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あなたのヒーロー  作者: じっぴー
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 遥はすぐに真顔になった。こんな大きな男に囲まれるなんて、これまでになかった経験だ。

 葉間本は言った。「何をしているんだ、君たちは」相当お酒を飲んでいたようで、酒臭かった。

「おっさん、ライブがなんとか言わなかった?」帽子をかぶった少年がポケットに手を突っ込んだまま、睨んできた。

「ああ、こいつとこれから行くんだよ」

 少年たちは一際大きな声で笑った。音量の調節ができていない。「ほー! このかわいいヤツとねえ」

「……一体何なんだ君たちは。何の用だ?」葉間本は吐き捨てるように言った。

「おっさんの割には威勢がいいな。強がってんのか? ハハハハ……、まあ用ってほどのことじゃねーんだけど、俺らさあライブ見たいんだよねえ。どーせカスみたいなバンドだけど? せっかくここまで来たんだから見てえじゃん」

「ここまでって、いつも通ってんじゃねーかよ。ああ、お前全然来てねーのか、出席俺ら頼みだもんな」金髪を後ろでくくった男が口を挟み、笑う。

 帽子男は軽く舌打ちをした。

「なのによお、ここ通ってんのによお、入れてくれねえんだよ。チケット完売らしくて。でさあ、俺らで話してたんだよ。チケット持ってる奴らから奪おうぜって。いやあ探しに行こうと思った瞬間だよ、おっさん達が来てさあ。なあ、ライブのチケットくんねー? お金払うからよお」

 葉間本は動じない。「いくらだ?」

「いくらでもいいぜえ?」

「いや、無理だろ。十円ぐらいじゃなきゃあな」坊主頭にサングラスの真っ黒に日焼けした男が言った。

「そっか、俺ら金持ってねーんだ。ジュース買う金すらなかったもんなあ」

 そう言って不良たちはゲラゲラ笑っていた。遥は小刻みに震えていた。今にも泣き出しそうだった。

 葉間本は考えた。とにかく最低でも遥は守らなければならない。そしてライブのチケットもだ。

 警備員を探せばいい。学園祭の執行委員の人達、あるいは、守衛か、特にこんな人の集まる日は多くの警備担当がいるはずだ。

 しかしここは一号館の裏。通行人なんていやしない。ごくたまに葉間本たちのような時間が限られた状況ですぐにジュースを飲みたいとか、煙草を吸いたいと思う人でなければ近付いて来ないだろう。それに警備員は絶対そんなことにならないから、一般の人達が来るとしか期待できない。ただ、誰かが来てさえすれば、呼んできてもらえばなんとかなる。

 それまで時間を稼がないと。

「お前らどこの学部の何回生だ?」

 不良たちは笑うのを止めた「あ? おっさんには関係ねーだろ」帽子の男が肩をいからせながら言った。

「いや、関係あるかもしれないぞ。俺はこの大学の卒業生だからな。ということは君達が知っている先生にも通じているかもしれない。となれば、だ。俺が誰々にこういう目に遭いましたっていう報告をすれば、単位取り消しとか無効とかになるかもしれないからな」

 するとこれまで黙っていた、葉間本から最も離れた位置にいた長身の男が口を開いた。

「おっちゃん。もう堪忍しなよ。見え見えの時間稼ぎはやめろって。っていうかよ。俺らに殺されないとかいう保証ねーだろ。死人に口無しっていう有名な言葉があるじゃねーか。そんなこと考えられねーほど馬鹿には見えねーぜ」

 そういって長身男はバタフライナイフを取り出した。器用に手首を回し、ブレード部分を葉間本に向けた。

「おい! お前大学にナイフ持ってきてんのかよ! こえー!」「何する気だったんだよ! 教授とか刺してもメリットねーだろ」「リンゴの皮むき用とかじゃねーよなあ」若者たちはまた大声で笑い始めた。

