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「王と安らぎの女神たち」 他番外編  作者: 手絞り薬味
王と安らぎの女神たち
8/52

 イリスの無残な姿を目の当たりにし、ヴェリオルは声も出なかった。

 事故にしては、あまりにもタイミングが良すぎる。警備を強化し、イリスに注意をした。それでもこんなことになったのは、判断が甘かったからに他ならない。

 散らばる本、侍女の嗚咽、剃り落とされた金の髪、赤黒く染まるイリス――。

 このままでは動かせないと判断した医者は、図書室で処置をしていた。


「陛下、どうか外へ」


 騎士に言われたが、ヴェリオルは返事をしない。じっとイリスを見続ける。

 医者が立ち上がり、応急処置が終わったことを告げる。イリスが騎士の手で、慎重に部屋へと運ばれた。

「…………」

 残されたのは、悲惨な残骸。ヴェリオルが床に落ちているイリスの髪を拾う。そして近くに居た騎士に命じた。

「これをすべて拾い、余の元へ持って来い」

 返事をする騎士に背を向け、髪を一握りだけ持って、イリスの後を追う。部屋に入ると、イリスはちょうどベッドに寝かされたところだった。

 身動き一つせずに眠るイリス。慌しく動く医者。何も出来ずに見ているだけの自分。

 金の髪を強く握り締める。


「陛下」


 不意に掛けられた声に振り向くと、女官長が居た。

「ガルト様がお呼びだそうです」

 カッと頭に血が上る。

「後にしろ」

「恐れながら、陛下が付いているからといって、イリス様の容態が良くなるわけではありません。それに陛下がいらっしゃると医者も治療に集中できません」

「…………!」

 『女官長ごときが偉そうな口を叩くな!』と怒鳴りたいのを堪え、ヴェリオルは女官長に命じた。

「後宮警備の騎士に、執務室まで来るよう伝えよ」

 眠るイリスをもう一度見て、ヴェリオルは部屋から出て行った。



◇◇◇◇



「イリス様がお部屋から離れたことに気付きませんでした」

 目の前には、緊張した面持ちで事の顛末を説明する二人の女性騎士。少し離れた場所にはガルトが顰め面で立っている。

「サラ様が侍女も無く不振な行動をされていたのでそれを追ったのですが、おそらく我々をおびき出すための行動だったと――」


 サラ――。


 本当にやったというのか。ヴェリオルは拳を握りしめた。

「サラは今、どうしている?」

「お部屋にいらっしゃるようです」

「不審者が紛れ込んでいないか、サラ及び他の側室の動向も探れ」

「は!」

 騎士の一人が返事をして敬礼をする。が、もう一人はヴェリオルを見つめたまま動こうとしない。強い意志の籠もった視線に、ヴェリオルが眉を寄せる。

「陛下」

 騎士が一歩前に出た。

「第五騎士隊所属、ユイン・ニッツと申します」

 名前を聞き、ヴェリオルは気付く。『ニッツ』、つまりこの騎士は、騎士団長リュートの娘のようだ。

 しかし、いくら騎士団長の娘といえど、王に対して意見する立場には無い。ヴェリオルが下がるよう命じようとした時、それを察したのか、ユインは早口でヴェリオルに言った。


「イリス様に専属の護衛を付けてください」


「……何?」

 ヴェリオルの眉間の皺が深くなる。

「騎士が警戒しているにも関わらず、隙をつかれました。イリス様には専属の護衛が必要と思われます」

「…………」

 専属の護衛。それを付けていれば、こんなことにはならなかったのか。

「陛下、どうか――」


「下がりなさい」


