14
目が覚めた瞬間、サンは悟った。
(ああ……。ついに迎えが来たのか……)
眠る自分を覆いかぶさるようにして見つめてくるのは、痩せた身体をした長い髪の男――、いや、男と言うよりこれは、
「冥界の使者」
自然と呟き、納得をする。
死は怖くない。戦場に出れば死はすぐ隣にある。覚悟は出来ている。王族としてみっともない真似はしたくない。だが、しかし、――このままでいいのか。
「…………!」
まだだ、まだ死ねない。
サンは勢いよく起き上がると同時に、冥界の使者に右こぶしを叩きつけた。
まるで岩に拳を打ち付けたような硬いものを殴りつけた感覚に、サンは顔を顰める。そしてその感覚とは裏腹に、冥界の使者は簡単に転がっていく。テーブルと椅子を巻き込み、壁に体をぶつけて床の上に蹲る冥界の使者を、サンは冷や汗と共に見つめた。
倒したのだろうか。そう思った時、軽く飛びあがるような奇妙な動きと共に、冥界の使者は立ち上がった。ぞくり、と体が震える。冥界の者は不死身と聞いたことがあるが、本当にそうだったのか。
両足を引きずるような不思議な歩き方で、冥界の使者はサンに再び近づいてくる。
(駄目なのか)
抵抗など無駄なのか。サンが奥歯を噛みしめた時、
「キンキラリン」
冥界の使者の口から、呪文のような言葉が聞こえた。
「きん……きらりん……?」
思わず復唱してしまったサンに、冥界の使者は口角を上げて不気味な笑顔を向けた。
「陛下とは違うタイプのキンキラリンですね」
「…………!」
陛下、というのはエルラグド国王のことか。では、この国の王は冥界の使者とさえ繋がりがあるのか。
冥界と繋がりのある軍事大国。なんて恐ろしいのだ。
震えが止まらない情けない体が悔しくて、拳を握るサン。そんなサンに、冥界の使者は頭を下げてきた。
「……なに?」
どうなっているのか。戸惑い眉を寄せるサンに、冥界の使者が挨拶をしてくる。
「はじめまして。王妃の兄のジンです」
「…………!」
生きている人間だったのか。いや、それより、
「王妃様の……兄君?」
「はい」
「…………」
また、おかしなのが出てきた。サンはじっとジンを見つめる。この国はやはり普通ではない。
そうしてひたすら見つめていれば、ノックの音がして爺やが入ってくる。
「おはようございます、サン様。――おや?」
爺やがジンを見て目を瞬かせる。
「ジン殿、研究所から出てくるなど珍しい。日の光に当たっても大丈夫なのですか?」
どういう意味だ、とサンは爺やとジンを交互に見る。日の光に当たれば塵にでもなるのか? それではもう人間ではないではないか。
ジンが小さく笑う。
「王太后様のおつかいです。それにたまには日も浴びないと、健康が保てないので」
いや、その姿は絶対に健康ではない。という言葉をサンは飲み込む。
「それで、おつかいというのはなんですかな?」
爺やに訊かれ、ジンは懐から小瓶を取り出して差し出す。
「…………?」
サンは差し出された小瓶に視線を移し、眉を寄せた。これはなんなのだろうか。深い緑色の液体が入っている。ジンはこれをどうしろと言っているのか、と思いながら液体を見ていると、
「え……!」
液体が蠢いた。まるで、ここから出せと言うように蓋を押し上げている。
「鋼鉄薬Ω」
サンが恐怖を瞳に滲ませてジンを見上げる。
「鋼鉄薬……オメガ?」
「王太后様は、あなたが痩せているのを気にされていた」
だから持ってきた、とジンは言う。
「王太后様?」
「飲んで」
「…………!」
飲む、とはこの蠢く液体のことを指しているのか。そもそもこれは飲み物なのか。
「飲んで」
もう一度言い、ジンは小瓶の蓋を開ける。途端に部屋に広がる異臭。
無理だ、と逃げようとすれば、その見た目に反して素早い動きで無理矢理小瓶を口に押し付けられる。
