東京鯖天娘
敬老会で食べるからってバーガーの注文が二十二個、いつもの消防団から十六個、安西工務店から十五個これで四十三個。
そんで、さっき注文入った藤倉さんってのが七十八個。
七十八個ってさ、どうやって食うのさ。
一体何人いるのさ。
何の集まりなのさ。
大食い大会でもやってんのか。
と、まあ、心の中で文句を言いながら鯖の天ぷらを機械の様に揚げている私。
更に店頭に並ぶ、お客さんが六人。
全部で幾つなんだか。
「お姉ちゃん。鯖、急いで」
私は必死に鯖の骨を抜いているお姉ちゃんに言う。
「うるさい、今やってる」
と、そう返って来るのはわかってて言う。
先々月にオープンしたこの店「サヴァ天」。
オーナーってのが後ろで鯖の骨を只管抜いている我がお姉の佳奈。
旦那のモトハル君ってのが魚屋やってて、そこで売れ残り気味の鯖を使って何か出来ないか、っていう話からこの店が誕生したんだけど。
これが思いの外大繁盛しちゃって、鯖の天ぷらと鯖バーガーしかメニューには無いんだけど。
ドリンクくらい出せって言われて考えたけど、無理。
店の外に自販機おいて、それで対応。
しかも調子に乗ってデリバリーなんて始めたモンだから、これがもうてんやわんや。
まあ、免許取り立ての私に、
「三輪バイク買ってやるから」
って言うんだもん。
所謂、鯖詐欺ってやつだね。
お姉の旦那の店で働くゲンジ君ってお姉の旦那の弟。
お姉の義理の弟だね。
それがやって来て必死に鯖を三枚におろす。
それが流れ作業でお姉の前にポンポンと投げられて、お姉はその骨をガンガン抜いている。
そしてそれを私の横にある天ぷら粉の中に入れて、私はそれをフライヤーにどんどん放り込む。
この間なんか、近くで魚料理の店をやっている父、ライタがやって来て、
「焼鯖もやったら良いのに」
って言うから、お姉と二人で、
「うるさい」
って返してやった。
とりあえず、今は鯖をガンガン揚げて、この全部で百二十一個の鯖バーガーを作る事に必死になっている訳で。
もうすぐ、魚屋を締めて、お姉の旦那のモトハル君もやって来る。
そうすると今度はお姉がフライヤーでゲンジ君が骨抜き、モトハル君が鯖の三枚おろし。
私は三輪バイクで配達って事になる。
一個四百円の鯖バーガー。
百二十一個で四万八千四百円。
こんな店で一日に十万円以上を売り上げている。
月に三百万を超える売り上げ。
モトハル君の魚屋より多い月もある。
フランチャイズ化の話をしに来た人も居たけど、営業中にそんな面倒な奴の相手はしてらんないから、話は進まない。
「バンズ足らないんじゃない」
と鯖を捌きながらゲンジ君が言う。
「モナコ、タケルに電話して」
お姉が苛々しながら言う。
私は鯖を揚げながらスマホで電話。
ゲンジ君の同級生のパン屋のタケル君。
「あ、タケル君。バンズが足らないわ」
それだけ言って電話を切った。
まあ、ほぼ毎日の事だから、それで通じる。
そしてバンズを持ってのこのこやって来るタケル君はそのバンズにマーガリンとマヨネーズとカラシを塗って行くって作業を手伝わされる事になる。
「急がないと敬老会、十七時だよ」
って言うけどさ、無理でしょ……。
店前の列がまた伸びてるし。
「覚えてろよ、クソ一族」
フラフラになりながらタケル君が出て行った。
何とか百二十一個の鯖バーガーを完成させて、全部まとめて私のトライクに積み込む。
後ろの大きなケースはそのためだから。
「マシマロ行くよ」
私は店の前で寝ていた猫のマシマロに言う。
マシマロは飛び起きて、トライクの前の籠に飛び乗る。
真っ白な猫だからマシマロ。
私は伝票を確認する。
「敬老会、消防団、安西工務店、藤倉さん」
私はトライクのエンジンを掛けた。
「じゃあ、行って来る」
そう言って一気に走り出す。
敬老会は私のジイヤが注文主。
