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紅の装甲竜騎兵  作者: aziy
7/13

7 ギール

「あ、雪」

 ルーミアは窓の外を見つめながら、マヤにとも、独り言ともなくそう言った。

 マヤは、部屋に(しつら)えられた粗末なベッドに腰かけたまま、今まで往復させていた腕の動きを止め、ルーミアの言葉に誘われるように目を上げて、窓際に立つルーミアの肩越しにガラスの向こうの灰色の空を見上げ

「ほんと。どおりで寒いと思ったわ」

 と応えた。

 今は陽はさしていないが、晴れた日に太陽が南へ昇った時の高さから推測して、エラーニア王国が故郷の街に比べるといくぶん高緯度にあることは確かだった。しかし、マヤが体感する限り、寒さはそれほど厳しくなかった。ほんの一瞬、この世界のこの地球が全体的に温暖なのだろうか、それともエラーニア地域だけが特別に暖かいのだろうか、という疑問が頭に浮かんだものの、彼女の関心はすぐに、科学の未発達なこの世界の住人は誰も答えられないようなそんな疑問から離れ、自分のひざの上に横たわって鈍い光を放っている一振りの小剣のほうに戻った。

 十秒ほどのあいだ途絶えていた乾いた音色が、また一定のリズムを刻み始めた。ルーミアが横目でちらっとマヤのほうを伺うと、案の定、マヤは砥石を小剣に擦り付ける作業を再開していた。

 ファクティム竜騎兵隊が最前線の町、ギールへの配置転換を命ぜられてから、まもなく二ヶ月が過ぎようとしていた。

 ファクティム城駐留軍の公式的なコメントによると、配置転換は、ファクティム上空において敵精鋭竜騎兵を二度も撃退したことが軍上層部に評価された結果だということだったが、ルーミアはそれとは別の噂話も耳にしていた──曰く「後方に予備部隊を置いておけるだけの余裕が、エラーニア軍にはもうないのだ」と。そして、得てしてそのような噂話のほうが信ぴょう性が高いということも彼女は心得ていた。

 この二ヶ月の間に、ルーミアがもう何度白魔法を使ったか知れない。もちろん名目上、彼女はマヤの従者という身分なので、マヤ以外の兵士の命を助ける義務はない。しかしそこは責任感の強い彼女のこと、死にかけている兵士を放っておくはずはなかった。そもそも従者などという制度は、古き良き騎士時代の名残りでしかなく、事実上、徴兵制が敷かれているに等しい現状ではそれほど意味はない。それ以前に、軍からもらえるなけなしの給料でわざわざ従者の食い扶持(ぶち)の面倒まで見てやろうなどと考える物好きは、上級将校はともかく、一般兵の中にはそう多くはいない。そのうえ彼女は、制服を着ていないことを除けば正規の軍属白魔導士と全く同じように振舞った。そのため、ギール城の兵士のほとんどは彼女が実は従者に過ぎないのだという事実を知らずにさえいた。

 ルーミアがこの前線の町の現実に戸惑いを見せたのは、着任早々、両腕と両脚が剣で切られたのではなく明かにもぎ取られた兵士がギール城に運ばれてきたのを見かけたその一瞬だけだった。次の瞬間にはもう、どこか遠足気分の抜けていなかったファクティム城での日々に別れを告げ、白魔導士としての職務を全うする覚悟ができていた。

 実際、彼女に命を救われて、その後戦闘に復帰できるまでになった兵士も数多くいた。生来、献身的な気質の持ち主である彼女のような人間にとって、そんな兵士たちの「ありがとう」の言葉こそが何にも代えがたい報酬だった。ファクティム城で暇を持て余し、マヤの従者になったことを少し後悔していたあの頃の自分が、ひどく怠惰な、愚かしい人間のように思えた。

 とは言え、辛いことも多かった。一般の患者と違い、兵士は命が助かるとまた戦場へ命をすり減らしに行ってしまうのである。「今日から戦列に復帰なんだ。ありがとう」と言って出撃した兵士が、その日の夕方、魂を完全に失った冷たい遺体となって帰って来た、などということもあった。

 それに、白魔力の使い過ぎからくる恒常的な疲労にも(さいな)まれた。精神的にも緊張状態が続き、たいした怪我でもないのに我れ先に応急処置を求めてくる若い男性兵士に対し、何度か大声を張り上げそうにもなった。それでも彼女が笑顔を保つことができたのは、彼女の精神力と、職務への責任感のなせる技としか言いようがなかった。

 しかしそんな彼女にも克服しきれない問題が一つだけあった。自分自身のことなら我慢すればよい。全くの他人ごとなら無視するか、適当にあしらえばよい。厄介なのはそのどちらにも属さない問題である。

