第37話・終焉の時
1966年7月1日・ローマ、キジ宮殿
大理石を敷き詰めた宮殿に、靴音がこだまする。その足取りは軽く、力強い
『どうぞ、入室ください』
衛兵がドアをあける。その男は居住まいを正した
『ここが、私の執務室か』
前任者の性格を示してか、執務室は質素そのもので、落ち着ける雰囲気を保っていた。うん、悪くない
コンコン
入ってきたばかりの扉がノックされる
『秘書公室長です』
『お通ししたまえ』
秘書公室長、先のアメー内閣内にありながら、その問題点をついた暴露は、私の選挙戦に多いに役に立った
『ご無沙汰しておりますジュリオ・アンドレオッティ閣下』
『だね、いつぞやの選挙戦以来かな。それに、アンドレでかまわんよ』
入ってきた妙齢の眼鏡をかけた女性である秘書公室長は、分厚い資料を手渡した
『本日首相の就任挨拶にこられる閣僚の方々のスケジュールです』
『仕事が早い、さすがはあのアメーの右腕と呼ばれるだけはあるね』
情報分析に定評はあるものの政界操作には疎いとされたアメーが、贈収賄で逮捕されたムッソリーニの親族であり外務官僚であったチアノに代わり、政権を長期に維持出来たのは、彼女の手腕とすら言うもの居た
『誉めてもなにも出ませんよ』
だが、党派が違うため、彼女を使い続けるのも難しい、か・・・惜しいが仕方あるまい
『では、まず各軍の大臣と話し合いたい。他はすべてキャンセルしてくれ』
『よろしいのですか?』
秘書公室長は片眉を上げた
『食料・財政・立法に関しては、何をするにしても長いスパンが必要だ、昨日今日ではどうにもならん。違うか?』
彼女は頷く。食料等の輸入や、貿易、法整備は何をするにも一筋縄ではいかない。今行うべきは、行動であることをよく理解している
『かしこまりました。各省庁に連絡を致します』
『頼む』
秘書公室長は一礼して部屋を退出する。ほどなくして、陸海空の長が呼び出されて来た。すでに待機していたのであろう
『まずは、ご苦労様です』
開始早々、アンドレオッティは頭を下げた。これには各軍の長も目を丸めた
『現実に貴官らは今もなお戦っている、それを認識していれば、これは当然でしょう』
頭を上げるように言われてから、アンドレオッティはそういいつつ頭を上げる
『今回の選挙により、私がイタリア国家の首長として政府首班を率いる事になりますが、混乱を避けるべく、大臣の異動は最小限とします』
まずは組閣のプロットを彼らに告げる。彼らの首は繋がったわけだ。ありきたりだが、もっとも確実な恩の売り方である
『それでは、各個に軍からの報告をいただきたい』
アンドレオッティは空軍大臣・・・かつての大戦でエースパイロットであったヴィスコンティを見つめた
『転移後の直接的な損害は、我が空軍がもっとも被っております。ま、人的資源では別ですが』
チラリと海軍大臣を一瞥する
『例年に増しての増強はお願いさせていただきたいところです』
頷くアンドレオッティ。そこに、海軍大臣・・・デル・チーマ大将。前大戦では戦艦ローマの艦長を努めた人物が話をはじめる
『しかし、前進哨戒と脅威の除去には海軍の運用が必須です。疎かにしていただいては困ります。海軍は基本要求を後ほど紙面にて挙げさせていただきます』
『わかりました、善処しましょう』
このデル・チーマ大将は、海軍幕僚副長のベルガミーニ大将の操り人形と言われているが、やはり、そうなのかもしれない。そして、残るは・・・
『陸軍は現在、各山脈に塹壕を含む持久線を構築しつつあり、戦力もそのために北部に集中させておる。これからも基本的に変化はない』
御歳67歳、イタリア陸軍最長老のアオスタ侯アメデオ元帥が、かくしゃくとした口調で言い放つ
『しかし、今回の事態を受けて、現在予備戦力の配置箇所をいくらか南下させておる。機甲師団もひとつは下げたままに、の』
『早速の配慮、感謝いたします』
頷く最長老、目を細めて品定めをするように首相を見返す
『現在までの敵を省みるに、歩兵の携帯する小火器での対応は難しいと思われる。先の戦闘で消耗したレオネッサ戦車師団の補充は最優先に願いたいものだな』
かなりのプレッシャーをかけられた。かつてエチオピアで英軍相手に奮戦しつつ持久の上降伏して帰還した古強者だ、流石としか言いようがない
『私は、基本的に皆さんの意見を全て通すつもりです』
これには、各大臣とも眉をひそめたりする。そんな予算がどこにあるというのか。戦時国債でも発行するのか?
