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「王と安らぎの女神たち」 他番外編  作者: 手絞り薬味
サン王子の散々な日々
33/52

「…………っ」

 本を読んでいたサンが一瞬顔を顰める。それを爺やは見逃さなかった。

「どうかなされましたかな?」

 サンは、眉を寄せて忌々しげに呟く。

「足首が……」

「足首?」

 爺やは床に膝をつき、「失礼します」とサンの足枷がはめられている場所を見る。

「これは……」

 状態を確認し、爺やは小さく唸る。足首は枷で擦れて皮が捲れ、赤く腫れていた。

「外した方がよいですが、こればかりは爺やにはどうにもなりませぬ。リーニ様が居れば、お願いもできるのですが……」

 そこでふと、サンは気づく。妙に平和だと思ったら、この部屋に入れられてから三日経つが、リーニが一度も現れていないではないか。

「リーニ姫は、何処かに行かれているのか?」

 爺やが頷く。

「はい。今日は視察に。遠征の間に溜まった仕事と勉強を片付けるまでは、こちらには来られないと思います」

 ケントもリーニと共に行動しているので今日は城に居ないらしい。

 爺やが立ち上がる。

「薬を貰って来ましょう。それから柔らかい布を足首と枷の間に挟めば少しは痛みが和らぐかもしれません」

 お待ちください、と頭を下げて、爺やは部屋から出て行く。その背中を見送ったサンは、溜息を吐いて本に視線を戻した。

 爺やが選んだ本は、意外にも読みごたえのあるものだった。それに分からない部分は爺やが教えてくれる。これも意外なことに、爺やは知識が豊富である。茶の淹れ方はなかなか覚えないし、身の回りの世話も決して上手くはないが、その代わりのように勉強は得意らしい。

 もしかして以前は高い地位に就いていたのではないかと訊いてみたが、それは違うと爺やは首を振った。勉強が得意だから仕事ができるというわけではないと。

 それに爺やの時代は、下位の貴族では高官にはなれなかったらしい。リーニが生まれた頃から徐々にそれが変わっていき、今は家柄に関係なく、実力のある者がのし上がっていけるようになったのだと、爺やは少し悔しそうにサンに教えた。

 今なら文官の小間使いのような仕事ではなく、もっと国の中枢に関わるような仕事ができていたのかもしれない。

 サン様と同じくらい若ければ、と爺やは笑っていた。

 サンは溜息を吐く。

 若くても、こんなところに閉じ込められていては何もできない――。

 どうすればいいかも考えつかず、時間だけが過ぎていく。

 暗い感情を振り払うように、サンは頭を振る。今は読書に集中しよう。と、その時、

「…………?」

 サンは首を傾げて廊下へと続くドアに視線を向けた。

 騒がしい。

 大声で誰かが何かを言っている。ひとりではない。複数の声と足音、それが近づいてきている。

 何が起こるというのか。ここから出されるということはないだろうが……。乱暴な足音を聞き、サンは自然に身構えた。嫌な予感がする。だが、身を守るものは一つもない。

 せめて剣があれば、と考えてサンは苦笑した。剣一本あったところで身を守れるだろうか? ケントにも敵わず、そして今は足首に枷も付いている。

 そう思いつつも警戒を怠らず、サンは本を閉じてドアを見つめる。足音が部屋の前で止まった。そして、

 バタン!

 と壊れるのではないかと思うほどの大きな音を響かせて、ドアが開いた。

 サンが目を見開く。現れたのは初めて見る人物だ。だが、それが誰かは顔を見た瞬間に分かった。深い緑の瞳、金の髪――。

 その人物は、サンをじろりと睨み付けて怒鳴った。

「余の可愛いリーニを誑かしたのはお前か!」

 サンは確信した。やはりこの人物は、エルラグド国国王ヴェリオル。骨格など男女の差はあるが、目や鼻などの一つひとつがリーニと驚くほどそっくりではないか。

 ヴェリオルは追いかけてきた騎士と側近らしき人物をマントを翻すことで追い払い、部屋の中にずかずかと入ってきた。そしてサンの前に立つと、その顎を掴んで目を覗き込んでくる。

「エルラグド国の次期国王であり、何よりも余の可愛い娘であるリーニを誑かしたのはお前か?」

 端正な顔立ちもさることながら、間近で見る大国の王の、その凄まじい威厳にサンは知らず震えた。

「選ばせてやろう。串刺しと火あぶりのどちらがいい?」

 処刑されるというのか。

 答えられないサンを、ヴェリオルは鼻で笑う。

「ああ、その前にお前の祖国を滅ぼさなくてはならないか」

「…………!」

 思わずサンが手を伸ばし、ヴェリオルの胸ぐらを掴む。その瞬間、ヴェリオルがサンの腕を捻り、投げ飛ばした。椅子が大きな音を立てる。上手く受け身を取れなかったサンが、みっともなく床に転がった。