 ルーミアはそこで、もう一度マヤのほうを振り返った。ギール城の片隅にあるこの薄暗くカビ臭い小部屋で、マヤの瞳と、彼女が研ぐ小剣の刃だけが異様な光を放っていた。

 二ヶ月前、マヤがファクティム城上空でヤグソフ四姉妹の末妹、ニーナの二度めの襲撃を撃退してルーミアの元に帰還した時、開口一番放った言葉は「敵兵を殺した」だった。さすがにそれからしばらく、マヤは少し元気がなかったが、二、三日後にはもう本来の彼女──同僚の竜騎兵だったサーラが死ぬより前の彼女──に戻ったように見えた。少なくともそのように振舞っていた。ルーミアはとりあえず安心すると同時に、姉が自分一人の力で困難を乗り越えられる強さを持っていることを心密かに賞賛していた。

 その後のギールへの配置転換により、マヤは度重なる出撃、自分は白魔法治療に追われることが多くなり、じっくり自分たちのことを話す余裕がなくなった。マヤたちファクティム竜騎兵隊に数日に一度の割りで夜間のスクランブル・ローテーション──敵竜騎兵の襲来に備え待機する当番──が回ってくる一方、城が夜襲を受けた時などは逆にルーミアが夜通し白魔法治療の仕事をこなすこともあったので、生活のペースもすれ違いがちだった。

 ところが最近、そんな毎日の中でふとマヤのほうに目をやると、彼女はいつも、今やっているように剣の刃を磨いたり、弓の手入れをしたりしているのだった。もちろん彼女が竜騎兵である以上、敵襲もなく待機当番でもない今のような空き時間に念入りに武具の手入れを行うのは当然のことである。 ルーミアが心配したのはむしろ、マヤが武器を見つめる瞳が、ほの暗い光を宿していることだった。

 ──本当は辛いんじゃないの?本当は恐いんじゃないの?──ルーミアはそう尋ねようとしたが、思いとどまった。姉はああ見えて繊細なところがある。自分が心配していることを打ち明ければ、却って心配させることになりかねない。だからこそ、四ヶ月前、自分の魔法のせいで彼女が女になってしまったことが判明した時にも、謝罪した以外、敢えて彼女を気づかう言葉をかけなかったのである。

 そうする代わりに、ルーミアは姉にもっと別の質問をすることを思いついた。

「ねえ、お姉ちゃん、今日は十二月七日よね?」

 マヤは、妹がちょっといたずらっぽい笑みを浮かべながら顔を覗き込むようにしてそう話しかけてきたのをちらっと見やり

「そうね」

 と応えただけで、すぐに視線を手もとの小剣に戻してしまった。それでもルーミアは笑顔を崩すことなく、更に

「じゃあ、ちょうど一週間後の十二月十四日が何の日だか知ってる?」

 と尋ねてきた。

「なんだっけ」

「あたしの十六回目の誕生日」

 マヤはやっと、砥石を往復させていた手を止め

「ああ、そうだったわね」

 と応えた。「確かずっと前、言葉のレッスンの中で一度、そんな話をしたわよね」

「うん、お姉ちゃんが十六歳になったばかりだって言うから、じゃああたしのより半年年上ねっていう話になったのよね。それであたしはマヤがお姉ちゃんになってくれたら嬉しいなって思ったの」

「あたしはお兄さんのつもりだったんだけどな」

 マヤはそう言って、ちょっと口元をほころばせた。ルーミアは、姉の笑顔を見るのはずいぶん久しぶりのような気がした。

「お姉ちゃんの誕生日は六月の何日なの?」

「あたしの誕生日は日付けの上では十二月四日よ」

「え?どういうこと?」

「こちらの世界と、あたしが元いた世界では、どうも日付けが半年ずれてるみたいなの。だから向こうでは、今は多分六月。あたしの誕生日の十二月四日は半年前ということになるわ」

「へえ、そうなの」

 その時不意に、マヤの脳裏にアクロバット飛行競技会の時の記憶がよみがえった。美玖の笑顔、弁当箱の入った巾着袋、赤い複葉機、青い秋空、そしてあの得体の知れないどす黒いもや。墜落してルーミアたちに助けられ、目を覚ましたのは一ヶ月後。更にそれから三ヶ月たって体の自由を得た時にはもう夏だったことから、日付けが半年ずれているのだろうという推論を導き出していたのである。それにしても、あの競技会の日がなんと昔に感じられることか。

 二年生になった美玖は今、どうしているのだろうか、ちゃんと部活には出ているだろうかなどと思いを巡らせたい衝動をぐっとこらえ、マヤはルーミアとの会話を続けることにした。

「ルーミアが十六才になるってことは、あたしはもうルーミアのお姉ちゃんじゃなくなってしまうってことよね」

「だめ」ルーミアはわざとだだっ子のように首を振った。「誕生日が半年しか違わなくてもでもお姉ちゃんはお姉ちゃん」

「もう、ルーミアったら。どうしてもあたしをお姉ちゃんにしたいのね」マヤは笑いながら、大げさに肩をすくめてみせた。「年上の女の人なら、同じ隊のラウラ隊長もいるし、オクタヴィだって、ほらこの間、ファクティム城で二十歳の誕生日を迎えたでしょ」

