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「王と安らぎの女神たち」 他番外編  作者: 手絞り薬味
王と安らぎの女神たち
15/52

14

 久し振りの後宮は、暗く冷たくヴェリオルを迎え入れた。

 新しい女官長と共に歩き、ヴェリオルはある部屋の前に止まる。コンコン、と女官長が小さくノックをすると静かにドアが開いた。


「あら陛下、まさか本当にいらっしゃるなんて」


 ヴェリオルはメアリアの言葉に眉を寄せながら、ランプが一つ点いただけの薄暗い部屋に入る。

「どうぞこちらに」

 メアリアが椅子を勧め、ヴェリオルは腰掛けた。

「久し振りだな」

「そうですか? お約束は一年後だったはずですが」

 一年後、確かにそういう約束だった。一年経ってもイリスの身体に何の兆候もあらわれなかった時、と――。

「……事情が変わった」

 メアリアが扇で口元を隠す。

「逃げてきた、の間違いではありませんの?」

「…………!」

「おお怖い。そんなに睨まないでくださいまし」

 クスクスと笑い、メアリアは扇を畳んでテーブルの上に置いた。

「ランドルフ殿下はお元気でしょうか?」

「ああ。郊外の屋敷で暮らしている。お前に会えないことを悲しがっているそうだ」

「……そうですか」

 一瞬だけ俯き、メアリアはヴェリオルに視線を戻す。

「それで――、よろしいのですか?」

 ヴェリオルが鼻を鳴らした。

「それはこちらのセリフだ」

「あら、私は初めから言っておりますわ、殿下の為なら何でもやると。もちろんお約束通り、王妃であるお姉様を差し置いて出しゃばる真似などいたしません」

「そうか」

 立ち上がり、ベッドに移動したヴェリオルの後を、メアリアが続く。そしてヴェリオルはメアリアの腕を掴むと、乱暴にその細い身体を組み敷いた。

「ねえ、陛下」

「……何だ?」

 引きちぎるように夜着を脱がせながら、ヴェリオルがぞんざいに返事をする。

「これで私は、殿下の『一番』になれるかしら?」

 ヴェリオルの手が止まり、メアリアが少しだけ口角を上げる。

「冗談ですわよ」

「……………」

 二人の唇が重なった。



◇◇◇◇



 何食わぬ顔でイリスの部屋に通い、時々メアリアに会いに行く。仕方がないと自分に言い聞かせ――。


「ヴェリオル!」


 廊下で突然かけられた声に、ヴェリオルは驚いて振り向いた。

「母上?」

 何故こんなところに居る。

 戸惑うヴェリオルに王太后は駆け寄り、その手を伸ばした。

「話を――」

 見上げてくる目が訴えているのは、おそらく……。ヴェリオルはうんざりと溜息を吐いた。

「分かりました。でもここでは困ります」

「では離れへ来てちょうだい」

「…………」

 行かなければ、ここで話をし始めかねない。仕方なくヴェリオルは、王太后の離れへと足を運んだ。


「で、なんですか?」


 勧められて椅子に座ったヴェリオルは、背もたれに背中を預け、足を組んだ姿勢で王太后に訊く。

 王太后が微かに眉を寄せ、ヴェリオルを見つめた。

「最近イリスとは……」

「ええ、変わらず良い関係です」

 言いながら、思わず自嘲する。『良い関係』とはどんな関係なのか分からないが、少なくとも今の自分とイリスには当てはまらないだろう、と。

「……ヴェリオル」

「なんですか?」

「後宮のメアリアの元へ通っているのでしょう?」

 ああ、やはりその話か。ヴェリオルは内心舌打ちをして、なんでもないことのように答えた。

「王の役目ですから」

「ヴェリオル」

「俺が他の女の元に通う、それを咎めますか? ――あなたが」

 その資格はないだろう、お前には。

 批難の籠った強い視線を向けると、王太后は視線を彷徨わせて俯いた。

「話が終わったなら、帰りますが?」

 王太后がハッと顔を上げる。

「待ってちょうだい!」

「まだ何か?」

「…………」

 王太后は扇を強く握りしめ、震える唇をゆっくりと開いた。


「私は、先代王を愛していました」


 ヴェリオルが軽く目を見開く。

「何をいきなり……」

「一位貴族に生まれ、周りの者達には国一番の美女ともてはやされ、第一王子の妃にと願われ……。しかし私程度の美女なんて、いえ、私以上の女は世の中には沢山いた。私はすぐに飽きられ、より若く美しい女のところへあの方は行ってしまった」

