ユインのお見合い
騙された、とドアを開けた瞬間気づき、ユインは奥歯を噛みしめた。
王からの特別な命令を受けてやってきた屋敷、その一室には、この屋敷の主人らしき男が一人と父親であるリュートが居た。これはおそらく――。
(見合い、か)
これまで何度も両親からの見合いの勧めを断ってきたが、まさかそこに王が絡んでくるとは思ってもみなかった。王からの勧めならば、この場で帰るわけにはいかない。
悔しさを隠し、ユインは室内へと入った。
「おお、ユイン。こっちに座れ」
機嫌良く言う父親への怒りを、拳を握りしめて耐え、屋敷の主人の前に立って頭を下げる。
「第二騎士隊所属、ユイン・ニッツです」
屋敷の主人――灰色がかった髪をした三十代半ばらしき男は、優しそうな笑顔を浮かべてソファーを手で示した。
「ジェス・ローラントです。どうぞ、お座りください」
ジェス・ローラント……と心の中で繰り返しながらユインはソファーに腰かける。聞いたことのない名だが、屋敷の大きさとその物腰から二位か三位の貴族だと推測していると、横からリュートが話しかけてきた。
「ローラント殿は先日大臣補佐に任命されて、将来は大臣にと陛下の期待も大きく……」
リュートの話を聞きながら、ユインは使用人が運んで来たお茶に視線を落として考える。王の勧める相手を、どうやって断るか。……いや待て、相手は自分のような女騎士と結婚など、そもそも考えられないのではないか。
王妃の警護や後宮の警備に起用される女騎士だが、その人数は多くなく、その存在をあまり良く思わない者もいる。そして婚姻が決まれば職を辞すのが通例となっていた。
ユインに騎士を辞める気などない。たとえそれで、世間や両親が言う『幸せ』から遠ざかることになろうとも。
相手にも王にも失礼を承知で、自分から断ろうと決意と共に視線を上げた、が――、
「…………!」
ユインは自分を見つめる温かい眼差しに驚いた。
動揺を隠すように視線を逸らすユインにジェスは微笑み、リュートに顔を向けた。
「少し二人で話してみたいのですが、よろしいでしょうか」
「ええ、勿論です」
ジェスが呼んだ使用人と共に、リュートが笑顔で部屋から出ていく。パタン、とドアが閉まる小さな音がして、ユインは再びジェスに視線を移した。
「あの、自分は……」
ユインの言葉をジェスが遮る。
「今回は、随分逞しい方ですね」
「え……?」
(今回は?)
訝しげなユインに、ジェスは笑った。
「妻が亡くなってから、勧められるままに沢山の見合いをしましたが、こんなに強くて頑丈そうな方は初めてです」
「…………」
強く頑丈、それは褒められていると考えていいのだろうか。いや、それよりももっと気になることを言っていたと、ユインが軽く眉を寄せる。
「奥方を……、亡くされたのですか?」
「ええ。かなり昔のことですが」
「…………」
言葉が続かないユインに、ジェスは目を細めた。
「あなたは、見合いも結婚も望んではいないようですね」
軽く目を見開き、ユインは頷く。
「はい。自分はずっと騎士を続けていきたいと思っています。それに――自分は跡取りですので、こちらの家に入ることはできません」
「跡取り……? 家督を継ぐおつもりですか?」
首を傾げるジェスに、ユインはもう一度強く頷いた。
「…………」
ジェスが顎に指を当ててじっとユインを見つめる。ユインもじっとジェスを見つめた。そして――、
「分かりました」
ジェスが微笑んで立ち上がり、手を差し出す。
分かった、と言うことは、この見合いは無かったことになったのか。ホッと胸を撫で下ろして立ち上がり、ユインはジェスの手を握った。
「ご理解していただいて、嬉しく思います」
「陛下とお父様には、私から話をしておきましょう」
「ありがとうございます」
話の分かる相手でよかった。
ユインは心の底からジェスに感謝し、城へと戻ったのだった。
が、――数日後、思いもよらぬ知らせにユインは衝撃を受けた。
「どういうことですか!?」
ユインがジェスに詰め寄る。
見合いは無かったことになった筈だった。それなのに、父親から知らされたのは、ジェスからの正式な結婚の申込みであった。
信じられない思いで慌てて屋敷までやって来たユインに、しかしジェスは微笑んでお茶を勧めた。
「まずはお茶でも飲んで落ち着いてください」
「落ち着けるわけがありません!」
理解してもらえた筈だった。それなのにどうなっているのか。
混乱するユインの肩をジェスがやんわりと押して、ソファーに座らせる。そして自身は隣に座り、話し始めた。
「私の妻は、結婚して僅か一か月ほどで亡くなりました」
いきなり何を、とユインが眉を寄せ、ジェスは話を続ける。
「元々身体が弱くてね。政略結婚ではありましたが、それでも私なりに愛したつもりですし、彼女には感謝しています。しかし……」
ジェスが小さな溜息を吐いた。
「その後、再婚をと求められて見合いをしても、なかなか心は動きませんでした。またすぐに先立たれてしまうのでは、という気持ちが心の片隅にあり、二の足を踏んでしまったからです。ユインさん、私はね――」
ユインを見つめてジェスは微笑む。
「――臆病者なんですよ」
「…………」
ユインは益々眉を寄せた。ジェスの事情は分かったが、それと今回のことは、どう関係があるのか。
「ですから、もし再婚するなら丈夫で健康で、私より先に逝かない方がいい。そう思っていました。そして――」
ジェスが手を伸ばし、ユインの手の甲に指を触れさせる。
「――あなたに出会った。頑丈そうなあなたに」
そっと重ねられた手を、ユインは唖然として見つめた。つまり、自分が丈夫で死にそうもないから結婚したいというのか。そんな馬鹿な。