 そう、このギールへ配置転換になる前、まだサーラが生きていた頃、ファクティム城でささやかながらオクタヴィの誕生パーティーが開かれたのである。マヤは「こちらの世界にもケーキを作ったり、プレゼントを渡したりしてお祝いする習慣があるのね」などと驚きつつも、とても楽しそうにしていたのだった。

 ルーミアは

「お姉ちゃんはちゃんとあたしのお父さんの養女になったんだから名実共にあたしのお姉ちゃんでしょ。それに、もしそうでなかったとしても、やっぱりあたしのお姉ちゃんはマヤじゃないとだめ」

 と応えながら、のどかだったファクティム城での日々と、誕生パーティーなど望むべくもないこのギールでの生活とのギャップを、改めて実感した。そして半年後、姉が次に誕生日を迎える時には、誕生パーティーを開いてあげられるような状況下に自分たちがいられればいいなと思った。

 しかし、目の前の現実は過酷だった。

 マヤが次に「ねえ、ルーミア……」と言いかけた瞬間、城内にけたたましい鐘の音とともに

「敵襲!敵襲!」

 という怒鳴り声が響いたのである。

 マヤはもうほとんど反射運動のように、鐘が鳴り始めた次の瞬間には立ち上がって、壁にかけてある防寒着を手にとり、その次の瞬間には袖に腕を通し終え、部屋の扉を開いていた。そして、小剣を素早く、しかし丁寧に腰の鞘に納めた後、ルーミアに一瞥(いちべつ)もくれることなく廊下を走り去った。

 ルーミアはそれを見届けてから、今までこの部屋を支配していた暖かい雰囲気が消えゆくのを惜しみつつ、てきぱきと身支度をし、自らの持ち場である医務室へ向かうため、部屋をあとにした。





 ラウラ隊長の号令の(もと)、マヤがギール城の駐竜場から、雪のちらつく灰色の空へとピムを上昇させた後、辺りを見回してみると、ギール北側の平原とその上空はただならぬ気配に満ち溢れていた。ギールに着任して間もない頃、敵の大軍が押し寄せてきて城壁の一部が破壊されるほどの苦戦を強いられたことがあったが、今、目の前にいる敵の数は、どう見てもその時の倍近いと思われたからである。

  数だけではなかった。ひときわ視力のよいラウラ隊長が、腕信号──旗を使わない手旗信号のようなもの──で伝えてきたところによれば、敵の主力部隊はハバリア皇帝直属である近衛(このえ)師団の団旗を掲げており、さらにその先鋒隊はヤグソフ四姉妹の一人、モーラに率いられた精鋭アマゾネス(女怪力兵)の一隊らしいというのである。敵がギールを本気で()とし入れるつもりなのは明らかだった。

 ギールを守るエラーニア側の兵は誰もが戦慄を禁じ得なかった。

 しかしだからと言って、敵がこちらの戦慄がおさまるのをじっと待っていてくれるはずはなかった。敵竜騎兵隊がギール側の警戒空域に突入してきたのを合図に、激戦の火蓋が切って落とされた。

 戦いの焦点は、制空権にあった。いくら敵が大軍といえど、何百年もの間、敵国の兵や蛮族の攻撃を跳ね返してきたこの堅牢なギール城は、包囲されてもそう簡単に攻めとられることはない。だがもし制空権を奪われれば、水や食料などの補給物資を空から供給することができなくなってしまうのである。

 当然、敵はかなりの数の竜騎兵を投入してきた。マヤたちはそれこそ死に物狂いで応戦したが、それにも限界があった。同じ隊のオクタヴィをはじめ、多くの竜騎兵が手傷を負って戦列からの離脱を余儀なくされた。気が付けば、まともに戦えるのはマヤと、ラウラと、ギールに配属されているただ一つの装甲竜騎兵隊、エメンツ装甲竜騎兵隊だけになっていた。

 ありがたいことに、エメンツ隊が獅子奮迅の活躍をして敵の主力装甲竜騎兵隊に大ダメージを与えてくれ、またエラーニア王宮にある軍上層部が、王都エランの守りが手薄になることを承知で、最精鋭装甲竜騎兵の一隊を一時的にギール戦線に回すという大英断を下してくれたため、寸でのところで制空権を奪われずにすんだ。

 制空権の奪取に失敗した敵軍は、力押しによる迅速なギール城攻略を一旦諦め、長期的な攻城戦へ移行すべしと判断したらしい。昼夜を問わずほとんどひっきりなしに続いた敵の総攻撃は、五日後、ようやく停止した。