 ヴェリオルは鼻を鳴らした。

「俺は先代王とは違う」

「寂しかった」

「そうですか」

「居場所もなく、飾り物のように扱われ、側室たちは次々と懐妊する。だから、せめて世継ぎだけは私がと――」

「言い訳にもなりません」

 今更そんな言葉で自分を擁護されても、同情はできない。王太后が自ら『あの男』を頼ったのか、心の隙間を突かれたのか、それとも――妃になる以前から関係があったのか、もうそんなことは知りたくはないし、知る必要もない。

「……そうね」

 王太后が肩を落とす。ヴェリオルは立ち上がり、そんな王太后を見下ろした。

「心変わりすることも、イリスへの愛が無くなることもありえない。余計な心配は無用です」

「ヴェリオル……」

 ヴェリオルは踵を返すと、王太后の部屋から出る。ドアを開け、護衛が待つ離れの出入り口まで一人で向かおうとして――そこに立っていた人物に眉を寄せた。

「こんなところで何をしている?」

 その人物――フェルディーナは無表情に答える。

「イリス様からの手紙を王太后様に届けにまいりました」

「手紙?」

「はい。昨日頂いたドレスのお礼が書かれていますが――内容を確認されますか?」

「……いや、いい」

「そうですか」

 頷いてフェルディーナは、じっとヴェリオルを見つめる。ヴェリオルが目を眇めた。

「なんだ、まさかお前も何か言いたいのか?」

 フェルディーナが首を横に振り、手を伸ばす。

「いいえ」

 ヴェリオルの頬を一度するりと撫でて、フェルディーナは頭を下げた。

「……本当に、良く分からない女だな」

 文句がある、ということでもないらしい。

 ヴェリオルは小さく肩をすくめると、出入り口に向かって歩き出した。



◇◇◇◇



「お帰りですの?」

 落ちていた服を拾って身に着けながら、ヴェリオルはメアリアの方をチラリとも見ずに頷く。

「ああ」

「そうですか。ではお休みなさいませ」

「…………」

 こっそり通っているつもりでも、噂は漏れる。新しい側室を願う声も高まる。

 メアリアの部屋から出て真っ直ぐ自室に戻ったヴェリオルは、疲れた身体をベッドに横たえようとして――ふと、王妃の部屋へと続くドアに目を向けた。

「…………」

 足が無意識に王妃の部屋に向かい、手は二人の部屋を隔てているドアを開ける。

 真夜中なのだから当然だが、イリスは眠っていた。テーブルの上にあるランプの小さな灯りを頼りにヴェリオルはベッドに近づき、眠るイリスの横に身を横たえる。

 身体を寄せると、イリスが小さく唸った。

「ん……、陛下?」

「ああ」

「何故私が気持ちよく眠っている時に限って、ベッドに潜り込んで来るのですか」

 嫌がらせですか、と言いながらイリスが目をこする。

「ああ」

「『ああ』しか言えないのですか?」

「ああ」

「陛下――」

 身体を起こそうとしたイリスが動きを止め、ヴェリオルをじっと見つめた。

「なんだ?」

 ヴェリオルが眉を寄せる。イリスの顔から、表情が消えた。

「イリス?」

 イリスが、ゆっくりと口を開く。


「以前も言いましたが、弟殿下の恋人と知っていてお相手をさせるのは、あまりに酷ではございませんか?」


 ヴェリオルは驚き、目を大きく見開いた。イリスがフッと笑う。

「ばれたくなかったのでしたら、湯浴みでもしてから来てください。残り香がしますわよ」

 残り香。まさかそんなもので。

 動揺をひた隠し、ヴェリオルは小さく首を振った。

「抱いてはいない」

「そうですか。今度からは他の側室にしてあげてください」

 全く信用していない様子のイリスの肩を掴む。

「イリス、本当だ」

「別に咎めているわけではありません。むしろ後宮に通われること自体は大賛成です。ただ、メアリアさんはやめてあげてくださいと言っているだけです」

