攫ってあげる 2
予定通り仮病を使い、リーニはケントと共に城を抜け出した。
ジンが話の分かる男でよかったとリーニは胸をなでおろす。と、
「安心するのはまだ早いぞ。急げ」
ケントがリーニを急かす。ここで見つかったら終わりだと、リーニも頷いてケントに付いていく。
ケントが用意したなんの装飾もされていない小さな馬車に乗り、二人は式典が行われる国に向かった。
「でも式典に潜り込むことなんてできるの?」
ここまでして今更だがそう訊けば、ケントは首を横に振った。
「違う。潜り込むのはその後の夜会だ。俺たちみたいな子供なら楽に潜り込めるだろう」
保護者が会場内に先に入っているふりでもして入ってしまえばいいと教えられ、リーニはなるほどと頷く。子供だからこそ、警戒されないということだ。
途中で宿に一度泊まり、二人は式典が行われるというその国に着いた。
狭い馬車の中で、二人は正装に着替える。
「ドレスまで用意してくれたのね」
「当り前だろう? 汚い格好で夜会に潜り込めるわけがないからな」
ドレスも、馬車と御者も、ケントの家に仕えている口の堅い者を選んで用意させたらしい。ちなみにケント自身は、「ちょっと山で鍛錬してくる」と言って家を出たと言っていた。鍛錬と言えば大抵のことは許される、というか深く考えない脳筋の両親なのでそれで問題ないようだ。
「行くぞ」
着替えた二人は馬車を降り、堂々と夜会が行われる城の中へと入っていく。
「…………」
「…………」
「……全然止められなかったわね」
保護者がどこに居るか、もしくは招待状の有無くらい訊かれるだろうと警戒していたが、まったくそんなことはなく簡単に城の中に入れた。
この国の警備はどうなっているんだ、とケントが呟く。
案内に従って大広間に入れば、着飾った人々が踊ったり談笑したりしていた。広間の奥に座っているのがこの国の王か。高齢のようだが椅子に姿勢よく座り、王としての威厳がある。
「目的の王子はどこだ?」
ケントが広間を見回す。リーニもきょろきょろと周囲を見回し、
「あ、あそこ!」
その姿を見つけた。
銀の髪は絵とは違い不思議な光沢があり、柔らかな表情で談笑する姿に魅了される。
「姿絵なんかよりずっとかっこいい。素敵……だけど囲まれてる!」
サンは美しく着飾った女性たちに囲まれていた。
「まあ、あれだけの顔ならな」
「うう……」
女が寄ってくるのは仕方がないことなのか。だが胸がもやもやする。
女性たちはさりげなくサンに触れたりもしているが、サン自身はまったく動じた様子もなくそれを受け入れている。こういう状況に慣れているのだろう。
自分も負けじとあの輪の中に入っていくべきなのか、いや、サンをあの輪の中から連れ出したい。そう思っていると、
「あ、どこかへ行く」
まだ話がしたそうな女性たちの輪からサンがするりと抜ける。微笑みを残し、サンは女性たちから離れた。
「庭に出るつもりか?」
歩きながら使用人から飲み物の入ったグラスを受け取り、向かっているのは庭のようだ。
気づかれないようにリーニたちも追いかける。
庭には灯りが設置されていて明るい。が、そんな明るい庭をまっすぐ抜けて、灯りのない薄暗い場所へとサンは歩いていく。
「どこに行く気かしら?」
「さあな」
そしてサンが足を止めたのは、人気もなくかろうじて姿が確認できる程度の暗い場所だった。そこにあったベンチに座り、飲み物に口をつけて庭を見ている。
「……何をしているの、こんなところで」
首を傾げるリーニにケントは肩をすくめてみせる。
リーニはじっとサンを見つめた。
何をしているのかは分からないが、しかしこれは絶好の機会かもしれない。
「私、行ってくる!」
「あ、おい……」
可愛く挨拶をして、お話して、それからできれば……と考えながら走っていれば、
「きゃ……!」
暗くて地面が見えなかったばかりに、リーニは転んでしまった。
かろうじて手はついた、が、ドレスには土が付いてしまったし、靴も脱げてしまった。
すぐそこにサンがいると言うのに。
手の痛みと恥ずかしさで立てない。そんなリーニに、サンが驚いて駆け寄ってくる。
「君、大丈夫かい!?」
「う、うう……」
情けなさで涙が零れる。
「ほら、泣かないで」
サンがハンカチを取り出して涙をぬぐってくれ、更に、
「…………!」
抱き上げてベンチに座らせてくれる。
間近で見たサンの顔は驚くほど綺麗に整っていて、嬉しさで更に涙が溢れてくる。
「怪我はない?」
リーニが頷くと、サンは脱げてしまった靴を取ってきて履かせてくれた。
ああ、なんて優しい。
跪くサンをリーニは見つめる。やっぱり見た目通りの素敵な王子様だった、と。