 その夜、マヤとルーミアに割り当てられているギール城の一室をオクタヴィが訪ねていた。

「そうなのですか、ルーミアはもうお休みになってしまわれたのですか。わたくしの怪我を治してくれたお礼を言おうと思ったのですが」

 オクタヴィがいつもどおり丁寧すぎる口調でそう言うと、マヤは、ベッドの上ですやすやと小さな寝息を立てているルーミアの寝顔を眺めながら

「白魔力の使い過ぎで、疲れがたまっているみたい。この()、仕事のことになると頑張り過ぎちゃうところがあるから」

 と応えた。

「確かにそうですわね。敵の攻撃がいつまた再開されるかわかりませんけど、それまではできるだけゆっくり休ませて差し上げましょう」

「そうもいかないの。明日、デイン砦に白魔法治療をしに行くように言われたんだって。死にかけている人がたくさんいるからって」

「まあ、大変ですわね。でも、もちろん誰かに竜でつれて行ってもらうんでしょう?城は包囲されているのですから……」

「だからあたしがつれて行くことにしたの。さっきラウラ隊長の許可を取ったわ」

「それはご苦労様。では、マヤも早めにお休みにならないといけませんわね。わたくし、これでおいとまさせていただきますわ」

 オクタヴィはそう言い残し、戦下のこの城塞の雰囲気に全く似つかわしくない優雅な身のこなしで、バレリーナのような細身の体をするりと部屋の出口へ滑り込ませようとした。が、そこで

「あ、そうそう、うっかり忘れるところでしたわ」

 と言って、また部屋の中に戻って来た。

「これ。マヤに頼まれていた例のものですわ」

 彼女は、飛行服の腰にぶら下げてあるポシェットから、手のひらに包むことができるくらいの大きさのものを取り出し、マヤに手渡した。

 するとマヤは、さも嬉しそうに「間にあったのね。よかった」と応えた。「ありがとう、オクタヴィ」

「どういたしまして」

「本当に助かったわ。あたしこういうことを相談できる人がルーミアしかいなくて、でも今度ばかりはルーミアに相談することができなかったから」

「喜んでいただけるかしら」

「オクタヴィの見立てだもの、きっと大丈夫よ」

「そうなることを祈っておりますわ。……では、失礼させていただきます。おやすみなさい」

「おやすみ」





 翌朝、マヤとルーミアはまだ暗いうちに──といっても、緯度の高いこの地域で十二月に日が昇るのは午前九時頃だが──ピムの背中に乗り込み、城を取り囲んでいる敵の警戒網を縫うようにして、一旦、比較的安全な南東の空域に出た。そこで進路を北東に向け、哨戒飛行中の敵竜騎兵に見つからないよう、山の稜線に身を隠しながらデイン砦を目指すのである。

 ルーミアは体をマヤの背中に密着させ、自分の口をマヤの耳のすぐそばにもって来て

「どれぐらいかかる?」

 と訊いてきた。風を切る音がうるさくて声が聞こえにくいだろうと思ったからである。

 マヤは顔をほんの少しルーミアのほうへ向けて応えた。「本当ならギール城からデイン砦までは三十分もかからないわ。でもこんなふうに迂回しながら、それも、上昇気流に乗れないこんな低空を飛ぶとなると、一時間半ぐらいはかかっちゃうんじゃないかな」

「そう」

「寒くない?」

「風が少し冷たい」

「じゃ、少し速度を落とすわ」

「ううん、それじゃ、着くのが遅くなる」

「大丈夫。その代わり少し近回りするから」

 マヤはピムの速度をやや落としてから、山沿いを離れて森の上空を横切るルートをとることにした。

 ところが、この判断が結果的に思わぬ災難を引き起こすこととなってしまった。

 デイン砦の物見櫓が遠くに見え始めるところまでたどり着いた時、眼下に絨毯のように広がる森の樹木の間から、突然、握り拳ほどの大きさの火の玉のようなようなものが飛んできて、ピムの翼を直撃したのである。

 ピムは叫び声を上げ、激しく体を揺さぶった。

「ピム!」

 マヤは必死になってピムをなだめ、なんとかしてコントロールを取り戻そうとしたが、ピムはどんどん降下してゆき、遂に森の中へ墜落した。

 幸いにも、ピムが完全に我を失うことはなく、最小限のコントロールを受け入れてくれたため、マヤはピムに安全な着陸態勢をとらせることができた。おかげでマヤもルーミアも、かすり傷一つ負わずにすんだ。

 しかしピムの怪我のほうは深刻だった。火の玉が直撃した部分の皮膚は直径三十センチほどの大きさにわたって完全にはがれ落ち、むき出しになった内皮から絶えまなく鮮血が吹き出しているのだった。

 ルーミアは白魔法治療を試みた。止血には成功したものの、はがれ落ちた皮膚を完全に再生することはできなかった。女性白魔導士である彼女は、魂の再生は得意でも、肉体の欠損部位を再生する能力は持ちあわせていないのである。

 マヤは一応、ピムに翼を動かすよう言ってみた。予想どおり、ピムは苦しそうにそうに喘ぎ声を上げ、すぐに動かすのをやめてしまった。

 彼女は「無理をさせてごめん」と謝りながら、赤い装甲に覆われたピムの頭部を撫でた。そしてやるせない表情で天を仰ぎ、

「もう、最悪」

 とぼやいた。

「なんなの、あの火の玉みたいなの?敵があんな武器を持ってるなんて聞いてないわよ」

 ルーミアも、彼女にしては珍しく不快感をあらわにして

「あれは敵じゃなくて、サハラカン──竜落としとも呼ばれているモンスターが撃った火の玉よ。そんな危ないモンスターがいるなら、出発前に一言忠告してくれればよかったのに」

