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「少々お待ち頂けますか」

 ベンチに腰掛けたアキに声をかけ、返事を待たず彼は足早に立ち去った。めまいが治まらず目を閉じたまま連れて来られた場所に、アキを探していると言っていたハルはいなかった。

 やっぱりあれ、嘘かー。ハル兄が私のことを探させる人なんて限られてるし、あの声は聞いたことないしね。

 座って落ち着いたことでいくらか体調が回復し、そっと目を開ける。アキが連れてこられたのは、会場の窓から出られるバルコニーである。そこにポツンと一つ置かれている二人掛けのベンチに、アキは座っていた。

 最近は段々と暖かくなってきているが、夜はまだ肌寒い。それ故、パーティー会場は窓を全て閉めており、魔法で換気をしているのだろうが、これだけ人が多いと限界がある。換気が上手く出来ず空気が停滞することで、会場内は人々の熱気や様々な匂いが混ざりあい、澱んだ空気が出来上がっていた。比べて、外の空気のなんと澄みわたり清廉なこと。

 はぁー、空気がおいしいとか初めて身に染みて実感したわー。でも、あの澱んだ会場でもあの人の周りの空気は、なんかすごい爽やかだったなー。しかも、さりげなくジャケット掛けてくれたりとか、まじで何者。中身イケメンで、これで顔までイケメンだったら完璧すぎて怖い。そいつ多分、人間じゃないよ。

 今はここにいない恩人に対して大分失礼なことを考えるアキの肩には、男物のジャケットが掛かっている。バルコニーに着いた時、ベンチにアキをそっと腰かけさせた後、肩が剥き出しのドレスを着ているアキのために自身のジャケットを脱いで掛けてくれたのである。おかげでアキは寒さに震えなくて済んでいる。もっと言えば、袖を通してきちんと着ればもっと暖かいのだろうが、そこは自粛している。

 ジャケットは貸してくれたけど、返ってきた時に袖まで見知らぬ女の子の生暖かい体温が染みついてたら、さすがに嫌よね。

 アキのいるバルコニーからは階段が続いており、ホールの裏庭に降りられるようになっている。裏庭は剪定された木々や花達が趣味よく配置されており、見るものを楽しませる。そんな庭園を見るともなしに見ながら、ぼんやりと考えを巡らせる。一度大きく深呼吸すると、澄んだ空気に混じって草木の匂いとジャケットからの微かな香りが漂い、体調不良の気分の悪いモヤモヤが少し薄れた。

 あー、でも失敗したな、付け入る隙とか作らない予定だったんだけどな、ナツ姉に怒られるかな、あの人変に噂したりとか要らないことしないといいけど、でもこんな紳士な人なら大丈夫かな、いやいや何が一家没落に繋がってるか分からないし気を抜くな自分、でもあの三バカにバレるよりはあの人に気付いてもらってよかったかも、というかあの人よく気付いたな、私の愛想笑いとか真顔は内心を全く悟らせないと評判なんだけどね私の中で、まぁ家族とかミュリとかだと大概バレるけど、今日はそんな顔色出てたかなー、だったら改めて三バカが気付かなくてよかった、というか調子よかったらあいつらくらい軽くかわしてやるのに、あんな化学反応起こしたような臭いこっちに生まれて初めて嗅いだわ、次会ったらシメてやろうか、

「あの三バカどもめ、チッ」

「体調は良くなりましたか?」

 急に声を掛けられて、アキの肩がビクッと跳ね上がる。

 え、全然気配感じませんでしたけど?!いや、そんな気配に悟くはないけどね?にしたって、窓を開く音しなかったよね?そんなボーッとしてたか、自分!

 一瞬で頭の中を駆け抜けた驚きの言葉と同時に、アキは勢いよく後ろを振り返る。そこにいた人物に、アキの思考は停止した。驚きすぎて、逆に驚きの表情が消えて真顔になってしまったアキの視線の先には、サラサラの艶めく黒髪にいつも穏やかな笑みを湛えた優しげな少年。真っ白な思考に浮かんだ名前を思わず呟く。

「クオン・ハカライヤ………様」

 敬称を付けるまでに不自然な間が空いたが、アキよりよほど位の高い公爵子息をなんとか呼び捨てせずに済んだ。

 ヒーローの親友キターーー!

 ヒーロー関係者には絶対関わらないって決めてたのに!この王立学院に通うことが絶対避けられないって発覚した6歳の頃から決めてたのに!入学した初日から計画破綻ってどういうこと?!というか、こっちから近づかなかったら、関わり合いになることないと思ってたんだけど?そんな甘いもんじゃないってか!

