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「王と安らぎの女神たち」 他番外編  作者: 手絞り薬味
王と安らぎの女神たち
7/52

 イリスのことが気になりつつも忙しい日が数日続き、やっと少し手が空いたので、ヴェリオルは後宮へと行った。

「調べはついたか?」

「まだでございます。今の情況では、『誰が何をした』という証拠を掴むことは難しいです。もちろん、 私がずっとイリス様についていることも出来ません。信用のおける女官と騎士を後宮に移動させていただきたいのですが」

「騎士?」

 ヴェリオルが女官長をチラリと見る。

「恐れながら、後宮の警備が薄すぎます。先日も申し上げましたが、それなりの体制を整えてください」

「……考えておく」

 小声で話しながら女官長と共にイリスの部屋まで行き、ドアを大きく開ける。そして――ヴェリオルは異変を感じ、眉を寄せた。

 まだそれ程遅い時間ではないのにベッドに寝ているイリス。

 そのうえベッドの脇に置かれたテーブルには桶と布。


「イリス、どうした?」


 ヴェリオルの言葉に、立ち去ろうとしていた女官長の動きが止まる。

 ヴェリオルは早足にイリスの傍らに行き、侍女を押し退けてベッドに腰掛け、女官長も部屋に入ってベッドから少し離れた場所に立つ。

「具合が悪いのか?」

 ヴェリオルの手がイリスの額に触れる。――それほど熱くはない、が、顔は青白く、目が落ち窪んで見える。

「はぁ……まあ、昨夜から少々体調を崩しておりまして……」

「女官長、医者を呼べ」

「はい」

 しかし、頭を下げて出て行こうとする女官長を、イリスは引き止めた。

「いえ、もう診てもらいました」

「診てもらった……?」

 イリスが体調を崩しているとも、医者にかかったとも報告は受けていない。

 ヴェリオルが女官長の方を振り向くと、女官長は厳しい表情で頭を深くさげた。

「申し訳ありません。私の元にも報告がありませんでした」

「…………」

 何故、女官長にさえ報告が行っていないのか。内心舌打ちをしてヴェリオルはイリスに視線を戻し、その髪を手で梳く。湯浴みをしたのか、髪は少し濡れていた。

「それで、医者は何と言っていた」

「風邪と……」

「風邪?」

 イリスが頷く。

「はい。嘔吐が酷く、胃腸風邪だと言われました」

「……他の症状は?」

「熱と眩暈がありました」

 確かにすべて風邪の症状ではあるが、報告がされていなかったことが気になる。

 医者、女官の職務怠慢か、それとも……何かあるとでもいうのか。では『何か』とは?