 ヴェリオルとサンの背丈はそれほど変わらない。筋肉量も、むしろ若いサンの方が多いくらいだ。それなのにヴェリオルは易々とサンを放った。

 剣を持たなくても戦えるだけの技を、この王は身に付けている。

 体と心に受けた衝撃。王としての心構えも経験も差がありすぎる。

 奥歯を噛みしめ、痛みを堪えて顔を上げようとすると、ヴェリオルが枷で傷ついた足首を踏みつけてきた。

「…………っ」

「可哀想に。擦り切れて腫れているではないか」

 言葉とは裏腹に、ヴェリオルは踏みつける足に力を込める。

「この足枷では駄目だな。もっといい枷を使わなければ。それから首輪も必要だな」

 リーニもまだまだだな、と呟き、ヴェリオルはサンの上から漸く足をどけた。

「お前のような虫けらが処分されないのは、誰のおかげだと思う?」

「…………」

 ヴェリオルが片眉を上げる。

「分からぬか。これは余程の馬鹿らしい」

 サンを見下ろす目は、恐ろしく冷たい。

「お前がこうして生きているのも、祖国が滅亡しないで済んでいるのも、すべてリーニの優しさのおかげなのだぞ」

 トバッチ国に攻め込んできて自分を監禁しているのは、優しさからきているのか。――という言葉をサンは危うく飲み込んだ。

「ああ……。そんな心優しい娘を、お前はその顔だけで誑かした」

 潰してやろうか、という囁きが聞こえる。

「目を抉り取り、鼻を削ぎ、二度と日を浴びることのできぬ場所に沈めてやろうか」

 ぞくり、と背筋が寒くなる。この王は本当にやる。本能が警笛を鳴らす。

「だが……」

 ヴェリオルが溜息を吐く。

「……それをやれば、リーニが傷つく。残念だが、貴様を生かしておくしかない」

 本当に残念だ、とヴェリオルの足がサンの脇腹を蹴る。

 呻き声を上げ、サンは再び蹴ろうとしたヴェリオルの脚を掴んだ。

「……ほう? 抗うか」

 違う、とサンは首を振る。

「誑かした覚えなどありません。ここから出していただけたら、わたしはすぐにトバッチ国へ帰り、二度と姫とは会わないと誓いましょう」

 そう告げた途端、ヴェリオルが怒りの形相で怒鳴りつける。

「貴様! それではリーニが悲しむだろう!」

 ヴェリオルに銀の髪を掴まれ、サンは無理やり立たされた。

「よいか、リーニを悲しませることだけは絶対にするな。もしリーニを泣かせるようなことがあれば……」

 サンの命も祖国もすべてが消滅すると、ヴェリオルは笑う。

「リーニに縋り付け。なんでもするからと許しを請え。リーニの優しさ、それだけがお前の拠り所だ」

 分かったか、とヴェリオルはサンを突き飛ばす。床で尻を強か打ったサンが小さな呻き声を上げた。

 歪んだ視界に、再び手が伸びてくるのが映る。

 今度は何をされるのか。

 体を強張らせるサンの頭に、ヴェリオルの手が乗せられる。また髪を掴まれるのかと思ったが――。

「…………?」

 痛みはやってこなかった。それどころか、乱れた銀の髪をヴェリオルが指で梳き始めた。

 額から後ろへ、流すように指は何度も動く。

 サンは訝しげに眉を寄せた。一瞬前の乱暴が幻であるかのような優しい手つきだ。

 いったい、なんだというのだ。

 サンは戸惑いと警戒を含んだ目で、じっとヴェリオルを見つめた。そしてヴェリオルもじっとサンを見つめる。

「赤い、な」

 瞳のことを言っているらしい。

「綺麗だ。だが――」

 髪を整え終えた手が、サンの頬を柔らかく包む。

「――気に入らない目だ」

 ふっと顔が近づいた。

「…………!」

 ふわり、と甘い香りを残してヴェリオルが一歩下がる。

 指先が、顎を伝って名残惜しげに離れた。

 目の前で美しく翻るマント。

 背を向けてヴェリオルは去っていく。

 大きな音を立てて閉じたドアを、サンは茫然と見つめた。

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