決裂の宴
——即位9ヶ月後、春——
王宮の宴会場で、アレクシオスは玉座に座りながら、天井から吊るされた巨大なシャンデリアの光が金の装飾に反射して眩しく輝いているのを見上げていた。
広大な空間の壁には歴代の王たちや戦場の英雄たちを描いた巨大な絵画が掛けられており、磨き上げられた大理石の床は鏡のように光を反射している。
中央に並ぶ長いテーブルには白い布が掛けられ、その上には焼かれた肉、新鮮な魚、色とりどりの野菜、果物の山が銀の皿に盛られて湯気を上げており、国庫に眠っていた高級なワインの琥珀色の液体がクリスタルのグラスに注がれているのが見えた。
テーブルの周りには豪華な服を着て宝石を身につけた貴族たちが笑い声を上げており、四公爵もそこにいた。
ゲルハルト公爵は肉を豪快に食べながらワインを飲み、
ヴァレンシュタイン公爵は指輪をクルクルと回しながら計算高い目で周囲を観察し、
ランゴバルト公爵は杖を傍らに置いて質素に食事をしているが目は鋭く、
シュタウフェン公爵はワインのグラスを傾けながら静かに微笑んでいる。
アレクシオスは片手にワインのグラスを持ち、もう片方の手を玉座の肘掛けに置いて、退屈そうにあくびをした。
「つまらん食事ばかりで、退屈だ」
その声が宴会場に響き、貴族たちが一瞬話を止めるのが見えた。アレクシオスはワインを一口飲んでから続ける。
「もっと、面白いことはないのか?」
シュタウフェン公爵が微笑みを携えて立ち上がるのが見えた。
「陛下、何か御所望でしょうか」
「そうだな……」
指を顎に当てて、わざとらしく考える仕草をしてから言った。
「リアムを呼べ」
貴族たちがざわめくのが聞こえた。シュタウフェン公爵が眼鏡を押し上げた。
「陛下、リアムとは……?」
「余の、幼馴染だ。たまには下民の話を肴にするとしよう」
そう言って、扉近くの兵士に軽く手を振る。
「久しぶりに会いたくなった。呼んでこい」
兵士たちが顔を見合わせているのが見えた。だが、王命だ。従うしかない。
使者が宴会場を後にするのを見送りながら、アレクシオスは再びワインを口に運んだ。
表情は相変わらず軽薄を保っていたが、自身のグラスを持つ手がわずかに震えているのを感じた。
(四公爵の前でリアムに完全に見限られる絶好の機会だ)
(予定通り、今日でリアムとの関係を断つのだ)
◇ ◇ ◇
スラム街に王宮の使者が迎えに来た時、リアムは驚きを隠せなかった。
「お前がリアムだな。陛下が、お呼びだ」
「アレクが……俺を?」
「そうだ。今すぐ宴会場へ。着いて来い」
戸惑ったが、これはチャンスかもしれないと思った。
(直接話ができる。やっと、アレクの真意を確かめられる!)
「わかった」
使者についていき、王宮の門をくぐった。
父が兵士として仕えていた時以来、久しぶりに足を踏み入れる王宮の内部は、その時とは違い、驚くほど豪華になっており、リアムは息を呑んだ。
大理石の廊下、壁に施された金の装飾、所狭しと並ぶ絵画、高い天井に施された美しい彫刻——それらをシャンデリアの光が照らし、磨き上げられた床に自分の足音が静かに響く。
自分の服を見下ろすと、質素な茶色の服は洗ってはあるが古く、所々ほつれている。この豪華な王宮には似つかわしくない。
廊下を歩きながら、リアムは胸に怒りがこみ上げてきた。
(これほどの贅沢ができる富がありながら……)
脳裏にスラムの景色が浮かぶ。粗末な家々、飢えた人々、寒さに震える子供たち。
(民は、飢えているのに……)
拳を握りしめた。
やがて宴会場の扉の前に着いた。
巨大で金の装飾が施された扉を使者が開くと、ギィと重い音がして、中から笑い声と料理の匂いが溢れてくる。
リアムは一歩中に入って、目の前の光景に言葉を失った。
豪華な料理、高級なワイン、笑い合う貴族たち。
そして、最奥の玉座に座るアレクシオス。胸が激しく高鳴った。
怒りと期待と不安が混ざり合う。
その時、アレクシオスがこちらを見た。
アレクはグラスを置いてから、自分に向かって軽薄に微笑んだ。
「やあ、リアム。久しぶりだな」
冷たい声だったが、どこか懐かしい響きだった——。
◇ ◇ ◇
アレクシオスは、リアムが一歩前に出るのを冷静に見つめた。
「アレク……!」
幼い頃から何度も呼ばれたあだ名を、必死に怒りを抑えた声でリアムが呼ぶ。
その声が、胸を刺す。だが、わざと無視をした。
「どうだ、王宮は」
アレクシオスは周囲を手で示し、にやりと笑ってみせる。
「貧民窟とは何もかも、空気すら大違いだろう?」
リアムの拳が震えているのが見えた。だが、必死に堪えているようだ。
(……もう少し煽る必要があるな)
「アレク、お前……何をしている?」
リアムの問いに、首を傾げて見せた。
「何を、とは?」
玉座に座ったまま、リアムを見下ろす。
「王として、国を統治しているだけだが」
リアムの拳がさらに白くなるのが見えた。
「国を統治?こんな宴を開いて……!!民が苦しんでいるのが、分からないのか!?」
宴会場が静かになり、貴族たちが二人を面白そうに様子を見ているのが感じられた。アレクシオスはわざと声を大きくする。
