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偽りの暴君、王座より革命を命ず ~親友に討たれる覚悟で、腐敗した国を救う~   作者: 朔月 滉
第二章

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四公爵の過去と野望②

 

 ——即位1年8ヶ月、春——


 見渡す限りの麦畑が、黄金色に輝いていた。

 ランゴバルト領の穀倉地帯は王国の食糧の大半を生産する土地で、地平線まで続く麦の穂は春の陽光を浴びて、まるで黄金の海のように波打っている。風が吹くたびに穂が一斉に揺れ、ざわざわという音を立てていた。

 空は青く、雲一つない。麦畑の中に、一人の老婆が立っていた。

 ヘルミーナ・フォン・ランゴバルトは杖をつき、背は曲がっている。六十二歳になった彼女の顔には深い皺が刻まれ、白髪は風に揺れていたが、背筋は真っ直ぐで、目には衰えない威厳が宿っている。

 彼女は麦畑を見渡していた。風が白髪を揺らし、黄金色の穂が波のように揺れる様を、じっと見つめている。

 そして、小さく呟いた。

「武力も、金も、法も……食糧がなければ意味がない」


 ◇ ◇ ◇


 ——二十年前——


 大飢饉が王国を襲った。

 異常気象により作物が全滅し、春に降るべき雨が降らず、夏には干魃が続き、秋には早い霜が降った。

 畑は枯れ、家畜は死に、貯蔵していた穀物も底をついた。民衆は飢え、王都でも地方でも至るところで餓死者が出た。

 道端には痩せ細った死体が転がり、子供たちの泣き声が絶えることはなかった。


 当時のランゴバルト公——ヘルミーナの夫、カールは決断した。

「全ての穀物備蓄を開放する」

 家臣たちは反対した。顔を青ざめさせながら訴える。

「公爵様、それでは我が家が……財政が破綻します!」

「ランゴバルト家が、倒れてしまいます!」

 だが、カールは首を横に振った。温厚な顔に、固い決意が浮かんでいる。

「民が死なないようにするのが、貴族の勤めだ」


 そして、ランゴバルト家の備蓄が王国中に配られた。

 十何年もかけて蓄えてきた穀物が全て解放され、倉庫は空になり、家の財産は底をついた。

 だが、それによって数十万人の命が救われた。


 しかし——数ヶ月後、王宮で式典が開かれた。

 先王が玉座から告げた言葉。豪華な礼服を纏い、王冠を被った王の声は、広間に響き渡る。


「余の慈悲により、民は救われたのだ!」


 民衆は歓声を上げた。

「王様万歳!」

「王様万歳!」

 ランゴバルト公の功績は、一言も触れられなかった。


 カールは式典の隅で、じっと立っていた。誰からも声をかけられず、ただ一人、壁際に佇んでいる。

 妻ヘルミーナだけが、彼の横にいた。ヘルミーナは小さく囁いた。拳を握りしめ、震える声で夫に言う。

「あなた……これは……」

 カールは静かに答えた。疲れた顔で、だが穏やかに微笑んでいる。

「構わん。民が救われたのなら、それでいい」


 だが——ヘルミーナの心には、深い怒りが刻まれた。王は他人の功績を横取りした。

 全ての栄光を独り占めし、ランゴバルト家の犠牲には目もくれない。

 ランゴバルト家は全ての備蓄を失い、財政が傾いた。

 借金を抱え、領地を一部売却しなければならなくなったが、誰も助けてくれなかった。


 数年後、カールは病で亡くなった。過労と心労が重なり、優しい夫は倒れた。

 なくなる直前、彼は妻の手を握り、最後に言った。

「民を、頼む……」


 そして、ヘルミーナがランゴバルト家を継いだ。


 ◇ ◇ ◇


 ——現在——


 ヘルミーナは麦の穂を手に取った。黄金色の、美しい穂。風に揺れるそれは、命の象徴だった。

 これが全ての基盤。武力も、金も、法も——食糧がなければ、何の意味もない。

「あの日、私は誓った」

 ヘルミーナの目が鋭くなった。老いた顔に、冷たい決意が浮かんでいる。

「いつか、食の力を思い知らせる」

 麦の穂を強く握りしめた。


「この国は、私が手綱を握る」

 風が、また吹いた。麦畑が波のように揺れる。黄金色の波が地平線まで続いている。

 その波の中に——ヘルミーナは立ち続けていた。


 