ユインがジェスの手を振り払う。
「そちらの事情は分かりました、が、私にも事情があるのはご存じのはずです。それにそんな理由で結婚を進められるなど納得がいきません。このお話はお断りさせていただきます」
きっぱりと言い切って立ち上がろうとするユインの腕を、ジェスが掴む。
「分かっています。だから、ユインさんはこの先もずっと、騎士を続けてもらって構いません」
その言葉に、歩き出そうとしていたユインの動きが止まった。
「え……?」
騎士を続けていい、とはどういうことか。戸惑うユインの腕を引き、ジェスは微笑む。
「結婚後騎士を辞めなくてはいけないと、法で決まっているわけではありません。続けることは可能です」
そう、なのか。ユインは一瞬視線を彷徨わせ、しかし首を横に振った。
「私は、家を継ぐ――」
「それも可能です」
目を見開くユインを少し強引に座らせ、ジェスがその手を握る。
「私と一緒になっても、家督を継ぐことは可能です。実際、跡継ぎが他に居ないなどの理由で、そう言った例はあるのです。ご存じなかったのでしょう?」
「…………」
「いろいろと事情はおありのようですが、あなたがどうしても家督を譲れない、と言うのなら協力いたしましょう」
譲れない、その言葉にユインはハッとした。譲れない理由、それをジェスは知っているのか。ジェスの表情は穏やかで、とても裏があるようには見えないが……。
(見た目通りの人間ではないのかもしれない)
警戒するように身体を硬くするユインに、ジェスは笑った。
「仕事上いろいろなことが耳に入ってはきますが、それでユインさんを陥れてやろうとか、そんなことは全く考えていませんよ。ただ、そうですね……」
ジェスが、ユインに顔を近づけて囁く。
「もしかして、一目惚れに近いかもしれません」
「…………!」
思わず漏れそうになった悲鳴をグッと飲み込み、ユインは後ろに身体を引いてジェスから離れた。
なんなのだ、この男は。目を細めて自分を見つめるジェスに、ユインは顔が熱くなってしまうのを止められなかった。
「とりあえず、婚約という形にしましょう。そうすればユインさんも、お父様からの望まぬ見合い攻撃から逃れられます。それに、やはり私が嫌だというのなら、いつでも婚約は解消しますよ」
ね、そうしましょう。と笑顔で言われ、胸が大きく鳴る。
差し出された手とジェスを交互に見つめ、ユインは抵抗するように、小刻みに首を横に振った。
◇◇◇
ユイン、と部屋の中から声を掛けられ、ユインは返事をしてドアを開けると、一礼して王妃イリスの前に立った。
「イリス様、お呼びでしょうか」
するとイリスが、小さく首を傾げてユインを見上げ言う。
「お金持ちと婚約したのですってね」
「え……?」
「どうして教えてくれなかったのかしら?」
言ってくれれば陛下にお祝いを用意させたのに、と笑うイリスに、ユインは動揺しつつ訊いた。
「ど、何処でそれを?」
「何処って、お茶会の席で聞いたので陛下に確認したら、その通りだと……違ったのかしら?」
「…………」
確かに、婚約をしようと言われはしたが、承諾はしていない。それが何故話題になっているのか。
「あのジェス・ローラントがついに落ちたと、皆言っていたわ。資産が相当ある上に、お優しいらしいわね。お茶会の席でお嬢様方が悔しがっていたわ」
「…………」
何てことだ。これはもう一度会って、今度こそきっぱりと断らなければならない。
ユインが拳を強く握る。
「お祝いは何がいいかしら?」
「……いえ、要りません」
「遠慮しなくていいのよ。どうせ陛下が用意するのだから」
考えておいてちょうだい、というイリスにぎこちなく頭を下げ、ユインは王妃の部屋から出た。
(……しまった)
ユインは唇を噛んで前を見つめた。どうしてあの時、しっかりと拒否しなかったのか。
後悔しつつ夜までイリスの警護をして、そしてジェスの元に行こうと城の廊下を歩く、と――、
「ジェス殿……」
ちょうど向こう側からジェスが歩いてきた。
ジェスがユインの姿を認め、軽く手を上げて足早に近づいてくる。
「ユイン、丁度良かった」
ユインは驚いた。呼び捨てになっている。先日までは確かに『ユインさん』と呼んでいた筈なのに。
「ジェス殿、これはいったい――」
「ジェス、と呼び捨てにしてもらっていいですよ。ユインも仕事は終わったんですよね。うちの屋敷で一緒に食事でもしませんか?」
「ジェス殿……! はぐらかさないでいただきたい」
ユインが睨み付けると、ジェスは困ったように眉を寄せた。
「そう怒らないでください。私が結婚を申し込んだのが噂になってしまったようですね。そのことについても少し話をしたいので、一緒に来てください」
ジェスがユインの腕を掴む。
「いいえ、この場ではっきりとさせましょう。私は――」
「ほら、皆が見ていますよ。また変な噂が立ってしまいます。とりあえずうちの屋敷に行きましょう」
「しかし……」
なおも言葉を続けようとするユインに、ジェスは「大丈夫」と微笑んだ。
「安心してください。何もしませんから。……まだ、ね」
「え?」
「さあ、行きましょう」
意外にも強い力で引っ張られ、ユインはよろめきながら歩き出す。
「ジェス殿!」
「はい、なんですか?」
間近から覗き込んでくる笑みを湛えた瞳に、ユインの身体が小さく跳ねる。これはもしかして……。
(とんでもない男に目を付けられたかもしれない)
今、ほんの少しだけ、イリス王妃の気持ちが理解できる。
この先起こるであろう壮絶な闘いを想像し、ユインはごくりと唾を飲み込んだ。