宝物
床に散らばった見慣れた金の髪に、イリスは小さく悲鳴を上げた。本を借りようと王の部屋の本棚を漁っていたのだが、その本棚から髪の毛が落ちてきたのだ。
イリスは眉を寄せ、床の上の髪をじっと見つめる。
これは、どう見ても自分の髪の毛ではないか。何故自分の髪がこんな場所にあるのか。そしてヴェリオルは、この髪の毛をどうやって手に入れたのか。
(まさか、私が寝ている隙に一本ずつ抜いていたのでは……)
そう想像し、イリスはぞっとした。
常々、ヴェリオルはおかしな趣味嗜好を持っていると思っていたが、まさかここまでだとは思わなかった。これらの髪をどのように使用していたのかと、震える手を床に伸ばそうとした、その時――、
「イリス、何をしている」
背後から聞こえた声に、イリスは飛び上がった。
振り向くとそこには、王の豪奢な衣装を身に着けたヴェリオルが居て、イリスは思わず後ずさる。
「ああ、本を取ろうとして、髪を落としてしまったのか」
ヴェリオルは片眉を上げてイリスの傍らまで来ると、屈んで床の髪を拾おうとした。しかしそんなヴェリオルの腕を、イリスが掴む。
「陛下、これは何ですか?」
少し掠れた声で訊くイリスに、ヴェリオルは首を傾げた。
「分からないのか? お前の髪だが」
「それは分かっています! 何故こんなところに私の髪が大量にあるのかと訊いているのです!」
声を荒げるイリスに、漸くヴェリオルは質問の意味を理解して笑う。
「ああ、そうか。これはお前が以前大怪我をした際に、治療の為に剃り落した髪だ」
ヴェリオルの言葉に、イリスは「え?」と驚いた。あの時の髪を保管していたのか。
「しかしどうしてこんな場所に……」
「俺の宝物だからな」
「…………」
宝物。
自分の髪を勝手に宝物にされていたという事実に、イリスの表情が凍りつく。そして髪を拾い始めたヴェリオルの腕を強く引いた。
「やめてください、陛下」
「何故だ」
「何故って……気色悪い」
ヴェリオルが眉を寄せる。
「気色悪くはないだろう。俺はお前の髪を持ち、お前は俺の髪を持つ。愛し合っているからこそだろう?」
「……え?」
そういえば、と思い出す。ヴェリオルの髪は、イリスの付け毛として使用した後も大切に保管されている。しかしそれは『王の髪』だからであって、愛し合っているからではない。
「お返しいたします」
即座に言ったイリスを、ヴェリオルが困ったように見つめる。
「何故だ。母上が保管していた俺の髪を、お前にと戴いたのだぞ」
「王太后様が?」
(王太后様が、陛下の髪を保管していた……)
イリスが呟く。
「親子揃って気色悪い」
「だから、気色悪いはやめろ」
「私の髪があるなら、わざわざ陛下の髪で付け毛を作る必要はなかったではないですか」
不満げなイリスの肩をヴェリオルは抱いた。
「そう言うな。お前にいつでも俺を感じていてほしいのだ」
「感じたくはありません」
ヴェリオルの胸を押しながら、「それにしても……」とイリスが小さく唸る。
「陛下と王太后様は、本当にいろいろと似ていますわね」
イリスを引き寄せようとしていたヴェリオルの動きが止まる。
「何……?」
「王太后様と居ると、時々陛下と居るような錯覚を起こすのですが……陛下?」
イリスがヴェリオルの顔を覗き込む。ヴェリオルはハッとして、イリスの頬を掌で包み込んだ。
「母上に似ているのは、むしろお前の方だろう」
イリスが顔を顰める。
「似てなどいません」
「いや、怒った顔が似ている」
「百歩譲ってもしそうだとしても、母親に似ている女を妃にするなんて、どれだけ王太后様が好きなのですか」
「…………!」
ヴェリオルは目を見開き――、視線を逸らした。
「陛下? どうされました?」
「…………」
ヴェリオルがイリスの身体を抱きしめる。
「別に、俺は……」
「陛下……?」
そのまま黙り込んでしまったヴェリオルの背中に、イリスは溜息を吐いて手を回した。
「分かりました。――女官長!」
隣室にいたフェルディーナを呼び、イリスは命じる。
「髪を拾っておいてちょうだい」
フェルディーナが頭を下げ、イリスはヴェリオルの背を叩く。
「あちらの部屋に行きましょう」
「イリス、愛している」
「……何度も言っていただかなくても、知っています」
「そうか……」
ヴェリオルが身体を離して微かに口角を上げ、イリスが手を下ろす。
「まだ執務中ですわよね。いつまでもさぼっていると、また宰相に怒られますわよ」
「ああ、そうだな。イリスが口付けしてくれたら戻るとしよう」
「……気色悪い」
呟くように言うイリスの頬をヴェリオルが撫でる。
二人は足元の髪を避け、隣室へと向かった。