いつもの勇者様
「いつもの。大盛で」
夕食時の賑わう酒場で、カウンター席に着いた鎧姿の青年が自信たっぷりに言った。
酒場の看板娘は、青年の「いつもの」注文を受け、引き攣った笑顔で固まった。
目の前の客は、常連客どころか見たこともない青年である。初めて見るお客様の「いつもの」発言に、給仕の手が止まるのも当然だ。
「え、ええっと? その……あの……いつのものですか?」
街で人気の酒場兼宿屋を経営する両親を持ち、小さい頃から店を手伝う看板娘ロレは常連客の顔と名前をすべて覚えている。
ロレは看板娘として、失礼な態度を取れない。それに彼の見なりは異様だ。兵士でもないのに鎧甲冑など珍しく、まっとうな人物とは思えない。青年が腰に下げる立派な剣に視線を落とし、なおさら失礼な態度は取れないとロレは緊張した。
魔王が世間を脅かし、町の外を魔物が跋扈するとしても、その対策は兵士や騎士の仕事である。彼はそのどちらとも思えない鎧姿だった。
――マトモな人ではないのだろうか? 難癖をつけて暴れるつもりなのか? と、鎧の男を警戒して店内が静まる。
そんな雰囲気の中、ロレは記憶の片隅に思い当たる何かがあった。
(誰だったかな? もう少しで思い出せそうな気がする……)
鎧の青年に見覚えがある。ロレが小さいころに来たことがあるお客かもしれない。ロレは必死に記憶を辿りながら、作り笑顔だけは崩さずにいた。
そんな緊張する作り笑顔のロレを見て、鎧姿の青年は大きく肩を落として見せた。そして自嘲の笑みを浮かべながら、懐の財布からコインを取りだす。
「いやぁ、ごめんね。初めてきた酒場では、この冗談を言うことにしてるんだ。それでウケなかったら、俺が店にいる人に酒を一杯奢ることに決めていてね。これでここにいる人たちに酒を一杯頼むよ」
青年はそう謝って、一枚の金貨をロレに弾き渡した。
「こ、こんなに!?」
酒一杯どころか、店内にいる客全員の食事代まで奢れる。さらにおつりも出るだろう。金貨は金貨でも特に高額な古王国の金貨だ。
「こんなにいただけません!」
「じゃあ、その中から俺の酒代と食事代も。これでも結構食べるし呑むからね、俺は。余った分はキミを驚かせたお詫びだ」
「そ、そう? 悪いわね」
彼が高い料理と酒を三人分ほど頼めば、チップは常識的範囲になる。売り上げにも繋がるし、断る理由はない。ロレは金貨をチップを入れる方ではなく、代金をいれるポケットにしまった。
「いやぁ、ずいぶんと太っ腹だねぇ。最近の若いもんは」
常連客たちは、青年への評価を無頼者から気前のいい変わり者改めて、気安く話しかけてきた。さらなる酒にあやかろうという魂胆だろう。
青年も嫌がる事なくテーブル席に移動して、そんな常連客たちと楽しく会話を始めた。
案外、人恋しい青年なのかもしれない。
ロレは警戒を解いて、青年に声をかける。
「それで気前のいいお客さん。あなたのご注文は」
「渡り鳥の赤ワイン煮を。それから揚げたチーズと玉ねぎをたっぷり振りかけたサラダがあるよね? それを三人前」
「……へえ。うちの看板メニューは知ってるんだ。おとーさーん! 注文入るねー!」
青年の注文は、この店の看板メニューと裏メニューだ。
きっと他の常連客から評判を聞いてきたのだろう。ロレはそう判断して給仕に戻った。
青年が気前よく奢ったせいで、常連客たちと軽い宴会となっている。大盛況で自然とロレのチップを入れるポケットも膨らむ。
そんな忙しさの中で、ロレは記憶を辿り青年を思い出すことを忘れてしまっていた。
* * *
翌朝、ロレは思い出した。
全てではないが、思い出した。
あの気前のいい青年が誰であるかを――。
「な、なんで忘れてたの!」
着替えもそこそこにして、ロレは自室を飛び出した。
「おとーさん! おかーさん! 昨日泊まったあの鎧の人はっ!」
宿は前払いなので、そのまま朝出立してしまう人が多い。
鎧の青年がまだいるのか訊ねようと、隣りの部屋にいる両親を呼んだが返事がない。おそらく昨夜、ロレが仕事を上がった後に、二人して宴会のご相伴にあずかった……いや、参加したのだろう。
父親の高いびきが聞こえてきたので、ロレはその場を離れて鎧の青年を探した。
