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3/18 誤字脱字修正、内容加筆修正(話の大幅な変更はないので一度読まれた方はもう一度読まなくても大丈夫です)

 午前で学院は終わり一旦家に帰った生徒たちは、夕方になり空がほとんど濃紺に覆われてきた頃、またぞくぞくと学院へと舞い戻って来ていた。


「入学祝いパーティーとか、する意味が分からなーい」

 学院へ向かうスミノフ家の紋章が付いた馬車の中、アキの低い声が響く。

「生徒間の交流とか学院生活の中でいくらでもあるしさ、貴族間の繋がりとか夜会かなんかで勝手に繋がっとけよ、みたいな?今日から授業始めればよかったのにさー」

 ブツブツと不満を漏らすアキの眉間に、色白の腕から伸びる人差し指が当てられた。

「アキ、眉間に皺。言葉使いも悪くなってるわよ。気持ちはほんとすっごい分かるし同感だけど、あなたは初めての社交界で、御披露目のパーティーなんだから、周りに付け入る隙を与えちゃ駄目よ」

 アキの隣で眉間を指差したまま話しているのは、淡い萌木色のドレスを身に纏い、微笑を浮かべた女性。掛けられた言葉に、アキは不敵な笑みを浮かべて応える。

「ナツ姉、分かってるよー。そんなヘマしない、しない」

 アキの言葉にナツは微笑んで、軽く眉間を押してから腕を戻した。

 ナリェナツ・スミノフ、アキの4つ上の姉である。栗色の髪と瞳を持ち、つり目がきつい印象を与えるが、アキにとっては頼れる姉貴である。

「アキなら大丈夫だろ。俺達が12歳の頃と違って、いつでも冷静で落ち着いてるしな。それより俺は、アキに変な虫がウジャウジャ湧いてきそうで心配で心配で…」

 アキの正面で頭を抱えため息を吐く青年。それを見てアキも、呆れたため息を吐く。

「ハル兄、そんなに心配しなくても湧いてなんかこないから大丈夫だって。何人か来ても追い払うし」

「いや、ぜっったい湧いて出てくるから」

 ハルは真顔できっぱりとアキの言葉を否定した。

 ハルライト・スミノフ、アキの5つ上の兄で、次期スミノフ侯爵である。ナツと同じ栗色の髪と瞳、中性的な顔立ちで、正装を纏った身体は線が細く、見た目は軟弱そうである。実際、中身はそうでもないのだが。

「アキは可愛いから、会場中の男性を虜にしてしまうかもよ?」

 ふふふ、と上品に笑うのは、アキの斜め前、ハルの隣に座る女性。

「シキ姉、それ身内の欲目って言うんだよ?」

「そうかしら?それを抜きにしても、ハルの心配は最もだと思うわ」

 藍色の垂れ目が柔和な雰囲気を醸し出す、癒し系の美女。シキ・ツェリエ、ツェリエ公爵家令嬢。ハルと同い年でスミノフ兄妹の幼馴染みである。そして、ハルの婚約者でもある。

「ほら、シキも言ってる。いいか、会場では、出来るだけ俺達のそばから離れるなよ。あと、」

「はいはーい」

 延々と続く過保護な兄の忠告に、アキは投げ遣りな返事を返す。私の心配をしての言葉は有り難いけど、こう長いとねぇ…。

 3人の兄妹を乗せた馬車はスミノフ家を出発した後、ツェリエ家までシキを迎えに寄ってから学院に向かっていた。

 アキが入学して3人の兄姉が通う王立学院は、貴族の子女子息が通う教育機関である。6年制で、広い敷地に多くの施設、充実した設備で教職員の質もよく、存分に勉学に励める環境が整っている。なので、学費は平民の通う学校より十倍どころでは済まない。しかし、4年生から特待生の編入制度があり、お金に余裕のない平民でも才あれば学院に入ることが出来る。そんなマンモス学院の全6学年の生徒の数は、1500人にもなる。

 昼間行われた入学式では、新入生とその両親、役員である生徒しか参加出来ない。なので、最大800人収用出来る講堂で事足りる。だが、これから行われる入学祝いパーティーでは、学院の全生徒が参加を義務付けられたものである。当然、講堂で行う事は不可能なので、最大2000人収用出来るホールが会場となる。