 ◇ ◇ ◇



 ——即位1年8ヶ月、春——


 シュタウフェン公爵の書斎は静寂に包まれていた。

 壁には法律書がびっしりと並んでおり、古い羊皮紙の背表紙が蝋燭の光を反射していた。

 机の上には羊皮紙と羽ペンが几帳面に整理され、全てが完璧な秩序の中に配置されている。


 フリードリヒ・フォン・シュタウフェンは椅子に座っていた。

 三十四歳になった彼の体は痩せており、眼鏡の奥の目は冷静で感情の色が見えない。

 整った顔立ちは、まるで彫像のように動かなかった。


 彼は一枚の肖像画を見つめていた。壁に掛けられた、美しい女性の肖像画。

 優しい微笑み、穏やかな目。絵の中の女性は、まるで今にも話しかけてきそうなほど生き生きと描かれている。

 彼の母——アリシア。シュタウフェンはじっと肖像画を見つめていた。

 沈黙が部屋を満たしており、蝋燭の炎だけが小さく揺れていた。

 やがて、シュタウフェンは小さく呟いた。


「母上……」


 ◇ ◇ ◇


 ——二十七年前——


 シュタウフェン、七歳。母アリシアは、優しく美しい女性だった。

 シュタウフェン家の誇りであり、幼いフリードリヒの全てだった。彼女の笑顔は、屋敷の誰もが愛するものだった。


 ある日、突然王宮から使者が来た。当時の先々王の命令だった。

「シュタウフェン家の婦人、アリシアを後宮に迎える」

 シュタウフェン家は愕然とした。フリードリヒの父が必死に訴えた。王宮の使者の前で膝をつき、頭を下げる。

「妻はすでに嫁いでおります!どうか、ご再考を!」

「我が家には、幼い息子もおります!どうか!」

 だが、使者は冷たく言った。

「陛下の御意である。王の命だ。逆らうようならば、一族ひとり残らず処刑だ」

 その言葉に、誰も何も言えなかった。

 王命は絶対だった。逆らえば一族の滅亡。シュタウフェン家の何百年の歴史が一瞬で消える。


 アリシアは涙を流しながら、幼いフリードリヒに言った。

「フリードリヒ……ごめんなさい……」

 フリードリヒは母にしがみついた。小さな手で、母の服を掴む。

「母上、行かないで!」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 アリシアは何度も謝った。涙が止まらず、声が震えている。だが、彼女は息子を抱きしめることしかできなかった。


 そのまま、アリシアは王宮に連れて行かれた。

 後宮は地獄だった。先々王は気まぐれな男で、アリシアを後宮に入れたのもただの思いつきだった。

 美しい女性を見たから、欲しくなった。それだけの理由で、一つの家族が壊された。

 アリシアに飽きると、先々王は彼女を放置した。

 他の妃たちはアリシアを虐めた。「後から来た女」として彼女を蔑み、誰も味方はいなかった。


 アリシアは心を病んでいった。毎日、息子のことを想った。夫のことを想った。

 もう二度と会えないと知りながら、彼らの顔を思い浮かべる。それだけが、彼女の心を支えていた。

 だが——それも限界だった。


 数ヶ月後、悲報が届いた。アリシアが、自ら命を絶った。

 幼いフリードリヒは何も理解できなかった。

 母が死んだ。それだけは分かった。だが、なぜ死んだのか、どうして自分を置いていったのか、何も分からない。


 葬儀の日、フリードリヒは母の遺体の前で一人、立ち尽くしていた。

 涙は出なかった。ただ、心の中で何かが壊れた。

 そして同時に——何かが芽生えた。冷たい、冷たい決意が。


 ◇ ◇ ◇


 ——現在——


 シュタウフェンは拳を握りしめていた。机の上に置かれた手が震えている。爪が掌に食い込んでいた。

「王の……一時の気まぐれで……」

 その声は静かだが、怒りに満ちていた。抑えきれない憎悪が、言葉の端々に滲んでいる。

「血筋という、ただそれだけで権力を持つ者たちが……感情のままに、人の人生を壊す」

 シュタウフェンは立ち上がった。肖像画に近づく。母の優しい微笑みを、じっと見つめる。

「だから、私は……法による完璧な秩序を作る」

 その目が冷たく光った。眼鏡の奥の瞳は、まるで氷のように冷たい。

「血筋も、感情も、全て排除した、完璧な国を作る」


 母の肖像画に、静かに誓った。その声は、まるで祈りのように静かだった。

「母上……必ず」


 