階段を駆け下りると、一階の酒場は散らかったままだった。
幸いにして鎧の男は、まだ宿を後にしていなかった。
散らかる酒場の向こうで戸口に手をかけ、今まさに立ち去ろうとしている。
「お願いっ!! 待って!!」
「ん? ああ、酒場の娘さん。何か?」
ロレの必死な呼びかけに、青年はなんでもない様子で振り返る。
そんなのひどい。と、ロレは心の中で叫んだ。
青年の目には、感情の起伏も光りも陰りもない。目の前の少女を、なんとも思っていない。他人を見るかのような視線。
ロレはそんな青年の視線を払うかのように、頭を振って叫ぶ。
「なんで? なんでそんな顔で見るの? 酒場の娘さんですって? なんでっ! 私をロレって呼んでよ!」
「いや、名前は聞いてなかったし……」
「うそ! ずっと一緒だったじゃない! 忘れちゃったの? 私はまだ全部を思い出せないけど……あなたは私の……」
呼吸が乱れているせいもあるが、嗚咽でロレの声が詰まる。
ロレの様子を見て、青年はどこか納得したような表情を見せた。
「そうか。やっぱりキミだったのか、ロレ」
「っ! 思い出してくれたの?」
ロレは嬉しかった。まだ自分は全部を思い出せないが、彼は私を思い出してくれた。もう少しで自分も思い出せると信じて、気を抜くと忘れそうな記憶を保つため心を強く持った。
彼は隣の家に生まれた幼馴染だ。
一緒に育ってほとんどの時間を一緒に過ごし、彼はこの酒場の手伝いもしてくれた。ある時、街の外まで遊びに行こうとして、両親に見つかり怒られ、それでも懲りずに外に出たのは二人だけの秘密だ。
いつからお互いを意識し合い、二人で街を歩くだけで茶化されたものだ。
記憶がどんどんよみがえってくる。
もう少しで名前が思い出せる。
そんなロレに青年は冷水を浴びせるような事を口にした。
「いや、最初からちゃんと覚えてるよ。忘れたのはみんなさ」
「――え? どういう意味?」
ロレは首を傾げたが、同時に思い当たる節がいくつかあった。
昨日の夜、酒場にいた常連客は全て青年の関係者だった。彼幼少期の先生や少年時代に働いた鍛冶屋の親方や兄弟子たち。ロレと青年の関係を酒の肴にして飲む荒くれ者や、共通の友人たちだっていた。
ここは人口もそこそこで、狭苦しい街だ。
誰もが彼のことを知っているはずである。だが、だれも彼を知っている様子はなかった。
昨日のロレと同じように、見慣れない奇妙な鎧姿の男という扱いをしていた。
誰もが彼を忘れている。
今のロレ以外、誰もが。
「驚かせてしまったね。俺はね、父や母や友達、知り合いから忘れ去られることで強くなれる勇者なんだ。そういう条件で強くなれる」
青ざめるロレに、青年は努めて優しく語りかけ説明を続けた。
「面白いだろ? それだけの代償で、魔王に一人で立ち向かえるほど強くなれる。でも、最近ちょっと不調だったんだ。もしかしたら誰かが俺の事を思い出したのかな――って考えてさ。確認に来てみたんだ。なんたって生まれたところだし、この街へ最初に来たんだけど正解で良かった。いや、本当に良かったのかな? ――ああ、良かったかもね。こうして俺は俺として、キミと会話ができたんだから」
「な、なによそれ……」
「それだけの話だよ」
「それだけって…………そんなの! 置き去りにされるようなもんじゃない!」
世界中の誰からも置き去りにされて、一人っきりで魔王討伐。
ロレは納得できなかった。もう少しで思い出せそうなのに、いらぬ感情が記憶の線を手繰る行為を妨げる。
「じゃあお別れだ。ロレ」
名前を呼んでくれた青年が立ち去ろうとする。ロレは堪らず彼に縋り付く。
「絶対忘れない忘れない絶対に忘れない放れない! 絶対に――」
「さようなら」
青年はロレを突き飛ばした。
「――あれ? なんであたしこんなところに? え? 転んでる? あいた、ヒザ擦りむいてる。うそっ! 泣いてる? なんで?」
「大丈夫かい?」
宿屋の床に倒れていたロレを、旅支度の青年が助け起こす。
「あ、あああの、お客さん? あたしなんでここに?」
狼狽えるロレに、青年は手持ちの荷物を見せた。