 熱、眩暈、嘔吐、考えられる可能性は……。


 胸の苦しみ、吹き出す汗、目の前がグルグルと回り吐いた。

 悲鳴、足音、冷たく見下ろす瞳――。


 蘇る記憶。しかしまさか、後宮でそんなことが起こるのか。王妃候補でもなく、懐妊しているわけでもないイリスにそんなことが。だが……。

 もし本当にそうだとすれば――、ただ処刑するだけでは済まない。


「陛下は、色々な顔をお持ちなのですね」


 聞こえた言葉に、手が止まる。

「……ほぉ?」

 自分を見つめる瞳。ヴェリオルは、ニヤリと笑った。

「興味があるか?」

 俺を怒らすとどうなるのか。

「いいえ。深く知りたいとは思いません。というより上辺だけの付き合いも出来れば遠慮したいです」

「……お前なぁ」

 フッと息を吐き、ヴェリオルはイリスの頬に手を添える。

「他に何か変わった事はあったか?」

「陛下がここにいらっしゃってから変わった事だらけです。平穏無事な生活を返して下さい。いえ、それより家に帰していただけませんか?」

「それは駄目だが――」

 家になど、帰さない。

「――もう大丈夫なのか?」

「ええ。薬もいただきましたから」

「……薬はどこにある?」

 イリスの視線を追いテーブルの上に置いてある薬を見付けたヴェリオルが、女官長をチラリと見る。

 視線の意味を悟った女官長が静かにテーブルに近付き、薬の袋を手に持った。

「ゆっくり休め」

 ヴェリオルは立ち上がり、作り笑顔でイリスの頬に口付け、女官長を伴い部屋から出た。


「何故、お前の元に報告が行っていない」


 部屋から出た途端、ヴェリオルは低い声で女官長を叱責した。

「申し訳ございません。すぐに対応した女官を調べます」

「もう一度、医者にイリスを診察させる」

「分かりました」

 女官長の手から薬をひったくるようにして取り、ヴェリオルは執務室へと急ぐ。

 長い廊下を歩き、執務室に辿り着くと、自らドアを開けて乱暴に中へと入った。まだ仕事をしていたガルトとネイラスが驚き立ち上がる。

「陛下、後宮へ行かれたのではなかったのですか?」

 首を傾げるネイラスに、ヴェリオルは薬の入った袋を押し付けた。

「調べろ」

「薬、ですか?」

「これを処方した医者もだ。それと、俺の医者を数人、イリスの元に向かわせろ」

 ネイラスが真剣な表情になる。

「……やられたのですか?」

「分からない」

「すぐに準備を――」

 言いながら、執務室から出ようとしたネイラスの前にガルトが立った。

「先に陛下の身辺警護を強化せよ」

 ヴェリオルが眉を寄せる。

「ガルト」

「もし毒を盛られたのなら、陛下も危険です。ネイラス、医者および関わったと思われる者を速やかに拘束。イリス嬢が口にした物を調べよ。ただし騒ぎにはしないように」

 ネイラスがチラリとヴェリオルを見て、ガルトに視線を戻して頷く。

「はい」

 ネイラスは執務室から出て行った。

「…………」

 ヴェリオルがガルトを見つめる。

「毒、だと思うか?」

「もし毒だったら、どうされますか?」

「犯人を見つけ、処刑する」

「それからは?」

「それから……?」

 それから、なんだというのか。

 ガルトは自分の机に戻り、仕事に戻る。

「陛下、少しお休みになられますか?」

 先程の言葉はなんだったのか。ヴェリオルは眉を寄せながらも答える。

「いや、いい」

「休まないと体調を崩します。イリス嬢のことはこちらで調べておきましょう」

「……いいと言っている」

「では、報告があるまで、仕事でもなさってください」

「…………」

 ヴェリオルは執務机まで行き、椅子に腰掛けた。

 そして書類を捲る、が、内容が頭に入ってこない。結局何もせずに時間を過ごしていると、暫くしてネイラスが、女官長とヴェリオルが見知っている女医を連れて戻って来た。

 医者がヴェリオルの前に立ち、軽く頭を下げる。

「イリス様の身体を診察いたしましたが、毒かもしれません」

「――かも知れない?」

 医者が頷く。

「毒のような反応が微かにあり、状況的にも毒と考えられるのですが、それにしては回復が早いのです。まるで……毒に慣れているかのように」

「慣れている……?」

 イリスが毒に慣れている? 普段から毒を摂取していたとでも言うのか。ではそれは何のために?

「血液を採取したので調べます」

「分かった。下がってよい」

 医者が執務室から出て行き、代わりに女官長がヴェリオルの前に立つ。

「イリス様の侍女から医者を呼ぶよう要請された女官は、医師に伝えた後、私が何処にいるか見つからず、そのまま報告を忘れていたと言っております。……それから料理人が一人、居なくなりました」

