第14話・月と英雄と
1966年3月22日・サルディニア沖
バダダダダ
ダオスタのヘリが、海面に響き渡る爆音と共に離脱していく。直純は呼び出した人物を後甲板に出迎えに出ていた
『このヴェニト・ムッソリーニに、ようこそおいでいただきました』
敬礼して見据える。作業着のままだ、おそらく最後の最後まで整備にかかってたか、結構無理矢理連れて来られたに違いない
『あんた!いきなりこんな場所へ呼び出すなんて真似しおって、どういうつもりやねん!』
案の定、直純の顔を見てフィリネは怒りだした
『緊急事態でしたので、貴女ならこの事態に対応出来ると思い呼び出させて貰いました』
直純も、慇懃に返す。フィリネがバシンと頬をひっぱたいた
『で、何があったんや』
気がすんだのか、フィリネは説明を求めた。直純は頷く
『イタリア国内のある都市に皇国を名乗る艦隊が出現し、都市を占拠しました。是非、アドバイザーをしてもらいたい』
『艦に降ろされてからしてもらいたい、やないやろ。選択肢がどこにあんねん』
やるしか無い状況に持ち込んでその言い草は、フィリネのカンに障る言い方だった
『あんたらやったら、どうにでもなるんやないの?そないにしても皇国か・・・厄介やな』
『まぁそれは、本艦の戦闘力を見たのち、司令部で話していただけると助かります』
フィリネは首を傾げた。何でそんな事をするんや?
『他人にあまり見せていいもんやないやろ?』
『双方の技術力を見た上で、率直な意見をお聞きしたい。どのようなアドバンテージを自分達が得ているか、正確な意見をいただくのに、それは必要な事です』
敵を知る前に己をしらばなんとやら、だ
『知らんで、ここで得た知識を真似しても』
『どうぞご自由に。備品を持ち出したりしなければ、好きになさって下さい』
・・・かなりの好条件である。技術者として、最先端の技術に直接触れられる機械はめったに、いや、この滅びかけた世界ではまずありえない
『あんたの差し金か?』
『・・・』
直純は答えなかった。そうだ、とは恩着せがましく思えて言えなかったのだ
『今日一日、私が案内させていただきます』
『・・・ほか、頼むわ』
フィリネもその態度が少し好ましく思えたのか、顔の険が少し薄れた
『本艦の基準排水量は63000トン、元居た世界でも、五番目を誇る巨艦です』
二人で後甲板から移動すべく歩きだす。その間に、概要だけ伝える
『その内に占める装甲重量は、31%の19500トンになります』
『ちょ、ちょっとまちぃや!下手な御座船一隻分、まるごと装甲に使っとるんか!?』
フィリネは早くも頭を抱えている。まぁ、装甲重量が増えるのは仕方あるまい。何故なら
『そちらの艦の射程だと、甲板装甲が薄くて済んでるでしょうから、ある程度軽くなるのは当然ですよ』
水線に張るベルトだけ(あくまで)考えれば良い時代の艦とは違うのだ
『そ、そうやけど・・・』
普通やるか?そこまで
『舷側装甲は406ミリを11度の傾斜をつけて、甲板装甲は、今足で踏んでる上甲板が36ミリ、その下の中甲板で18ミリ、そして下甲板が225ミリの装甲を持ってます』
その下に弾片防御の9ミリがつくから、最厚部で288ミリとなる。大和で312ミリ、紀伊が282ミリ、ヴェネトは230ミリ装甲だという事を考えると、かなり重厚な装甲というのがわかる・・・過大装甲である大和のトンデモっぷりが際立っているが(これで傾斜20度の410ミリ舷側とか、反則もいいとこ)
『数字はともかくとして、複数の板で防ぐ形かいな?』
『そうですね、その理解で正しいです。それから』
直純が指差す
『あの砲塔の前盾が495ミリ、側面は250ミリ、天蓋が270ミリ、バーベットが480ミリとなってます』
何と言うか、言葉も出ない
『それで、司令塔が425ミリです』
うん?と、フィリネは頭を傾げた
『バーベットより司令塔が薄いんか?』
『まぁ、バーベットを抜かれたら弾薬庫に行って爆沈も有り得ますからね。司令塔は失っても、最悪戦うだけならいくらでも出来ますし』
艦内部の機関と砲が生きていれば、何とか戦える
『よぉけ考えば、頭が分厚い装甲ん内じゃ、ちぃっと問題あるわな』
『ははは、まぁそんなとこです』
実際は装甲が25~50ミリぐらいしかない艦橋に詰める人が殆どだけれども、黙っておく
『中に入りましょう』
三番砲塔近くの昇降口を開き、タッタッタ、と先に下りる
『あ゛、あれ?』
フィリネも続くが、階段が無い。いや、足を踏み外したのだ。軍艦のそれは、馴れてない人間には怪我の元である
『わ、わわわわっ!あかん!』
『どうしましうわぁっ!』
振り返った直純に、フィリネが倒れかかってくる
ドタン!