 ユインの言葉をガルトが遮る。ハッと振り向いたユインにガルトがもう一度下がるように命じた。

「しかし――」

 食い下がろうとするユインの腕をもう一人の騎士が掴み小さく首を振る。ユインは悔しげな表情を浮かべて、ヴェリオルに頭を下げた。

「……陛下、検討をお願いいたします」

 唇を噛みしめて出て行くユインの背中をヴェリオルは見つめる。そして入れ替わるようにして、ネイラスが執務室に入ってきた。

 ネイラスは足早にヴェリオルの元へと行く。


「陛下、料理人の死体が見つかりました」


 死体、なのか。

 ヴェリオルが唇を噛む。生きて捕まえることが出来たなら、色々と聞き出せたというのに。

「見つかったのはキネム川で、死体には刺された後がありました。他殺と思われます」

 口封じのための他殺、だとすれば毒はやはり料理人が入れたのだろうか。では誰に指示されてなのか。そして料理人を始末したのは誰か――。

 ヴェリオルはガルトに視線を移す。

「サラを拘束して調べることは可能か?」

 ガルトがゆっくりと動いて、ヴェリオルの前に立った。

「可能だと思われますか?」

「……訊いているのは俺だ」

「証拠もなく拘束すれば、いえ、たとえ証拠があったとしても国家間の関係は悪くなるでしょうな。たかが二位貴族の娘を怪我させたくらいで戦争になるようなことがあれば、陛下の存在を良く思っていない貴族が黙ってはいないでしょう」

「…………」

 では、このまま黙って見過ごせと言うのか。それは――しかし。

 ヴェリオルが目を伏せる、と、その時。


「陛下にとって必要なものは何ですか?」


 ガルトの声に、ヴェリオルは視線を上げた。

「必要なもの……?」

 何を言い出すのだ。そんなものは……。

 頭に浮かぶブサイクな顔。

 ヴェリオルは首を横に振った。何故イリスが浮かぶのか。どうしてこれほどまでに心が震えるのか。手に入れたいもの、それは――。

「俺は……」

 言葉が出てこない。分かるようで分からない気持ち。ただ、イリスの髪を握りしめる。

「質問を変えましょう。では、これからどうされますか? 陛下はどうしたいのですか?」

 どうしたい? それは、これからも一緒に――誰と?

 傷つけた者への怒りと、自分に対する怒り。もう、こんな目には二度と遭わせたくない。ならば――。


「イリスに専属の護衛と新しい侍女をつける。同時にアードン家にも護衛をつけよ。サラの見張りを強化。それからサラの国の同盟国と属国を探り、同盟国と属国は可能ならばこちらに引き入れる」


 口からすらすらと言葉が出た。ガルトが片眉を上げる。

「まだサラ王女が関わっていると決まったわけではありません」

「可能性はあるのだろう? 騎士団長を呼べ、国内の体制を整える。先代王の息子達の監視を強化、一部の貴族を粛清。イリスを――」

 ヴェリオルは息を吸い、きっぱりと言い切った。


「イリスを王妃とする」


 執務室に広がる静寂。

「…………」

「…………」

「……そうですか」

 あっさりとしたガルトの口調に、ヴェリオルが驚く。

「反対、しないのか?」

 小さな溜息を吐き、ガルトは肩をすくめた。

「いいえ。いきなりそこまで話が飛躍するのか、と正直驚きはしましたが。覚悟があるのでしたらどうぞご自由に」

 ガルトの隣に立っていたネイラスも、頭を掻いて苦笑する。

「思い込みが激しいですが、陛下らしくていいのではないですか? 生誕祭にでも派手に披露目をしますか。そこで一気に膿を出せるかも知れませんし。――しかしそれにはイリス様の後ろ盾となってくれる者が必要ですが」