「料理人?」

「はい。突然、姿が見えなくなったそうです」

「……女官長は後宮に戻れ」

 偶然、にしては間が合いすぎる料理人の失踪。

 今度はネイラスがヴェリオルの前に立った。

「城内に居た医師を拘束いたしました。しかし胃腸風邪だったので薬を処方しただけだと言っています」

「…………」

 ヴェリオルは背もたれに身体を預ける。

「どうなっている?」

「良く分からない状況ですね」

 毒であったのなら、それを盛ったのは医者か料理人か、それとも別の者か。そして――毒に慣れているというイリス。

「どうされますか?」

 どうするか。今この状況で、やらなくてはならないことは――。


「イリスに専属の料理人をつける。それから護衛もだ」


 毒に慣れている、という点はとりあえず置いておき、まずはイリスの安全を確保するためにヴェリオルは命じる。しかしそれにガルトが異を唱えた。

「一側室に、ですかな?」

「ガルト」

「これは後宮の中だけの問題ではございません。多額の借金がある二位貴族、馬車蛙のブサイクな娘が寵愛を得ている、それを他の貴族がどう捉えるとお思いですか」

 ヴェリオルが髪をかきあげる。

「別に寵愛などしていない」

「それにイリス嬢が毒に慣れているという点が気になります。自作自演の可能性もあると考えたほうがよろしいのではないですか?」

「イリスがそんな事をする理由が無い」

「あくまで可能性です、陛下」

「…………」

 そんな事をする女ではない。理由も無い。それは分かっている。

「陛下は、イリス嬢をどうしたいのですか」

 ガルトの質問にヴェリオルは眉を寄せた。以前にも同じ事を訊かれた気がする。

「別に、何も。あれはただのおもちゃだ」

「では、陛下にその気がないのなら、余計な混乱は避けるべきですな」

「…………」

 ガルトとヴェリオルが見つめ合う。


 面倒は避けたい。わざわざ敵を作る必要は無い。無駄な争いに巻き込まれるのも嫌だ。しかし、おもちゃはまだ手放したくない。まだ――触れていたい。


 ヴェリオルはガルトを見つめたまま、口を開いた。

「女官長からの要求に応え、女官の数を増やす。料理人の管理が行き届いていなかった後宮の料理長を降格し異動、新たな料理長を後宮へ。側室達の安全を考慮して後宮全体の警備体制を見直す」

「…………」

 静かに、数秒の時が過ぎる。

 ガルトは小さく息を吐き、軽く頭を下げた。

「すぐに手配いたします」

 踵を返すガルト。ヴェリオルはゆっくりと目を閉じ、額に手を当てた。



◇◇◇◇



「料理人の行方は捜査中です」

 状況報告をするネイラスに、ヴェリオルは苛立ちながら命じた。

「早く探し出せ」

「薬はただの風邪薬でした。あれから聞き出したところ、どうも初めにイリス嬢を診た医者は、まともな診察をしていなかったようです」

 医者が、手を抜いていたのか。ヴェリオルは舌打ちした。

「処刑しろ」

「真相が分かるまでは駄目ですよ、陛下」

 やんわりと窘められ、軽く握った拳で机を叩く。

「陛下……」

 ネイラスが困ったように眉を寄せたその時、ノックの音がした。ネイラスがドアまで行き、誰が来たのかを確認する。

「女官長です」

「入れろ」

 執務室に入ってきた女官長は、ヴェリオルの前まで行き軽く頭を下げた。

「イリスの具合はどうだ?」

「まだ本調子ではないようですが、食事が美味しいとお喜びでした」

「そうか」

 とりあえず、食事が摂れているのならいい。ヴェリオルがホッと胸を撫で下ろす。

「それから、一つ気になることがございます。イリス様に身体が丈夫な理由をお聞きしたところ、「『鋼鉄の身体作戦』のおかげかもしれないとおっしゃられておりました」

 ヴェリオルが眉を寄せる。

「何? 鋼鉄……?」

「『鋼鉄の身体作戦』です。イリス様のお兄様が野山から色々な草やキノコや虫を採取し、何を食べても平気な丈夫な胃と病気に負けない身体を作る薬を作って、イリス様と侍女に無理矢理飲ませていたそうです」

「虫やキノコで薬……?」

ヴェリオルは少し考え、女官長の斜め後ろに立っているネイラスに訊いた。

「イリスの兄は薬学者だったか?」

「いえ、何をやっているか不明の自称研究者です」

「……イリスの兄についてもう一度調べよ」

「はい」

 ネイラスが頷く。

「女官長は下がってよい」

 ヴェリオルが女官長に言う、が、女官長は動かなかった。ヴェリオルが訝しげに女官長を見る。

「陛下、お聞きしたいことがございます」

「なんだ?」

「イリス様に護衛がついていないのは何故でしょうか?」

「…………」

 ヴェリオルが目を眇める。

「一側室に、護衛は付かない」

「陛下は、今回の件についてどのような見解をお持ちなのでしょうか?」

 ヴェリオルが舌打ちする。

「それを一々女官長に話す必要があるのか? 立場をわきまえ――」

「サラ王女」

「――何?」

 女官長はヴェリオルを真っ直ぐ見て断言した。


「イリス様に毒を盛ったのは、サラ王女です」


「…………」

 ヴェリオルの顔から表情が消えた。

「何を、言っている? 証拠はあるのか?」

「何も証拠はございません。ただの勘です」

「……勘だけで、サラが犯人だと言うのか?」

「はい」

「…………」

 椅子に座っていたガルトが立ち上がり、女官長に下がるように命じる。女官長は頭を下げて、静かに執務室から出て行った。

 ドアの閉まる音が室内に響き、ネイラスが息を吐く。

「女の勘は時に恐ろしい力を発揮すると言いますが、よりによってサラ王女だと言い出すとは思いませんでしたね。しかし本当でしょうか?」

「…………」

 サラは、大人しく控えめな側室で、ザルビナ国という、エルラグドよりは小さいが歴史ある国の王女である。先々代王の時代に和解するまでは、エルラグドとザルビナはいがみ合い、何度も対立していた。

