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「王と安らぎの女神たち」 他番外編  作者: 手絞り薬味
王と安らぎの女神たち
16/52

15

「大丈夫ですか、陛下」


 ネイラスの言葉に、ヴェリオルは顔を上げた。

「何がだ?」

「書類の処理が進んでいません」

「…………」

 ヴェリオルが目の前の紙に、サラサラとサインをする。

「ちゃんと読んでくださってますか?」

「ああ」

「そういえば、新しい側室の話が大臣から――」

「要らない」

 きっぱりと言い切ったヴェリオルに、ネイラスはあっさり頷く。

「そうですか、分かりました。集中できないのなら、休憩してくださっても結構ですよ。幸いにもガルト様は暫くお戻りにならないそうですし」

「……ネイラス」

「なんですか?」

「好きな女はいるか?」

 ネイラスがポカンと口を開ける。

「随分唐突な質問ですね」

「いないのか?」

 そうですね……とネイラスは顎に手を当てた。

「憧れていた女性は、何人かいますよ」

「今はいないのか」

「今は――」

 ヴェリオルが見上げると、ネイラスは少しだけ口角を上げて答える。

「大切にしたい人はいます」

 ヴェリオルは目を見開いた。

「お前に? そんな女がいるのか?」

「ええ」

「その女と、一緒になるのか?」

「いえ、それは無理ですね」

「……その気がない、とかではなくて『無理』なのか?」

 ネイラスは答えずに、笑った。おそらく何か事情があるのだろう。

「お前は、それでいいのか?」

 ネイラスが「うーん」と唸って口を開いた。

「……後悔はしています」

「後悔?」

「愛し方を間違ったかなと。ですから――」

 ネイラスは不敬にも、人差し指でヴェリオルを指さす。


「間違えるな、真っ直ぐ行けエリオ!」


「…………」

 ヴェリオルは脱力して、大きな溜息を吐いた。『エリオ』とは、城下にこっそり遊びに行く時にヴェリオルが使用していた名だった。そしてネイラスが言った言葉は――。

「娼館に行く時の合図、か。懐かしい」

「無鉄砲に欲望だけを追い求めていた頃が懐かしいですね」

 ネイラスがクスクスと笑う。

「……そうだな」

 ネイラスと共に踏み出した外の世界が、楽しくて仕方なかった。気さくに声を掛けてくる店主や、城では絶対に出されることのない食べ物、それらすべてが。

「さあ、そこのソファーで少し休んでください」

「ああ」

 ヴェリオルは立ち上がり、執務室の隅に置いてあるソファーまで行き、身体を横たえた。

「ガルト様が帰ってくる時間に起こします」

「分かった」

 ヴェリオルが目を瞑る。

「陛下」

「なんだ?」

 目を閉じたまま返事だけすると、耳元に吐息が掛かった。


「――どうかあなたは、幸せに」


 ヴェリオルが目を開ける。

「ネイラス……?」

「お休みなさいませ」

 視界を遮るように広げられた布が、ふわりとヴェリオルの身体を覆った。



◇◇◇◇



 幸せに――。


 昼間、ネイラスに耳元で言われた言葉が、妙に頭に残っていた。

 細く長い息を吐きながら身体を引きずり、王妃の部屋へと続くドアを開けてベッドに上がる。


「……何度私の安眠を邪魔すれば気が済むのですか?」


 倒れるように横になると、イリスが目を覚ましてあくびをした。

「ああ、すまない」

「いい加減にしてください。寝不足で、昼間も眠くて眠くて困るのです」

「ああ」

 イリスは視線をヴェリオルに向け、それから顔を近づけて眉を寄せる。

「陛下、また顔色が悪いですわ。食事と睡眠はとっていますか? もし陛下がお倒れになったら、私の贅沢三昧はどうなるのですか?」

「心配するのはそこか?」

「後宮帰りですのね」

「…………」

 湯浴みをしても気づくのか。

 イリスがヴェリオルから顔を離し、髪をかき上げる。

「無理して私のところに来る必要はありませんわ」

「無理などしていない」

「だったらどうしてそんなに顔色が悪いのですか」

「無理などしていない」

 イリスは大きな溜息を吐いて、天井を見つめた。

「陛下は国にとって大事な方なのですから、身体を壊さないように気を付けてください」

 国にとって……。

 ヴェリオルがイリスの髪を掴む。

「お前にとっては?」

「はあ?」

 首を傾げるイリスに、ヴェリオルは覆いかぶさった。

「お前にとって、俺はなんだ?」

「宝物庫へと続く、大切な金蔓です」

「…………」

 きっぱりと答えられ、胸が痛む。

「なんですか、その目は。陛下が言えとおっしゃったから、正直に答えましたのに」

 まるで私が悪いみたいではないですか、と言いながら、イリスはヴェリオルを押しのけて背を向けた。

「イリス……」

 掌からサラサラと髪がこぼれる。

「陛下」

「なんだ?」

 ヴェリオルは小さく溜息を吐いて、額に手を当てた。

「メアリアさんは駄目ですが、それ以外ならこだわる必要はありません」

 イリスの言葉に眉を寄せる。

「何を……言っている?」

「誰が産もうと、陛下の子ではないですか」

「イリス……!」

 肩を掴んで振り向かせようとすると、イリスは身体を丸めて抵抗した。

「私は――」

 イリスが大きく息を吸う。


「――陛下の子に、愛情を注ぎましょう」


 ヴェリオルの動きが止め、目を見開いた。

「イリス……?」

「陛下は強引で傲慢で、粘着質で思い込みが激しくて、正直かなり気色悪いと思うのですが……」

 イリスの肩が震え、その振動がヴェリオルの手に伝わる。

「でも、その子が陛下の子であるならば、私は……その子たちを分け隔てなく育て、惜しみない愛をもって守りましょう。だから――」

 イリスは振り向き、呆然とするヴェリオルに微かに笑った。

「身体を壊すほど、私の元に通う必要はありません」

「イリス……」

「さあ、もうお休みください」

 イリスがヴェリオルの身体に布を掛け、胸をポンポンと叩く。その手をヴェリオルは握った。

「イリス、俺は……」

「なんですか?」

 首を傾げるイリスを、ヴェリオルは真っ直ぐ見つめる。

「お前を愛している」

「……知っています。飽きるほど言われていますから」

「口づけをしてくれ、イリス」

「嫌です」

「イリス」

 イリスは小さく息を吐き、ヴェリオルの頬に唇をそっと触れさせた。



◇◇◇◇



「メアリアの元には、もう通わない」

 執務室に入って椅子に座るなり、そんな宣言をしたヴェリオルに、ガルトとネイラスは驚いた。

 ガルトがコホンと咳払いをしてヴェリオルに訊く。

「メアリア嬢に飽きたのですかな?」

 ヴェリオルは首を横に振った。

「違う。俺はやはり……イリス以外は抱けない」


「…………」

「…………」


 フウ……とネイラスが息を吐いて訊く。

「陛下、イリス様に何か言われたのですか?」

「イリスは何も言ってはいない。ただ俺が、そう思っただけだ」

「…………」

 ガルトは額に手を当て、眉を寄せた。

「……陛下、今になってまたこのような問題発言をされるとは。それで世継ぎが出来なかったらどうなさるおつもりですかな? 無能な殿下方やその子供に王位は渡せませんぞ。それとも養子でも迎え入れますか? それも大問題に発展するとは思いますが」