 ◇ ◇ ◇


 

 ——即位1年8ヶ月、春——


 王宮の秘密書庫に、蝋燭の光が揺れていた。

 イザベラとアレクシオスが向かい合っており、机の上には羊皮紙の束が積まれ、その一枚一枚に証拠が記されていた。

 イザベラは冷静に報告を始めた。

「陛下、証拠収集の進捗を報告いたします」

 アレクシオスは頷いた。疲れた顔だが、目は鋭い。

「聞こう」


 イザベラは羊皮紙を一枚ずつ確認しながら言った。

「ゲルハルト公——武器横流しの帳簿写しを入手いたしました」

「内容は?」

「過去五年間、王国軍の武器を闇市場に流していた記録です。金額にして、約十万リンク」

 アレクシオスの目が鋭くなった。

「十万……」

(それだけの金が、裏に流れていたのか……)

「はい。この証拠があれば、ゲルハルト公を反逆罪で訴追できます」


 アレクシオスは頷いた。

「次は?」

「ヴァレンシュタイン公——裏帳簿の在処を特定いたしました」

「場所は?」

「彼の執務室の、隠し金庫です。鍵の入手方法も確保しております」

「内容は?」

「高利貸しによる土地の不法収奪、賄賂の記録、脱税の証拠……全てが記されているはずです」

「よくやった」


 イザベラの報告は続く。

「ランゴバルト公——穀物隠匿倉庫の場所を突き止めました」

「どこだ」

「領内の森の奥、三箇所に分散して隠匿しております。合計で、約一万トンの穀物です」

 アレクシオスの顔が強張った。

「一万トン……」

(それだけあれば、昨年と今年の飢饉は防げたはずだ……民が飢えずに済んだはずだ……)

 イザベラの声も、怒りを帯びていた。


 彼女は次の羊皮紙を手に取った。

「そして、シュタウフェン公——三公爵を操る書簡を発見いたしました」

 アレクシオスは身を乗り出した。

「詳しく」

「シュタウフェン公が、ゲルハルト公、ヴァレンシュタイン公、ランゴバルト公に送った書簡です」

「内容は?」

「互いの不信を煽り、協力させないよう仕向けるものです。例えば、ゲルハルト公には『ヴァレンシュタインが裏切る』と囁き、ヴァレンシュタイン公には『ゲルハルトが独裁を企てている』と伝えています」

 アレクシオスは冷笑した。

「なるほど……あの男らしい」


(四公爵が一枚岩にならないのは、シュタウフェンの暗躍があったからか……)

 だが、イザベラは表情を曇らせた。

「ただし……」

「ただし?」

「シュタウフェン公の、王宮護衛隊掌握の証拠は、掴めておりません」

 アレクシオスの表情が険しくなった。

「……警戒しろ、イザベラ」

「はい」

「あの男が、最も危険だ」

(ゲルハルトは武力、ヴァレンシュタインは金、ランゴバルトは食糧……だが、シュタウフェンは違う。あの男は、国のシステムそのものを掌握している)

 イザベラは深く頷いた。

「御意」


 アレクシオスは窓辺に歩み寄った。夜の闇が、窓の外に広がっている。

「革命軍への武器供給は?」

 イザベラは報告した。

「順調です。ゲルハルト公の横流し品が、革命軍に流れるルートを確保しました」

「リアムは、気づいているか?」

「いいえ。彼は、協力者の商人から入手していると思っております」

 アレクシオスは小さく息をついた。

「……そうか」


 彼は遠くの夜空を見つめた。星が瞬いている。冷たく、美しい光が、闇を照らしていた。

(リアム……お前に、武器を渡す。お前に、戦わせる。全て、俺の計画のために)

 アレクシオスの目が悲しげに曇った。拳を握りしめ、窓枠に手を置いたが、声に出すことはなく、ただ外を眺めていた。



 

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