 後ろ盾。


 ヴェリオルが視線を逸らす。

 出来るだけ強力な者を用意したい。それならば――考えられる人物は一人しかいない。ネイラスもそれが分かっていて、あえて口にしたのだろう。

「……それはなんとかする」

 呟くように言い、唇を引き結ぶヴェリオルに、ガルトとネイラスは頷いた。

「分かりました」



◇◇◇◇



 翌日にはユインが正式に護衛となった。計画は密かに実行に移され、通常の仕事の他にやらなければならない事が山ほど増えた。


「今まで見たことが無いですね、こんなにやる気のある陛下は」


 おどけた調子で言うネイラスを、ヴェリオルは睨みつけた。

 ネイラスが大袈裟に身体を引く。

「恋する男は怖いですね」

「恋?」

「そうです。私の記憶が確かなら、これが陛下の初恋です」

「…………」


 初恋。


 ヴェリオルはネイラスの言葉を頭の中で繰り返す。そしてゆっくりと口を開いた。

「……そうか。俺はイリスが愛おしい」

 ネイラスが呆れた表情で首を振る。

「今更何を言っているのですか。だから王妃にするのでしょう? 馬鹿貴族どもの大反対を押し切るだけの力をしっかり見につけてください」

「ああ」

 ヴェリオルが頷いた時、ノックの音が聞こえた。机に向かって黙々と仕事をしていたガルトも顔を上げる。ネイラスがドアに向かい、外の騎士と言葉を交わした。

「陛下、女官長が陛下に面会したいそうです」

「通せ」

 ドアが大きく開き、女官長が一礼して執務室に入ってくる。

 ペンを置き、ヴェリオルが軽く眉を寄せた。

「イリスに何かあったか?」

 それとも後宮で何かしらの問題が起きたのか。

 女官長はヴェリオルの前まで進むと、首を横に振った。

「いいえ。イリス様はまだ眠っておられます」

「では何をしにきた」

 訝しげなヴェリオルを、女官長は真っ直ぐに見つめる。

「職を辞したいと思います。後任にはリム・ジェイリンを推挙いたします」

「…………」

 ヴェリオルは、ゆっくりと額に指を当てた。

 女官長の責任は免れない。いずれは何らかの処分を下さなくてはいけないと思っていたが、まさか本人から言ってくるとは思っていなかった。

 しかし女官長の場合はただ解任するだけではすまない。その後どうするか、を決めなくてはならない。 野放しに出来ない情報を持っている可能性が……いや、可能性ではない。

 ヴェリオルは女官長の感情の見えない瞳を真っ直ぐ見る。


 女官長は――知っているのだろう。


 もっと早く処分しておくべきだったのか。そう思いながら口を開く。

「後ほど――」

 そのヴェリオルの言葉を女官長が遮った。


「辞職後は、アードン家にお仕えすることとなりました」


 淡々と告げられ、ヴェリオルが目を見開く。

「何?」

「イリス様の新しい侍女となるよう、旦那様から命じられております」

「…………」

 女官長の目が軽く眇められる。挑戦的、ともとれる瞳――。

「何をする気だ?」

「侍女の仕事を」

「…………」

 いったい何を考えているのか。

 どうすればよいのか判断に迷い、ガルトに視線を移す。するとガルトはヴェリオルに向かって頷いた。

 様子を見る、ということか。ヴェリオルが女官長に視線を移す。

「いいだろう」

「ありがとうございます」

 女官長は深く頭を下げて踵を返し――「ああ……」と呟いてもう一度ヴェリオルに身体を向けた。

「そうでした。陛下、時機が来たらお知らせください」


「…………!」


 ヴェリオルが息を呑む。口角を上げて笑う女官長の顔は、いつもの無表情な女とはまるで別人のように美しく――ゾクリと震えるほどの危険な香りがした。

 執務室から出て行く女官長を、ヴェリオルはただ見つめる。そこに聞こえたガルトの声。


「久し振りに見ましたな、天使の瞳を」


 ヴェリオルが視線を向けると、ガルトは軽く肩をすくめた。

「地上に舞い降りた天使とは、よく言ったものです。今回は何人、天界に連れて行くつもりなのやら」

「……どういう意味だ?」

「そういう意味です」

 ガルトは立ち上がり、書類片手にヴェリオルの元へと歩を進める。

「先々代を虜にし、先代に取り入り、今度は未来の王妃とは小賢しい。油断していると陛下も連れて行かれますよ」

「ガルト、それは……」

 眉を寄せるヴェリオルの目の前に書類の束を置き、ガルトは愉快そうに笑った。



◇◇◇◇



 イリスの意識が戻った。

 謁見の間で他国の使者と会う直前に知らせを聞いたヴェリオルは、ガルトに「すぐに戻ってくる」と言って、後宮に急いだ。

 足早に廊下を歩き、護衛のユインを押し退けるようにして部屋に入ると、イリスが目を見開く。


「陛……下?」


 かすれた声、土色の顔。身体中に巻かれた包帯が痛々しい。

「目が覚めたか」

 指先で顔に触れると、イリスが眉を寄せた。

「痛いです。触らないで下さい」

「イリス……」

 ヴェリオルの手がイリスの顔から離れ、空中を彷徨って戻る。

 天井に視線を移すイリス。

「少しでも同情していただけるなら、もうここには来ないで下さい」

 棘を含んだ言葉に、ヴェリオルが目を眇め、じっとイリスを見つめる。

「それはどういう意味だ?」

「…………」

 硬い表情は、何らかの情報を持っているからなのか。

「……何を見た?」

 イリスは目を閉じ、深く息を吐いた。

「影を」

「影? それ以外には」

「何も」

「…………」

 それだけ。だが、これが事故ではないことだけは確かになった。

 ヴェリオルの指がそっと頭の包帯に触れ、イリスが目を開ける。

 美しい髪はそこには無い。そして――。

「……傷が残るそうだな」

 昨日、医者が告げた言葉はヴェリオルの心を深く抉り、悲しみと怒りと後悔と――決意を強くさせた。

「ええ。でもブサイクだから問題ありませんわ」

 あっけらかんと言うイリス。

「確かにお前は美しいとは言えないが……」


 それは本心ではないのだろう?


