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茶畑の里 花房さんちはみんな居候。  作者: ミラ
第六章 花房さんちの澄江さん

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蜜柑

 夕飯とお茶の時間を終え、風呂から上がった私は茶の間の炬燵に吸い寄せられた。もう澄江さんも子どもたちも部屋で寝ているので、深夜の炬燵を独占できてしまう。

 十一月も終わりに近づき、山の夜は冷え込む。古民家は隙間風を防ぎようがなく、どうにも寒い。

 澄江さんにお下がりでもらった朱色の「ちゃんちゃんこ」を着こんで炬燵に入るともう出られない。ちゃんちゃんことは、どてらのことだが、この家ではそう呼ぶ。

 ちゃぶ台に頬をつけてあったまっていると、温さ(ぬくさ)に誘われて、うたた寝してしまった。ハッと気がつくと、机とくっついた頬と反対側の頬に、なぜか蜜柑がひとつ乗っている。

 顔を上げると蜜柑がころんと転げ落ちた。

「みかん!何で!」

「っくく……」

 堪えきれないような笑い声が聞こえて顔を向けると、紺色のちゃんちゃんこを来た旬くんが肩を震わせて笑っていた。寝ている間に、旬くんが私に蜜柑を乗せたようだ。

 近頃の旬くんは小さなイタズラがマイブームなのだ。イタズラサイズは本当に小さい。例えば肩をとんとんと叩かれ、振り返ると頬に指を差される。陽和くんが手で私の目を隠して「だーれだ」と旬くんが言ってみたりする。

 そして今日は蜜柑だ。どこにも害がない。

「もう、旬くんはどうして最近イタズラするんですか」

「怒った?」

「怒りませんけど、どうしてかなって」

 私は転がった蜜柑を拾って、皮を剥きながら問いかけた。すると旬くんはちゃぶ台の上に広げていた教科書の一文を見せてくれた。

「心理学の勉強をしてね。『試し行動』ってのがあるって話で、俺もやってみた」

 蜜柑をひと房食べて、ぷちんと弾ける粒を感じた私は真顔になってしまう。

「旬くんって……びっくりするくらい可愛いことしますね」

 試し行動とは、すごく簡単に言うと相手の好意を確認する行為だ。旬くんが過去の罪を打ち明けた私に対して、本当に嫌われていないかを試しているのだとしたら、受けて立とう。何をされても怒らないと決意した。

「え?どこが?」

「試し行動って明かしちゃうところがですよ」

「そ、そうなの?」

 旬くんはどういう意味かわからないらしく、焦りながら教科書を読み直す。旬くんは数年前から通信大学で勉強しているそうだ。農繫期以外の受講なのでなかなか進まないそうだが、ゆっくり取り組むのは旬くんに向いている。

 旬くんに直接聞いたわけではないが、彼が過去に「知らなかった」ことが罪になったことと繋がっている気がする。世の人がみんな知っているようなことを知らないという状況を、繰り返さないようにしているのだと思う。

 何もない旬くんの部屋もそう。彼は欲しがらず、罪を償い続けている。

 夜の炬燵で勉強する旬くんを横で眺めることが最近よくある。私は大学を出ているので教えられる部分もあった。農学の範囲は私が教えてもらうことの方が多い。

 課題に取り組む旬くんに、私はお茶を淹れた。

「どうぞ」

「ありがとう」

「旬くんほど美味しく淹れられないですが」

 旬くんは雪解けみたいにやわらかく笑う。

「花奈ちゃんが淹れてくれたお茶、美味しいよ」

 そう言われると、私もまた淹れたくなってしまう。色違いのちゃんちゃんこを着た私たちは、炬燵に湯気の上がるお茶を置いて、蜜柑を食べ始めた。

 他愛のない今日の話をしてから、私は喉に刺さったままの不安をこぼした。

「澄江さんが誕生日の日に『いつこの家が終わってもええように』って言ったことがずっと、気にかかってるんです」

「澄江さんがそう言ったの?」

 旬くんは蜜柑を飲み込んで、考える。

「澄江さんはたぶん、終わりを意識することで今を濃く感じろって言いたかったんじゃないかな」

「今を濃く、ですか」

 濃いめに淹れたお茶の湯呑を握って、今ここでほかほかと上がる湯気を見つめた。

「茶の育て方を教えてもらってるときに、俺のせいで茶木が死ぬかもってヒヤヒヤしてたんだよ。そしたら澄江さんがビビらんと、今目の前の木をよう見ろ!って怒られたことあるよ」

「澄江さんらしい」

 旬くんが安心させるように歯茎を見せて笑う。

「だから不安がらなくて良いよ。澄江さんも子どもたちも元気で、頼りないけど、俺もいるから」

 喉に刺さっていた不安の小骨が溶けていくようだった。旬くんが自分で剥いた蜜柑を丸ごと私にハイと渡すので、受け取ってしまった。

「この蜜柑、今日剥いた中で一番甘そうだから、花奈ちゃんにあげる」

 旬くんは甘いところを全部、人にあげてしまう。私は受け取った蜜柑を半分に割って、旬くんに返した。

「甘いものは半分こしましょう」

 旬くんは半分の蜜柑を見つめていた。私は甘い蜜柑を食べてからだと、少し苦く感じるお茶を飲んだ。

「苦いものも半分こできたら、最高ですね」

 旬くんはくっと眉間に皺を寄せた。なぜか泣きそうな横顔で、彼は半分の蜜柑を優しく手で包む。

「……花奈ちゃんといるとさ。俺、嬉しかったり喜んだりしてばっかりで、どうしていいかわかんないよ」

 そんなに困るほど喜んでくれたとは知らなかったが、私はくすっと笑った。

「幸せでいてください。花房さんちにいる人には、みーんな幸せでいて欲しい。私、そのためなら何でも頑張ります」

 旬くんは見つめていた蜜柑をやっと口に入れて飲み込んでから、私をまっすぐ見た。

「俺も。俺も同じだよ。みんなのためなら何でもしたい」

 旬くんは頑張り過ぎるだろうから、私がブレーキ役だなと思う。

「じゃあ頑張る手始めに、勉強しましょうか。ここ、間違ってますよ」

「え」

 ちゃぶ台に広げたテキストの一問を指さすと、旬くんがテキストを覗き込む。私はくすくす笑った。

「冗談です。試し行動ですよ」

「えー?びっくりするくらい怒る気にならないんだけど」

「わかります。私もそうなので」

 二人してぽかぽか笑いながら、夜の炬燵での勉強会は更けていった。ずっとこうやって、あったかい夜が続くと思っていた。


 けれどその二日後、緩和ケア病棟に入院していた小太郎さんが亡くなった。

 本当に突然、今の形が終わるということを、私は思い知った。

 


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