とりあえずジイヤには定刻通り届ける事は出来そう。
敬老会をやってる公民館から消防団の詰め所までは五分。
そして安西工務店。
まあ、何とかなるか。
私はアクセルを捻る。
前の籠で全身に受ける風が気持ち良さそうなマシマロ。
路地を入ったところでトライクを止めた。
公民館の入口でジイヤが待ってた。
「おお、モナコ」
ジイヤは手を上げて私を呼ぶ。
私は二十二と書いた袋を取り、ジイヤに渡す。
「すまんな忙しいのに」
ジイヤはニコニコ微笑みながら言う。
「本当だよ、でも、良いの、敬老会でハンバーガーなんて食べて」
ジイヤは私にお金を渡しながら、
「美味いから誰も文句言わんしな」
と歯を見せて笑う。
ジイヤ、そちも悪よのう。
私は、お金をポケットに入れると直ぐにトライクに乗り込んだ。
「じゃあ、またお願いします」
私がジイヤに言うと、前の籠にいたマシマロも「にゃあ」と言う。
良く出来た看板猫だ。
極力信号の無い道を走り、消防団の詰め所に到着。
「お、モナコちゃん。いつもすまんね」
と団長が出て来た。
十六と書いた袋を団長に渡し、お金を受け取った。
「もっとパワー出る食いモン食った方が良いと思うんだけどな」
私が言うと、
「消防団員も年取って来てね。重いモンはダメなんだよ」
団長はそう言った。
それじゃ消せる火も消せないでしょ。
私は直ぐにトライクを走らせる。
安西工務店は大工仕事から帰って来た社員のために鯖バーガーを週に何度か注文してくれる。
安西工務店の前にトライクを停めると、社長が出て来る。
「モナコちゃん。いつもありがとう」
と社長は籠に乗ったマシマロの頭を撫でながら言う。
「何か、お店にも凄い列が出来てるって聞いたよ」
「おかげ様で……」
私はお金を受け取り、トライクに乗り込んだ。
「また、よろしくお願いします、社長」
私はそう言ってトライクを走らせた。
ったく、そんなに鯖バーガーなんて食べたいのかね……。
私は風を切って走る。
マシマロも籠に立ち上がり、全身で風を受けている。
バンズにマーガリンとマヨネーズ、カラシを塗り、柚子大根の漬物を挟み鯖の天ぷらを載せる。
そして塩昆布を載せてバンズで挟む。
これがうちの鯖バーガー。
実はレシピを考えたのは私。
ピクルスだって漬物じゃん、ってなモンで柚子大根。
塩気を足すために塩昆布。
全部ご近所のお店で調達。
うちが潤えばご近所も少し潤う。
そりゃ皆応援してくれる。
文句を言ってるのはパン屋のタケル君くらいのモンで。
まあ、タケル君はマーガリン塗るの手伝わされたりしてるしね。
早く、カラシマヨマーガリンを開発してくれって頼んでるのに。
私は初めて行く藤倉さんの家を、スマホのナビで見ながら走る。
そのためにトライクのハンドルにスマホのホルダーも付けてる。
おっと、こっちだ。
私は大きな交差点を右折し、そのすぐ先の路地を入った。
ん……。
あれかな……。
奥にお寺の様な門が見えた。
私はその門の前にトライクを止める。
立派な「藤倉」と書かれた表札があった。
此処だ……。
私はトライクから降りて、インターホンを押した。
マシマロも籠から降りて、私の足元に立った。
「にゃあ」
マシマロは私の足元に顔を擦り付けている。
「はい」
太い声で返事があった。
「あ、サヴァ天です。ご注文のバーガーをお届けに上がりました」
私はインターホンに向かって声を張った。
しばらくすると大きな門の横にある勝手口が開き、いかにもあっち系の男が出て来た。
そして肩を怒らせながら近付いて来る。
「うちは頼んでないんだがな……」
男は私の持っている袋の中を覗いた。
「ハンバーガーか」
「いえ、鯖バーガーです、確かにお電話で七十八個……」
私は徐々に声が小さくなって行った。
「七十八個だぁ……」
男は眉に皺を寄せて、また袋の中を見る。