「まだ体調は優れませんか?」

 眉尻を下げながら微笑むクオンからの再度の問いで、アキは我に返る。

「大分良くなりました。ご迷惑をおかけし、申し訳ございません」

「そんな、謝らないでください。あまり酷くないようで、よかったです。水をもらってきたので、お飲みになってください」

 半分ほど水が入っている細身のワイングラスを、クオンが差し出す。

「ありがとうございます。有り難く頂きます」

 受け取ったグラスを口に付ける。こく、と水が喉を通り抜けて初めて、アキは自身の喉が渇いていたことに気付いた。そのまま一気に全て飲み干す。っかー!と飲み終わると同時に出そうになった令嬢にあるまじき掛け声を、気合いで飲み込む。

「余程、喉が渇いていたんですね」

 微笑みを深めて言われたクオンの言葉に、アキは口元に手を当てて恥じらう"フリ"をする。

「はしたない姿をお見せしました。普段はこんなことはしないのですけれど」

 めっちゃする、なんなら、風呂上がりに真っ裸で腰に手を当てて、わざと喉を鳴らしながら飲んだりする。いやぁ、40過ぎてまで独り暮らしの独身なんてこんなもんだよ。こんなやつが令嬢として人前に出ようとしてるんだから、我ながら無謀ってもんよ。

 飲み方はどうであれ、水分をとったおかげか、ほぼ全快と言っていいくらい体調が回復した。

「本当にありがとうございました。何か、お礼をさせてください」

 幾ら関わりたくない相手であったとしても、助けてもらった恩は返さないといけない。なので、一応お礼を提案したが、正直断ってくれて構わない。むしろ断れ、という思いでアキはクオンに話しかけた。

「そんなお礼なんて、こちらが勝手にしたことですし」

 よし、断られましたー。

 この後、もう一度確認をするのだが、この時点でもうこの借りは無くなった。後日、良いとこのお菓子詰め合わせなどを送らないといけないらしいが。

 こういうちょっとした借りを作ってしまった時の対処法を、家庭教師のマナーの先生に習っていた。断らず、借りに見合うお礼の物事を要求されることもあるらしい。だが、個人のやり取りで済まないような借りの場合、また違ったものになるらしい。派閥やら蹴落とし合いやらで忙しい貴族には、こういう暗黙のルールが地味に多く、アキはマナーの先生から教わりながら辟易していた。

 とはいえ、クオンが拒否したことに内心でガッツポーズをとりながら、アキは形式だけの再度の確認をとる。

「そんな、それでは心苦しいです。何か、私に出来ることがあれば、遠慮なく仰ってください」

 クオンとの関わり合いを最低限で済ませられそうだということで、嬉しさにアキの言葉の言い回しは少々大袈裟になった。それを聞いて、クオンは笑みを湛えたまま、首を少し傾けた。

 やっぱり美形はすごい、首を傾げても様になる。

「では、貸し一つということで」

「…は?」

 予想外の応えにアキは思わず、間の抜けた声を出した。

「今は特に頼み事などはありませんので」

「いやあの、勝手に話を続けないで頂けますか」

 笑みを湛えたまま話を続けるクオンに、アキが待ったをかける。

「…何か、気になる事でもございましたか?」

 クオンは変わらず丁寧な言葉遣いで、湛えた笑みも変わらず穏やかでキラキラと輝かんばかりだが、その輝きに黒みが混じっているように見えて、アキはジッと目を凝らした。

「まさか、最初に断ったのだから今のは受けるべきではない、と仰るおつもりではありませんよね?それは恩を施した側から、謝礼が無用であることを切り出された時だけです。恩を受けた側から謝礼の話が出た場合は、断るとその者の矜持を傷付ける事になるので、一度断ってから受け入れないといけません。あぁ、申し訳ありません、陛下からの信頼も厚く、高位の貴族からも一目置かれているスミノフ家のご令嬢が、こんなマナーの初歩を知らぬ訳がありませんでしたね。出過ぎた真似をしました」

「イエイエ、オキニナサラズ」

 クオンの話を聞くうちに段々と遠い目になっていったアキの応えは、片言で乾いた声音だった。

 あー、確かにそんな感じの話をマナーの先生にされた気がする。思わぬ人物の登場にパニクって、曖昧に思い出したのかー。だって、家庭教師のマナーの授業、メモとらせてくれないし、記憶に定着しないんだよ。私は書いて覚える派なのに。というか、それよりも。

 怖い。え、何この子、同じクラスってことは、私の身体年齢と同じ12歳だよね?私が勘違いしてたことに気付いたのはまだいいとして、12歳ってこんなジワジワとイヤミ言ってくるもんなの?それとも、ただの天然君?

