10
赤い唇と赤く長い爪、少し上がり気味な目尻に濃い化粧、豊かな髪と美しい体型――。
一見変わらぬように見えるが、それは化粧や衣装で上手く誤魔化しているからだと、ヴェリオルにはすぐに分かった。
「ヴェリオル!」
満面の笑みで迎えてくれた母親に、ヴェリオルはぎこちなく微笑む。
「遅い時間に申し訳ございません、母上」
「いいのよ。来てくれて嬉しいわ」
お座りなさい、と椅子を勧められて座った。
すぐに目の前に出されたのは、幼い頃好きだった甘いお菓子。
自分に対する印象がそこで止まっているのか、それともあの頃に戻りたいと思っているのか。今では苦手な甘いそれを一つ手に取ると、ヴェリオルは口に含んだ。
母親――王太后が目を細めて微笑む。
「久しぶりね」
「そうですね」
先代王の崩御以来、ヴェリオルと王太后は会っていない。それまでずっとべったりと一緒だったのが嘘のように、ヴェリオルは王太后を避け、王太后は離れに引きこもった。
「少し大きくなったかしら?」
「そうでしょうか? 自分ではよく分からないのですが」
「生まれた時は本当に小さくて、無事大人になれるのかとそれは心配で……」
もう何度も聞いたことのある話に、ヴェリオルは頷く。
驚くべきことに、この話はいつも、最初から最後まで一字一句違わない。まるで安い物語のようだと思いながらも暫く黙って聞き、やっと終わったところでヴェリオルは「実は……」と切り出した。
「もうすぐ俺が誕生日なのは覚えていますか?」
「ヴェリオル、『俺』なんて言ってはいけません。――ええ、勿論覚えていますよ」
「欲しいものがあるのです」
「まあ、おねだりなの?」
「ええ」
王太后がヴェリオルをじっと見て、少しだけ口角を上げる。
「ブサイクな二位貴族」
「ご存知でしたか」
本人は引きこもっていたとはいえ、まだまだ影響力も情報収集力もある。イリスのことも知っていて当然だろうが、あえてヴェリオルは驚いて見せた。
「当たり前でしょう? それにしても――」
王太后が指を伸ばして、ヴェリオルの頬に軽く触れる。
「――こんなに美しい子が、またどうしてブサイクがいいなんて……」
眉を寄せて不満げに言う王太后に、ヴェリオルは笑った。
「母上、あれはブサイクですが愛嬌がある女です。会えばきっと母上も気に入るはずです」
「側室として飼っておけばいいでしょう?」
「あれが王妃でないと嫌なのです」
「母様の言うことが聞けないのかしら?」
「母上の言うことだけを聞いていた、幼い頃とは違います」
王太后の身体がピクッと動き、指がかすかに震える。
「…………」
「一生に一度の我が儘をお許しください」
「…………」
「お願いです母上、イリスの後ろ盾となってください」
ヴェリオルの手が、王太后の指を握る。王太后は溜息を吐いて視線を逸らし、後ろに控えていた侍女に命じた。
「持って来てちょうだい」
侍女が一度隣室へ行き、何か持って来る。テーブルの上に置かれたそれは、大きな宝石の付いた首飾りだった。
「母上、これは……」
「ブサイクに、着けさせなさい」
王太后のお気に入りであり国宝でもある首飾りは、灯りに照らされて美しく光っている。
「母上、ありがとうございます。でも、後二つお願いがあります」
「まあ、まだあるの?」
呆れたように言う王太后に、ヴェリオルは少しだけ体を寄せる。
「イリスの顔には大きな傷跡があるのです」
王太后が頷いた。
「分かったわ。私の侍女達を貸してあげましょう。傷くらい簡単に隠せるから安心なさい」
「それと、俺の髪がこちらにありますね」
「ええ。長かった頃のものね」
「あれをイリスの付け毛にしたいのですが」
途端に王太后が顔を顰める。
「……ヴェリオル、あれは母様の宝物ですよ」
「お願いです」
「…………」
王太后は、視線を落とした。
「……仕方のない子ね」
「ありがとうございます。やはり母上は頼りになる」
ヴェリオルは口角を上げて、王太后の手を一撫でして立ち上がった。王太后が弾かれたように視線を上げる。
「もう帰るのですか?」
「はい。まだ執務が残っているので」
「……そう。では仕方がないわね」
王太后は立ち上がり、泣きそうな顔で微笑んだ。
「ヴェリオル、頼ってくれて嬉しいわ」
そんな王太后をヴェリオルは抱きしめる。
「母上がイリスの味方に付いてくれて嬉しいです」
本当は分かっていた。己が頼めば、王太后が断れないことなど。たとえどんなに細い藁でも、もう一度やり直したいと思うのならば、縋り付かざるを得ないことも。
「また来てちょうだい」
その言葉には返事をせずに、ヴェリオルは王太后の部屋から出た。
◇◇◇◇
誕生日当日、当然ではあるが、ヴェリオルは忙しかった。
面倒な式典を済ませ、国民に手を振り、貴族たちの上辺だけの祝福に応える。
夕方になり、やっと少し時間の空いたヴェリオルは、執務室の椅子に座ってぐったりと背もたれに身体を預けた。
イリスは今頃夜会の準備をしているだろう。あの大きな宝石は気に入っただろうか?
