翠と紫と緋色
蔦葛が蔓延る岩壁、茶褐色に濁る溜池、枯れて幹が剥き出す樹木。
エメラルドグリーンの長い髪と瞳の《癒しの女神》と記される鉱石の像が、掌の中で緋色の灯を照らす。
リーナ=キリシマは紫水晶を彷彿する色の短髪を右の掌で掻き回しながら、焦げ茶色の瞳に朽ち果てた風景を写す。
「リーダー、探知機が反応してます」
リーナを呼んだジロウ=ラコの、右手に持つ三角形を象る小型機具が虹色に点滅していた。
「解った。マーキングを施して、明日以降作業に掛かると、しましょう」
陽が西の地平線に沈む。リーナは羽織る紺色のベストを脱ぎ、朱色の半袖シャツと乳白色の三分丈のパンツ姿になるとジロウ=ラコが示した場所に移動した。履く橙色のブーツの踵を地面に押し当てると、足元は発光した液状と変化する。渾渾と湧く水を例える形は煌めく鉱石のように硬くして、飛沫の破片をリーナは掌で掴み取る。
そして、口に含み喉を鳴らしたーー。
***
満天の星の下《遺跡調査団》のキャンプ地。一つのテントが灯りを消さなかった。
〔オメガグリン遺跡調査録〕
リーナ=キリシマは電子ノートの画面に印す表示を指先で押すと、土台を残した建屋の痕跡、青黴で変色した金属製の物品、炭化してるが、欠けた甕の底で原形を留める保存食と思われる植物の根等が写る画像。発見、発掘した遺蹟と日付に目を追う。
◎トライポイントにシードの反応あり。日没の為、マーキングを施す。
記録の更新作業を実行の最中「リーダー、夜食はどうする?」と、テントの入口に佇むジロウ=ラコの呼び掛けにリーナは振り向く。
「気にしないで。貴方も明日に備えて、身体を休ませなさい」
リーナは、テントに吊るすランタンを仰ぐと振り子のように揺れて四方八方に照らされる灯に目を眩ませ、足元に地面が波打つ感触を覚える。
「またですね? 我々が現地に入ってから、しかも決まって夜が更けた時間帯に……」
ジロウ=ラコはズボンのポケットに掌を押し込み、じゃらりと、硝子玉が繋がる鎖を握り締める。
「作業前に、亡者の魂には許しを得てるわ」
「本当は踏み込んで欲しくなかった。かもしれないですね?」
「その可能性は無いわ。私が『揺れ』の原因を突き止める」
リーナは電源を落とした電子ノートを閉じると、ハンガーから紺の丈が長いベストを剥ぎ取り、袖に腕を通す。
「今からですか?」
「ジロウ。貴方は師匠の傍に居て」
「所長は病の身体を押してまで『発掘調査』に同行された。リーダーが説得すれば、直ぐにホスピタルにーー」
「その為に、医療チームも参加させたの。今のところ、容態は安定してると報告を受けてる」
「リーダーの身に何か起きたらどうするのですか!」
黒色のリストバントを右手首に被せ、ぱんぱんと膨れる合成樹脂の朱色のウエストポーチを装着するリーナにジロウ=ラコが呼び掛ける。
「私は、しくじらないわ」
リーナは肘まですっぽりと覆うアームカバーに腕を通して橙色のブーツを履くとひらりと、ジロウ=ラコを飛び越えて漆黒に染まるキャンプ地の夜道を駿足するーー。
***
ーーアキラ、大地が怯えてる。貴方が癇癪を起こすからよ。
「奴等が悪い。俺も頭にきてるっ!」
ーーウッドブリンク族の『魂』は受け入れている。
「偽善ぶってるだけだ。ニャルーが、泣きながら俺に縋ってきた」
ーー『新たな時を刻むを恐れないで』と、私の説得は効かなかった?
「『称号』を利用する。なんて、あってはならない。俺は断固として阻止するっ!」
緋色の髪と濃青色の瞳。アキラと呼ばれた少年は、ざわめく風を頬に溜める。
ーーアキラ。何度も言いましたが、貴方は悪い解釈をしてる。
「『女神』……。話の途中だが『侵略者』がお出ましだ」
ーー私の姿は、貴方以外には見えない。
「手は出すなっ!」
アキラは闇夜を淡く照らす《発光草》の葉に息を吹く。辺り一面が瞬時に漆黒に包まれ、ぱきりと、樹木より落ちた枝を踏み締めた音に耳を澄ませる。
「止まれっ!」と、アキラは近づく〈音〉の主に罵声する。
「“威振”の発生源の場所を突き止めたら子供が居た。ただの迷子とは呼べないね?」
「気に入らない言い方だ。今すぐあんたをぶっ潰すっ!」
アキラは激昂しながら『侵略者』と呼んだ〈相手〉に目掛け拳を振り上げる。手応えがある感触が“真幻”と気付いたのは、腕を掴む握力の加減なしと耳元で囁く声だった。
「挨拶と自己紹介が最初でしょう? 学校で習わなかったの」
「そっちが先に言えっ!」
アキラの顔はくしゃりと、萎んでいた。抵抗すればするほど、激痛に襲われる。
「リーナ=キリシマ。こう見えても、遺跡調査ユニットのリーダーを務めてるわ。で、良いでしょうか?『ボク』くん」
「……。アキラ=ヤナギだーー」
ふりゃりと、アキラの脱力する身体にリーナは腕を伸ばして抱えると、足元の草葉が翠を彩らせながら光を灯す。
「ジロウ『揺れ』の発生源で子供がまごついていたわ。保護したから軽食と寝床の用意をして。詳しい事は、後で説明する」
通信を終了したリーナは、アキラの寝顔を覗き込み笑みを湛える。そして、前髪を掻き分けた指先で頬を突付くと、背負ってキャンプ地に向けて翠の光の中を前進していったーー。
路を踏み締める音が消える頃、草の花房からふわりと、風に舞う鳥の羽根を彷彿する象が現れる。
「アキラが連れていかれたぁあ。ニャルーがアキラを困らせたぁあ」
象は咽ぶ。涙を大粒の滴にして、豪雨の如く雫を撒き散らす。
ーー落ち着いて、ニャルー。アキラの為に貴女が心配する必要はないわ。
ニャルーと呼ばれた象は、ペパーミントの香りに鼻をひくつかせ、凜として尚且つ澄みきる囁きに耳を澄ませると、ふわりと、風まかせに飛翔する。
「女神さま、アキラは恐がってる。ニャルーも恐くて堪らない。みんなも恐いと言ったから、ニャルーがお話しした」
ーー『称号』の役目は《灯火》です。私の《象》で炎を焚かせ、路を照らす。貴女達は、けして迷わない……。
《女神》の囁き、夜風に吹かれて掻き消されるーー。
『サザンの嵐・シリーズ』の著者、トト様より〈癒しの女神〉のビジュアルをいただきました。
トト様、ありがとうございます。
華麗で可憐な彼女の美を、是非ご堪能されてください。