表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「王と安らぎの女神たち」 他番外編  作者: 手絞り薬味
サン王子の散々な日々
28/52

 ぽろり、とフォークから肉が落ちた。

 サンは瞬きを繰り返して、目の前で微笑む少女を見つめる。

「王太子……?」

 サンの呟きに、少女――リーニは頷く。

 トバッチ国からエルラグド国へと連れて行かれる途中、一行はある街に立ち寄った。そしてエルラグド団の隊長であるケントは、そこの宿で一泊することにしたとサンに告げたのだった。

 トバッチ国の王城を出てから、馬車は恐ろしいほどの速さで移動していた。

 途中、排泄と馬の交換の為に何度か停まったが、それ以外はひたすら走り続ける。馬の交換を見て気づいたのだが、どうやらケントは要所要所にエルラグド軍の兵を待機させていて、速やかに帰国できるように替えの馬などを用意させていたようだ。

 大胆かつ用意周到。自分より若い少年がこれ程のことをやってのける事実にサンは呆然とする。

 そして今、泊まった宿で囚われの身でありながら豪華な食事を与えられたサンは、目の前の少女から驚くべき真実を告げられていた。

 なんと、リーニはエルラグド国の第一子、つまり王太子であるというのだ。

「…………」

 サンはまじまじとリーニを見つめ、それから壁際に立っているケントに視線を向ける。

 ケントは片眉を上げた後、頷いた。ということは、本当なのか。

 何故王太子がこんなことをするのか。自分一人を連れて行って何になるのか。

 混乱するサンをリーニは潤んだ目で見つめる。

「いやん。そんなに見つめないで」

「…………」

 馬車の中でもそうだったが、リーニと一緒にいると得体のしれない恐怖に襲われる。

「ねえ、私のこと覚えている?」

 サンは眉を寄せる。覚えていると訊くということは、何処かであったことがあるのだろうか。

「いつ会いましたか?」

「毎日会っているわ。額縁の中のあなたはとても寡黙で……。でも優しく私を見つめてくれる」

「…………?」

 額縁とはどういう意味か。

「動かないあなたを愛でるのは昨日で終わり。今日からは、姿絵ではなく生のあなたを堪能するの。夢にまで見た生サンよ」

 サンは目を見開く。

 姿絵を毎日見ていた? では、会ったことはないが、姿絵を見つめて会った気になっていたのだろうか。

 やはり少女からは狂気を感じる。

 もともと無かった食欲が更に減退し、サンはフォークを置く。

「姿絵なんて、何処で手に入れたのですか」

 するとリーニは、きょとんとした顔で首を傾げた。

「何処って……。普通に売っているじゃない、トバッチ国の王直筆の証明書付きで」

「なに……?」

「サン王子単品、カイ王子単品、それからサン王子とカイ王子が並んでいるもの、気だるげに微笑むサン王子、剣を持ったカイ王子、それから……」

 サンはぎょっとする。

「ま、待ってください。そんなものが売られている?」

「そうよ。トバッチ国の貴重な財源のひとつなのでしょう?」

「…………」

 まさか、そんなはずはない。

 サンは小さく首を振る。王太子として積極的に国政に関わってきた。だからそんな事実があれば気づくはずだ、と。

 あり得ない。何処かの誰かが王の名をかたって絵を売りさばいているのか。

 何という不届き者であろうか。よりによって王を……。

 しかし、そこでふとサンは思い出す。国王である父には気に入りの絵師たちがいる。その絵師たちが時々己の近くで絵を描いていなかったか。

 絵師たちは王の命令で、『城の日常』という題で様々な絵を描き続けていると言っていたが、その絵は何処に飾ってある?

(……まさか父よ)

 一つの可能性が頭に浮かび、サンは目を閉じる。いや、そんなことはあり得ない。何かの間違いだという思いの片隅に、なんとなくあの父ならやりかねないなという気持ちも浮かぶ。

「でも、国王陛下の水浴びの絵が一番高いのは納得できないわ」

(父よ……!)

 サンは天を仰ぐ。その絵の王が全裸ではないことを祈るのみである。

「私の王子様であるサン様を差し置いて高値をつけるなんてね」

「…………」

 サンは目を開けてリーニに視線を向ける。

「誰が、誰の王子様ですか?」

「あなたが、私の王子様。そして運命の人よ」

「運命……?」

「そう。愛し合う運命の人」

「…………」

 まさかとは思うが、肖像画を見ただけで運命を感じたというのか。

 自分に会いたかったというのは分かった。確かにそういう理由で訪問してくる他国の姫や、夜会や式典の招待状を送ってくる国はある。だがしかし……。

「何故トバッチ国を攻撃する必要があったのですか」

 そこが分からない。例えば事前に大国のエルラグドから訪問について書かれた手紙の一通でも来ていたのならば、トバッチ国はリーニを歓迎しただろうし、もし『エルラグドに来い』と書かれていたならば、サンは国の代表としてエルラグド国を訪問せざるを得なかっただろう。わざわざこんな騒ぎを起こす必要などないのだ。