 ヴェリオルがもう一度、首を横に振った。

「いや……、もう少しだけ待て」

「それは、いつまでですかな? 陛下は優柔不断すぎますな」

「もう少しだ」

「それが、イリス様には負担になっているのでは――」


「もう少し待て!」


 パンッとヴェリオルが机を叩く。

「……陛下」

 ヴェリオルは頭を掻きむしった。昨夜のイリスの言葉と笑顔を思い出す。あのような――泣きそうな笑顔を向けられて、それでどうして他の女の元に行けるというのだ。

「愛しているんだ……」

 イリスを愛している、やはり自分にはイリスしかいない。ヴェリオルはそれを、昨夜の出来事で再認識した。

 しかし――、と言いかけたガルトを、ネイラスが遮る。

「まあまあ、ガルト様。もう少し待ってあげて良いのではないですか? この様子だと暫くは頑なに、側室に手を出さないと思いますよ」

「…………」

 ガルトは険しい顔でヴェリオルを見つめ、ヴェリオルもガルトを見つめる。暫く見つめあい、そして折れたのはガルトだった。

「三ヶ月です。あと三ヶ月」

「短い」

「陛下……」

 と、その時。


 コンコン。


 聞こえたノックの音に、三人の視線がドアに集まる。

 こんな時に、とガルトが忌々しげに呟き、ネイラスがドアに向かう。

「急用ですか? そうでなければ今は少々……」

 細くドアを開けて外の騎士と話をするネイラス。その声が一瞬止まったと思ったら、ドアが大きく開いた。

「フェルディーナ……?」

 執務室に入ってきたフェルディーナが、軽く頭を下げる。


「陛下、イリス様が――」


 ヴェリオルが目を見開いた。



◇◇◇◇



「喜んでよいのか悲しんでよいのか、分かりませんわ」

 眉を寄せて溜息を吐くイリスに、ヴェリオルが答える。

「喜んでいい」

「ああ、そうですか」

 ヴェリオルは満面の笑みで、イリスの腹を撫でた。

 フェルディーナの報告、それはイリスの懐妊報告であった。話を聞くや否やヴェリオルはすぐさま王妃の部屋に走り、イリスを抱きしめた。

「体調はどうだ?」

「陛下の顔を見たら、急に具合が悪くなりました」

「そんな筈はないだろう。照れるな」

「何故そういう思考に辿り着くのでしょうか……。あちこち撫でまわさないでください、気色悪い」

 ヴェリオルの手をぴしゃりと叩いて、イリスは自分の腹に手を置く。

「……どちらでございましょうか?」

「男でも女でも、可愛くてもブサイクでも良い」

 イリスが首を傾げる。

「何ですか、それは。男でなくては困るでしょう? 世継ぎは」


「…………」


 ヴェリオルはイリスの腹をじっと見つめ、それからふと思い出したように顔を上げた。

「名前は何にしようか?」

「まだ早いです。それよりお仕事に戻ってください」

「今日はイリスとずっと一緒に居よう」

「迷惑です」

 王妃の部屋から追い出されたヴェリオルは、執務室へ戻った。


「とりあえず良かったですな」


 ガルトはフウっと息を吐いた。ネイラスが頷いて同意する。

「そうですね。ただ、もっと早ければ良かったのですが……」

「問題ない」

「メアリア嬢がもし――」

「ネイラス」

 ヴェリオルがネイラスの言葉を遮る。ネイラスはじっとヴェリオルを見つめ、頭を下げた。

「……そうですか、分かりました」

 ヴェリオルは鷹揚に頷いて、机の引き出しに指を掛ける。

「それよりこれを」

 引き出しから出した一枚の書類を、ヴェリオルは机の上に置いた。ガルトとネイラスが、それを覗き込んで眉を寄せる。

「これは……」

 戸惑う二人に、ヴェリオルは告げた。

「今までの王位継承制度を廃止して、新たな制度を作る。男女関係なく、王妃が産んだ第一子に継承権第一位を与え、以下第二子、三子と続く」