サンが立ち上がり、周囲を見回す。
「一人、じゃないよね。迷子になったのかな? 一緒に広間に戻ろうか」
差し出された手を、しかしリーニは取らなかった。
もう少し二人でいたい。
どうしたのかと訝しげなサンを見上げ、リーニは首を横に振る。
「えっと、お庭を見てくるってちゃんと言ってあるから」
「だけど、一人だと危ないよ」
「大丈夫」
「連れの方は、心配してない?」
うん、と頷けば、サンが微かに眉を寄せた。
「……どうしたの?」
何故そんな表情なのか。
「え?」
「困ってるの? もしかして、悩みがあるの?」
だからこんな場所に一人でいるのかと訊けば、サンは目を瞬かせた後ふわりと笑った。
「心配してくれるんだね。ありがとう」
何も困ってないし悩みもないと、サンはリーニの頭を撫でる。
綺麗なサンの手は意外に大きくて、その掌は硬い。普段から剣を握っている人の手だとリーニは気づく。国を守り己を守る努力を怠らない立派な王太子なのだろうと考え、嬉しくなった。
「あ、あの、あのね」
「やっぱり広間に戻るかい?」
リーニは首を横に振る。今ここで、思い切って言わなくてはならないと息を吸う。
「結婚してください!」
渾身の求婚。
ふごー、とみっともなく鼻が鳴るのは、力みすぎたからか。
そんなリーニの様子にサンは目を見開き、それから口元を手で押さえてくすくすと笑う。
「本気なんだから!」
何故笑うのかと、リーニが頬を膨らませる。
「うん、分かった」
サンが頷く。
分かったということは結婚してくれるのだろうかと、膨れっ面から一転して目を輝かせるリーニの横にサンは座った。
「可愛いお嬢さん、わたしの元にお嫁に来ることはできるのかな?」
「できないわ。だから婿に来て」
うーん、とサンは唸る。
「それは困ったな。わたしは跡を継がなくてはならない立場なんだ。それに妃は決まっているから、君は側室という二番目の妃になるのだけどいいかい?」
妃が決まっているという事実を初めて知り、リーニは驚いた。しかも側室ならいいというのか。
「二番目なんて嫌!」
そんなことは耐えられない。サンは簡単に言うが、二人を同時に愛せるのか。
母一人を変態的に愛している父を見てきたリーニには、サンの言葉は信じられないものだった。
サンが微笑む。
「ではわたしたちが結婚するのは難しいね。残念だ」
「残念……?」
「こんなに可愛い子をお嫁さんにできないなんて」
リーニは首を傾げる。妃は決まっていて二番目ならよくて、でも結婚できないのは残念なのか。
「その妃になる方のこと、好き?」
「結婚したらちゃんと愛すよ」
では、今はどうなのか。
「跡を継がなくてはならないって絶対に?」
「そうだね。一応責任があるからね」
「それってどうしても?」
「君は? 立場を捨ててわたしの元に来られる?」
「それは……」
そんなことができるのだろうか? 妹たちの誰かが王位を継げばいいのだろうが、それは許されることなのだろうか。
そこまでの知識はリーニにはない。確認したければ父か宰相に訊かなくてはならない。
うーんうーんと唸るリーニを見つめて少しだけ口角を上げ、サンは立ち上がる。
「さあ、もう行きなさい。連れの方がきっと心配しているよ」
リーニの体がふわりと持ち上がり、すぐに地面に下ろされる。サンはリーニの手を引いて少し歩いてから立ち止まった。
「ここをまっすぐ進めばちゃんと広場に戻れる」
灯りのある場所までリーニを連れてきたサンは、そこで手を離した。そしてリーニの背を軽く叩く。もう行け、という合図だということは分かったが、リーニは動かずにサンを見上げる。
「……ねえ」
「やっぱり広間まで送った方がいいかい?」
リーニは首を横に振る。そうではなくて、訊きたいことがあるのだ。
「もし立場が許せば、私のお婿さんに来てくれていた?」
王太子でなければ、妃が決まっていなければ、婿に来てくれていたのか。
縋るような視線を向けるリーニ。目を細めて見つめ返し、サンは跪く。
「そうだね。許されるのならば、君と結婚したいよ」
「…………!」
そうなのか! サンは己と結婚したいと思っているのか。
「そ、それって一目惚れ?」
「うん、どうだろうね?」
どっちなのかはっきりしない答えだが、サンは大きな手でリーニの頬を優しく撫でてくれる。
これは立場的に言えないだけに違いない。と、リーニは確信する。
「じゃ、じゃあ私が何とかしてあげる!」
「え?」
サンはリーニの勢いに目を丸くし、それからくすくすと笑った。
本気にしていないのか。
「本当よ! あなたを攫ってあげるわ!」
