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あの女を泣かせるには、どうすれば良いか……。
「陛下、仕事はされないのですか?」
話しかけてきたネイラスを、ヴェリオルは睨みつけた。
「うるさい」
「おお、怖いですね」
おどけた調子でネイラスは言い、ヴェリオルの前に立った。
「急速に嵌っていますね」
「……ただの遊びだ」
「そうですか。それなら早く王妃を娶ったほうがよろしいのではないですか? 王としては遅いぐらいですし、ガルト様もうるさいですしね」
「…………」
ヴェリオルは机の上に置いてある妃候補の名前が書かれた紙を見る。そしてハッと思いついた。
『新しい側室を後宮に入れられてはいかがでしょうか?』
イリスが言っていた言葉を頭の中で繰り返す。
「そうか、そうすればきっと……」
「何がですか?」
首を傾げるネイラスをヴェリオルは見上げた。
「新しい側室を入れる」
「は?」
「新しい側室だ」
「この、お妃候補の中からですか? ついに妃を娶られるのですか?」
「いや……」
それは都合が悪い。欲しいのは妃ではない。イリスに現実を認識させ後悔させ謝罪させることが出来ればそれでいいのだ。
ヴェリオルは顎に手を当てて考える。
「陛下、本当に仕事をしてください。私がガルト様に怒られてしまいますよ」
ネイラスがヴェリオルの前に書類を一枚置き、ヴェリオルは舌打ちをして、内容も見ずにその書類にサインをした。
「仕事仕事とうるさい」
「陛下、読んでから署名をしてください」
「そういえば、そのガルトはどうした? 先程から姿が見えないが」
「北の塔の様子を見に行っていますよ」
「北の塔……、ランドルフか」
王弟ランドルフ――。
ヴェリオルの異母弟だが、母親の身分が低いため王位継承権は無い。
それを嘆いたランドルフの母親が、逆恨みからヴェリオルを毒殺しようとして失敗。追い詰められた母親は毒を煽り自害し、そして『共犯』であるランドルフは王城の北にある塔に幽閉されている。
「あいつも運が悪い」
「陛下、弟君とはいえ、犯罪者に同情するような発言は危険ですよ」
「犯罪者、な」
実際にランドルフが共犯だとは、ヴェリオルは思っていない。ランドルフにそんな度胸も自分を暗殺する理由も無いことは分かっている。だが毒薬という証拠がランドルフの部屋から見つかった以上、幽閉せざるを得なかったのだ。
「そういえば、ランドルフの恋人はどうしている?」
「ああ、ロント家のじゃじゃ馬娘ですね。最近妙に静かなので、また何か企んでいるかもしれませんよ。今度は犬にでも化けて塔に近付こうとか……」
ネイラスがクスクスと笑う。ランドルフの恋人であるロント家の娘はランドルフに心底惚れており、一目会おうと色々画策しては、実行する前にことごとく失敗していた。
「お前とは親戚だったか?」
「はい。彼女も殿下とのことが無ければ、王妃候補の一人でしたでしょうが――陛下?」
じっと中空を見つめて動かないヴェリオルに、ネイラスが眉を寄せる。
「陛下、どうされました?」
「ロントの娘を側室にしよう」
「…………」
ネイラスは溜息を吐いた。
「それは……陛下、ガルト様に叱られますよ」
「俺の側室とした後に、時機を見てランドルフに下げ渡す」
「……その計画は、やめたのではなかったですか? ロントの娘が大人しく言うことを聞くとも思えませんし、まだ王妃を娶ってもいません。それに下げ渡すなど、ロントが黙っていませんよ」
「だから時機を見てと言っている」
ヴェリオルが白紙の紙を一枚出し、ロント家の娘を側室とすると書いてネイラスに渡す。
「ガルトが居ないうちに急いで処理しろ」