 一通りナイフに対するコメントを言い合った後、帽子男がぐいっと顎を上げて言った。

「まあ俺らの車アレだからよ。どうせお前ら殺してもバレねーよ」

 殺す。殺される。

 葉間本は時間稼ぎのことが頭から遠のき、代わりに真っ白な靄が頭の中に侵食していくのを他人事のように感じていた。

 遥を守る。

 無意識下ではこの思いが渦を巻いていたのだが、それには気付けないでいた。

 葉間本は帽子男に殴りかかった。帽子男は三メートルは飛んでいった。金髪男と坊主男は呻きとも唸りともわからないような声をあげながら葉間本に向かっていった。後ろでナイフの男がにやっと笑ったのを葉間本は見た。視線の先には遥がいた。

 葉間本は金髪男の右ストレートをかわし、左手でボディブローを叩き込んだ。金髪男はよろめき、後ずさりした。坊主男がタックルをかましてくる。頭が葉間本の下腹部に命中したが、動じない。頭を押さえつけると、相撲のはたき込みの要領で坊主男を転がした。

 すると先ほどぶっ飛んだ帽子男が起き上がって、葉間本に向かってくる。しかし酒のせいなのか、殴られたせいなのか足元はおぼつかない。葉間本は容赦せず、帽子男の顔面に右ストレートを叩き込んだ。今度は帽子も飛んでいった。

「このおっさん。強え……」

 声を絞り出す帽子をかぶっていない帽子男に見向きもせず、ナイフ男の位置を確認した。しかし、先ほどの位置にいなかった。

「おっちゃん! 終わりだ」

 その声に葉間本は体を反転させた。視線を向けると遥の首元にナイフを突きつけ、口だけで笑う男の姿があった。目は見開かれ、視点がまったく合っていなかった。葉間本のはるか後方を見ているかのようだった。

「……おいおい。ここまで来たら犯罪だぞ、お前」

「犯罪ぃ?! 知らねー! こいつの首掻っ切られたくなかったら、黙ってろボケ」

 ナイフ男は血走った目をギラつかせながら、耳の奥に響く大声で怒鳴った。

 葉間本は突然語気を強められて焦っていた。この男だけは冷静で、他の男たちより大人であると思っていたからだ。

 遥はただ涙を流し、震えていた。恐怖から何も言えなくなっていた。

「……ちょっとてめえ、黙ってろよ」

 葉間本が振り向くと、坊主男がちょうど起き上がってきたばかりのところだった。

 ずんずんと迫ってくる。

 そしていきなり拳を葉間本の顔めがけて飛ばしてきた。

 葉間本は動かなかった。次の瞬間、鈍い音と共にぐらついた。

「おい、お前ら! 殴り放題だぜ」

「……おお」

 呼びかけに応じた男たちは、立ち上がり次々と葉間本に向かってきた。

 遥を危険な状態にはできない――もう既に危険ではないかと問われれば答えに窮するが――葉間本はその思い一心で我慢した。

 その間にも男たちの拳は腹、顔をめがけて飛んできては鈍い音をたてていた。

「ハハハハハ! 馬鹿なおっさんだぁ! 明日から会社行けなくなっても知らねえぞぉ! いいとこ見せようとするからやられんだよ」

「そういうこったな。……そろそろ止めろ、お前ら」

「いや、無理だね! 相当キテるぜ! 俺たち。俺なんて口切ったんだからなあ!」

「それもそうか! まあ意識失う程度にしとけよ!」

 ついに葉間本は膝から崩れ落ちた。社会人になってしばらく忘れていた。これが痛いという感覚だ。「…………」

「おっ! 何か言いたそうだな。ま、何も言わせねーけど!」帽子男は葉間本の頭を踏みつけた。しかし葉間本は踏まれていることなど、どうでもよかった。遥さえ守れれば、それでよかった。

 