「ああ、俺にこの忘れ物を持ってきてくれたんだよ。ありがとう」
「え? そうなの?」
「うん、そうだよ。でもキミが転んだのは俺のせいじゃないよ。突き飛ばしたりなんてしてないよ」
「なにそれ。かえって怪しいですよ、お客さん」
ロレは泣きながら笑った。
泣いている理由が分からないが、戸惑いとか羞恥とかとにかくいろいろな気持ちがあり、それを笑ってごまかした。
「じゃあね。またあの料理を食べにくるよ」
「ええ。次は覚えておくから、いつものって注文で受けてあげるわ」
行きずりの旅人と、立ち寄った酒場の看板娘。
そんな関係のまま、二人は気楽な態度で背を向け別れた。
* * *
魔王が討伐されて数年経ったある日――
平和な世界の平和な国で、平和に営業する賑やかな酒場。そこで不穏な噂が流れていた。
「そういや街道に恐ろしい魔物が現れたそうだ」
「そうなのかい? 魔王が討伐されて大分経つっていうのに――」
「騎士団は不在なんだろ? 大丈夫なのか?」
「なぁに。いつもの勇者様が倒してくれるさ」
「そうだな。いつのも勇者がいつのもように始末してくれるだろうな」
名前も分からない謎の勇者。
彼は魔王を討伐した後も、世界を放浪して魔物を倒してくれる本物の勇者だ。騎士団たちでも手に負えないような魔物が跋扈すると、どこからともなく現れて、やすやすと魔物を討伐し、礼も受けずに立ち去ってしまう。
名も知られない英雄を、誰かが『いつもの勇者』と呼称し始め定着した。
その人は、いつもの勇者などと言われて満足なのだろうか?
功名心が無いのか、人嫌いなのか。それとも身元を隠す理由があるのだろうか?
ロレは常連客たちの噂話に耳を傾けつつも、給仕の手を止めず仕事をこなしていた。
そんな昼下がり――。
いつもの賑わいを見せていた酒場に、異物のような客が訪れた。
その客を見て、酒場の常連客は一斉に言葉を失った。
異物のようなその客は、見慣れない男で元は立派であろう薄汚れた傷だらけ鎧を身に着けていた。
魔王がいた頃でも鎧姿は珍しい。魔物の被害が少なくなった今では、鎧姿などさらに希少な姿だ。
酒場にいる者たちの訝しがる視線を浴びながら鎧姿の青年は店内を進み、空いているカウンター席にどかりと腰を下ろした。
「彼が噂の『いつもの勇者』だろうか?」 と、客の一人が呟くが、「いや若すぎるだろう」「そんな強そうには……」と数人の客がひそひそと否定する。
常連客が心配する中、ロレが勇気を持って注文を取りに行く。
鎧姿の男はゆっくりとした動作で手を組み、注目されていることを意識しているのか、勿体ぶったように息を吐き出す。
ロレが隣に立ったことを横目で確認し、青年は若さに似合わぬ低い声で言った。
「……いつもの。大盛で」
常連客のような「いつもの」などという注文を、見慣れない男の口から聞いて、ロレは驚いたように笑った。
とても嬉しそうにロレが笑ったので、青年の表情も釣られてほころんだ。
彼は本当に嬉しそうに笑っていて――――
「いやねぇ~。お客さん、常連客のつもり? せめて、そこにいる呑んだくれたちと同じくらいツケを貯めてからいったくださいね」
そんな青年の笑顔に、ロレは辛めの軽口を叩き付けた。
酒場に訪れる海千山千の酔っ払いたち。それらを相手するうちに、この程度の冗談は受け流せるようになっていた。
昔のロレならなら狼狽えて「どちらさまでしょう」などと、失礼な発言をしてしまうことだろう。
酒場に広がっていた緊張感も吹き飛んでしまった。青年の冗談とロレの切り替えしを絶賛しながら、腹を抱えて笑っている。一部、ツケの貯まっている常連客は苦い顔だが……。
堂に入った女将さんめいた姿に気圧されたのか、男は微笑みを苦笑に変えて肩を竦めて見せた。
勿体ぶった青年の演技はどこかに吹き飛び、明るい表情で懐の財布から一枚の金貨を取り出す。
「いやぁ、ごめんね。初めてきた酒場では、この冗談をいうことにしてるんだ。冗談がウケたら店にいる人に酒を一杯奢るって決めていてね――」
前回の短編と同じで、長編用のプロットをかなり削って書いた短編です。
いろいろなことについては活動報告で。
感想やご指摘お待ちしています。