ネイラスは額に手を当てた。
「陛下、どうなっても知りませんよ」
「うるさい。黙れ」
「このやる気を他に回してくれれば嬉しいのですが……」
文句を言いつつ、ネイラスは書類片手に部屋から出て行った。
◇◇◇◇
「多少なりともやる気が出るならと目を瞑っておりましたが……、お遊びはほどほどにと申し上げた筈です。ロントの娘を側室にするなど聞いておりませんでしたが?」
厳しい視線を向けてくるガルトに、ヴェリオルは鼻を鳴らした。
「元々、ロントから是非娘を側室にと言われていただろう?」
「ですが、それはランドルフ殿下と繋がりがある以上出来ないと――」
「ロントの娘を側室にするともう決めた」
「陛下……」
ガルトは溜息を吐いてヴェリオルを真っ直ぐ見た。
「どうしたいのですか?」
意味が分からず、ヴェリオルが首を傾げる。
「何がだ?」
「アードンの娘をどうしたいのですか?」
ヴェリオルは眉を寄せた。
「……別に何も。ただ生意気なので少々お仕置きをしてやるだけだ」
「ならば深入りしてはなりません」
「深入りなどしていないだろう。もういいからあっちへ行け」
追い払うように手を振り、ヴェリオルは書類を手に取る。しかしガルトは動かない。
「何だ? まだ何かあるのか?」
「…………」
迷惑そうに顔を顰めるヴェリオルに、ガルトは緩く首を振る。
「中途半端なことをすると、後で困りますぞ。陛下もアードンの娘も」
「なに?」
「…………」
ガルトが踵を返し、ヴェリオルは訝しげにその様子を見ながら書類にサインをした。
◇◇◇◇
数日後、ロント家の娘、メアリア・ロントが側室として後宮に入った。
「決意漲る表情でしたよ」
そう報告するネイラスに、ヴェリオルが片眉を上げる。
「ロントの娘を見たのか?」
「チラッとですが。陛下に気に入られて、殿下を解放してもらおうとでも思っているのかもしれません」
「ふん、そうか」
ヴェリオルは鼻を鳴らした。
「今宵はメアリア嬢の元へ?」
「ああ」
「そうですか。しかし気をつけてください。恋する女は無茶をしますから」
ヴェリオルが眉を寄せる。
「何だ、それは?」
「相手はじゃじゃ馬ですから何をしでかすか分かりませんよ」
「大丈夫だろう」
ヴェリオルは面倒くさそうに手を振る。
そして夜――。
早めに仕事を切り上げたヴェリオルは、後宮へと向かった。
いつものように後宮の入り口で待っていた女官長にヴェリオルが訊く。
「女官長、イリスに何か変化は無いか?」
「特にございません」
女官長は無表情に答えた。
「新しい側室について何か言ってなかったか?」
「特には何も」
「……そうか。イリスが何か言ってきたら報告に来るように」
「私が陛下に、でございますか?」
驚きを含んだ声に、ヴェリオルは振り向く。
「他に誰がいる?」
「……いえ、分かりました」
女官長は何か言いたげだったが口を閉じた。
「ロントの娘の部屋へ」
「……はい」
女官長の案内で、ヴェリオルはメアリアの部屋へと行く。ノックをすると、ドアが静かに開いた。
「お待ちしておりました。陛下」
美しい、というよりは可愛らしい顔立ちのロント家の娘、メアリアが膝を折ってヴェリオルを迎える。
「ああ」
「陛下、どうぞこちらに」
微笑みながらベッドに向かうメアリア。ヴェリオルはメアリアの元へと歩を進める、が。
「――ん?」
壁際に控えていた侍女達が近付いてくる。何か様子がおかしい。
眉を寄せてメアリアを見ると、メアリアはベッドに立ち上がり、満面の笑みで両手を広げた。
「今宵は陛下の為に、特別な趣向を凝らしました。お楽しみください」
芝居がかったセリフ。
「何?」
何かを企んでいるのか?
