二人の門番は、異様な雰囲気を纏った異邦人がこちらに向かってくるのを珍しそうに見ていた。
「おい、異邦人だぞ、また異邦人だ! しかも何だあの服は? ダサいにも程があるぞ」
「いや、待て! あの指を見てみろ! なんて指輪の数だ……きっと魔術師か何かだぞ……!」
「オスロ様と同じ……魔術師だと……?」
二人の門番は目の前までやって来た異邦人に、警戒の色を隠せない。だがその顔を見た瞬間に警戒は困惑に変わった。
「女の子……?」
「お、おい。お嬢ちゃん、大丈夫なのか……?」
彼らの前に来ると、力尽きたようにフラフラと地に倒れた異邦人。”彼”の顔を覗き込もうと、二人の門番が近付いた瞬間、刹那的な破壊が訪れた。
「ぐぇッ!!」
揺れる脳髄。震える頭部。伊月の放った上段蹴りが一人の門番の頭を砕き割った。そのまま一瞬の間も開かず、躊躇もなく投げナイフがもう一人の門番の首を貫いた。
そして伊月が悪態を放つ。
「クソッたれが! 何言ってんのか分かんねェよ! 日本語で喋れ、日本語で!」
時刻は既に太陽が沈み掛けているため、およそ半日掛けてファルシ公国に辿り着いたことになる。その間、伊月は己の足だけで歩いてきたのだ。
伊月は脱水症状と飢えに怯えながら歩き続け、本来しなくてもいい苦労を強いられたので当然ながら機嫌が悪い。
他人をゴミの様に吐き捨てるこの男にとって、他人に苦労を強いられるのはこの上ない屈辱なのだ。この屈辱に我慢できるわけがない。
「あ~! クソが、こんなの久しぶりだぜ、全くよぉ~!」
アメリカに留学していた時に現地のマフィアと小競り合いになった伊月は、面倒な根回しをしてマフィアを処刑したことがある。その時に比べれば随分と生温いが、伊月は確実な事しかやりたくないので、やはり御立腹だった。
怒りパワーに身を任せ、門番たちの遺体にスキル『創造召喚』を行う。すると途端にブクブクと肥え太った脂肪の塊のような生物に変化していく門番たち。
やはりというべきか、ロクにイメージせずにスキルを使うと無理やり形作るせいか、醜悪な怪物が出来るらしい。
だが今はこれでいい。彼らとは言葉が通じないので命令は出来ないし、肉盾にすら使えないがそれでいいのだ。
意思の疎通も出来ず醜悪な外見を持つ彼らは、異邦人である伊月の代わりに、分かりやすい敵性分子としてファルシ公国の注目に晒されるだろう。その間は伊月の存在をカモフラージュしてくれる身代わりにはなる。
その彼らを伊月はゴミを見るような目で見ると、足早に砦の門を過ぎていく。石造りの建物がびっしりと立ち並ぶファルシ公国の東エリア。
中央からは離れているせいか閉鎖的な雰囲気と寂れた裏路地のような印象を受ける。想像よりは発展しているようだが、文明レベルは古代ローマを下回っているだろう。
伊月は予め用意していたローブを深々と被り、顔が見えないように覆うとさっそく町の中央へと向かっていった。
道中、店仕舞いしかけている商店や行商人が乗っていると思われる馬車を見かけて、異世界にいる実感が初めて湧いてきたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
伊月は店から盗んだ果物を齧りながら歩いていくと、最後に辿り着いたのは小さな宿屋だった。文字は何も分からない。だが伊月は身振り手振りで説明してから、村で奪った硬貨を差し出す。
店主は妙齢の女性で人当りの良さそうな雰囲気だ。
彼女は少し困ったような顔をしていたが、もう一枚硬貨を差し出すとそれを突き返してきて、逆に銅の硬貨を大量に渡された。どうやら金額が大きすぎたらしい。ルメル族は結構貯金をしていたのでまだまだ懐には余裕がある。
多少ぼったくられるのは覚悟の上だったが、この女は善性に偏っているようだ。