そんなことをボーっと考えていると、ガルトが目の前に立った。
「おそらく、これから焦った貴族達からイリス様に、何らかの攻撃がなされると思います」
ガルトの言葉に頷く。
「そうだな」
「申し訳ありませんが、ここは思い切って、イリス様には囮になっていただきましょう」
「……分かっている」
何人か捕らえることが出来ればいい。そこから関係している貴族も芋蔓式に見つけられる。そして未来の王妃に手を出すこと、王に歯向かうということがどういうことか知らしめることも出来るだろう。
「だが、必ず守れ」
イリスに怪我をさせることは許さない。
「分かりました」
その時、横からネイラスが話に割り込む。
「サラ王女も何か仕掛けてくる可能性がありませんか?」
それにはガルトが答えた。
「そちらはまだ、イリス様とサラ王女を近づけないように」
ガルトはヴェリオルに向き直る。
「研究所から、もう少しで完成と連絡がありました。完成すれば――『そうなった時』に役立つでしょうな」
もうすぐ、か。
ヴェリオルが髪をかき上げる。
「時間があるのなら少しでもお仕事をされてください」
「ああ」
重い身体を起こして座り直し、ヴェリオルはペンを手に取った。
◇◇◇◇
夜会での披露目は終わった。そして予想通り、いや、思ったよりもあからさまに一部の貴族からイリスへの攻撃がなされた。
「この国の貴族には馬鹿が多かったのだな。身分は低くても良い、実力のあるものを起用せよ」
ネイラスが頷く。
「はい」
今更ながら国の現状をまざまざと見せつけられたようで、そして真剣に国政に取り組んでいなかった過去の自分にも舌打ちが漏れる。
「イリスに攻撃したものは、生まれてきたことを後悔させてやれ」
「怖いですね」
「当然だ」
「今回捕らえた貴族数人と、レオル殿下との繋がりが確認できました。少々手荒いことをしてしまいましたが」
少々、ではないのだろうが、そこはどうでもよかった。それよりもレオルとの繋がりが確認できたことの方が大きい。
「そうか。ザルビナ国と誰が繋がっていたのかは分かったのか?」
「まだ確証はありませんが、おそらくは……」
確証はないが、何らかの証拠を掴みつつある。そうネイラスの目は言っていた。
「状況は?」
「国内の体制さえ整えば、そろそろよろしいかと」
ヴェリオルは大きく息を吐き、背筋を伸ばして命じた。
「レオル拘束の準備を」
「はい」
「それと、ランドルフとメアリアを会わせてやれ。場所は……そうだな、母上の離れがいいか」
ネイラスが片眉を上げる。
「ランドルフ殿下を塔から出してもよろしいのですか?」
「少しだけだ。メアリアにも覚悟を決めてもらおう。――必要なのだろう?」
最後の言葉は、ガルトに向かって言う。
書類をパラパラと捲っていたガルトが顔を上げた。
「必要、でしょうな」
『もしも』の時の女が。
出来れば、その時が来ないように。そうヴェリオルは願った。
◇◇
「準備が整いました」
ネイラスの報告に、ヴェリオルは頷く。
「ああ」
戦うための準備が出来たのか。
「新しい武器についてはまだ実験を行っておりませんが、もしそれらが使い物にならなかったとしても大丈夫なようにはいたしました」
「そうか」
あとは――。ヴェリオルが口を開きかけたその時、慌ただしいノックの音と共に、騎士から緊急の知らせが届いた。
「サラ王女がイリス様を襲い、ユインがサラ王女を取り押さえました。サラ王女は毒針を所持していた模様です」
突然の報告に驚き、舌打ちをする。二人を近づけるなと命じておいた筈なのに、いや、今はそれを追及するよりサラだ。毒針、そんなものまで持っていたというのか。
「サラを尋問部屋へ」
言いながら立ち上がり、ヴェリオルも尋問部屋へと向かう。すれ違う貴族たちが、ヴェリオルの形相に驚いて道を開けた。
城の地下にある尋問部屋にはヴェリオルが先に着き、それから少しして、サラとその侍女がユイン達の手で連れてこられる。サラはヴェリオルを見ると、跪いて涙を浮かべた。
