告白
來山くんが花房さんちに来て三日が過ぎた。
雨が降っても、茶蒸し工場は止まらないが茶摘みは休みになる。夜の間に細やかに降った雨が止んだ朝。朝食は澄江さんが用意してくれるので、私は遅れて台所へ向かう。ダイニングテーブルでは、凌くんや陽和くんがご飯を食べていた。
「あれ?來山君は?」
「翔ちゃん見てへんで」
全員が見てないと回答した。朝食の席に來山くんがいない。旬くんは朝方まで工場にいて朝はいないから、二人でどこかへ行ったとは考えにくい。
來山君が仕事を放り出して勝手に帰ってしまったというよりも、私にはもっと危惧することがあった。
「わ、私、茶畑を見てくる!」
私は子どもたちを澄江さんに任せて、茶畑へと走ろうとした。すると玄関で澄江さんに呼び止められた。澄江さんがゆっくり歩いて来て、小さな水筒を渡された。茶畑にいつも持ってきてくれる水筒だ。
「あったかい朝茶や。持って行き」
私は今にも走り出したかったが、水筒を受け取ってから車に乗り込んだ。朝霧が立ち込める駐車場に來山君の車がない。一人で茶畑に行った可能性が高かった。
薄い朝霧の中、濡れた茶畑の畝の間にやはり、來山君がいた。一人用の茶刈り機で茶摘みを始めてしまっている。私は走り込んで思わず声を上げた。
「來山君、ダメ!やめて!」
「花奈さん、どうかしたんですか」
「すぐ止めて!」
驚いて振り返った來山君は怪訝そうな顔をするが、茶摘みを中止した。霧がしっとりと服を濡らす。
來山君は作業をきちんと覚えていて、手順は何も間違ってはいない。
「花奈さん、何がダメなんですか」
來山君のイラついた声に、私はきゅっと唇を絞った。つい感情的になってダメだと言ってしまった。私は息を整える。
「來山君、露がついた茶を摘んじゃダメなの。濡れた葉は品質を落としちゃうから」
「え……」
茶畑の畝の横にはすでに摘まれた茶袋が一袋置かれていた。
作業前にどうしてこんなことをしたのか、次の改善策は、指摘の仕方は。
私の頭の中を指示、指導、叱責が駆け巡る。口が動こうとしたが、私は手に水筒を握っていることに気づいた。
「……ちょっと待ってて、お茶飲むから」
私は水筒を開けてぐいと飲み、あったかい朝茶の豊かさを喉で感じる。喉をあったかいものが通っていくと、しゅんと肩を落とす來山君が目に入る。霧が晴れるように視界がクリアになった気がした。
私は一言目をじっくり選ぶために、ごくりと喉を鳴らして沈黙した。すると、來山君の口が先に開いた。
「すみません、花奈さん……俺、旬さんが寝ずに働いてるの見て、もっと手伝いたいと思ったんですけど……余計なことをしてしまったみたいで」
お茶がくれた一拍のおかげで、彼の謝罪を先に聞けた。胃がほっこりとぬくもった。今まで私はこの一拍を持てなかった。
だから、彼から謝罪を聞けたことがなかったのか。
私は首を振った。
「來山君、こっちこそごめんね。やってはいけないことを先に説明しなかった私の責任だよ」
胃に入ったお茶のあったかさが全身に行きわたって、なんだかぽかぽか嬉しくて。彼に注意しなくてはいけないという気持ちが飛んで行った。
だんだんと薄い霧が晴れて、朝の光が露に濡れた茶畑を照らしていく。
「そんなに一生懸命働こうとしてくれたことが嬉しい。旬くんには私が話すから大丈夫。來山君のその気持ちを聞いて、旬くんは絶対に怒らないから」
私は來山君の肩をとんとんと叩いて励ました。
「アルバイトなんだから、決まった時間だけ働けばいいなのに。自主的に動こうと思ってくれるなんて最高の人材だよ。手伝いに来てくれてありがとう、來山君に来てもらって本当に良かった」