「あら、だってあなたも王位継承第一位なのでしょう? 『ください』って言っても拒否されると思って」

 サンは眉を寄せる。

「ください……?」

「私もエルラグド国を継がなくてはいけないし……。どちらかが国を捨てるしかなかったのよ。そして私は国を捨てることができない。でもあなたがどうしても欲しいの」

 リーニの言葉にサンは大きく目を見開いて立ち上がる。衝撃で皿の上の肉が跳ねた。

「ちょっと待ってください! わたしも国を捨てることなどできない!」

 欲しいから連れて行くというのか。そして国を捨てろと言うのか。

 そんな馬鹿な話はあるかと、サンの体が怒りで震える。

「無理矢理奪い攫われるなんて、情熱的で甘美で素敵だと思わない? それに、『強引にでも捕まえろ。敵となるものは二度と歯向かわぬよう排除しろ』ってお父様だって言っていたもの。だから襲って奪ってきたの」

「…………!」

 お父様、つまりはエルラグド王が指示したというのか。トバッチとは比べ物にならないくらいの大国の王が、姿絵を見て気に入ったと言う娘の為に、軍を動かしたというのか。

 せめて話し合いという選択はなかったのか。エルラグドの王と言えば、大胆な改革をした賢王として有名であるが、何か考えがあってのことなのだろうか。それとも――本当は考えなしのとんでもない人物だとでもいうのだろうか。

「ねえ、サン王子は私のことをどう思う?」

 リーニが上目遣いで訊いてくる。無邪気なその瞳をじっと見つめ、サンは小さく首を振った。

「リーニ姫は、おいくつなのでしょうか?」

 リーニが首を傾げる。

「私? 十六よ」

「私は二十五になります」

「年齢差なら、気にしないわ」

「私には既に、婚約者がいるのです」

「だから?」

 それがどうした、とリーニは片眉を上げる。

「リーニ姫には、もっとふさわしい人物がいるはずです」

「政略結婚? 冗談じゃないわ。あなただって、婚約者がいると言ってもどうせ政略結婚なのでしょう? それよりも愛する人と一緒になった方が幸せよ」

 確かにサンの婚約者は同盟国の姫で、政略結婚をする予定だ。しかも元々の婚約者であった姫が長く患った末に亡くなったため、その妹が新たな婚約者となったばかりであった。

「あなたの愛とは、好きな相手の意思を無視して無理やり連れ去ることですか?」

「縛り付けられていることが快感になってくるんですって」

 それもエルラグド王の教えなのか、リーニが自信満々に言う。

 なんてことだ、とサンは思う。恐ろしい教育をこの少女は受けているのかもしれない。

「私の愛はそうではない」

 真っ直ぐ見つめてくるサンに、リーニが眉を寄せる。

「……つまり?」

「つまり、わたしはあなたを愛することはできません」

「…………!」

 リーニは目を見開いて立ち上がり、テーブルをまわりこんでサンの腕を掴んだ。

「わ、私は、あなたが好きよ。実物を見て、ますます好きになったわ。その不思議な光沢の銀髪も、赤みがかった瞳も」

「私の見た目が好きだと?」

「もちろん性格も好きよ」

 会ったばかりで、何故性格が分かるのか。

「残念ですが、わたしとあなたは合わないようです。だが友人としてならば――」

 サンの言葉はそこで途切れた。

「サン王子……」

 唇を噛みしめて大粒の涙を流すリーニ。その姿に一瞬躊躇して、しかしサンはやんわりとリーニの手を引き剥がす。

「どうして、こんなに私は好きなのに」

「ですから、友人としてのお付き合いを――」

「馬鹿ぁああー!」

 リーニは突然踵を返して走り去っていく。乱暴に開けられたドアが大きな音を立て、ドアの外で待機していたらしい兵が慌てる声が聞こえた。

 失敗した、とサンは溜息を吐く。もっと順序立てて上手く話す必要があった。しかし、無理やり拘束してくる相手と穏やかに話し合う気持ちの余裕など持つことはできなかった。

 ましてや、愛することなどできるわけがない。

 サンは深い溜息を吐いて、壁に寄り掛かって愉快げな表情をしているケントに言う。

「わたしは帰らせてもらいます」

「いや、無理だ」

「帰してください」

「だから無理だって。とりあえずエルラグドに連れて行くことは決定だから」

 それより、とケントはテーブルの上の料理に視線を向ける。

「食っておけよ。どんな状況でも生き残るための努力を怠るな」

 サンは唇を噛みしめて椅子に座る。分かっている、自分は王太子なのだ。国の為に生き残らなければならない存在だ。いざという時に備えて、体力を落とさないようにしなければならない。

「言っておくが、逃げようなんて思うなよ。逃げればトバッチ国が滅びるぞ」

「…………」

 逃げればエルラグドの軍が攻めてくるということか。そうなれば万に一つの勝ち目もない。

「なんとかしたけりゃ、エルラグドでその手段を考えるんだな」

 考えてどうにかなるかは分からないがな、とケントは笑う。

 サンはフォークを強く握りしめ、目の前の肉に突き刺した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