王太子としての立場からも婚約者からも攫って逃げて、そしてエルラグド国で二人は幸せに暮らすのだ。
サンが笑いを収めて頷く。
「じゃあ待っているよ、可愛いお嬢さん」
触れられたままの頬が熱い。待っていてくれるのか、それをサンも望んでいるのか。
「や、約束よ」
「では約束のしるしに」
端正な顔が近づいてきたと思ったら、額に口づけられた。
サンが、約束してくれた、口づけてくれた。リーニは目を見開いたまま茫然する。
「さあ、広間に戻りなさい」
サンがリーニの体をくるりと反転させて背中を軽く押した。その勢いで二歩、三歩と歩き、リーニはハッとして振り向く。
「どうしたんだい?」
首を傾げるサンに、リーニは手を伸ばす。
「必ず、迎えに行くから」
その一言を伝えてぎゅっと抱きつくと、踵を返して走りだした。
明るく照らされた道を赤い顔をして疾走するリーニ、と、そのリーニの体が突然横から伸びた手に引っ張られた。
「きゃ! ……ってケント」
「静かに」
「ねえ、見てた!?」
「静かにしろって言ってんだろ」
ケントがリーニの口を掌で軽く塞ぐ。
「サン様、私と結婚したいって」
くぐもった声でリーニは嬉しげに言う。
その為には今以上の努力が必要なことも分かっている。しかしなんとしても……。
「盛り上がっているところ悪いが、ちょっと付いてこい」
どこに、と首を傾げるリーニを連れて、ケントは今リーニが走って来た方向――まだサンが居るであろう場所に向かっていく。
「どうしたの?」
「いいから付いてこい。大きな声は出すなよ」
そしてサンとリーニが先ほど座っていたベンチが見える位置まで戻ると二人は身を隠す。サンはまたそのベンチに座って庭を見ていた。
「ほら来たぞ。あれ見ろよ」
「え?」
ケントが指をさしたのと、サンが立ち上がったのは同時だった。誰かがサンに向かって近づいていく。それは、
「女、だな」
リーニたちが使った道とは別の道から来たらしいその女がサンの前で止まる。するとサンが女の腰を抱いて体を密着させた。そしてそのまま、二人の姿は茂みの中へと消えた。
「…………」
「…………」
どうなっているのか。
リーニはケントに訊く。
「なに、今の?」
「なにって、ナニするんだろう」
「……え?」
意味が分からないらしいリーニにケントは説明する。
「取り巻きの女の中から見た目が好みで後腐れのなさそうなのを選び、誘ったんだろ? じゃなきゃこんな人気のないところにわざわざ来るもんか。にこにこ笑いながら、さりげなく胸や尻を確認してただろ? それにどこの誰かってのも。ありゃたぶん、どこぞの未亡人かなにかじゃないか?」
「…………」
「良かったな、リーニ。お綺麗なだけの王子様じゃなさそうだぞ。あれならお前の婿としてもやっていけそうだ」
「…………」
ふらり、とリーニが一歩進む。
「おい、何処へ行く」
邪魔するなよ、と掴まれた肩をリーニがケントの手を振りほどく。
「だって……!」
「し!」
静かにしろと言っているだろう、とケントがリーニの口を手で塞ぐ。
息さえも苦しくなるほどの力で口元を覆われ、身動きが取れないように体を拘束された。
暫くその状態を続けていると、
「…………!」
押し殺した嬌声が微かに聞こえてきた。
「おーおー、こんなところで凄いな」
「…………」
「帰るぞ」
茫然とするリーニをケントが引きずって、城の正面扉まで戻る。
「泣くな」
ケントは待っていた馬車に涙を流すリーニを放り込み、自身も乗った。
「嫌、帰らない……」
リーニがか細い声を出す。
「もう用事は終わった。帰るんだ」
馬車が走り出し、リーニが今度は大きな声を出した。
「だって、私のなのよ! それなのに……!」
狭い馬車の中で立ち上がろうとするリーニを強引に席に座らせて、ケントは鼻を鳴らす。
「お前のじゃねえよ」
「いずれ私のものになるのよ! だって待ってるって、約束だって……!」
「証拠は?」
「……え」
戸惑うリーニにケントは冷静な目を向ける。
「正式な書類を用意してサインしたわけではない。相手は子供、しかも周囲に連れらしき人物はいない。だからあいつは軽い調子であんなことを言ったんだ。いくらでも言い逃れができるから」
サンは初めから本気ではなかった。子供が言うことに合わせて、少しの夢を与えてからかっていただけ。そんな信じたくない現実を、ケントは容赦なく突きつける。
「でも、でも……!」
「こら、暴れるな」
「確かめてくるの! サン様はそんなひとじゃない!」
「うるさいぞ、リーニ」
悔しかったら強くなれ――。
ケントに片手で押さえつけられ、座席に涙が零れる。
走る馬車の中で、リーニはひたすら泣いた。