「イリス、聞いてくれ」

 イリスはヴェリオルの手を鬱陶しげに払い、「それから……」と話を続けた。

「カティス家のお嬢さんが、側室になりたいそうですわ。何度かお茶会でお会いしたのですが、話し上手でお顔も綺麗なお嬢さんです。一度お会いになってみたらいかがでしょうか?」

 ヴェリオルが絞り出すようにして言う。

「俺は……お前だけだ」

「はいそうですか。では側室の件、考えておいてください」

 再び横になり眠ろうとしたイリスの手をヴェリオルは掴んだ。

「陛下、私は眠いのですが」

 軽く抵抗する手を押さえて首筋に顔を埋めると、イリスが大きな溜息を吐いて目を瞑る。

「私はもう寝ますので、どうぞ勝手になさってください」


「イリス……」


 虚しさだけが、残る。



◇◇◇◇



 メアリアは手の甲を口に当てて、ころころと笑った。

「お姉さまが冷たいなど、前からではありませんか」

 ヴェリオルが眉を顰める。

「お嫌なら、もうここには来ないことです」

「そうもいかないだろう」

「私、知っていますわ。こういうのを『悪循環』と言いますのよね」

 見事に同じことを繰り返していますわね、とメアリアはまた笑った。身体に軽く掛かっていた布がはらりと捲れ、ヴェリオルが舌打ちする。

「それはお前もだろう?」

「あら、陛下と一緒にしないでください」

 クルクルと巻かれた金の髪に、メアリアは指を絡ませる。

「…………」

 額に手を当て、ヴェリオルは大きく息を吐いた。


「一人でも生まれれば……」


 思わず呟くと、メアリアが片眉を上げる。

「その後、私は死んだことにでもして、世継ぎはお姉さまが育ててくださればいいのですし?」

「…………」

「ああ、死んだことにしてではなく、『処分して』でしたかしら?」

「…………」

「あら、当たりでしたか」

 笑顔で首を傾げるメアリア。何故、平気で笑えるのか。

「変な女だな」

「お姉様ほどではありませんわ」

「怖くはないのか?」

 実際には、メアリアを処分する予定はない。が、何かあればそれもやむを得ないとは考えていた。

「私が望むのは、殿下の幸せだけです」

「あれと共に居たいのではないのか?」

「ええ。もちろんそれが理想ではありますわ」

「…………」

 陛下、とメアリアが身体を起こして、ヴェリオルの胸に手をつく。

「こうして私が陛下に抱かれていることを、殿下は喜んでくださっているのでしょうね」

「……そうだな」

 メアリアがヴェリオルに抱かれるのを喜ぶランドルフ、ヴェリオルが側室の元に行くのを勧めるイリス。

 ランドルフは、より愛する存在であるヴェリオルと一人の女を共有することに、喜びを感じているのだろう。では、イリスは?


 イリスを愛している。イリスに愛されている。どうして。俺は――。


「何を混乱なさっているのかしら?」

 メアリアの声にハッとする。頭が鈍く痛んだ。

 ヴェリオルはカラカラと乾く喉を唾液で潤し、メアリアに訊く。

「俺は……イリスに愛されているだろう?」

 メアリアが軽く目を見開いて、それから鼻を鳴らした。

「そういうことは、お姉様本人に訊いてください」

「…………」

 ちなみに、とメアリアはヴェリオルの髪を手で梳く。

「私は殿下に愛されていますわよ。誰に何と言われようとも、これが私の愛であり、私達の愛し方なのですわ」

「それで……お前は幸せなのか?」

「もちろんですわ。お姉様に対して、少しだけ罪悪感はありますが」

「…………」

 二人の愛のかたち、イリスの幸せ――。少し前までは、確かに見えていた筈なのに。今はぼんやり霞んでいる。


「イリス……」


 呟いた唇を、メアリアが指でなぞった。




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