「学院に着いたみたいだよ」

 ナツが馬車の窓に付けられたカーテンの隙間を覗きながら、中の者たちに教える。

「じゃあ、もうすぐか。みんな、すぐ降りられるように準備しとけよ」

 ここまで数十分、ハルからパーティーにおける注意事項をずっと聞かされていたアキは、彼の意識が他に逸れたことにホッと息を吐いた。

 門を通ってすぐの本校舎前のロータリーで止まることなく、馬車は奥へと道を進んでいく。本校舎のすぐ近くにある講堂と違って、ホールは学院の敷地の西の端にある。結構な距離があるので、そこまで馬車で向かう。

 アキ達は、パーティーの開演時間より大分早い時間に着くように、逆算してスミノフ家から出発した。開演時間前のホールのロータリーや出入口は、生徒と馬車でごった返す。それに巻き込まれないための早目の行動だったが、ホールに着いてみるとやはりロータリーはガラガラで馬車は2,3台しかなかった。ロータリーに止まると、4人は素早く馬車を降りる。ハルが最初に、後の女性陣はハルの手を借りて順に、最後にアキが降りる。

「ハル兄、ありがとう」

「アッキー!」

 アキがハルに感謝を述べたと同時、アキを呼ぶ声。アキをこの愛称で呼ぶのは唯一人だけである。

「ミュリ」

「やっぱりスミノフ家はこの時間にくると思った」

 アキが振り返ると、ミュリが小走りで駆け寄ってきた。

「ドレス着てるのに走っちゃダメでしょ」

「大丈夫、周りに人いないしー」

 アキの呆れた言葉に、ミュリは陽気に返す。

 アキの隣に並んだカミュリは、瞳と同じエメラルドグリーンのドレスの裾を上げて、優雅に礼をしてみせた。

「ハル様、ナツ様、今宵も見えられ大変嬉しく存じます。暇が有るようでしたら、また構ってくださいな。シキ様、大変お久しゅうございます。覚えておいででしょうか、カミュリ・サーリャスですわ」

 上品な微笑みを浮かべ、3人に挨拶をするミュリ。一拍空いて、聞こえてきたのは笑い声。

「クックック、大人しいカミュリなんて初めて見たな」

「本当に。可愛らしいわね?」

 肩を震わせるハルに、ナツも口元に手を添えてクスクスと笑いながら答える。

「もー!絶対笑われると思ってた!でも、人前ではちゃんとしないわけにはいかないし、先延ばししても照れくさくってやりづらくなるだけだし、会ってすぐかましてやろうと思っててさー」

 先程の上品さが無くなり、浮かぶは不満いっぱいの表情。

「すまん、すまん。でも、あいつよりは俺らはマシだと思うが?」

 ハルが指さす先を見るため、ミュリが後ろを向く。そこには、顔を俯かせて肩を震わせ、声にならないほど爆笑しているアキがいた。

「あれは放っとこ」

 冷めた目をアキに向け、ミュリが吐き捨てるように言った。

「相変わらず仲がいいのね」

「シキ様!私のこと覚えてらっしゃるんですか?」

「もちろんよ。今日で会うのは2回目ね?私の方が忘れられてないか、心配だったわ」

「そんなこと、あるはずないですよー」

 シキと話すミュリの目は、先程とうって変わってキラキラと輝いている。

「っはー、笑った笑った。ミュリはほんと、シキ姉のこと好きだよねー。シキ姉に会わせろ、ってしつこかったよ、毎回」

「ちょ!言わなくていいから!」

 笑い終わったアキが話に加わり、ミュリがその口を塞ぎにかかる。

「ドレスもお揃いにするくらい仲良しなのよね?」

 ナツの言葉に、ふざけあっていた二人がハッと自分達の格好を見下ろす。12歳の少女だと、フリルやレースをふんだんに使った豪奢で可愛らしいドレスを好むものである。しかし、二人の着ているドレスは、逆にシンプルで過度な装飾はなくすっきりしている。裾の切り返しや少しの飾りなどの細かな違いはあるが、アキはターコイズブルー、ミュリはエメラルドグリーンと色違いのお揃いに見える。