「苦しんでいる?それは、そいつらが無能だからだろう。きちんと税を納めている民だっているのだぞ。有能な者が税を払い、無能に税を少なくしたり免除するのは、不平等だろう」
ワインのグラスを取り、傾ける。
「余には、関係ない。個々の現状は、自分達で解決しろ」
リアムの顔が怒りに歪むのが見えた。
「お前……本気で言っているのか!」
リアムを王座から見下ろしたまま、肘掛けに頬杖をついて冷笑する。
「当然だ。もしかしてお前も、税の免除を頼みに来たのか?それより、せっかく呼んでやったのだ。余には普段の食事と変わらないが、お前にとって一生に一度の豪華な食事にありつくといい」
嘲笑う態度でリアムを見つめ返す。
「……本当に、変わっちまったのかよ」
「あの時の……俺とした昔の約束を忘れたのか、アレク!」
アレクシオスはゆっくりとワインの入ったグラスを手に取る。
「お前との約束?」
感情を殺した、冷たい目で見返すとリアムの息が止まるのが見えた。
「どうせ、子供の戯言だろう。忘れたな」
そう言ってワインを煽った。
その瞬間、リアムは明らかに傷ついた表情をしたのが見えた。
希望が、信頼が、友情が——全てが砕け散っていく絶望の顔。
(すまない。すまない、リアム……)
リアムの声が震えた。
「……なら、今日なぜ俺を招待した?」
アレクシオスはゆっくりと玉座から立ち上がり、リアムに近づいた。二人の距離は縮まるが、心の距離はどこまでも遠ざかる。
「お前に、現実を見せるためだ。余と会いたかったそうだな」
リアムが期待するように顔を上げた。
だが、アレクシオスはリアムより先に口を開く。
「昔馴染みだとしても、今は王とただの貧民。立場どころか、住んでいる世界が違うのだ」
「簡単に会えると思ったか?会えたとして、お前如きの意見を聞くとでも?」
「お前がどれだけ甘い夢を見ていたか、思い知らせるために呼んでやったのだ!」
貴族たちの笑う声が会場中に響く。
リアムは無表情で、ただこちらを見つめている。
その目には軽蔑の色、失望の色、そして深い悲しみがあった。
その視線を受け止めるのは、胸が張り裂けそうだった。
だが、表情には一切出さない。最後まで、気を抜く訳にはいかない。
リアムがゆっくりと、静かに言った。
「……お前は、もう俺の知っているアレクシオスじゃない」
その言葉が心を貫いた。痛い。痛くて、たまらない。だが、冷たく答える。
「ああ。余は変わった。王になったのだからな」
耐えきれずにリアムから視線を逸らした。
長い沈黙の後、リアムが言った。
「……昔の事は忘れてくれ。もう俺たちは何の接点もない、ただの民と暴君だ」
踵を返して宴会場を後にするリアムの背中は、小さく力なく見えた。
アレクシオスはただその背中を見送るしかできなかった。
周りの貴族が見ている手前、表情を保つのが精一杯で、何も言えなかった。
扉が閉まり、重い音が宴会場に響いた。
リアムの足音が次第に遠ざかっていくのが聞こえる。
宴会場には再び賑わいが戻り、貴族たちが何事もなかったかのように再び会話に興じるのが聞こえる。
玉座に戻って座ると、表情は相変わらず冷たいままだったが、手が玉座の肘掛けを強く握りしめているのを感じた。爪が木に食い込んで痛みが走ったが、最後まで表情は変えなかった。
(リアムは完全に俺に失望していた。俺に期待できないとなると、自分で行動する。そうだろう、リアム。これで決断のきっかけになった筈だ)
宴会場の隅、柱の影では黒の外套を纏ったイザベラがその様子を無言で見守っていた。
◇ ◇ ◇
——その夜、アレクシオスの私室——
深夜の私室で、質素なベッドと小さな机だけが置かれた部屋に蝋燭の光だけが揺れている中、アレクシオスは机に向かって手にペンを持ち、目の前の日記帳にゆっくりと文字を綴り始めた。
ペン先が紙に触れるカリカリという音と、インクの匂いが鼻をつく。
『即位9ヶ月。今日、リアムを王宮に招いた。
これで、2回目の拒絶だ。
彼に、俺を憎ませなければならなかった。
<お前との約束は、子供の戯言だ>
彼の目に映った軽蔑の色。失望の色。
それが、胸を抉る。何度も、何度も。
<お前は、もう俺の知っているアレクシオスじゃない>
その言葉が、まだ耳に残っている。消えない。忘れられない。
でも——これでいい。
俺が昔の俺ではないと、噂通りの暴君だと、明確にする必要があった。
もう、後戻りはできない。
リアム、もっと俺を憎め。躊躇わずに俺を討て。
そして、英雄になれ。
それが——それが、俺の願いだ』
ペンを置いて文字をしばらく見つめてから、日記帳を閉じて引き出しに仕舞い、鍵をかけた。カチャリという音が静寂の中に響く。
蝋燭を吹き消すと部屋が暗闇に包まれ、ベッドに横たわって目を閉じた。
脳裏にリアムの顔が浮かぶ。あの軽蔑の目、失望の色、そして幼い頃のあの笑顔——森で遊んだ日々、二人で誓った約束、全てが混ざり合う。
「すまない……リアム……」
小さく呟いた声は暗闇に消え、誰にも届かない。
ただ孤独だけが、自分を包んでいるのを感じた。