直純は尻餅をつくような形でフィリネを受け止めた
『いつつ・・・あかん、勘忍な』
『すいません。こちらが先に注意しておくべきでした。怪我は無いですか?』
腰の上に乗っているフィリネに聞く
『ちょっと膝打っただけや、あたた、ちょっと足が痺れるから腰降ろすで』
ぶはっと膨らんだ尻尾をそのままにぺたんと座り込む・・・直純の腰に
『・・・』
『・・・』
やばい、体勢がマズすぎる
『立てませんか?』
『そ、そやな!あぅ、少しまっときぃ』
膝のこうを打ったときのビィーンという痺れは意外と厄介である。フィリネはもぞもぞ動いて痺れを取ろうとする・・・勘弁してくれ
『ここの区画は機関室が近いので、風呂や調理室が近くにあります』
気を取り直して立ち上がり、何事もなかったように説明を始める。誰にも見られなかったのは幸いだ
『お風呂?』
『ええ、班別に集団で。っと、安心してください、貴女には長官浴室を使わせて差し上げます』
大和級をはじめ、戦艦の長官室には個人浴室がある。そこを使わせてもらえばいい
『それでも控えてくださるとありがたいです』
『安心し、うちの国でも水は貴重や』
そこから三番主砲塔に四番副砲塔、高角砲群を見てまわる。フィリネはしきりに装填の早さや、効率に感嘆をあげた
『士官室はこちらになります。私の部屋もこの区画です』
上甲板と中甲板の間の舷側、兵はその下の区画だ
『部屋を覗いてええか?』
『え゛?』
慇懃だった声音が、ここで初めて狼狽を見せた
『いや、それは、ちょっと』
『なんや、どこ見てもええんやろ?』
様子の豹変にフィリネがにんまりした
『いや、個人の部屋ですし、いくらなんでも。汚いですよ?入るもんじゃないですって』
両手を振って否定する直純
『一端の士官がどないな個室で生活しとんのかは、大事やと思うで』
フィリネは扉に手をかける
『・・・いいでしょう。どうぞ』
何いっても駄目だ、と諦める
『ふーん・・・』
士官室は大低高級士官では無い限り、二人部屋である。志摩は二人部屋を一人で使っていた。しかしまぁ、いろんな所に軍事雑誌やらの書物が散乱し、よれよれの浴衣がベッドの一人分のスペースにおきっぱになっている。それから、執務に使っているのであろう机だけは綺麗に纏めてある
『へぇ~』
しげしげと部屋の中に入って散乱している本を物色するフィリネ
『も、もういいんじゃないですか?』
『男の部屋に入るんは初めてやから、感心するわ~、ほほ~』
勘弁して下さい、マジで
『あら?』
流石に悪いかな?と、そろそろ引き上げようとしたら、机に伏せてあったついたてを落としてしまった。あ、写真だ。短髪の快活そうな女性が写ってる
『誰?これ彼女なん?』
直純がもぎ取るようについたてをフィリネ手から奪った
『母です』
『ちょっと、もう少し見せてもええやん』
フィリネが駄々をこねて出した手を、直純は力強くはねのけてしまう。フィリネはベッドに尻餅をついた
『あ・・・すいません』
『ええんよ、うちも悪ノリしてもうたし』
流石に悪かったかと、フィリネも謝る
『母、いえ、親父の事はまだ整理がついてないもので』
ボソリと呟くように、直純はフィリネに言った
『そろそろ行きましょう。中将もお待ちでしょうから』
直純は声音を明るくした、聞かれたくはないのだろう。人のプライバシーを無理に掘り返す趣味は、フィリネにはなかった
『えっと、機関出力十四万六千馬力、四軸推進で最大速力27ノットでええんよね?』
『はい、その通りです』
先程聞かされた事を確認する
『機関室のピザ窯は』
『あれは公然の秘密という奴だから勘弁してください』
機関科が火を扱える役得で作り上げたそれは、かなり役にたっている。あまり一般に伝えられていい話じゃない。イタリアなら・・・どうだろう。あまり大勢に影響は無いような気もするが
『差し入れももろうてしもうたしのう』
フィリネは直純を見て笑った。フィリネは1ピースと遠慮したものの、彼は1枚全部平らげたのを思いだしてだ
『司令は艦橋にいらっしゃいます。あがりましょう』
艦橋の区画に入り、エレベーターの前に連れてくる
『結構綺麗なもんやな』
エレベーター入口のシャッターを見て、フィリネが鼻を鳴らした。華美にならない程度ではあるが、文字や絵が彫り込んである
『さぁ』
そのシャッターを開けて、直純はエレベーターへ誘う
『・・・』
多少虫の居所が悪くなる。意匠とか細工とか、うちが関心ないとでも思っとるんやろか
チン!