 ガルトが額に手を当て唸る。

「いつの間にこんなものを……。これは揉めますぞ」

「反対か?」

「反対です。が、強引に推し進めるのでしょうな」

 ガルトは大きな溜息を吐いて、首を横に振った。ネイラスが書類を手に取って、感心したように言う。

「こういうことには、頭が回るのですね」

 どういう意味だ、と呟き、ヴェリオルはネイラスから書類を乱暴に取った。

「それと、後宮を解散する」

 ガルトが肩を落とし、これにはさすがに、ネイラスも驚いた。

「陛下、それは時期尚早すぎではありませんか?」

「解散する」

「陛下……」

「大臣たちを呼べ」

 強い視線で命令をすると、ネイラスが目を瞑って息を吐き、静かに返事をする。


「……はい」


 ヴェリオルは満足げな笑みを浮かべた。



◇◇◇◇



 当然のように巻き起こった騒動や、自国の貴族や他国の王族の不満を捻じ伏せて、法改正は行われ、そして後宮は解散した。

 あるものは国に帰り、あるものは下げ渡され、一人、また一人と側室たちは出ていく。そして今日も一人――。


「メアリア」


 ヴェリオルの呼びかけに、馬車に乗ろうとしていたメアリアが振り向いた。

「あら陛下、こんな裏口まで、わざわざお見送りありがとうございます」

「ああ」

 ヴェリオルが足早にメアリアに近づく。

「それにしても、まだ産まれてもいないのに解散だなんて……思い切ったことをなさりましたね。後で困っても、もう助けて差し上げられませんわよ」

「お前の助けなどいらぬ」

「あら、そうですか」

 メアリアは扇で口元を隠してクスクスと笑った。

「イリスから伝言だ。『お元気で、いつかまたお会いしましょう』。見送れないことを残念がっていた」

「当然ですわ、次期国王を宿している大事な身体なのですから。陛下も早くお帰りになってください」

 ヒラヒラと扇を振って踵を返そうとするメアリアを、再度ヴェリオルは呼び止める。

「メアリア」

「なんですの?」

 まだ何かあるのか、とメアリアは首を傾げた。

「……お前には感謝している」

 ヴェリオルの言葉に、メアリアが片眉を上げる。

「まあ、陛下からお礼を言っていただけるなんて驚きですわ」

「俺も――」

 ヴェリオルがメアリアの頬に手で触れた。


「――お前を、二番目に愛していた」


 メアリアが一瞬目を見開き、そして笑う。

「そうですか。私は陛下が三番目に好きでしたわ。殿下、お姉様、それから陛下です」

「そうか」

 ヴェリオルは口角を上げ、メアリアから手を離した。

「さようなら、陛下」

「ああ」

 去っていく馬車を見送って、ヴェリオルはイリスの元へと戻る。王妃の部屋のドアを開けると、椅子に座って縫い物をしていたイリスが顔を上げた。

「イリス、また縫い物か? 疲れるからやめろ」

 ヴェリオルの言葉にイリスがムッとする。

「ですが、ケティの子は今すぐにでも生まれそうですし、この子の分も縫わなければいけません」

「そんなことは他の者にでも任せればよい」

 イリスから布を取り上げ、ヴェリオルはそれをフェルディーナに渡した。

「陛下!」

 宥めるように、ヴェリオルがイリスの頬に口づける。その頬を手の甲で拭いながら、イリスはヴェリオルを見上げた。

「メアリアさんは行ってしまいましたか?」

「ああ」

「幸せに、なれるのですわよね」

「……そうだな」

 メアリアはランドルフの元へと行った。郊外で二人は静かに暮らし、そして――もう会うことはないだろう。

「俺達も――」

 ヴェリオルはイリスをそっと抱きしめた。




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