 微かに震えるイリスから、ヴェリオルの手が離れる。

「夜にまた来る」

「私、これではお相手出来ません。メアリアさんの所にでも行って下さい。それがお嫌ならサラさんかソフィアさんかジェミーさんかナッティさんはいかがでしょう?」

「…………」


 サラ。


 その名が出るのか。

 イリスは疲れたのか、再び目を閉じた。

「夜……、また来る」

 あまり無理もさせられない。ヴェリオルはイリスの部屋から出て行った。



◇◇◇◇



 夜中、浅い眠りから痛みで目を覚ましたイリスが呻く。

「痛むのだな。待っていろ」

 イリスの横で仮眠を取っていたヴェリオルは起き上がり、サイドテーブルの上に置いてあった小さな紙の包みを手に取って中身と水を自分の口に含む。口内に広がる苦味。

 そしてそのままヴェリオルは二人の唇を合わせ、イリスの口内にそれを少しずつ流し込んだ。


「う……ぅん……」


 苦しそうな呻きと共にイリスが飲み込んだところで一旦唇を離し、もう一度軽く口付けてヴェリオルはイリスの、怪我をしていない左頬を撫でる。

「すぐに薬が効く」

「……普通に飲ませていただきたいのですが。いえ、それより帰っていただけませんか?」

 うんざりとした感じで言い、イリスは左手でヴェリオルの身体を軽く押した。

 寝る前に一度、普通に飲ませたら激しく咳き込んだのでこういう方法を取ったのだが、イリスは気に入らなかったようだ。

「陛下に……というか男性にされたくない事もございます」

 言葉に含まれる意味に気付き、「ああ……」とヴェリオルは頷く。

「大丈夫だ。下の世話ぐらい出来る。それに今更恥ずかしがる事など――」


「帰ってください!」


 イリスが大声を出し、そして顔を顰めた。

「無理をするな」

 イリスの額に浮かんだ油汗を、ヴェリオルが拭う。

「陛下がなさるような事ではありません。それに眠らなければ政務に支障をきたします」

 確かに国王がやるようなことではない。だが一人の男として、せめて少しでも苦しむイリスの為に何かしてやりたかった。

「これでも身体は鍛えている。多少眠らなくても問題ない」

「ケティを呼びますので陛下はお帰り下さい」

「あの侍女を、か?」

 ヴェリオルはチラリと侍女の部屋のドアを見て首を振る。

「論外だな。あれはもう役には立たないだろう」

「陛下……!」

「泣くばかりでお前の世話どころか自分の事さえまともに出来ていないではないか。あれでは怒る気にもなれん」

「…………」

 余程今回の事がショックだったのだろうが、たった二日で人はこうも変わるものなのだろうかと思う程、侍女はやつれていた。

「……では女官長をお借り出来ませんか?」

「…………」

 もうすぐお前の侍女になる、とはまだ言えない。次期女官長への引継ぎが終わるまではもう少し掛かるだろう。

「駄目だ」

「陛下、今日は女官長の姿を見ておりませんが、何故ですか?」

 イリスが首を少し動かし、額に置いてあった濡れた布が枕の上に落ちる。