 と、彼女にデイン砦に行くよう要請してきたギール城駐留軍のお偉さんを暗に批判した。

 とは言え、いつまでもこのような場所で悪態をついているわけにはいかなかった。まずはこれからの行動計画を練り直さなければならない。

 最初、ルーミアは

「デイン砦であたしの到着を待っている人たちのことが心配なの。ここから砦まで歩いても三時間ぐらいだから、あたし一人でデイン砦に行くわ。マヤはピムがモンスターに襲われたりしないようにそばにいてあげて。あたしは砦で白魔法治療をした後で、ピム傷を治す薬を手に入れるか、それができなければ男性白魔導士をつれて戻ってくる」

 と主張したが、マヤはこんな危険な森でルーミアに一人歩きをさせるわけにはいかないと反対した。

 そこでルーミアは、この森の中でピムの傷につけるペペという薬草を探すこと提案した。ペペは森の中にわりとよく生えている植物なので、手負いのピムをひとりぼっちにしないように付近を探せばすぐに見つかるだろうというのである。

 二人はその提案をすぐに実行に移した。

 しかし、ルーミアの予想に反し、ぺぺはなかなか見つからなかった。マキナスの森より北にあるこの森では、気候が少し違うのかもしれない。

 仕方なく、二人は捜索範囲を広げることにした。

 そうしているうちにマヤは、高さ三メートルくらいの崖の上に出た。ペペは日陰に生えていることが多いというルーミアの話を思い出し、マヤは崖の下を覗き込んでみた。

 すると。

 崖の下には、二人の人間が立っていた。

 一人は薄緑色の派手な色の衣装を身に付けた、マヤと同じ歳ぐらいの少女。

 もう一人は、これまた派手な黄色い衣装を身にまとった大柄な人物だった。身長は百九十センチ、体重も百キロぐらいあるのではないか。

 そのそばでは、彼らが乗ってきたと思しき馬が二匹、足下(あしもと)の草を()んでいた。同じ向きではなく、睨み合うように立っていることから、その馬の主たちは別の方向からやってきてここで落ち合ったのではないかと思われた。

 彼らは何やら熱心に話をしている。マヤは耳を澄ましてその会話を聞き取ろうとしてみたが、どうも、彼らの話している言葉は彼女の知らない言葉のようだった。

 いつの間にか、ルーミアもマヤの傍らで同じように崖の下をじっと覗き込んでいた。別の場所で薬草を探しているうちにマヤの様子に気付き、何かあると思ってこちらに来ていたらしい。

 崖下の二人をよく見ると、マヤは薄緑色の服を着た少女に覚えがあった。あれは確か、ヤグソフ四姉妹の末妹、ニーナではないか。

 マヤの胸は一瞬、サーラを殺された怒りで張り裂けそうになった。しかし、マヤは深呼吸をして気持ちを落ち着け、自分の感情をコントロールした。二か月前、敵兵と組み合って結果的に敵兵を転落死させてしまって以来、マヤはもう二度と、怒りで我を忘れて敵と戦うようなことはするまいと心に誓ったのだった。

 そのうち、ニーナと思しき少女は、ふところから何かを取り出し、黄色い服をまとった人物に手渡した。そして、更に二言三言、言葉を交わしてから、馬にまたがり、風のように去っていった。

 残された黄色い服の人物は、それを見届けた後、いま手渡されたものを目の前にぶら下げてしげしげと眺めた。それは銀色の鎖の環に紫色の宝石が付いたペンダントだったのである。

「あれは!」

 そう、あのペンダント、あれは、マヤがこちらの世界に引き込まれる直前、マヤの手の中で光輝いた、あの不思議なペンダントとそっくりではないか!

「あのペンダントだ!」

 マヤは思わず小さな声で叫んでしまった。

 ところが、マヤがあくまで小声で上げたつもりの叫び声は、しっかり眼下の人物の耳に届いていたのだった。

 その人物はマヤたちのほうを振り返り、マヤたちには分らない言葉で一言、何か言った。それがマヤたちに通じていないとわかると、今度はマヤたちに分かる言葉で

「誰だ!」

 と言った。

 その人物がさきほどまで横を向いていたためわからなかったのが、いまマヤたちの方へ向けられたその胸には、防寒着の上からでもわかるほどの大きな二つの膨らみが付いていた。どうやらその人物は女らしい。

 彼女は、崖の上のマヤがエラーニア王国軍の飛行服を着ていることにすぐに気付いた。すると、馬の腹に結わえ付けられていた長い槍を手に取り、無言のまま、その切っ先をマヤの方目掛けてくり出した。

 マヤは機敏に身を翻してその切っ先をかわすことができた。しかし隣にいたルーミアの方は、よけようとした拍子に崖下へ転落してしまった。

「きゃっ!」

 崖の高さが三メートルほどだったため、ルーミアはそれほどダメージを受けなかった。とは言え、崖を背にした今のルーミアは、槍を手にした大女にとっては格好の槍の的だった。ルーミアは文字どおり窮地に立たされた。