「ありがとよ、土人にしては良いやつだなアンタ」
言葉が伝わらないのを良いことに好き放題言うと、女性は理解したのかしてないのか、ニッコリとした笑顔を浮かべて伊月を二階に案内する。
二階の部屋に入ると殺風景な内装ではあったが、最低限の清潔感は存在していたので取り敢えずは良しとしよう。
一階の受付に帰っていく女をしり目に伊月はベッドに倒れこむ。
この世界に来てから初めての睡眠だ。レベルが上がったせいで体の体質が変わったのか、疲れにくく睡眠や食事をあまり取らなくてもいいようにはなっているようだが、流石に疲れは溜まっている。
そのまま泥のように眠ると、意識が何処かに向かっていく。そして誰かの声が聞こえてくる。
「彼は随分な悪者だなぁ」
「でもファラケーノス、君が選んだんだろう?」
「そうだよ、僕が選んだんだ。だって普通の人間を送ってもつまらないだろう? 欲望に塗れた人間の方が世界に大きな影響を及ぼすし、より争いを産んでくれる」
「だからって悪い人間たちを選んで送り込むなんて、趣味悪いよ」
「ハハハッ、君だって人の事は言えないだろう? 人間に混じって生活するなんて、どうかしてるよ」
「君には分からないだろうねえ。この楽しさが。こっちの世界じゃあ、新しい神が三人も産まれそうでお祭り騒ぎなんだから」
「は? 神って僕たちと同じってこと……?」
「そうだね、僕たちと同等かそれ以上の力を持った神が産まれる」
「そんな話聞いて無いんだけど……」
「そうだね、誰も言ってないからね」
朝が来た。
伊月は手早く準備を済ませると、ファルシ公国の街に繰り出す。街中では朝早くから焼けたパンの匂いが立ち上っているが、それには目も暮れずに歩き出す。
なるべく同じ場所を通らないようにして、内側から外側をなぞるように移動していく。街中ではかなりの人間を見かけたが、ローブを被った伊月を見ても大して興味を示さないので、この姿でも問題は無いだろう。
伊月が観察する限りでは、このファルシ公国の住人はアングロサクソンでもコーカソイドでもなく、中央アジア人のような見た目をしているが、モンゴロイドかと言われればそれとも少し違うようで、堀の深い奴らが多い。
性格は比較的温和で、争いをあまり好んではないようだ。何処にも酔っ払いや物乞いは居ないし、見るからな悪人も存在していないので、目立たなければ問題は起きない。
朝から晩まで歩き倒すと、伊月は再び宿に戻って来る。受付の女に手を上げて挨拶すると、スムーズに会計が終わり自分の部屋に戻っていく。
「さてと、終わったぜ」
今日の夕方頃、東側で騒ぎがあったようなので、既に門番は見つかったのであろう。あの化け物が時間を稼いでいる間は、街中の兵士は手薄になる筈だ。
そしてさっきまで続けていた作業も、漸く一段落ついた。ファルシ公国のマッピング作業だ。紙とペンだけはスーツと一緒に持ってきていたので、正確な位置を網羅出来ている。
考えるに向井ハルキがいる場所はかなり絞られている。あれだけの怪我を負って直ぐに他の国に行くのは不可能だし、怪我を負ったものが真っ先に行くのは病院だろう。
そして病院は何処にある?
医療の発達が未熟なこの世界で、現代人である向井ハルキが妙ちくりんな医術を使う怪しい医者のとこへ行くものか。更に18世紀以前は、医療は限られた特権階級しか受けられない金持ちの特権だったのだ。
異邦人である向井ハルキならば国が囲っている可能性は極めて高い。あのクソガキであれば自分のスキルをひけらかす事で自尊心を高めていることは容易に想像出来るからだ。
国が囲い、医療を受けられる場所。例えば王やその息子が怪我をすれば治療を受けられる場所。それはファルシ公国の中央にある城しかないのである。
「待ってろよ、ぶち⚫してやる」