 勘だけでサラを拘束することは出来ない。そんなことをすれば国同士の対立がまた起きる。もし戦争に発展すればどうなるか――負ける、とは言わないが確実に長引き、国は疲弊する。ヴェリオルの立場も悪くなる。

「一応、サラ王女に注意するように騎士達には言っておきましょう」

 ネイラスの言葉に視線を合わさず頷く。ガルトがヴェリオルの前に立った。

「今回の失態もあることですし、やはりそろそろ女官長は解雇したほうがよろしいのではないですかな。ただ、その後彼女をどうするかが問題ではありますが……」

 ヴェリオルが顔を上げた。

「確か、女官長は小国の王女だったな」

「そうです」

「国に帰すのか?」

 ガルトは首を横に振る。

「色々と知りすぎているので、野放しにするわけにも国に帰すわけにも行きません。とすれば……」

「…………」

 行き着く先は、一つ。

「寵愛を得すぎた女の末路とは、このようなものです、陛下」

 ヴェリオルは息を吐き、思い出す。


「天使……か」


「いずれにせよ、後任を決めなければいけませんな。それと、状況が分かるまでイリス嬢に触れるのは――いえ、イリス嬢の元に行くのはもうおやめください」

「……ああ」

「本当に分かっておられますか?」

「……分かっている」



◇◇◇◇



「少々疲れた」


 まだ夕刻ではあったが、ヴェリオルはそう言って自室へと戻った。

 食事を断り、ベッドに寝転ぶ。

「…………」

 ヴェリオルは立ち上がり、部屋を出た。向かうのは――。


「早い……ですね、陛下」


 カップを手に固まるイリスの向かいの椅子に、ヴェリオルは座った。

「体調はどうだ?」

「はぁ……。だいぶよくなりました」

「変わった事はないか?」

「…………」

 黙り込んだイリスに、ヴェリオルが目を眇める。

「どうした?」

 嫌がらせでもされたか。それともまた……。しかしイリスの答えは予想外のものだった。

「女官長が変でしたわ」

「女官長が?」

「やけに大きな独り言を言っていました。その、侍女に毒味をさせろとか盾にしろだとか……」

「…………」

 ヴェリオルが前髪を掻き上げて舌打ちし、小さく呟く。

「あの女、勝手な真似を」

 何も知らないイリスに、何故わざわざ知らせるようなまねをするのだ。

 いらつきながらふと見ると、不安げに自分を見つめてくるイリス。ヴェリオルは慌てて片眉を上げてみせた。

「助言したつもりなのだろう」

「助言?」

「ああ。女官長は元側室だからな」

「え……!?」

 イリスとその後ろに控えていた侍女が驚き目を見開く。

「側室? 女官長が?」

「まあ陛下! 実は熟女好きでございますか?」

「違う!」

 何故そうなる。ヴェリオルは無礼な発言をした侍女をグッと睨んだ。

「先々代の王の側室だ」

「先々代……?」

「まあ、つまりは俺の祖父だな」

 『賢王』と呼ばれた先々代をヴェリオルは思い出す。姿形はおぼろげだが、頭を撫でてくれた節くれだった手は覚えている。愛を押し付けるわけでも、無視するわけでもなかった優しい祖父は――しかしヴェリオルの中では賢王ではない。

「そうでございますか。先々代王の……あら? 確か先々代王は私が生まれた年に崩御されたのですよね」

 イリスと侍女が首を傾げる。

「ええと、その側室だったという事は……、女官長様は見た目より実は結構なお年でございますか」

 ヴェリオルは首を横に振った。

「いや、側室になった当時まだ女官長は十歳程だったらしい。側室だったのは先々代が崩御するまでの数年間なので、むしろお前達が思っているより若い……なんだ? その顔は」