『そのためにも戦時宣言を行い、統制経済を敷き、軍備を優先します』
・・・アンドレオッティの支持基盤は北部、南部の王党派であったアメーとは違い、軍需産業との結びつきが非常に強い
『待っていただきたい、民需をなるべく篤く施すのが国王陛下ならびに統領の御意志のはず』
チーマ海軍大臣が早速異議を唱える
『今は非常時です。むしろ、前のアメー政権こそがおかしかったのですよ。無論、鞭だけではなく飴は用意します』
万博に似たイベントでも、そうだ、ドゥーチェの大切なカリグラの巨大船も利用させていただこうではないか。あれを復元させる。
『引き換え、というわけではないのですが・・・戦時です。現在裁判中の海軍パイロット達の件ですが、これを恩赦により無罪とし、軍務に服すよう手配します』
『・・・』
アンドレオッティはヴィスコンティの方を見て、氷のように微笑む。ヴィスコンティは不機嫌に黙る。個人的には海軍のパイロットたちを裁いている今回のそれ自体は不愉快なのだが、そういうやり方は虫酸が走る
『やれやれ』
アメデオ元帥は成り行きにため息を吐く。とんだ政権を我々は選んでしまったのではないか、と
ローマ・某病院
直純が手にした新聞には、先日行われた選挙の結果が踊っている。選挙結果は革新左派政党の勝利、保守だったアメー政権とは反目していた野党の方だった
『対外政策としては、アウドゥーラ皇国との関係強化と交易に伴う経済流通の回復、ね』
直純は読んでいた新聞をゴミ箱に投げ捨てた
『ヘルシア、いやCPUについては何も書いていない』
『しゃーないやろ、うちらの国は主犯みたいなもんや』
フィリネはベッドから上体を起こし、傍らの直純に苦笑しながら肩をすくめた
『だが、全体ではないだろう?いや、むしろ被害者と言っていいぐらいだ』
なにせヘルシアに居たは王族はみな殺された上でのそれだ
『うちのおかんの研究グループが各国のブレーンに入ってしでかした事や、無関係とは言えへん』
そりゃそうだが、フィリネの母上は・・・
『外交なんてそんなもんや。うちらかて、何度ほかの都市が投げてきた救援要請を戦力不足やら何やらで無視してきたか』
『フィリネ』
そうは言っても、故国だろう?そんなことは言うもんではない
『ありがとな、それだけで十分や』
フィリネは笑う。そこに痛々しさはなかった
『フィリネ?』
『うん』
フィリネと二人見つめあう。しばらくの間の後、フィリネは頷く
『・・・いいのか?』
『うん、ええよ』
直純はフィリネの手に触れる。フィリネは直純の手をゆっくりと握りかえした
『あーあ、もううちは女でしかあらへんよなぁ』
亡国の流民になるというのに凄く嬉しそうに言うフィリネに、つられて笑ってしまう
『やから、ええよ。負けへんし』
『わかった』
つまり、リヴァルとの婚約話を進めるということ。しかし、それがなんだというのか。心は此処にある
『前から、いえ、最初に出会った時から思っていた事があります』
『なんや?』
直純は耳元でささやく
『貴女はとても良い女です』
確かに二人は終焉の時を迎えた。しかし、それは次のステップに進むための儀式にしか過ぎない
『愛してます、フィリネ』
次回、享楽と絶望のカプリッチョ第38話【~模擬空戦~】
感想・ご意見等お待ちしております
政権交替では、比較的有名どころをこさえました。史実戦後イタリアの首班てナニコレ真っ赤な左だったりするので、結構苦労しました。
あと、大統領官邸も大理石だってくらいしかわからなかっただーよ(涙)
あと、一応第一部完です。時系列的に半年ですな〜