「ルーミア!」

 躊躇している暇はなさそうだった。マヤは防寒着を脱ぎ捨てて、いわゆる全身レオタードに似た、飛行服のみの姿となり、腰の革ベルトにぶら下がっている小剣を抜いた。そしてその刃を大女に向けて、崖下へ勢い良く飛び込んだ。

 しかし大女は、マヤが渾身の力を込めてくり出した剣をいとも簡単によけてしまった。

 崖下に降り立ったマヤはそれでも必死になって剣をくり出し続けた。ルーミアを守りたい一心だった。だが大女は、その大きな体のどこにそんな敏捷性が備わっているのか不思議なぐらい、やすやすとマヤの剣をかわした。

 マヤが剣を振り回し疲れた頃を見計らって、大女はマヤの胸目掛けて槍の一撃を放った。マヤはぎりぎりよけるのが精いっぱいだった。マヤの飛行服は胸の辺りで切り裂かれ、そこから血が滲み出した。彼女は万事休したと思った。

 ところが大女は何を思ったのか、突然、槍を捨て、マヤの方へ歩み寄った。マヤが剣で抵抗しようとするとその腕を鷲掴みにして動きを止め、手から剣を取り上げた。そしていきなり、彼女の飛行服の胸の部分の布を、乱暴に破って取り去ったのだった。

 マヤの胸の二つの膨らみは、鮮血に染まって真っ赤になっていた。

「な、何するの!」

 マヤは四か月前、ジュートの相手をさせられそうになった時以来の貞操の危機を感じた。

 彼女が自分の勘違いに気付いたのは、大女がポケットから小瓶を取り出し、その中のペースト状のものをマヤの胸の傷口に塗ってくれた時だった。

 大女は

「これは俺の姉貴が作ってくれた薬だ。よく効くぞ。姉貴は故郷では結構有名な魔道士なんだぜ」

 と、訛りのあるエラン語で話した。数カ月前、ニーナがマヤと話したときにもこれと同じ訛りがあった。おそらくこれがハバリア訛りなのだろう。

 マヤはどう応えてよいかわからずただ黙って薬を塗られるままにしていた。

 薬を塗り終えた大女はマヤに

「名前は?」

 と尋ねてきた。マヤはそのとき大女の顔を間近で見て初めて、その大女が、実はマヤたちよりも二つか三つ年上にすぎない、若い女性だということを知った。

 マヤが名乗ると、大女は微笑んで

「マヤか。それは東洋ではよくある名前なのかな」

 と言った。マヤは何も答えかったが大女は気にも止めず

「俺の名はモーラだ」と言葉を続けた。「おまえ、東洋から来た傭兵(ようへい)だろ。おまえみたいな小娘が何もこんなところまで(いくさ)なんかやりにこなくたって、ほかに稼ぎ口ぐらいあるだろうが」

 それでも黙り続けるマヤを半ば無視して、モーラと名乗ったその大女は独り言のように

「おまえがあの白魔道士を守ろうと必死になって戦った、その頑張りに免じて見逃してやるよ」

 と言い、少し離れたところに立っているルーミアを、あごで指し示した。

 それまで恐怖で足がすくんで動けなかったルーミアは、その時、やっと我に帰り、崖の上から落ちてきたマヤの防寒着を拾って、マヤのところに駆け寄った。そして、防寒着を彼女の肩にかけてやった。

 と、その時。

 ルーミアの顔が蒼白になった。

 マヤとモーラは、こわばって動かなくなってしまったルーミアの視線の先を、目で追いかけた。五十メートルほど離れたところに立っている高さ十メートルほどの二本の木の幹の間に、二階建ての建物ぐらいの大きさの巨大なこんにゃくのようなものが挟まっているのが見えた。

 三人とも、しばし言葉を失った。

 よく見ると、その物体は挟まって止まっているわけではなく、木々の幹に引っかかりながらも、その柔軟性のある体を幹のあいだの幅に適応させつつ、こちらへ向かって少しずつ前進してきているのだった。

「サハラカンだ!」

 モーラがやっと声を絞り出した。

 その物体──サハラカン──はそこで一旦停止した。マヤとルーミアは次に何が起こるのか全く予想できず、口を半ば開いたまま、ただただ呆然とその物体を見つめていた。やがてその物体の上部が濃いピンク色を帯び始め、次にその中心部が深紅から赤褐色へと変化していった。

 一方、モーラの方は次に何が起こるか予測がついたらしい。いきなりその大きな手で二人の頭を抑え、

「伏せろ!」

 と叫んだ。

 二人は訳が分からないまま言われた通り地面に突っ伏した。その次の瞬間、サハラカンの赤褐色に染まった部分から、野球のボールほどの大きさの火の玉が撃ち出されたのだった。

