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3/31 一部内容変更(アキとミュリの会話の内容)
「スミノフ様は、スメラギ様とハカライヤ様、どちらが好みでいらっしゃいますの?」
自分が話しかけられたことに気づき、私は本に向けていた視線を上げる。
「興味ありません」
入学式も終わり、移動してきた教室で教員が来るまでの待ち時間、本を読んでいた私は唐突に問われた質問に簡潔に答え、本へと視線を戻した。帰るまでに出来るだけ読んでおきたいんだよね。
「なっ…!そんなわけないでしょう!」
会話はまだ続くらしい。今日中に読破するという私の予定を狂わせるか…、しかしここで無視するのは得策ではない。
「そう言われましても、興味がないものは仕方ありません。私などでは、マリタイ様の満足できる話題提供は出来ないようで、とても残念です」
本に栞を挟みながら、再び顔を机の横に立つマリタイに向け、表情は微笑みを作り、流れるように言葉を紡ぐ。
お前の話を聞く気はないんだよ、さっさとどっか行け。
「そんな余裕をかましてられるのも今のうちですわ!後で泣きを見ても知りませんわよ」
「そうですか」
私の態度が気に入らないのだろう、顔を真っ赤にして怒りを抑え切れていない。
ガキだな。いや、私もガキだけども。
物心ついた頃から、私にはもう一つの記憶があった。
その記憶は、40代まで独身貴族を謳歌した女性の人生。最後は眼前に迫るトラックで終わっていた。即死だったのか何なのか、轢かれた後の記憶はない。まぁ無くてよかったけど。身体をぐちゃぐちゃにされて悶え苦しんだ経験など、いらない。そんなものあってもトラウマが出来るだけで、何のメリットもないしね。
その記憶は私の前世らしい。何故前世の記憶があるのかは全然、全くもって分からない。
前世では、結婚出来ない以外は、普通のキャリアウーマンとして過ごしてきた。特別何かした覚えもない。しかし、確かに40と少しだけの記憶はハッキリと私の頭の中にあり、私の人格を形成する上で少なからず影響を与えている。
まぁ、別にそれはいい。それよりも重要な事実がある。
私の今の名前は、アクライキ・スミノフ。
自分の名前を認識したとき、聞いたことのある名前だ、と思った。それもそのはず、前世で唯一読んだ少女漫画の登場人物と同姓同名だったのである。
その漫画は、剣と魔法のファンタジーもので、全23巻まである結構な人気作だ。町並みは西洋に近いが魔法が存在し、魔工学という魔力を動力源とした学問が発達しており生活水準は高い、という世界が舞台。殆どの国が王政で貴族がおり、庶民との貧富の差は激しい。そんな格差や貴族の柵を超えて、貴族の子息と庶民の女の子が結ばれる、恋愛物である。
前世では男兄弟ばかりの中で女一人だった私は、外で泥塗れになるまで遊び、口も悪く、読むものも少年漫画ばかりだった。男友達はいたが、恋に発展することもなく、そうして独身貴族になってしまった私に、親友がその少女漫画を勧めてきたのは、もうすぐ四十の大台に乗ろうかという頃。
これ読んで少しは恋の一つでもしなさい、でなきゃ本当に一生一人よ?老後どうすんのよ、と一気に全巻渡された。
友よ、心配はありがたいのだが、せめてもう少し早く行動を起こしてもよかったけどね?保育園からの付き合いだから、その機会は腐るほどあったと思うけどね?そして、ファンタジーものだから現実味がなくて、恋愛する気も全く起きないというね?