警戒するヴェリオルに、侍女達が手を伸ばした。
◇◇◇◇
「…おや? 陛下、厳しい顔をしてどうされました?」
早朝、執務室に入ったヴェリオルの様子に、一人で仕事をしていたネイラスが首を傾げる。
ヴェリオルは無言で自分の椅子まで行くと、崩れるように座り、髪をかきあげた。
「……なんだ、あの娘達は」
ネイラスがヴェリオルの前に立つ。
「なんだ、とは何がですか?」
「……知っていたのか?」
「だから何がですか?」
「…………」
ヴェリオルは深く溜息を吐いた。
ネイラスが片眉を上げる。
「恋する乙女は、必死だったみたいですね」
「……間違った方向にな。話をする暇も無かった」
「存分にお楽しみになったようで」
「…………」
ヴェリオルはもう一度髪をかきあげ、目の前の書類を意味無く捲った。
◇◇◇◇
おかしい。
ヴェリオルは眉を寄せて、ネイラスに訊いた。
「女官長から、何か報告は無いか?」
「女官長からですか? いいえ」
机に座って仕事をしていたネイラスは、顔だけ上げてそう言い、また仕事に戻った。
「…………」
自分がメアリアの元に行ったことは、イリスも知っている筈だ。それなのに何故謝って来ないのか。意地になっているのか?
ガルトの咳払いが聞こえ、ヴェリオルは目の前の書類を数枚掴む。
それから暫く、真面目に仕事をしてはいたが、どうしても気になる。落ち着かない気持ちで過ごしていると、ガルトが立ち上がってヴェリオルに告げた。
「少々席を外しますが、陛下はこのまま仕事を続けていてください。くれぐれもどこかに遊びに行かないように、お願いいたします」
「……そうか、分かった」
ヴェリオルが頷くと、ガルトは少しだけ頭を下げて、執務室から出て行く。
その姿を目で追い、ヴェリオルは即座にネイラスに命じた。
「女官長を呼べ」
ネイラスが呆れた顔をする。
「今、ガルト様が、仕事をしろとおっしゃっていませんでしたか?」
「いいから呼べ」
「……分かりました」
ネイラスがドアを開け、外に居る者に女官長を呼んでくるように命じる。程なくして女官長が執務室に来た。
頭を下げて目の前に立った女官長に、ヴェリオルは背もたれに背を預け、腕組みをして訊く。
「それで、あの女の様子はどうだ?」
女官長は無表情で答えた。
「楽しそうに過ごしておられます」
ヴェリオルは首を傾げた。
「楽しそうに?」
「はい」
「…………」
そんな筈はない。
「女官長、イリスと直接話したか?」
「いいえ」
「すぐに、不満が無いか訊いて来い」
「……はい」
女官長は執務室から出て行き、暫くすると戻ってきた。
「どうだった?」
謝罪の言葉でも言っていたかと期待する。
女官長は淡々と答えた。
「『メアリア様とお幸せに。お世継の誕生を心から願っております』とのことです」
「…………」
お幸せに? 世継ぎの誕生?
「本当にそう言ったのか?」
「はい」
「……下がれ」
女官長が執務室から出て行く。
「どうなっているのだ?」
ヴェリオルは顎に手を当てて唸った。暫くその姿勢のままで考え続け、そしてようやく一つの結論に達した。
「そうか、強がりだな」
自分から側室の話をした以上、あの女にも意地があるのだろう。
ヴェリオルが納得して頷いた時、バサバサと音がした。
「…………?」
視線を向けると、ネイラスが床に落とした書類の束を慌てて拾っている。
「何をやっている」
「申し訳ございません。少々驚いて」
驚くことなど何かあったのだろうか。
眉を寄せるヴェリオルの前に、拾った書類を整えながらネイラスは立った。
「ご執心ですね、陛下」
「執心? 何を勘違いしている。俺はあの女に絶望を味わわせたいだけだ」
ネイラスが片眉を上げる。
「『絶望』なら、もっといくらでも違う方法がありますよ。お手伝いいたしましょうか?」
「余計なことはするな!」
ヴェリオルに睨まれて、ネイラスは首をすくめる。
「はい、陛下。申し訳ございません」
そしてネイラスは先程拾った書類をヴェリオルの前に置いた。
「急ぎで処理してください。内容も読んでくださいね」
「……こんなにもあるのか」
ヴェリオルは顔を顰めて書類を見つめた。