 幸い、火の玉はマヤたちのいる地点から二十メートル以上離れた地面に命中した。

 サハラカンは命中確率を上げる必要を感じたのだろう、再びその柔軟な体をぶよぶよと動かしてマヤたちのいる方へ前進を始めた。

 マヤは素早く立ち上がり、傍らでうつぶせになっているルーミアが立ち上がろうとするのに手を貸した。そしてその手を引っ張って、モーラとともに近くの大きな木の幹の陰に逃げ込んだ。幹の陰から様子を伺うと、サハラカンはまだ三十メートル以上離れたところうごめいていた。どうやら動きはかなり緩慢のようだ。

「きっとピムにとどめを刺しにきたのよ」ルーミアが言った。「サハラカンは火の玉で竜を撃ち落として、動けなくなったところをあの体で包み込んで溶かして食べちゃうて。書物で読んだことがある」

「どうすればいい?」マヤが言った。「あのモンスターには何か弱点とかはないの?」

 応えたのはルーミアではなくモーラだった。「上の方に目が二つついていてその間に脳がある。そこにダメージを与えればいい」

 マヤは、その言葉の真意を測るために、モーラの目を見た。そこに偽りの光がないとわかると

「目のあいだね。わかったわ」

 と応え、走り出した。そして、先ほど小剣を落とした地点で剣を拾い上げてから、一旦、手近な木の幹に隠れ、腰のベルトに付いている鞘に剣を納めた。

 するとモーラは、どういうつもりか、いきなり木の陰から飛び出して、サハラカンの前に立ちふさがり

「俺が囮になってあいつの注意を引く。マヤは木の上からやつの弱点を狙え」

 と叫んだ。

 マヤは一瞬、無関係のモーラに協力してもらう筋合いはないと断ろうと思ったが、やはりどうしても囮役は必要だと考え直し、何も言わず彼女の指示に従うことにした。

 ルーミアは木の陰から固唾をのんでその様子を見守った。

 マヤは、モンスターの視界に入らないよう注意しながら、立ち並ぶ樹木伝いにモンスターの方へ二十メートルほど近付き、様子を伺った。サハラカンはどうやら、前に立ちふさがるモーラに攻撃の矛先を向けることにしたらしく、前進を停止して、その巨体の上部をピンク色に染め、今まさに火の玉を打ち出そうとしていた。

 数秒後、火の玉がモーラ目掛けて飛んでいった。

 モーラは先ほどマヤと戦った時に見せた敏捷性を、今度も如何(いかん)なく発揮し、鮮やかな身のこなしで火の玉をかわした。

 それを見て安堵したマヤは、更に樹木二本分、サハラカンの方へ近付いた。

 数メートルほどしか離れていない場所からモンスターを見上げてみると、改めてその巨大さに圧倒された。モーラの言っていた目の在り処を見極めようとしたが、五メートルにも及ぶと思われるその体の上部の様子は、下からでは伺い知ることができなかった。

 彼女はモーラに指示されていたとおり、木の幹をよじ上り始めた。都会で生まれ育った彼女は木登りなどやったことがなかったが、幸い、その木の幹には多数の突起がついていたため、そんな彼女でもどうにか登ってゆくことができそうだった。

 ところがその時、サハラカンの動きに変化が現れた。サハラカンは次の火の玉の準備をするために体の上部をピンク色を染め始めていたのだが、射出口となるはず赤褐色の部分は、モーラの方ではなくマヤの方を向いていたのである。

 すでに木の中腹まで登り終えていたマヤは、下に降りることもできず、木の幹にへばりついたまま可能な限りの防御姿勢をとった。

 火の玉が撃ち出された。火の玉はマヤがつかまっている幹をかすめ、背後にある木に直撃した。振り返ってみると、その木は根の部分を残して跡形もなく消え去っていた。彼女は背筋が凍り付くのを感じた。

 モーラは少し離れたところで大声を上げ、モンスターの気を引こうとした。サハラカンの注意は再びモーラの方へ逸れた。

 その間を利用して、マヤは木登りを再開した。やがて建物の三階ぐらいの高さまでたどり着いた時、ちょうどそこに太い枝がせり出しているのが見つかったので、彼女はそこに立って見下ろしてみることにした。

 モンスターの体の上部に赤いひし形が二つ、モーラのいる方向を睨んでいた。どうやらあれが目らしい。

 マヤは腰の鞘から小剣を抜いた。モンスターの弱点である目の間の部分は、マヤの立っているところから二メートル以上離れていた。腕を伸ばして刺し貫くには距離があり過ぎる。

 そのうちサハラカンは再び火の玉を打ち出す準備を始めた。体の上部がピンク色に染まる。しかもそのひし形の目は、モーラのほうからマヤのほうへと、見据える方向を再び変えつつあった。一刻の猶予も許されなかった。

 マヤは、先ほど崖の上からモーラに対してやったのと同じように、モンスターめがけて身を投げ出した。

「やーーーーっ!」

 今度こそ、彼女は小剣の刃を突き立てることに成功した。目の間の部分を刺されたモンスターは激しく体を揺さぶり、マヤを振り落とそうとした。そのためマヤは手を剣から離してしまい、雪山のようなモンスターの巨体の上を、ごろごろと転がり落ちた。