「陛下! 助けてください。この者達が――」
美しいサラの顔を、ヴェリオルは冷たく見下ろす。
「うるさい」
「陛下……!」
「質問にだけ答えろ。毒針は何処で手に入れた?」
サラは首を横に振り、悲痛な声で言った。
「知りません、私ではありません。これは罠です。陛下、騙されてはいけません。あの女は――」
「『あの女』?」
ヴェリオルが剣を抜き、サラが目を見開く。
軽く振られた剣は、サラの肩を掠めた。
「ギヤァ!」
姿かたちとは似つかわしくない、醜い悲鳴がサラの口から洩れる。
「もう一度聞く。毒針を何処で手に入れた?」
それでもサラは首を横に振った。
「し、知りません……!」
今度は豊かな胸を、剣は掠めた。
「正直に言えば命だけは助けてやろう」
「知りません。私は知りません!」
なんて強情な。ヴェリオルは鼻を鳴らし、血のついた剣で後ろにいた侍女を指す。
「お前達はどうだ?」
「…………っ」
侍女は顔を強張らせ、ブルブルと震えた。
「言え」
もう一度命じ、その鼻先に剣を近づけると、侍女がチラリとサラを見て口を開く。
「ど、毒針は料理人を通じて渡されました」
あっさりと口を割った侍女に内心ほくそ笑みながら、ヴェリオルは首を傾げた。
「渡された?」
非難の声を上げたサラを蹴る。侍女がヒュッと息を吸った。
「料理人を通して協力者から毒針を受け取りました。サラ様は陛下を暗殺するようにと国を出る前に言われていて……」
ヴェリオルが片眉を上げる。
「余を?」
ザルビナが暗殺を計画していたのか。
「ですがサラ様が……ヴェリオル陛下に恋をされて……」
殺せなかった、ということか。
「それなのに、陛下があんなブサイクを寵愛されて、他の方ならまだしもどうして……!」
侍女が嗚咽する。
ヴェリオルは頷いた。
「なるほど。ところで協力者が誰かは知っているか?」
「……いいえ。身分の高い方だとは聞いておりますが」
ヴェリオルが視線をサラに移す。
「サラ、お前はどうだ?」
「…………」
サラはあからさまに視線を逸らした。ヴェリオルが口角を上げ、サラに向き直る。
「正直に言えば、これからも傍に置いてやろう」
跪き、サラの顎を左手で持ち上げ、顔を近づけて囁いた。
「お前は美しい。時々は可愛がってもやろう」
頬を撫でると、視線が揺れる。サラ、と甘い声で促すと、サラは決意したようにヴェリオルを見上げた。
「以前偶然聞いた父と宰相の会話には……『レオル殿下』という言葉が頻繁に出ておりました。それなりの見返りがある。それに上手く利用できれば……と、父は笑っていました」
「…………」
レオル。
やはりそうなのか。サラから手を離し、ヴェリオルは立ち上がる。そして後ろに控えていた騎士に命じた。
「この者達を裸に剥いて、一番奥の牢に入っている奴らにくれてやれ」
サラと侍女から悲鳴が上がるが、ヴェリオルは何も思わなかった。相応しい末路を与えてやっただけなのだから。
よろしいのですか、と確認してくる騎士に頷き、ユインと、しっかりついてきていたネイラスを連れてヴェリオルは地下から出た。
「レオルを拘束」
ヴェリオルの命令に、ネイラスが頷く。
「はい」
「後宮に行く」
早くイリスの顔が見たかった。
◇◇
ドカン、と大きな音がして城が崩れていくのを、ヴェリオルは離れた場所から見ていた。
ザルビナ国に着いてから僅か数日、勝利は完全に見えていた。
「素晴らしい」
ヴェリオルは振り返り、戦地まで共に来たジンに言う。
「ありがとうございます」
ジンが頭を下げた。
これほどまでに簡単にザルビナ国を追い込めたのは、ジンが開発した新型大砲のおかげだった。
小型で持ち運びが簡単、威力も旧式とは桁違い。想像以上の出来だ。まさかこれほどまでとはヴェリオルは思ってもいなかった。ジンは他にも、軽くて丈夫な鎧や、疲労回復、怪我に効く薬、不眠不休で数日戦い続けられる薬も用意していた。嬉しい誤算である。