そうして私は一生涯でたった一度だけ、少女漫画を読んだのである。
しかし、一回ザッと読んだだけなので大まかな内容しか頭に入っていなかったが、登場人物の中でとても気になるキャラがいた。それが、今の私と同姓同名のアクライキ・スミノフという名前の貴族の令嬢である。
彼女は漫画の中でヒーローの公爵子息に一目惚れし、猛アタックをしかける。そして、ヒーローに気に入られた庶民のヒロインを徹底的に虐め抜き、犯罪にまで手を出しヒーローを怒らせ、一族を没落させてしまうのである。一話から登場するのだが、十八話で没落してから一切出てこない。
すごい勢いでフェイドアウトしていったその潔さというか、なんというか…。あんなに頑張って虐めたのに、ザコキャラで終わるのか…、となんとなく同情的な気持ちになり、アクライキ・スミノフのことは覚えていたのである。
そして、そのザコキャラと同姓同名な私が居る世界も、町並みは西洋に近く魔法が存在し、魔力を動力源とした魔工学という学問が発達しており、生活水準は高い。
…あれ?まさか、ね。まさかねー。
いくら似通っているところが多いとはいえ、同じ世界なわけがない。大体、庶民を見下し貴族のプライドの塊なアクライキ・スミノフだったが、私が今生きている現実ではそんな性格になりそうもない。
侯爵である父も、元男爵令嬢で現侯爵夫人である母も、年の離れた兄や姉も、私の身近な人達の中には誰も貴族主義な思考の者はいない。漫画の中では一切出てこなかったが、アキ、と愛称で呼ばれるくらいに家族仲も良好である。
こんな中であんな我が儘令嬢が出来上がるはずがない。やっぱり、たまたま同姓同名なだけか。周りを観察して、そんな結論を出す。そして3歳になり、弟が産まれ、その5年後の8歳の時。
母の実家である男爵家からの使いだと、一人の女がスミノフ侯爵家に訪れた。
その女は私の行く先に無理矢理着いてきたかと思えば、まるで洗脳するかのように私の耳元に囁きかけてきた。
あなたは特別で選ばれた存在、高貴な存在。だって、貴族ですもの。庶民なんてゴミ屑なのよ。そんなあなたは何をしても許される。だって、あなたは高潔な存在ですもの。あなたの家族は酷いわ。仕事や勉学、弟にかまけて、特別であるあなたを放置しているんですもの。あなた以外に大事なことなど有りはしないのに!
…なるほど。漫画のアキはこの女に意思を操作されて、あんな我が儘で傲慢になったのか。あの両親の下でなら、間違ってもにそんな風になんか育つわけがない。
謎が解けた。父は仕事に忙しく、母は病弱でベッドから出られない弟に手が離せず、兄と姉は学校と家庭教師と社交にとこちらも忙しい。皆、あまりかまってあげられないことを謝ってくれるが、8歳児の寂しさはそれだけでは埋まらない。そこに自分をべた褒めする洗脳を受けて、あっさりと落ちたのだろう。
しかし、今の私は精神年齢50間近。そんな囁きに落ちるほど、純粋な心などこの世界に生まれた時から持っちゃいない。というか、40を越えても独身貴族を貫いた私に寂しさなんぞ、あってないようなものである。悲しいことに。四十代独身の孤独の日々を舐めるなよ。
それに、家族は忙しさでかまってくれないとはいえ、世話係のメイドや護衛の衛兵などは常に側にいるのである。寂しさなど感じない。まぁ、本当の8歳児ならそれでも寂しいのだろうが。
そんな似非8歳児の私は、女の言葉を真っ向から否定し。事件を起こしつつも、事なきを得たのである。
そして、この世界があの漫画と同じ世界だという可能性が濃厚になった。
「そうは言いましても、最近私は勉学に夢中でして。それ以外を考えている余裕が無いのです。不器用なもので」
笑みを崩さず、困ったように眉を下げて見せる。そうすると、マリタイも怒りを治めた。まだ不機嫌そうではあるが。
「それなら仕方がないですわね。しかし、変わった方ね。高貴な身でありながら、殿方に興味がないなんて」
不思議そうにアキをまじまじと見てくる、マリタイ。
勉学に興味がある、というのは嘘ではない。記憶の中の前の世界ではなかった魔法なんかには、大いに好奇心を刺激されまくりだ。
それを置いても、だ。マリタイが聞いてきた、二人の子息に関わりたくないというのが、一番大きな理由である。
スメラギ公爵子息とハカライヤ公爵子息。
あの少女マンガのヒーローとその親友である。
男爵の使いである女に洗脳なんてされなかったし、前の記憶があるせいで私自身、どちらかというと庶民よりな思考である。
そんな私が4年生になったときに編入してくるヒロインを虐めるわけがない。ましてや、犯罪なんて。
でも出来るだけ、一族が没落する可能性のある行動はしたくなかった。ヒーローに近づかない、というのは、一応念を入れて最悪の事態が起きるのを避ける為である。いくら私が貴族のプライドとは無縁の生き方をしても、人生どう転ぶか分からない。取り敢えず、ヒーローには絶対にこちらから近づかない。徹底的に避ける。
