お茶の時間
年が明け、冬の底を越え、春休みも終盤を迎えたある日。
夜も深まり、夕飯の片づけをしている私の後ろへ、陽和くんがとことことやってきた。私は皿洗いをしたまま彼の声に耳を傾ける。陽和くんのにやにや顔が見えるような声が、私の背中に届いた。
「花奈ちゃん!醤油にお箸突っ込んでいい?!」
「え?! ダメだよ!お箸差したいなら豆腐にして!」
陽和くんがいきなり斜め上なことをしようとするのはよくある。今日は確認してくれただけマシかと思いながら、また皿を一枚洗う。すると今度は凌くんから、私の背中へ声がかかる。
「ねえ花奈ちゃん、明日は映画を見てたいから学校休んでいいでしょ?」
「え、ダメでしょ? 映画見たいならお茶の時間に見よ!」
「はーい」
凌くんが変なことを言い出すのはなかなかレアだ。そこまで見たいとは、内容が気になる。洗い物をしたまま振り向かないでいると、また訪問者だ。
「花奈」
「澄江さん何ですか?」
次は澄江さんだった。みんな今日は私への質問が多いな。
「明日は久しぶりに、自分で運転してドライブして来よかな」
「ダメに決まってますよぉ?! 私行きますから!」
ついに物凄い勢いで振り向いた私の後ろには、私に質問を浴びせた三人が並んでいた。三人が同時に大笑いし始める。私はやっとからかわれていたことに気がついた。
「三人で何してるんですか!」
凌くんがけらけら笑いながら眼鏡を押し上げる。
「だって花奈ちゃんあっちこっちすぐダメ出しできるから、どこまでできるのか試してみようってみんなで決めたんだよ。早押しダメ出しクイズ的な」
「私で試し行動しないでください!」
みんな笑うだけで私の意見は聞き入れなさそうだ。
旬くんが毎日試し行動をしてますと公言するせいで、花房さんちで流行ってしまった。
旬くんも毎日、角からわっと驚かせたり、目隠ししてだーれだとか言ってみたり、背中に指で字を書いて当ててみてとか言ってみたりする。昨日の背中文字は「みかん」だった。
もうただの遊びなので、試し行動の本来の意味って何だったか忘れてしまった。
旬くんの無害な試し行動に思いを馳せていると、澄江さんは満足そうに頷いた。
「いやぁでも、花奈のダメツッコミはなかなかの精度と鋭さで良かったで」
「何の評価ですか……」
「花奈ちゃんごうかくー!」
両手で丸ポーズしてくれる陽和くんに苦笑いする私を置いて、みんな茶の間に帰って行った。私は洗い物を再開する。するとまた後ろから声がかかった。
「ねぇ、花奈ちゃん、明日の服どっちの色が良いと思う?」
「もうからってもダメです!早押しには乗りません!」
私が一発目から振り返ると、旬くんが二枚のTシャツを持って立っていた。
「からかって……ないけど?俺なんかしちゃった?」
「あ、旬くんは……まだ何もしてません」
旬くんが普通に話しかけてきただけだった。私は手を拭いてから再度振り返る。
「さっきみんなにダメ出し早押しクイズをやらされて。次の刺客は旬くんかなって思って、先手ダメしちゃいました」
旬くんがくすくす笑う。
「なにそれ、俺もやりたかった」
「しなくていいですよ」
「今度やるね」
「また新しい試し行動バージョンできちゃいましたね」
「やったね。ところで、さっきの話なんだけど、これどっちがいい?」
旬くんの手には白Tシャツと黒Tシャツがあった。旬くんは明日、新しい川添茶パンフレットを作るために写真撮影に行くのだ。下は作業着だが上はTシャツ。私は即、断定した。
「白がいいです!」
「そう?今年は黒でもいいかと思ったけど」
私は旬くんに一歩ずいと寄って、彼の顔を見上げた。口が止まらなかった。
「私は去年、この川添茶パンフレットを茶房ひきがわで手にしました。このパンフレットで初めて旬くんの顔を見たんですが、その写真の白Tシャツがかっこよくて、一目でちょっと好みだな、と……」
勢いよく話しているうちに、私はだんだんと冷静になっていく。旬くんが期待を込めた瞳でじっと私を見ていた。
「好みだな……の続きは?」
「と思った次第ですので、白が良いと思います。旬くんってがっしりしてるのでTシャツ似合いますよね……」
「ふふっ、ありがとう。良いこと聞けちゃった」
旬くんはにこにこして余裕を見せながらも、ちょっとだけ耳先を赤くする。その耳先の赤さが私の恥ずかしさのご褒美で、言ってしまったかいがあるなと思ってしまう。
二人でまったりしてしまうと、茶の間から陽和くんが飛んできた。
「オレも仲良し入れてー!」
「もちろんどうぞ」
陽和くんはひょいと旬くんに抱っこしてもらって笑った。ダイニングテーブルまでやってきた凌くんは、わざとらしく手のひらでぱたぱた顔を扇ぐ。熱い熱いと言いたいらしい。
「陽和、ちょっと放っておいてあげなよ、新婚なんだから。でもそろそろお茶の時間でーす。旬くん準備してくださーい」
凌くんはくるりと背を向けて、ちゃぶ台へ向かった。澄江さんもにやにやしながら台所へやってきて、戸棚のお茶菓子を持って行った。
「ほんま、夏も近づく八十八夜やなぁ」
旬くんに抱っこされたままの陽和くんが、ハイと手を上げる。
「八十八夜はな、春やねってことやで!」
新婚の私たちはみんなにからかわれて、お互いそわつきながら顔を見合わせた。旬くんはほんのり頬を染めながらも、にっと歯茎を見せて大らかに笑う。
「お茶、淹れようか」
「はい。じゃあ陽和くん、旬くんがお茶を淹れる間、私が抱っこするのはどう?」
「いいよー!」
旬くんから陽和くんを受け取ると、旬くんがお茶を淹れ始める。熱い急須から、あたためた湯呑に、ひとつ、ひとつ、丁寧にお茶を注ぐ。
五つの湯呑から、金緑色の川添茶の湯気がゆったり立ち上った。
旬くんが私と陽和くんの顔を見て微笑んでから、優しい声で言った。
「みんなーお茶の時間だよー」
夜は丁寧にお茶を淹れて、一時間の団欒を。
それが花房さんちの、お約束だ。
〈了〉