エレベーターはすぐに昼戦艦橋にたどり着いた
『フィリネ女史を連れて参りました』
『ご苦労』
ペンネが座っていた椅子から立って出迎える。そして少し怒ったように顔を歪めた。なんだろう
『少尉、君はその恰好で女史を出迎えたのかね』
その恰好って、普通に制服であるが
『申し訳ありません、どうも彼は女性への配慮が足りませんでして』
『は、はぁ』
フィリネも何を謝られているのか訳がわからないまま、握手する。参謀達も順番に
『少尉、服を着替える時間ぐらいあったろう』
その間にペンネが直純に耳打ちした。そこで直純は気付いた。全員仕立てたばかりの制服を着てやがる!
『いえ、そういう仲でも無いですし』
ペンネが大きくため息をついた
これだから日本人は
『まぁ、だから安全だと言えるかな』
『はい?』
流石に重要機密文書もある長官室や、各乗員の評価表が集まっている艦長室は使えない。ちなみにイタリアでは司令部要員は30人が定数だ。そこに直純が一人、外から入ってきた事になる
『君は士官居室を一人で使っているな、彼女はそこに泊まらせたまえ』
『は?』
直純は一瞬理解できずに聞き返してしまう
『彼女を呼んだのは少尉だ、この艦に居る間の責任は君が取るんだ。命令だよ』
そ、そんな!呼びたくて呼んだわけじゃ・・・!
『それでは任せたよ。フィリネ女史、いいかね』
顔を青くしたり赤くしたりしている直純に反論をされる隙を与える事無く、握手責めにあっているフィリネに、ペンネは真剣な表情に変えて問うた
『率直に問いたい、皇国海軍の全てを、我々が撃破するのにどれほどの手間がかかると見るのかと』
その頃、モナコ大公宮殿
この宮殿は、かつての要塞後に造られた宮殿で、モナコでも山手の方にあった
『顔をあげよ、王よ』
モナコ大公がリヴァルに頭を下げている。転移すぐにイタリアに制圧された事、そしてまたこの事態、王としては屈辱の極みであろう。しかし頭を下げられているリヴァル自身はそれを気にするでも無く、書類をめくっている
『むしろ妾は感心しているのだ、人口三万か、それを今日まで生きながらえさせているのだからな』
リヴァルが宮殿に到着して最初に求めたのは、戸籍投本だった
『ここに来るまで市場等を見せてもらったが、生鮮な品物が溢れている。我が栄えある皇都でも、あれは不可能だろう。正直な所、その手腕を我が国で生かして貰いたいものだ』
リヴァルの言動がズレているのも無理も無い、彼女はモナコだけでそれが為されていると思っていたからだ
『・・・』
『安心するがいい、小さい赤ん坊から父親を取り上げるような真似はせん』
彼には今年の二月に、次女が生まれたばかりである
『本来であれば、三万の人口から300人程労働力を供出して貰うところなのだが、今の妾は気分が良い、自沈した貴国の軍艦の乗組員を貰い受けるというもので、どうか?』
一般市民は連れていかない、しかも自国を占領していたイタリア軍人だけ貰っていく。占領下にあってそれだけというのは破格の待遇である
『・・・』
だが、イタリア本国と天秤にかけるとなると、少々問題が
『ちと諦めが早いが、優秀な将兵だ。失うのは気が引けよう。それはわかる』
リヴァルは書類から目を離し、大公を見つめた。きっぱりとこれ以上の条件は有り得ない、と、目に力を込めて
『わかりました』
大公は屈服した。武力にはどうにもならない
『よろしい、最低限それだけでも妾は満足というもの』
リヴァルは嬉しそうに顔を楯に振った
『それから、この国にある乾物類の半分を供出して貰おうかの。水は担当と話し合い、分ける算段をつけてくれると助かるが』
まぁ、水や食糧は相手が無理だと言う分だけ貰えば良い。ああ、そうだ
『王よ』
『なにか他にも?』
リヴァルが気分を変えて、無茶な事を言い出さないかと、冷や汗をかいて返事をした
『妾の物になったとはいえ、貴国の軍人が故郷で過ごす最後の日だ、この宮殿で食事をとらせても良かろう。妾も彼等と共に会食したい』
『わかりました』
下手に断って、機嫌を損ねるのはまずい。大公はイエスマンを演じるしかなかった
夕刻
