憎悪の種
——即位1年3ヶ月、秋——
王宮の玉座の間は、冷えきった空気に満たされていた。窓から差し込む秋の光は弱く、大理石の床を照らすだけで暖かさを持たない。
アレクシオスは玉座に座り、その光を無表情に眺めていた。十八歳になった彼の顔には、即位当初にはなかった疲労の色が浮かんでいる。目の下の隈は、どれだけ長い夜を過ごしてきたかを物語っていた。
四公爵が、玉座の前に並んでいる。
ゲルハルトの報告が始まった。老いた軍人の声は、しわがれていながらも力強い。
「陛下、ランゴバルト領で飢饉の報告が上がっております」
アレクシオスは、わずかに視線を動かしただけだった。あくびを噛み殺しながら、退屈そうに答える。
「それで?」
「民が飢えております。税の軽減をご検討いただけないかと……」
「構わん」
アレクシオスの声は冷たかった。まるで他人事のように、右手を振った。
「宴の費用が足りぬのでな。税を上げろ」
一瞬の沈黙が、玉座の間を支配した。
ランゴバルト公が、杖を突いた。老婆の顔には、驚きと怒りの色が浮かんでいる。
「陛下、それでは民が……」
「民?」
アレクシオスは、わずかに眉を上げた。まるで初めて聞く単語であるかのように、言葉を繰り返す。
「それがどうした。そもそも、穀物管理の権限を与えた筈だ。民が気になるなら、其方が何とかしろ」
そのまま、大きく欠伸をした。口元を隠そうともせずに、傲慢な態度を露わにする。
(やめろ、やめてくれ……)
だが、心の中で叫ぶ声は、表情には現れない。
アレクシオスの顔は、ただ退屈そうに歪んでいるだけだった。
四公爵は、互いに顔を見合わせた。
ヴァレンシュタイン公の目には冷笑が浮かび、シュタウフェン公は無表情のまま何かを考え込んでいる。
ゲルハルト公は拳を握りしめ、ランゴバルト公は杖を強く握っていた。
彼らの視線が、玉座の若き王に注がれている。軽蔑、計算、憎悪——様々な感情が入り混じっていたが、アレクシオスはそれを全て受け止めながら、その後も何も感じていないかのように振る舞った。
やがて謁見が終わり、公爵たちが退出していく。玉座の間に、アレクシオスだけが残った。
(中途半端な演技では、見破られてしまう。謁見中は、本当の傲慢な王にならねば)
目を閉じた。誰にも見られていないこの瞬間だけ、顔には苦痛が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
——即位1年6ヶ月、冬——
雪が、王都の街を覆い尽くしていた。
白い雪が屋根に積もり、道を埋め、冷たい風が吹き抜けていく。
王宮の窓から見える景色は、すべて白一色だった。
王宮の謁見の間で、アレクシオスは玉座に座って羊皮紙を手にしていた。
そこには新しい勅令が記されている。
四公爵と数名の文官が、玉座の前に並んでいるのが見えた。
「余は、ここに命ずる」
声が広間に響いた。
「来月より、税を二割増とする」
謁見の間にいる貴族たちが顔を見合わせるのが見えた。四公爵もそこにいる。
ゲルハルト公は満足そうに頷き、ヴァレンシュタイン公は指輪を回しながら計算している様子で、ランゴバルト公は無表情、シュタウフェン公は冷静に観察している。
アレクシオスは羊皮紙を置いた。
「また、罪人の公開処刑を復活させる」
その言葉に、謁見の間がざわついた。
公開処刑は、先王アルフォンスが「野蛮だ」として廃止した制度だった。
古参の文官が一歩前に出ようとしたが、シュタウフェン公が手を上げて制した。
「陛下の御意のままに」
アレクシオスは立ち上がった。
「民に、王の威厳を示す必要がある。お前たちも、しっかり税を納めるように」
謁見の間を見渡した。
「以上だ。下がれ」
貴族たちが一礼して退出していくのを見送りながら、玉座に座り直した。