「……う!」
流し込まされた液体を吐きだそうとすれば、そうはさせないとばかりに液体自身が喉の奥へと移動する。そしてそのまま液体は胃へと流れて行った。
あまりの気持ち悪さとおぞましさに、サンは目に涙を浮かべてベッドの上で蹲る。その背中をジンがさすった。
「大丈夫。すぐに良くなる」
まったく大丈夫ではない。
「これは……いったい……」
何なのか。
ジンは鋼鉄薬について語り出す。
「そもそも鋼鉄薬と言うのは、貧乏な我が家に来るであろう食糧危機に対して……」
ジンの話は長かった。そして意味不明だった。
「……要するに、体を丈夫にする薬、ということですか?」
あまりの話の長さにベッドから降りて、爺やに手伝ってもらいながら着替えをして洗顔をし、テーブルセットをもとに戻してお茶を淹れさせたサンは、まだ口の中に残っている気色の悪い感覚を押し流そうとするように茶をがぶ飲みした。
「まあ、簡単に言えばそうです」
「あなたは、薬学者ですか?」
「いいえ。主に空飛ぶ馬車の研究をしています」
カップを持ったサンの動きが止まる。
「空飛ぶ馬車?」
「はい。いつか星に行くつもりです。その合間に、国を吹き飛ばすものも作っています」
「…………」
何から訊けばいいのか。空飛ぶ馬車で星に行く、という発言も勿論気になるが、それよりも気になる言葉をジンは言っていた。
「国を吹き飛ばす?」
ジンが頷く。
「はい。これくらいのもので、ポンっとすれば城くらいは簡単に吹き飛びます」
このくらい、というのはジンの両掌に乗る程度の大きさのようだ。
「…………」
サンの記憶が蘇る。一撃で砦を溶かした凄まじい兵器を、トバッチ国を襲ったエルラグド国軍は使用していた。そう、それは、
「冥界兵器」
と、トバッチ国では呼ばれ恐れられていた。
まさか、この男があれを作ったというのか。
「冥界兵器?」
と首を傾げるジンに訊く。
「吹き飛ばすのではなく、溶かす兵器を作りませんでしたか?」
溶かす……、と呟いてから、ジンは手を叩く。
「ああ、あれか。威力を弱めてくれと言われて困った」
「…………」
本当にこの男が作ったのか。
「興味があるのなら、設計図をお見せしましょうか?」
サンが眉を寄せる。
「設計図を見ても理解できないと聞きましたが」
「うーん。皆はそう言いますね」
「製造に失敗すれば、国が吹き飛ぶそうですね」
「それはそうです。では、出来上ったものをお渡しした方がいいですか?」
サンは目を見開いた。
簡単に言っているが、それは自国の技術を他国に流すという裏切り行為ではないか。
「そんなこと、できないでしょう?」
「え? そうなのですか?」
ジンは首を傾げて爺やに視線を向けた。
「さあ……? 爺やには分かりません。陛下が許可を出したら可能なのではないでしょうか」
ああそうか、とジンが頷く。
「では陛下に許可を貰ってください」
「…………」
兵器を分けてくださいとでも言えというのか。
絶対に無理に決まっているではないか、とサンは茶を飲む。茶は不味いが、先程の謎の液体よりはずっとましだ。
「ジン殿、そろそろ帰らなくてはいけないのではないですか?」
「ああ、そうですね。少し日を浴びすぎました。地下に帰って眠ります」
つい先程、日を浴びて健康を保つと言っていたのに、浴びすぎたとはどういうことなのか。しかも地下で眠るのか。
「では、また」
ジンが、両足を引きずる不思議な歩き方で部屋から出て行く。
「…………」
鋼鉄薬Ωはともかく、空飛ぶ馬車に冥界兵器……。
トバッチとエルラグドでは、技術力にあまりにも差がある。もしエルラグド国と戦争にでもなったのなら……。
勝てるわけがない――。
サンは茶の入ったカップを、割れるほど強く握りしめた。