「ミュリが真似したー」

「そんなことしませんー。今気付いて、後悔してますー」

 今度は二人で脇腹を突っつきあっている。憎まれ口を叩きながら、その表情は楽しそうである。

「はいはい、もうホール入るぞ」

 ハルが皆を促し、ホールの入口へと歩いていき、ナツとシキも続く。

「ドレスのこと、何にも話してなかったからねー。でも私達、あんまりゴテゴテしたの嫌いだから、被るのも当たり前だね」

 いやでも、ミュリさんよ。

 私はもうすぐ精神年齢が60近いからいいけど、あんたは生粋の12歳なんだからもっと着飾ればいいのに。

 3人の後を追いながら、アキは隣に並ぶミュリに横目で視線を送った。



 酔った…。

 アキ達が来た時は人がまばらだったホールは、今では溢れんばかりである。立食形式のパーティーで、飲み物を片手に談笑を楽しんでいる人達の中で、アキは一人壁際に佇んでいた。

 パーティーが始まると、ミュリは「うちの店のお得意様の子息に挨拶してくるー、しないと兄貴にどやされるのさー…」と、心底嫌そうに人ごみに紛れていった。スミノフ侯爵家の兄妹とツェリエ公爵家の令嬢は、懇意にしている家の子女子息や学友達にアキを紹介していたのだが、その途中でいつの間にかナツが消えていた。マイペースな長女は、こういう単独行動も珍しいことではないので、特に探しもしなかった。そしてアキは、婚約者カップルとわかれて壁際へと移動してきたのである。

 はー、ハル兄のあの過保護ぶりはどうにかなんないかな…。

 少し端で休んでる、と言ったら、じゃあ俺も、とハルが付いてこようとしてきた。ミュリと合流する予定だから大丈夫!、と説得したのだが、全くの嘘だった。ミュリとは別れるとき、これは人が多過ぎてまた会うの無理かもね、また明後日ねー、とこのホールで落ち合う予定など全く立てていない。そんな嘘までついて一人になったのには、理由がある。

 うー、気持ち悪い…、酔った…。

 人ごみに酔ったのである。アキの体調が悪いことに気付けば、ハルとシキは挨拶回りを止めてアキに付き添うだろう。家に帰るとも言い出すかもしれない。それだけ二人はアキに甘いのである。

 しかし、二人はまだこの学院に通っている王子に挨拶をしていない。確か、王子とは仲良くしてもらっている、とハルから聞いた覚えがある。いくら夜会や茶会などの貴族の公式的な場でなく、ラフな学院行事とはいえ、挨拶もなしはさすがに不味いんでなかろうか。

 という推測の結果、二人と離れた。体調不良を隠して傍にいる事も出来るだろうが、そこは家族と幼馴染み、すぐに見破られそうである。長居は無用。

 ま、人ごみに酔っただけだし?端の人が少ないとこでおとなしくしとけば、治るよねー。

 って思ってたのになぁ…。

 端に引っ込んで15分程、アキの体調不良は依然として治らず。

 でも確か、ここよりも人の密度が高い、町の朝市とかに行った時は酔ったりしたことないのになー。今のこの酔いは人ごみのせいだけじゃない…。この閉ざされた空間で混ざりあった、臭いとか熱気とかの方が、原因として大きいのか…、うっ、気持ち悪い…。

 社交界では引きこもりとして有名なアキだが、実際は違う。社交界に出なかっただけで、王都の城下町などには頻繁に出掛けていた。人酔いはもちろん、馬車での乗り物酔いもない。身体も丈夫で風邪も引いたことがない。そんなアキが久しぶりに経験する不調は、大きなダメージを与えていた。アキは壁に寄りかかって座り込みたい気持ちをなんとか抑えて、背筋を伸ばして凛とそこに立っていた。

 令嬢としてあるまじきみっともない姿を晒すことは、ナツが言っていた"付け入る隙"になる。アキがヒロインをいじめるつもりがなくても、何が一家没落に繋がるか分からない。出来るだけ、スミノフ家の評価が落ちるようなことはしたくなかった。

 にしても、いくら立食形式って言っても端に椅子何脚か置かない?普通?それかどっかに休憩室的なものでもあるのかなー、移動するのも億劫なのに探しながらとか勘弁…。あー、ナツ姉あたりに聞いとくべきだった…!

