感伝
「ニャルー、起きなさい」
リーナ=キリシマは頭髪の中からニャルーを優しく指先で摘まむと息を柔らかく吹き込む。
「ニャルーはねんねしてないもん」
リーナの手の中で球体が転がるような仕草をするニャルーは「かふり」と欠伸をすると再び寝に落ちる。
「こいつはほっといて先に進もう」
アキラ=ヤナギは顎を突き出して言う。
「そう言う訳にはいかないと思うわ。此処から先はニャルーしか潜れない」
緑を空に届けるように枝を分けて伸ばす一本の樹木。根元である分け目の隙間は人差し指が入る程の幅。
「リーナ、此れはあくまでウッドブリンク族の為の扉だよ」
「知っているわ。小さい頃だったけれど、母のお伽話として聞きながら眠ったわ」
「キミのお母さんは“幻人”なのか?」
「逆よ。父が“幻人”」
アキラは一度息を呑んでリーナの横顔を見上げる。
「『お伽話』だった。キミは何処で気付いたの?」
リーナは「くすっ」と、笑みを湛える。
「“幻人”の姿を見ることが出来る“真人”は結ばれる。そして“幻人”として生きる」
「“幻人”しか知らない見れないことは他の“真人”には知られてはいけない。つまり、掟を破ればお互いは引き離されてしまう」
「アキラ、私は“幻人”と“真人”の決まり事なんて信じてはいないわ」
リーナはアキラの鼻を摘まむ。
「話が飛躍してしまった。もとはといえば、ニャルーが起きないからだよ」
アキラは漸くリーナの指先を鼻から外して言う。
「そうだったわね? では、気を取り直してーー」
ーーこちょこちょこちょ……。
ーーきゃあーっ!
ニャルーがリーナの指先で足の裏を擽られるーー。
***
樹の根元。扉の奥は黄金色の壁と樹木の根が支える部屋。
部屋を繋ぐのは土を刳り貫く通路。
「長“花羽”が接見を申し込んでますが、どうなさいますか?」
針金のように細い虫の象をする者が天井から垂れる透き通る反物の向う側に居る〈長〉と呼ぶ姿に言う。
「……。既に私の膝の上に座っています」
草の茎で編み込まれる椅子に腰掛けて薄紫色の花びらを繋げた冠を頭に被り、黄色で染まるベールで顔を覆う〈長〉と呼ばれた者が言う。
「ニャルーはリーナとアキラを連れてきたよ。ミュルー様に会わせたいけれど、大きすぎて外で待たせてるの」
ニャルーはミュルーと呼ぶ者の腕を抱えて膝の上で左右の褄先を前へ後ろへと振り上げる。
「ニャルー、貴女が言うのは《癒しの女神》様に選ばれた次期『称号』ですね? そして《女神》のお子も傍にいる」
ミュルーは掌で手繰り寄せる薄紅色の衣の裾でニャルーを包み込む。
ミュルーは「ふう」と、息を吐くと掴む袖を離す。
「お子は健やかに成長されているご様子。ニャルーを含めて“花羽”が大切に育てた証拠です」
「〈長〉“感伝”を使われるのは身体に負荷が掛かることをお忘れになったのですかっ!」
「カラン、心配は要りません。そして、ニャルー。貴女は私達の『希望』であるとともに大切な役割を与えられた。どうか、お二人を貴女の“花の羽根”で導いてください」
「ミュルー様はやっぱりみんなと一緒に雲の上にいってしまうの? ニャルーはみんなのことが大好きなの。ニャルーだけが此処に残ってリーナとアキラの傍に居ないと駄目なの?」
ニャルーは咽び泣き出してミュルーにしがみつく。
「残念ですが貴女以外のウッドブリンク族は刻まれる時に限りがある。でも《魂》まで消えることはありません。一度貴女が言う場所に行って新しい《器》を見つける……。そう、私達を導いてくださるお方こそーー」
ーー〈トト〉様から『称号』を受け継ぐ者であるリーナ……。
ミュルーの身体が飴細工のように変化をすると黄金色に輝いて光の粒が弾け飛ぶ。そして、樹の根本の室内から囁く声が聞こえてくる。
ーー我々も空へと参る。ニャルー、どうか〈長〉のお言葉をしっかりと胸に刻ませてお二人を守ってーー。
「姉さま、クク。えーと、たくさんのニャルーの大事で大好きなみんな、ニャルーは頑張るからーー」
ーーまた会おうねーーーー。
空間に数多の光の粒が飛び散って集まると、ひとつの球体と象らせるーー。
***
「行ってらっしゃい」
樹の根本でニャルーの帰りを待っていたリーナが空を目指す無数の“光”に手を振る。
最後の“光”が空に届くと南から吹く風に巻かれる大樹は透き通った緑色の雫と変わると大樹の『跡形』へと染み込んでいく。
「ニャルー、キミが手にしているのは大切に扱ってくれ」
アキラは涙で頬を濡らすニャルーに言う。
「うん、みんなとまた会う為の“種火”だもん。ニャルーは絶対にお水をかけたりはしないもん」
ニャルーの掌に乗る球体が緋色に瞬いて、光が辺り一面を照らす。
「〈瞬く樹〉はずっと待っていた。そうなのね、ニャルー」
「うん、みんな新鮮な『称号』に送ってもらうて言っていた。そして〈トト〉様がみんなの路を作ってくれるとも言っていた」
「そう……。でも、あなたたちが言う《女神》とは私は会えるのかしら」
リーナはアキラに訊く。しかし、アキラは一向に口を開く素振りを見せない。
「アキラ」と、リーナは今一度声を掛ける。
「《女神》の“力”が弱っている。リーナ、キミには大変な思いをさせてしまうけど良いかな?」
「私が『称号』を受け継ぐこと。歴代の『称号』が使いこなせなかった“力”を私が使う。大丈夫よ、アキラ」
「キミのことは、僕が護る」
「頼もしい言葉をありがとう」
リーナはアキラと手を繋ぐ。指と指が絡み合い、隙間から溢れる“光”が大地へと注ぎ込むと温かく柔らかい乳白色の輝きが柱となって天高く昇る。
そして、扉と形に変えていく。
「ふふふ、ちゃんと開いてくれた」
「半分“幻人”の僕達でも開けてくれた」
「私、本当に行くのね?」
「ああ、キミのお母さんが『お伽話』で聴かせていた場所にだよ」
ーーお母さん……。
リーナは嗚咽をする。
「母さん、貴女は正しかったと僕は伝える。だから、ゆっくり休んでね」
アキラは緑の匂いの風に言葉を託すと、リーナの手を引いて扉を潜るーー。
ーー置いていかないでぇええーーっ!
ニャルーがリーナとアキラを追いながら叫ぶ。