 イリスが眉を顰めて手で口元を覆い、侍女は目を大きく開けて自分の身体を抱きしめている。

「十歳の子を側室……幼女趣味」

「代々変態でございますか」

「『代々変態』とはなんだ!」

 何なのだ、この侍女は。テーブルの上にあった砂糖壺を、ヴェリオルは侍女目がけて投げた。

 壺は侍女のドレスを掠めて床に転がり、イリスと侍女が悲鳴を上げる。

「陛下、どうか乱暴はおやめくださいませ」

 これが『乱暴』に入るのか。ヴェリオルは侍女に「片付けろ」と命じた。

「先々代は女官長に精神的な癒しを求めただけだ」

 建て前としてはそうなっている。と、ヴェリオルは心の中で付け足す。

「そんな言い訳がましい」

「後からなら、なんとでも言えるのでございますよ」

「……お前達は、いったいどういう教育を受けてきたのだ?」

 分かっていても黙っているものだろう。フッと息を吐き、ヴェリオルは頬杖を付いた。

「肖像画を見た事があるが、それは美しい少女だったぞ。当時は『地上に舞い降りた天使』だと言われていたらしい。今でも地味な化粧や髪型をやめて着飾れば、そこらの側室になど負けていないのではないか?」

「確かに、言われてみれば女官長は美しいですわよね」

「身体も素晴らしいですし。特にお尻とか」

 またこの侍女は、とお尻発言にいらつき、ヴェリオルは怒鳴る。

「侍女はさっさと床を片付けろ! まあ、この事はあまり知られていないし、本人も触れて欲しくはないだろうから知らぬ振りをしておけ。それより――」

 ヴェリオルは姿勢を正してイリスを真っ直ぐ見た。

「女官長も言っていたようだが、部屋の外に出る時は絶対に一人になるな。分かったな」

「…………」

イリスの視線がカップに落ちる。

「……陛下、それはどうしてなのですか?」

 ヴェリオルは立ち上がってイリスの横に行き、俯くイリスの頭を胸に抱いた。

「そう不安そうな顔をするな。他の側室達にお前はあまりよく思われていないようだから、念のため用心しろと言っているだけだ」

 警備を増やすので大丈夫だとは思うが、犯人が見つかるまでは油断しないほうがいい。

「それは陛下がここに来るからではありませんか。メアリアさんの所にでも行って下さい」

「メアリア……な」

 まだその名前が出るのかと、ヴェリオルは眉を寄せた。メアリアは、ある意味最高であり最低な女だった。たまの遊びなら良いかもしれないが、常に一緒に居られる女ではない。

「陛下?」

 首を傾げて自分を見上げるイリスを抱き上げる。椅子が大きな音を立てて床に倒れた。

「茶の時間はもう終わりだ。今夜は一晩中たっぷりと可愛がってやるからな」

 頭の悪い発言を繰り返す侍女を下がらせ、ヴェリオルはイリスをベッドへと運んだ。



◇◇◇◇



 警備を増やした。まだ不完全ではあるが、これから徐々に体制も整えていく。そしてイリスにも一人になるなと強く注意をしたので、とりあえずはこれで大丈夫だろう。

 ヴェリオルは深く息を吐き、目頭を押さえる。


 イリスの血液からは、やはり毒に侵された跡が見つかった。


 調べた結果、医者と関わった女官は犯人ではない可能性が高い。イリスが自作自演したとも考えにくい。ならば犯人は行方不明の料理人なのか。もしそうだとすれば、誰の指示で行ったのか。

 イリスの存在を面白くないと思っている者、それは――サラなのだろうか? しかし……。


「我が王は、これほどまでに馬鹿でいらっしゃったのですな」


 聞こえた声に顔を上げる。

「何……?」

 今、とんでもない言葉をガルトが口にした気がするが、聞き間違いだろうか?

 机に向かって黙々と仕事をするガルトをヴェリオルはじっと見つめる。

「独り言です」

 ガルトはこちらをチラリとも見ずに言った。

「…………」

 ヴェリオルが口を開こうとしたその時――、いつもより少し強めのノックの音が聞こえた。

 ネイラスが立ち上がり、ドアを開けて何事か確認する。

「後宮に配属されている騎士が、至急お知らせしたいことがあるそうです」

「通せ」

 執務室の中に、女性騎士が一人、息を切らしながら入ってきた。

 何かあったのか? 嫌な予感がする。


「後宮の図書室にて本棚が倒れ、イリス・アードン様が……」


 伝えられる内容が耳の中でこだました。

 勢いよく立ち上がり、しかし動けない。何故こんなことに……。

 ヴェリオルは、信じられない思いで中空を見つめた。




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