 柔軟性のあるサハラカンの体がクッションのような役割を果たしたため、マヤは地面に激しく叩き付けられることはなかった。

 サハラカンはしばらくの間、ぶよぶよと体を揺さぶり続けたが、やがて力尽き、その場にどっさりと崩れ落ちた。

 マヤのもとに、モーラとルーミアが駆け寄ってきた。

 モーラとルーミアは異口同音に「やったな」「やったわね」と言った。

 マヤは「ええ」とだけ応え、とびきりの笑顔を二人に返した。

 するとモーラは、またポケットから、今度は何やら紐のようなものを取り出し、それをマヤの首にかけた。それは先ほどモーラがニーナから受け取ったあのペンダントだった。

「そのペンダントはシカの腹の中から見つかったものだ。俺の妹を何か月間もあちこち飛び回らせた厄介物だ。もう魔力も消えているから俺たちには不要だが、珍しいものなので(かね)にはなる。お前はそれを売って東洋へ帰れ」

 彼女はそう言って、マヤの肩をポンとたたいた。そして先ほどマヤと戦った場所まで歩いてゆき、地面に捨ててあった長槍を拾って馬の腹に結わえ付けてから、派手な黄色い衣装をひるがえして馬にまたがった。

 マヤはモーラに聞こえるよう大声で

「ありがとう」

 と言った。

 馬上のモーラはマヤたちの方を振り返って微笑んだ後、前を向き直り、馬の尻に鞭を当てた。彼女を乗せた馬は一目散にその場を走り去った。

 その後、マヤたちは無事に薬草ペペを見つけることができた。ペペをすり潰してピムの傷口につけると、その鎮痛効果により、ピムは翼を動かすことができるようになった。





 デイン砦に着いた頃には日没時間の午後三時をだいぶ過ぎていたため、辺りは真っ暗だった。

 ルーミアはすぐさま、死にかけている患者を死の淵から救う白魔法治療を開始したが、治療を必要としている患者はかなりの数にのぼっていたので、全ての治療を終えたのは、夜中の十二時半だった。

 ルーミアはくたくたになった体を休めるために、彼女とマヤのために割り当てられた寝室へと向かった。昼間、モーラやモンスターと戦ったマヤもきっと疲れて寝ているだろう思い、寝室の扉はそっと開いた。

 ところが意外なことに、部屋の中ではマヤがまだ起きて彼女を待っていた。

 マヤは腰のポシェットから何かを取り出し、ルーミアの手のひらにのせた。それは貝殻の形をかたどった、小さなイヤリングだった。

「お誕生日おめでとう」マヤは満面の笑みを浮かべ、言った。「本当は朝、起きてから渡そうかとも考えたんだけど、待ちきれなくて、いま渡そうって思って、待ってたの」

 しかしルーミアは不思議そうに

「でも、こんなイヤリング、いったいどうやって……?ここ二か月、ずっとあの最前線の町、ギールに駐留していたのに」

 と尋ねた。

「オクタヴィのお父さんがファクティムで銀細工師をしているって知ってるでしょ?あたしたちがギールに配置転換になってしまってたから、オクタヴイのお父さん、届けるのに苦労したみたい。注文したのは、もう三か月近く前かな、ファクティムにいた頃にやったオクタヴィのお誕生パーティー。あの後すぐよ」

「そんなに前?」

「そう。ルーミアには誕生日当日まで内緒にして、驚かせるつもりだったの。だから先週、ルーミアが誕生日の話をした時も、あたし、とぼけてルーミアの誕生日なんか覚えてなかったふりをしたのよ。本当は、言葉のレッスンの中で教えてもらったあの時から、一日たりとも忘れたことはなかったわ」

「もう!意地悪!」ルーミアはそう言いながら、マヤに抱きついてきた。「でもありがとう、お姉ちゃん」





 ギール攻城戦は二か月に及んだ。

 ハバリア軍は第一次攻撃の後も、制空権を奪わんと、次々とギール戦線で竜騎兵戦を仕掛けてきた。しかしそのたびごとに、彼らの前にエメンツ装甲竜騎兵隊とファクティム竜騎兵隊が立ちはだかり、 鬼神のような戦いぶりでハバリア竜騎兵を蹴散らした。そのため、制空権を得てギールを孤立させ奪取するというハバリア側の目論見はもろくも崩れ去った。

 その中でもファクティム竜騎兵隊所属のマヤ・クフールツ竜騎兵の活躍は目覚ましいものがあった。それまで飛行技術は優れているものの、竜騎兵としてはあまり評価の高くなかった彼女が、ある日を境に、重しがとれたかのように軽快な動きを見せるようになったのだった。その「ある日」がルーミアの誕生日であったことは、無論、誰の知る由もない。

 結局、ハバリア軍は、ヤグソフ四姉妹の一人、モーラの率いるアマゾネス隊がまたも城壁に大ダメージを与えた以外、得るものもなく、二月初頭、包囲を解いて撤退した。

 開戦以来、連戦連勝を続けていたハバリア軍が勝利を逃したのは、この戦いが初めてであった。


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