 いくら貴族社会では子供も無邪気なままではいられないとしても、勝ち誇った顔というか、相手を嘲る顔というか、もっと感情を素直に表現してもいい年頃である。クオンの笑みは変わることなく、アキの目を通して見える輝きのオーラだけが黒く染まっていた。

 黒い!天然なんかじゃない!腹黒だよ、全部分かってやってんだよ!自分の容姿さえ計算にいれて使ってるよ、末恐ろしい子……。

 表情や声には黒さを一切出さず、クオンが口を開く。

「いつかアクライキ嬢に頼みたいことが出来ましたら、遠慮なくこの貸しを使わせて頂きますので」

 そう言ったクオンの表情は今までで一番の笑顔で、普通の女子なら見惚れそうなものである。しかし、アキからすると、黒を通り越して闇の輝きを纏った悪魔の笑顔だった。

 うわ、まじか、絶対関わらないと思ってた奴と関わったばかりか、繋がり持っちまったよ、おい。もうこれどうしようもねーよ。

 突然、クオンは座っているアキの方へ屈んで、アキの右耳に口を寄せた。

「気に入らないなら、僕にも舌打ちしてくれていいよ?」

 からかうような声音で紡がれたのは、今までの丁寧なものではなく気安い言葉だった。

「なっ!にを!」

 アキは素早く立ち上がり、クオンと距離をとった。アキは目を見開き、驚きを顕にしている。

「噂の令嬢が粗野な言葉遣いだなんて、驚きだね。そっちの話し方でも、僕は全然構わないよ」

  先程までの穏やかな笑みとは違う年相応の楽しそうな笑みを浮かべ、クオンはクスクスと肩を震わせた。

 あ、こっちの表情の方がいいや……じゃなくて!

「あーもー!こっちの方が驚きだっての!このタイミングで、それぶっこんでくるな!何も言ってこないし、舌打ちはもう聞こえてないものとして処理してたのに!え、というか貸しってそれ?頼み事は舌打ち?いいよ、舌が痙攣するくらい、いっぱいしてやるよ」

 クオンが来てから、上品に淑やかに微笑みを作っていたアキだが、ここにきて崩壊した。少し前から、崩れかけてはいたが。

「いや、違うから。貸しを使って、舌打ちなんてしてもらうわけないでしょ」

「あ、そう?……チッ、もうほんと失敗したわ、こいつに貸し作るとか」

「……こいつ呼ばわりは初めてされたな。それにしても、すごい開き直りだね?」

「そっちがこれでいいって言ったんだし、自分の本性バレてるのに、わざわざ作り笑顔向けることもないでしょ。公の場でもないし。それに、貴族なら少しは表の顔と裏の顔ってものがあるもんだし、そっちもそうみたいじゃん?なんで私に見せてきたかは、知らないけど」

 そういえば、こいつ、マンガの中でもこんな腹黒だったっけ?興味なかったし、よく覚えてないや…。

 クオンは、片側の口角を上げたイタズラっ子のような笑みを浮かべた。

「さぁ?なんでだろうね?それより、お互い表裏を持つものどうし?この事は他言無用にしとこうか。まぁ、僕の方が知り合い多いし、言っても周りが信じないと思うけどね」

「そーですかい…」

 もう、なんか疲れた。帰りたい。

「体調は随分良くなったみたいだね。戻ろうか」

 言いつつ、クオンは背を向けていた会場の方に身体を向ける。

「その分、疲れは溜まったけどね。というか、え、戻るんだ…」

 最後、思わず零れたアキの呟きが聞こえたのか、クオンは顔だけ振り向く。

「今から、僕ら一年のアディス発表があるからね。それだけは見て帰った方がいいよ」

「あぁ、忘れてた」

「忘れてたって、今日のパーティーはそれがメインなのに」

 呆れたように言ってから、クオンは前を向いて足を進め、アキもそれを追いかける。窓のところまで来ると、クオンはアキに向き直り、スッと手を伸ばしてきた。先程、耳元で囁かれた出来事が頭をよぎり、アキの身体が緊張して固まる。しかし、クオンの手は、アキの肩に掛かっていたジャケットをスルリと奪っていっただけだった。

「どうしたの?」

 ジャケットを羽織り、ボタンをとめながら聞いてくるクオンの顔は、実に楽しげである。

「別に?」

 アキが必死で動揺を隠して返答すると、クオンは更に笑みを濃くした。

 うーわー、完全に12歳に弄ばれてるじゃん、どうするよ。精神年齢的には祖母と言っても過言じゃない年の差があるはずなのに。

 二人が並び立つと、クオンが若干背が低く、目を合わせるにはアキが少し視線を下げる必要がある。こうして見ると、体つきの線が細いクオンだが、先程ふらつくアキを支えていた時は少しも線の細さなど感じなかった。

「さっきはいろいろと文句言ったけど、体調悪いところを助けて介抱してくれたことはほんと感謝してる。……ありがとう」

「どういたしまして」

 クオンが嬉しそうに笑う。その笑顔は、黒さやからかうようなものが一切なく、綺麗なそれにつられて笑ったアキも、パーティーが始まって以来の柔和な表情を浮かべていた。

 すると、クオンの表情がサッと消え、瞬間、穏やかな笑みを湛える。アキがずっと持っていたワイングラスを、クオンが取り上げた。

「これは私が。さぁ、会場へ戻りましょう。お手をどうぞ」

「……えぇ、ありがとうございます」

 表モードをオンにしたクオンが、窓を開けアキを促す。アキも、薄く微笑み感謝の言葉を述べながら、会場へと再度足を踏み入れた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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