 初のパーティーなので、アキには勝手がよく分からない。そうこうしているうちに、壁際に15分も突っ立っていたのである。

 もーいーよ。このまま何事もなく過ぎればなんとか…。

「ねぇ、君もしかして噂の、スミノフ侯爵家の姫君ちゃん?」

 げっ。

 という内心の嫌悪を顔と声に出さなかった自分、エライ。

 話しかけてきたのは、アキより2、3歳年上の男三人組。アキの周りを囲むように近づいてきた瞬間、強烈な臭いが襲ってきた。三人組の香水である。アキにはあまり良い匂いとは思えないものを、大量に付けているのか、臭いが濃い。しかも、三人がそれぞれに違うものを付けているので、合わさってすごいことになっている。

 いやー!違うから!姫君なんかじゃないから!どっか行けよ、臭ぇんだよー!

「姫君、など恥ずかしいですわ」

 心の中では相手をボロクソに詰っていても、表面では笑顔を浮かべて丁寧に対応をする。

 三人組が自己紹介を始めたが、アキは正直それどころではない。三人に囲まれて逃げられないし、合わさって進化した香水の臭いに体調は悪くなるばかりである。

 なんとか自己紹介を返し、後はペラペラと話す相手に適当に相槌をうつ。話は全く聞いていない。そして、ふと周りを見ると、アキ達を伺っている人がちらほら。三人の輪に加わってきそうな人もいる。

 はぁ?!まだ人数増えるのかい! これでまた香水強いやつとか来たら、もう私死ねるわ…。

 あまりの絶望感に血の気が引いていくのが分かった。そして、遅れてやって来ためまいと視界の歪み。

 まじか…っ、ここで貧血っ…!立ちくらみくらいならまだ、意地で立っていれるのに!

 頭が掻き乱されバランス感覚が無くなり、視界が霞んで閉ざされていく。倒れまいと手足を踏ん張るが、こちらも血の気が引き冷たくなって、力が入らなくなっていく。

 やばい…、倒れ

「アクライキ嬢」

 澄んだ声が、その場に響いた。

 アキに向いていた目が、声の主の方へ逸らされた。視線の圧が無くなり、思わず座り込みそうになる。ダメだ、と思っても足に力は入らず、頭痛までしてきて何も考えられず、目を瞑った。

 と、その時。

 アキの左手首が掴まれ、三人組の囲みから引っ張り出された。何も見えないが、あのどぎつい臭いが後ろへと遠ざかって行くのが感じられた。力の抜けた足では引っ張られて立ち止まることなど出来ず、転けるかと思われたが、そんなことはなかった。

 え、私誰かに抱きとめられてる?

 アキに呼び掛け引っ張り出したであろう人物の胸に、アキは不時着した。誰だこいつ、と思いながらも、体調不良の身体は考える事を拒否している。

 もう誰でもいっか、この人は香水臭くないし。

 さっきのどぎつい香水を追い出そうと、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込む。柑橘類に似た、爽やかですっきりとした匂いが仄かに香った。

 あー、すごい好きな匂いだー。香水かな?としたら、いい付け方してるー。

「申し訳ありませんが、ハルライト様がアクライキ嬢を探しておりますので、連れていかせてもらいます」

 先程アキを呼んだ声が、アキの耳元から発せられた。この場の中心人物であるはずのアキは匂いを嗅ぐことに集中していたが、その声の言葉に引っ掛かる。

 ハル兄?てことは、ハル兄の知り合い?ハル兄が私が知らない人に探させるはずないけど、こんな声の知り合い、いたっけか?

「それでは、失礼致します」

 三人組の返事も聞かず、その人はアキを促して歩き出す。腰に手を回してしっかり支えてくれているので、まだめまいのするアキでもフラフラせずに歩けた。目も開けられていないが、迷いのない導きで不安は感じなかった。

 こんなよく分からない人に任せるなんて、よっぽど調子悪いのか、私。

 アキも相手も喋らず沈黙が続く中、アキは大きく息を吸った。

お読みいただき、ありがとうございます。

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