表情は冷たいままだったが、胸の奥で何かが軋むのを感じた。
(公開処刑の復活……。博打なのは分かっている。民が怯えて火種が鎮火するか、それとも——)
だが、もう後戻りはできない。拳を握りしめて、ただ前を見据えた。
◇ ◇ ◇
——同日、夜、王宮の私室——
深夜の私室で、アレクシオスは机に向かって日記帳にペンを走らせていた。
蝋燭の光だけが部屋を照らし、ペン先が紙に触れるカリカリという音が響く。
『即位1年6ヶ月。
今日、新しい勅令を公布した。
増税と、公開処刑の復活。
父上が廃止した制度を、俺が復活させる。
これで、民の怒りはさらに高まる。
リアムの革命は、さらに支持を集めるだろう。
計画は、きっと順調だ。
でも——
胸の奥で、何かが軋んでいる。
これが、正義じゃない事は明らかだ。
本当に、この策であの四公爵から国を取り戻せるのか。
わからない。
わからないまま、進むしかない。
父上、どうか——
この道が、間違いでないことを』
ペンを置いて文字を見つめた。まだ乾いていないインクの文字が蝋燭の光に揺れている。
アレクシオスは日記帳を閉じて引き出しに仕舞い、鍵をかけた。
カチャリという音が静寂の中に響いていた。
◇ ◇ ◇
王都の広場に、多くの民衆が集められていた。
リアムはその端に立ち、中央を見つめていた。
そこには処刑台が設置されている。
黒い木で作られた台の上には、断頭台が据えられていた。刃は陽光を反射し、鈍く光っている。
アレクシオスの命により、公開処刑が復活したのだ。かつて先王が廃止した、この野蛮な慣習。
それが、再び王都に戻ってきた。
王宮の窓から、アレクシオスの姿が見える。その顔は遠くてよく見えないが、きっと——冷たい表情をしているに違いない。
罪人が、処刑台に上げられていく。
盗みを働いた若者、税を払えなかった老人、王に意見した商人。
様々な罪状を持つ者たちが、次々と断頭台に連れて行かれた。
民衆は、恐怖に震えながらそれを見ていた。子供たちは、恐怖で泣いていた。母親の服にしがみつき、顔を埋めて、見ないようにしている。だが、耳には斬首の音が届いた。
リアムの拳は、強く握りしめられていた。
爪が掌に食い込み、血が滲んでいたが、そんなことに気づかない。ただ、処刑台を見つめている。
(やり過ぎた。アレク……お前は、もう……)
だが、その先の言葉は、胸の奥で消えていった。
周りを見ると、民衆の顔には怒りと絶望が浮かんでいるのが見えた。
拳を握りしめる者、涙を流す者、ただ黙って見つめる者。
様々な反応があったが、その全てに共通するものがあった。
憎しみだ。若き王への、深い憎しみ。
リアムは踵を返して広場を後にした。スラム街へと向かう道を歩きながら、胸の中で決意が固まっていくのを感じた。
(もう、これ以上犠牲者を出したくない。計画を、急がないと……)
◇ ◇ ◇
夜の闇の中、スラム街のあちこちで若者たちが密かに集まっていた。
リアムはその中心に立ち、手には赤い布で作られた旗が握られている。
白い翼の紋章が描かれたその旗は、「希望の翼」の象徴だった。
集まった者たちの数は、以前より遥かに多い。三百人だった組織は、今や六百人を超えている。
「俺たちは、諦めない!処刑なんかに屈しない。覚悟なんてとっくに決めている!!」
リアムの声は、夜空に響き渡った。集まった者たちが、拳を上げる。歓声が、スラム街を揺らした。
「ファルコン!」
「ファルコン!」
その声が何度も繰り返されるのを聞きながら、リアムは旗を高く掲げた。
(もうすぐだ。もうすぐ、準備が整う)
革命の炎は、静かに、しかし確実に広がり、燃え上がっていた。
王都の夜空に、赤い旗が揺れている。それは、新しい時代の夜明けを告げる、希望の旗だった。