「ねえ、ヒーローになってよ」


 朦朧としてくる意識の中で、葉間本は思った。

 俺にとってヒーローって何なんだろう。何だったんだろう。

 憧れではあった。でも、自分がなろうなんて思わなかった。

 力がほしかった。そう思った時期はあった。

 世界を救いたい。そう思った時期はあった。もちろん何から救うのかは考えていなかった。

 今は、違う。

 もちろん救いたいのは世界じゃない。

 救うではなく守る。

 遥。

 ただ一人の……命。そして幸せ。


 ナイフ男が言う。「おいお前ら。先にチケットと金奪っとけよ。もし見つからなかった時にこいつの意識が無かったら探すのめんどくせーからよ」

「そんなこと、裸にしてやったらいいじゃねーか」

「おい、誰が男の裸なんて見てーんだよ」

「それもそうか」

「ハハハ」

 笑ったせいか帽子男の足が弛んだ。葉間本は痛みの残る全身に力を入れて、ナイフ男に向かってカエルのように飛びかかった。一瞬の出来事に誰も反応できないでいた。

 ナイフ男でさえ、ひるんだ。遥を人質にしていれば、このような行動をとるとは考えもしなかったのだろう。

 葉間本は無意識だった。ただ、思考の深いところでは常に考えていたことだったので、限りなく意識的に近い無意識といえた。遥を守る、それのみを考えて動いた葉間本の肉体は容易にキラリと光る刃の眼前へと運ばれた。

 バタフライナイフの刃を掴み、ナイフ男の手から柄を奪う。

 そして――

「うわあああああ」

「こ……こいつ! 殺しやがったあ」

「ちょ、お前ら待てよ!」

 ぽたぽたと滴る血。五十年以上使った蛇口からこぼれる水のような静けさ。叫び声を除けば、静寂の中、血だまりの形成される音のみが聞こえたであろう。その人の声も遠のき、現にそれが訪れようとした瞬間、ズポッという音、数秒後にどさっと物が崩れる音。さっきまで人間だった物体は、ただの塊と化していた。

 心臓を一突き。手についた大量の血液を見て、葉間本は意識を取り戻す。

 しかし、動揺はなかった。焦り、後悔といった気持ちもなかった。それはやはり、どこか意識的なところがあったからなのだろうか。

「ごめんな……やっちゃいけないことを……」

 呆然と立ち尽くす遥の目が見たくて、膝を折った。遥の目からは大粒の水が溢れていた。

 遥は同じ背丈になった葉間本の目をしっかり見て、言った。

「そんなことないよパパ。パパは僕のヒーローだよ!」


 俺は昔、ヒーローに憧れていた。

 特撮のヒーロー映画でありがちな、地球を乗っ取るべくやってくる異星人。そして人類を攻撃してくる。それを見かねたヒーローが完膚無きまでに倒す。巨大化が加わることもある。

 そういったヒーローは何のために戦うのだろう? 人類のため? 自分の周りの人達のため? 少なくとも自分のためではないだろう。そのような意図を感じていた。

 しかし俺はわかっていた。そんなヒーローにはなれないことを。

 じゃあどんなヒーローになるのか。なれるのか。

 気持ちだ。

 力がなくたっていい。一歩踏み出す勇気さえあれば。 


「ねえ、ヒーローになってよ」


 そう言われた俺は、一年前の彼女とのやりとりを思い出していた。そしてこの息子のカンの鋭さは彼女から来たものなのだと実感し、心地よさを感じていた。


『本当にごめん。あの子とは会ってはいけないことになっているのに』

『そうだけど。別にいいじゃないか。遥はまだ君のこと知らないんだから』

『あの子、戦隊ヒーローものとか観るの? アンパンマンとか?』

『どうしたんだよ、急に。ヒーローか。確かにアンパンマンが一番好きだなあ。というより、よくわかったな』

『そうでしょ。私はあの主題歌が好きなのよ。お願い一つだけ約束して』

『なんだよ』

『えっとね……』


 俺はどうして生まれてきたのだろう? 何を成し遂げるのだろう?

 遥、お前にとっての幸せって何? お前にとっての喜びって何?

 今は全くわからないけど、いつかわかる日がくると信じてる。

 俺はお前のヒーローになれたのかな?

 なれてなくてもいい。少しでも、ほんの少しでも俺のことを頼りになると思ってくれたのなら、ヒーローだと思ってくれたのなら、それでいいんだ。


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