「イリスも大きな領地を楽しみにしていた」
「はい」
ヴェリオルは口角を上げる。
反対を押し切って自ら戦地まで来て良かったと、ヴェリオルは思う。ヴェリオルが戦地に行くことにガルトたちは反対だった、
『何故、陛下が自ら戦地に行くのですかな? レオル殿下やその派閥の貴族共を拘束した関係で、国内には混乱が起きているというのに』
ガルトの言葉を思い出す。散々嫌味を言われはしたが、これで自分やイリスに歯向かおうとするものは激減するはずだ。
ドカン、とまた音がした。
「陛下、城の中への突入を開始します」
騎士団長リュートの言葉に頷く。
「王族は一人も逃がすな」
「は!」
それから テントに戻り、待つこと一日――、王をはじめとする王族は命令通り捕らえられ、ザルビナの王は騎士団長リュートと『赤騎士』と呼ばれる騎士ランガによって、ヴェリオルの前に引きずり出された。
ヴェリオルは、薄汚れた衣装を身に纏うザルビナ王を見下ろす。
「レオルと繋がりがあるのは分かっている。何をしようとしていた?」
「若造めが」
ザルビナ王はヴェリオルを睨み付けた。
「何をしようとしていた? 正直に話せば命は助けてやろう」
「そのような戯言に惑わされるか」
ヴェリオルが大袈裟に溜息を吐いた。
「さすがは王。娘とは違うか。――連れて行け」
ザルビナ王がテントから連れ出される。リュートがヴェリオルに訊いた。
「拷問しますか?」
「いや……」
拷問したところで、すべてを正直に白状するとは思えない。少し考えて、ヴェリオルはジンに視線を移す。
「ジン、口を割らせることは出来るか?」
ジンはニタリと笑った。
「はい、陛下」
「行け」
ジンが頭を下げて出ていく。それを満足げに見送り、ヴェリオルは「そうだ……」とリュートに向き直った。
「リュート、褒賞は何が良い?」
リュートは頭を下げ、ヴェリオルに願った。
「では、娘によき縁談を」
ヴェリオルが片眉を上げる。
「娘? ユインか」
「はい。本人は昔から立派な跡継ぎになることを目標としていたようですが、あれは女です。私も妻も、あれには平凡な幸せを掴んでほしいのです。その為の準備も整えました」
『準備』。なるほどと、ヴェリオルが頷く。
「考えておこう」
「ありがとうございます」
ヴェリオルは次に、ランガを見た。
「ザルビナ王を捕まえたのはお前だそうだな。よくやった。褒賞は何が良いか?」
「は! 自分は……」
ランガがゴクリと唾を飲み込み、身を乗り出す。
「陛下! 陛下の側室を一人ください!」
ヴェリオルが「ん?」と片眉を上げる。
この男でも女に興味があったのか。殺戮以外に興味はないと思っていたが。
ランガの隣のリュートも驚いている。
「なんだ、そんなことか。イリス以外ならいくらでも持っていけ」
ランガは首を振った。
「いえ、一人のみ。どうか、どうか! 生首を投げる側室をください!」
地面に頭を擦り付けて、ランガは懇願する。ヴェリオルが首を傾げた。
「生首……?」
そんな側室など、いや、国中探してもそんな女はいないだろう。血に飢えすぎておかしくなったか。
「分かった、探しておこう」
「は!」
適当な側室でもあてがってやろうと思いながら軽く手を振ると、ランガとリュートはテントから出て行った。そして入れ替わるようにジンがテントに入ってくる。
「陛下」
「どうしたジン」
何か不都合でもあったのか。しかしジンの口から出たのは、予想外の言葉だった。
「口を割りました」
これにはヴェリオルも驚く。
「もう、なのか?」
「はい」
嬉しそうに笑うジン。ヴェリオルは感心したように「ほお……」と息を吐いて、足を組んだ。
「そうか、ご苦労だった。詳しく聞かせろ」
これは、まさしく奇才。決して他に奪われることがないように――。
イリスの兄、ジンを研究所に軟禁する必要がある。
ヴェリオルは満足気に口角を上げた。