私が心からそう言うと、朝陽を顔に受けた來山君の目から、ぽろっと涙が落ちた。私はぎょっとする。
「え?! 私そんなに指導厳しかった?ごめん!」
「いえ……そうじゃなくて、花奈さんが優し過ぎて……びっくりしてほっとしたっていうか」
私は來山君にまだ使ってないタオルを手渡して、胸を撫でおろした。
「私、前の職場で鬼上司だったよね……それもごめん」
曇り空の間から青空が見え始めた。新芽の緑に包まれた今、この場所なら、來山君と本音で話せそうだ。私は瑞々しい茶畑の畝の間で、彼に向き合った。畝を駆ける風が、來山君のぶ厚い前髪を揺らす。
「來山君、告白してくれた時に、キツい態度を取ってごめんね。ずっと謝りたかった」
來山君はタオルから顔を上げた。顔をぐぐっと歪ませてから、またぽろぽろ泣いた。この子、こんなに感情豊かな子だったのか。
「それ!俺が言いに来たやつなのに、先に言わないでくださいよ……!」
來山君はタオルをぎゅっと握って、涙目で私を必死に見つめた。
「花奈さんがセクハラしたってデマが流れたときに、すぐ否定できなくて、すみませんでした。花奈さんすぐ辞めちゃって……俺、どうしても謝りたくてここに来たんです」
來山君がわざわざこんな遠くまで謝りに来てくれたと知って、ますます体中がぽかぽかした。
「私、あの職場でもっと、君たちアルバイトと話をするべきだったと今では思ってる。嫌われ役だからって勝手に壁を作ったのは私だったね」
私は澄江さんが持たせてくれた水筒を、鼻水まみれの來山君に手渡した。
「私はもうあの職場には戻らない。けどね、この茶畑での來山君には、すごく期待してる。朝からご苦労様!休憩どうぞ!」
來山君は水筒から川添茶を飲んで、流れ出た汗と涙を補給した。
「花奈さん、やわらかくなりましたね。声がなんか優しいです」
「そう?澄江さんにも柔らか新芽って言われたから、前を知ってる來山君にそう言ってもらえると嬉しいな」
私がふにゃりと笑うと、來山君の指先が水筒をぎゅっと握った。朝の茶畑に漂う新芽の香りが風でふわっと立ち上がる。
「俺がもう一回、花奈さんに告白したら……今度はどんな返事をもらえますか」
茶畑の上を若い風が舞って私たちの間を抜けて行った。私はしばらく黙り込んで、誠実な言葉を選んだ。
「本当にありがとう。來山翔太君は仕事にも、子どもたちにも真摯で、気持ち良い人だよ。気持ちはとても嬉しいけど、私は來山君をそういう気持ちでは見られない」
私は新芽の香りを纏って、山合いの朝の中で微笑んだ。
「でも茶畑で出会った一人の人として、仕事仲間の來山君は好きだよ」
目を見開いた來山君は、片手で目を覆った。
「……前より性質悪い返事なんですけど」
「え、真摯だと思ったんだけど」
「真摯過ぎます。でもまあ、前の職場でキリキリしてる花奈さんも、真っ直ぐだから好きだったんですけど」
前髪が割れてすっきり笑う來山君の素直さに、私は面食らった。
「ありがとうとうございました。受け取ってもらえて気持ちにケリがつきました。旬さんと付き合ってるんですよね。見てればわかります」
「え、あ……いや」
「照れなくていいですよ。俺、引きずったりしませんから」
來山君は私の返事を聞かないまま、茶刈り機を担いで傾斜を上っていく。客観的に見て私と旬くんがそう見えることは、茶畑お姉様たちのはしゃぎっぷりで知っていた。
私は茶袋を担ぐ。來山君の中ではもうそれでいいことにした。これ以上、拗らせるのは得策ではないとマネージャー視点での判断である。
陽和くんが凌くんの味噌汁の空白を埋めなかったように、私も空白は空白のままにしておくことにする。




