晩ご飯
私は果林さんと二人で白浜の「豆の木」という地元カフェへ行った。人気のスペシャリティコーヒーとケーキを前にしながら、果林さんの話は凌くんのことばかりだ。ソファ席で向かい合った果林さんは私に改めて言った。
「凌が引きこもっていた話はお聞きになりましたか?」
「え、あの……聞いていません」
果林さんは旬さんが気を使ってくださったのだろうと前置きしてから、凌くんについて教えてくれた。果林さんと田沼さんはやはり、半年前に離婚したそうだ。
「離婚に至るまで毎日のように夫婦喧嘩をしてしまっていて……私たちの諍いを見た凌は気を揉んだようで……一時期、部屋から出て来なくなりました」
「そんなことが……」
すぱすぱと物を言って飄々としている凌くんに、そんな時期があったとは想像し難かった。けれど、ご両親が好きだからこそ、二人の争う姿が重かったのだろう。
「凌は私とも田沼とも一緒にいたくないと言って……カウンセリングの先生と相談して、親元を離れた山村留学を決めたんです。澄江さんたちが温かく迎えてくださって、凌は学校にも復帰できました。本当に感謝しています」
果林さんはカップを手に収めて、コーヒーの水面を見つめている。
「都合の良い話ですが、もう離婚も成立して、私の弁護士としての仕事も落ち着いていますので。そろそろ凌と一緒に暮らしたいと思っているんです。凌はどう言うでしょうか……」
声を細くする果林さんは凌くんの側にいたいのだろう。私のお母さんもそうだった。
お母さんは一人暮らしの私に「ご飯を作りに行こうか」と電話でよく言った。元から身体が弱いお母さんが無理をしないように「しんどくなるからダメ」と私は断り続けた。
ご飯を作りに来てもらえば良かったと、今さら後悔している。
母として凌くんを大事に想う果林さんに、私はできるだけ誠実に応えたかった。私はスマホをテーブルの上に置いた。
「私には凌くんの気持ちはわからないです。でも、凌くんが日々どんな感じかは細かくお伝えしたいなと思います。良ければ連絡先を交換しませんか?」
果林さんは声を弾ませ、ありがとうございますと笑った。私とお母さんと違って、果林さんと凌くんはこれからまだまだ仲良くできる。だから、私が少しでも懸け橋になれたらと思う。
果林さんと一緒に花房さんちに帰ると、居間で陽和くんが泣いていた。私は慌てて陽和くんに駆け寄る。
「どうしたの?陽和くん」
「足痛い!」
「え、怪我したの?どこ?」
陽和くんがティッシュで押さえていた膝を見せる。擦りむいた傷口から出血していた。田沼さんと凌くんと川遊びをしていて転んだと、陽和くんは鼻水を垂らしながら話した。
田沼さん救急箱を持って廊下から現れた。
「お、果林たち帰ってたのか。陽和くん岩場を走って、ちょっと擦り剥いちゃってな」
へらっと笑う田沼さんに、果林さんが言う。
「どうしてちゃんと見てないのよ」
「ちょっと目を離した隙に、岩に上ってたんだよ」
「あなたっていつもそうよね、子どもに対しての責任感が無さ過ぎるのよ!」
果林さんの鋭い声に驚いて、陽和くんの涙が止まった。果林さんは眉間に皺を寄せて田沼さんを糾弾する。
「自然と遊ぶのは結構だけれど、危険と隣り合わせだっていう意識が低い人が連れて行くんじゃないわ!しかも人様の子よ!?」
「大きな声を出すなよ。じゃあ怪我しないように部屋でお利口にしておけばいいのかよ」
「そんなこと言ってないでしょう!」
いつの間にか凌くんが廊下に立っていた。二人の言い合いを一歩離れて見つめる凌くんの視線は、冷ややかだった。私は救急箱から消毒液を取り出して、陽和くんの治療を優先する。凌くんの声が夫婦喧嘩を割った。
「やめてよ。みんなの前でみっともない。そんなだから……僕がああなったの、まだわかんないんだ?うんざりだよ」
凌の低い声に元夫婦は睨み合いを止め、ハッと息子へ顔を向ける。二人が凌くんに身体を寄せた。
「ご、ごめんね凌。お母さんが悪かったわ」
「お父さんも気をつける。すまない」
「帰って」
「凌……」
凌くんは背を向けて自分の部屋に引き上げてしまった。項垂れた元夫婦は私に陽和くんのことを謝ってくれた。陽和くんの怪我は大したことなく、大人の話は収拾した。
果林さんと田沼さんは帰り際に、凌くんの部屋の前で襖の向こうへ声をかけた。だが、凌くんから返事はなかった。ご両親はそのまま帰宅した。
夕方になって陽和くんがオコメンジャーに変身する時間になっても、凌くんは部屋から出てこなかった。私は凌くんの部屋の前で、彼に呼びかける。
「凌くん……味噌汁を作る時間だよ?」
凌くんから返事はない。また、このまままた引きこもってしまったらどうしようか。胸がざわついた。他の大人たちは出払っていて、今この家の大人は私だけ。つい、私が安心したいがために焦って言葉を放ってしまう。
「凌くん、部屋にこもってみんなを心配させちゃ……ダメじゃないかな?」
がたんと襖の向こうで人が動く気配がした。
「花奈ちゃんってダメダメ言ってめんどくさい。放っておいて」
強く放たれた凌くんの鼻詰まりの声を聞いて、私はかける言葉を間違ったと痛感した。
前職で場を早く収めようとして「ダメだ」と指摘して、失態を犯したはずなのに。また、同じ過ちをしてしまった。
「……私が間違ったね。ごめん」
小さい声で謝罪した私は、自分の愚かさを恥じて居間へ戻った。膝を抱えてうずくまった私の背中に陽和くんがくっついてきた。
「凌、出てこない……オレに怒ってるんや」
「違うよ、陽和くん。ちょっと、一人でいたいだけだから」
しょんぼりする陽和くんの背を撫でながら、私は夕食の準備に立ち上がった。
「今日は私が味噌汁作るよ」
「ダメ!」
「え、どうして……?」
陽和くんが険しい顔で私の手を握る。
「味噌汁は凌のやねん。凌がおらん時はご飯も寂しいねん」
「陽和くん……」
凌くんの場所を埋めないでと聞こえた。私は何でもすぐ、指摘と指導と対処で埋めたがる。けれど、空白を空白のまま置いておく。そういう寄り添い方もあるのか。
「わかった。教えてくれてありがとう陽和くん。今晩、味噌汁はナシだね」
「うん!」
陽和くんが笑って頷いた。夕飯は白ご飯とアジの南蛮漬けになった。味噌汁がないと、味気ない。