という決意をしてきた私には、マリタイの質問は正直無視したいくらいであった。
「まぁ、いいわ。そういうことなら、許してあげる」
別に許さなくても、こっちはなんの支障もないけどね。
顔は微笑んで、ありがとう、と返しているが、心の中では冷たい感想を呟くアキ。腕を組んで顎を突き上げているマリタイから視点をずらした奥、教室の端に話題の公爵子息の二人が座っている。
教壇に一番近い所から段々と階段のように上がっていく長机の一番上。扉から一番遠い窓際、その二人は一緒の長机に座っていた。
自ら発光しているかのように輝く金髪に、一重の切れ長の目が特徴のクールな印象を受ける少年が、少女マンガでのヒーローであるアコウ・スメラギ。
サラサラの艶めく黒髪に、いつも穏やかな笑みを湛えた優しげな少年が、ヒーローの親友であるクオン・ハカライヤ。
静かに話している二人は、入学式で浮かれている他の生徒たちと違って落ち着きがあり、同じ年には見えない。自由に好きな席に座れるはずなのに、二人の周りには誰も居らず、クラスメイトたちは皆、二人を意識しているようである。いくら50人入れるところに20人程しかいないとはいえ、二人の居る場所は際立って特別に見えた。
うん、関わらない。
自分の中の決意を改めて確かめ、遠くの美少年たちから、目の前のマリタイに視線を戻す。
「あなたはずっと勉強だけしてたらいいわ」
捨て台詞を吐いて、マリタイが去っていく。
アキが居るのは一番上の廊下側の端、アコウとクオンのちょうど反対の隅である。マリタイは真っ直ぐと反対の窓側の端、公爵子息たちの方へと歩いていく。
「スメラギ様、ハカライヤ様!わたくしもお話に交ぜてくださいませ!」
おーおー、みんな遠巻きに注目してた、間違いなくこの学年のツートップに迷いなく話しかけるかー。
マリタイに向けていた微笑みを浮かべたまま、アキは視線を楽しげに細めた。
関わるのは嫌だけど、周りで見る分には楽しい見せ物だわー。
「人気者は大変だねー」
右側から聞こえてきた声。楽しそうに笑いの含んだその声の主は、アキと一緒の長机についた少女。
「ホントに、あんな面倒くさいのに絡まれるなんて、子息たちがかわいそう過ぎて」
「いや、他人事みたいに言ってるけど、アッキー、あなたもだよ?」
少女だけが使う愛称でアキに指摘する。
「もうこっちには来ないでしょ?面白味も何もないと、分かっただろうし」
アキの言葉を聞いて、これ見よがしに少女は呆れたため息を吐く。
「はぁ、分かってないなー。まだ社交界デビューの歳じゃないから夜会に出ないのは珍しくないけど、アッキーは茶会にさえ一切出たことないでしょ?だから、すごい噂になってるんだよ。優秀な方の多い侯爵位であるスミノフ家全員が自慢気に話すのに、表舞台には決して出さない次女のアクライキ・スミノフ。どれだけ美しくて聡明なお嬢様なのか、お茶会はもちろん夜会でもいろんな推測が飛び交ってたよ?」
「なにそれ?変な期待されても困る。お父様たち、自慢って何を…余計なこと言ってたら、殴る」
心底嫌そうな顔をしたあと、アキは家族に思い馳せて虚空を鋭く睨み付けた。机の下で拳を握る。
「美しく聡明なスミノフ公爵令嬢さまー、お顔が崩壊しておいでですわよー」
「あら、カミュリ様、わたくしは元々こんな顔ですわー、おほほほー」
棒読みでアキをからかう少女、カミュリ・サーリャスに、アクライキも同じく棒読みで応える。手で口元を覆いながらの高飛車笑いにも、感情がこもっていない。
「というかミュリ、サーリャス商会の娘だとしても、お茶会や夜会の噂なんてどうやって仕入れてるのよ?」
棒読みを止めて、アキはミュリに問いかける。
「まぁそこは?腐っても商人の子供ですから。情報はきちんと把握してないとね?」
片頬だけ釣り上げて、ミュリが笑う。
「昔からそれしか言わないよね。ま、いいけど。でもまさか、貴族のちょっとした噂話まで知ってるとはね」
「いやー、それほどでも?でもさ、これがちょっとした噂話で収まらない感じらしいよ?」
「はぁ?ホントに?もっと他にも話すことあるだろうよ、引きこもりの令嬢の話なんかしてんなよ…」
和気藹々と楽しげに話すアキとミュリ、二人の周りの席にも公爵子息の二人同様、誰もいない。前方に固まって座っている他の生徒たちは、親しい者との会話でざわめいている。そうして会話をしながらも、後方の端にそれぞれ座る話題の人物たちに、チラチラと視線を送る。そして、噂の侯爵令嬢に声をかけ、さらに今なお、公爵子息の二人に話しかけているマリタイ嬢に、羨望の眼差しを向けるのだった。
そんな異質な空間も、担任が教室に入ってきたことにより終わりを告げる。喧しく公爵子息に話しかけていたマリタイも前方の席に着く。入学を祝福する言葉から始まった担任の話を、貴族の子息子女である生徒たちは私語もなく静かに聞いていた。
お読みいただき、ありがとうございます。