 ヴェリオルはその布を拾い、冷たい水に浸して絞り、もう一度イリスの額にのせた。

「女官長はいない」

「いない?」

 正確には、もうすぐ『女官長』ではなくなる、と心の中で呟く。女官長も今頃は、部屋に籠もって残っている仕事を急いで仕上げているのだろう。

「ああ。……さあ、もう寝ろ」

 掛け布をイリスの肩まで引き上げ、ヴェリオルは隣に寝転ぶ。

「陛下」

 イリスがまだ話しかけてきたが、ヴェリオルは目を瞑り返事をしなかった。

 溜息が聞こえ、それから少しすると寝息が聞こえる。


「…………」


 ヴェリオルは目を開けてそっと身体を起こし、イリスの顔を覗き込んだ。穏やかな寝顔に、薬が効いたようだとホッと息を吐く。

 静かにベッドから降りたヴェリオルは、ベッドの脇にあるサイドテーブルに、持参していた書類を広げた。

 ランプの明かりを頼りに、書類に目を通してサインをしていく。少し前まで苦痛で仕方なかった仕事は、やはり苦痛ではあったが、イリスの為だと思うと頑張ることが出来た。

 ペンを走らせる音と紙を捲る音、それに時々イリスの溜息のような鼻息が聞こえる部屋で、ひたすら執務に励む。そして明け方――。

 聞こえた呻き声。


「また痛むのか?」


 眉を寄せて首を巡らせるイリス。

 ヴェリオルは椅子から立ち上がり、ペンをテーブルの上に置いて、代わりに薬と水を持つ。

「仕事……なさっていたのですか?」

「ああ、少しな」

 先程と同じように口移しで薬を飲ませると、イリスが眉を寄せた。

「ですから、嫌だと言っているではありませんか」

「汗をかいているな。着替えるか?」

 イリスの苦情を聞こえない振りで無視し、ヴェリオルは棚に置かれた替えの夜着を持って来て、イリスに出来るだけ負担が掛からないように、慎重に着替えさせる。

「陛下……」

「服を着せるというのは意外に難しいものだな。ほら、出来たぞ」

 胸のリボンを形良く結んでヴェリオルは微笑んだ。

 いろいろとされることには慣れているが、誰かの世話をするなど国王であるヴェリオルにとっては初の経験だった。愛する女への奉仕、それはまた――胸の奥に甘い疼きを生む。

「…………」

「まだ早い。寝ろ」

 頬に口付けて離れようとするヴェリオルの袖を、イリスが掴んだ。

 二人の視線が絡み合う。


「ありがとうございます」


 イリスは単純に、礼を言ったつもりだったのだろう。

 しかし真っ直ぐ向けられた瞳はあまりにも純粋で……ヴェリオルは目を見開き、唇を噛みしめて顔を背ける。

「陛下……?」

 手でイリスの目を塞いだ。


「……すまない」


「陛下……」

「――寝ろ」

 ベッドから下りたヴェリオルは、再びサイドテーブルに向かう。

 もっと早く覚悟を決めていれば、自分の気持ちに気づいていれば、こんなことにはならなかったのだろうか?

 そしてまだ、イリスを危険のさなかに置いている――。


 力が欲しい、と心の底から思った。




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