後ろ手に手を縛られた集団が、宮殿に連れられて来た。在モナコで自沈した駆逐艦三隻の乗員だ。そして、彼等の前に置かれた長大なテーブルには、豪奢な食事が並ぶ
『よくぞ来てくれた』
リヴァルは彼等の前に非武装で現れる
『妾が、貴官らの艦を沈めた張本人だ』
それまで捕虜である彼等に付き添っていた男性兵士に罵声と、女性兵士には口説き文句をかけていたが、それが一斉に鎮まり、ざわつき始める
『おいおい、嘘だろ?』
『77・56・72と見た。身長は155ぐらい、か?』
リヴァルはその様子を見ながら、不敵に笑った
『我々は貴官らを、ここ、モナコの臣民の代わりに接収し、我がアウドゥーラ皇国のますらおとして働いて貰う』
『それは我々を奴隷として連れていくという事か!』
ジュリオ・ジェルマリコに乗って居た駆逐隊司令が立ち上がって言う。この俺達を奴隷として扱うのか!俺達はローマの末裔だぞ!という意識があったためだ
『貴官は・・・指揮官か?』
『そうだ。私には部下への責任がある!第一、戦時捕虜の扱いには』
とつとつと主張しだす司令をよそに、リヴァルはワインを口にする。そして・・・
『・・・っ!!!』
司令にキス、いや、口移しをした
『な、なにをする!』
これには司令も動揺する。これは後でわかった事だが、彼女の国では昔、王が戦に敗れて逃げる際、命尽きる寸前に口移しで命を救われた事に由来する、戦士の誓いだった
『第三皇女の唇では足りぬか?妾は、ますらお、武人として貴官らを手に入れるつもりだ。奴隷なぞ望んでおらぬ』
ざわ・・・ざわ・・・
『お、俺行っても良いかも』
『バカ、国のマンマはどうなる・・・俺はみなしごだから行くのに問題は無いがな!』
まさにイタリア、口移しでけっこう靡く人間が出て来る。彼等は海軍の軍人という技術者だ、上にも下にも置かない待遇なら、ぐらつくのもわからないではない。なにせこの世界、八割は女性だ。男の夢、ハーレムに近付くチャンスだ。それでいて第二艦隊の奴らはヘルシアでうまいことやってるという妬みもあった
『悪いが、我々が貴女の艦隊ごときに敗れるとお思いならば、それは大きな勘違いだぞ!』
しかし、きちんとした人間は現実を知っている。明日にも彼女達の前にV・ムッソリーニが現れることを、あれをあの艦で倒せるとは思えない
『ほほぅ、まだ貴官らの仲間がいるか!面白い。だが、屈服するのは貴官らの方だ』
リヴァルのかきあげた銀髪が揺れる
『妾が負けることはあろうが、皇国は負けぬ。なぜならば皇国の敗北は人の滅びだからだ』
滅びを避けるために、人の世の全ての勢力を統合する。やっとここまで来れたのだ。それだけの戦力は集めた、負けることは有り得ぬ
『貴女に何が解っているというのか』
駆逐隊司令が毒づいた、たかが第一次世界大戦時程度の戦艦で何が出来る
『逆に問おう、貴官らに我々の何が解っているのかと』
現に我々の事を、何も知らないではないか。この世界でその程度の勢力などたかが知れている。増援なぞ、取るに足らない。その根性は大いに褒めてやるが
『・・・』
黙るしかなかった、こちらだって相手の手の内を知っている訳では無い。ここでこじらせて、引き返しのつかない事態になっては国の大事に関わる。その沈黙を肯定ととったリヴァルが、誇らしげに鼻を鳴らして言った
『理解したか?ともかく、今日は宴に酔おうではないか。互いの腹なぞそれで解ろう』
縄を解けと命令する
『このまま暴れ出しても知りませんぞ』
『そうであれば、この国が崩壊するのは必定よな』
それがわからぬ貴官らではなかろう?と、リヴァル
『さて、我が唇の杯を受けたし者は他におらぬのかな?』
その言葉で宴は始まった
1966年3月23日・モナコ沖
月の女神の名を持つヴィナと、イタリア史上まれにみる生きた英雄の名を持つヴェニト・ムッソリーニは、お互い正面を向いて対峙した
この世界のイニシアチブを握るのは誰なのか、雌雄を決する必要が本当にあるのか、運命の女神はカプリッチョを奏で続ける
次回、享楽と絶望のカプリッチョ第十五話【~交錯~】
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