「あの野郎……」
男はそう呟くと勝手口の扉を開けた。
「入んな……」
私は頭を下げて、言われるがままに男に着いて行く。
マシマロは私の背中に爪を立ててくっついた。
中も凄いお屋敷で、如何にもって感じ。
まあ、そんな事で怯んでちゃ、商売なんてやってらんない。
凄い庭の中を通り、何て言うのかな、時代劇のお白州みたいな縁側に出た。
そこから見える部屋に老人が一人居るのが見えた。
「親父」
男はその部屋の老人に声を掛けて戸を開けた。
男は老人に近付き、耳元で何かを囁く。
老人は鋭い眼つきで私を見た。
マシマロが私の背中から飛び降りて、老人に向かって、
「フーッ」
と威嚇した。
何々……。
何がどうなってる訳……。
「あの……」
私は声を発した。
「何かの間違いでしたら持ち帰りますので……」
「待ちなさい」
老人はどうやら書道をしていたのか、手に持った筆を置いて、縁側に出た。
私は少し後退り、背筋を伸ばした。
相変わらずマシマロはしっぽ迄毛を逆立てて老人を威嚇していた。
「悪戯だろうが、間違いだろうが、この藤倉の名で注文したモノなら、戴こう」
老人はそう言った。
「幾らかな」
と老人が言うと、さっきの男が分厚い財布を持って老人の傍に来た。
私は鯖バーガーの入った袋を老人の傍に置いて、
「三万一千二百円になります」
と言った。
老人は財布から一万円札を四枚出して私に手渡す。
私はお釣りを出そうと袋を開けた。
「釣りは良い。配達代だ」
と言って、財布を男に渡した。
「でも……」
「良いと言ったら良いんだ」
老人はそう言うと縁側に足を投げ出して座った。
「私たちの世界では、一度出したモノをまた引っ込める事を嫌う」
そう言って歯を見せて笑った。
私は、ゆっくりと頭を下げた。
「ところで色々と訊きたい事があるのだが……」
と老人は私に言う。
「はい」
今にも跪きそうになるのを堪えて、私は傍で威嚇するマシマロを抱き上げた。
「お嬢は何を配達したんだ」
どうやら本当に悪戯か何かの様で、私が持って来たモノが何かも知らない様子だった。
「鯖バーガーです」
「サバ……。サバとはあの魚の鯖か」
私は頷く。
「パンに鯖の天ぷらと柚子大根と塩昆布を挟んだハンバーガーです」
老人は興味深そうに袋の中を見ていた。
そして頷くと、
「一つ戴いても良いかな……」
老人はそう言って袋の中から鯖バーガーを一つ手に取った。
そして包みを開けると、鯖バーガーに噛り付いた。
ゆっくりと咀嚼して飲み込む。
「ほう……。俺はなかなか……」
老人は二口目を口にした。
「うん。これは美味い……」
そう言うと夢中で食べ始めた。
怖い顔の男が、お茶を淹れて老人の横に置いた。
老人はお茶を飲むのも忘れて鯖バーガーを一気に食べた。
「いや、なかなか斬新な食い物だな。気に入った……」
老人は声をあげて笑った。
「柚子大根と塩昆布が丁度良いアクセントになってるな。鯖も良い感じの歯ごたえだ」
私は微笑んで、頭を下げた。
そしてその笑いを突然止め、真剣な表情で私を見る。
な、何なのよ……。
私はまた自然と身を引いた。
「ところでお嬢。ちと頼まれ事をしてもらえんかな」
私は首を傾げた。
「何、難しい事ではない」
老人はニヤリと笑った。
どうなってんのよ。
私はトライクを飛ばして店に戻っていた。
前の籠ではマシマロが立ち上がって風を受けている。
「この鯖バーガーを百個。あるところに届けて欲しい」
老人は微笑みながら言う。
「ひゃ、百個ですか」
私はファルセットで言った筈。
老人はまた財布を出して、お金を私に渡した。
「まあ、奴も金は払うだろうが、その時はお嬢の駄賃にすれば良い」
老人は強引にお金を私に握らせて言う。
私は「わかりました」と返事をして、強面の男から届け先の住所を書いたメモを受け取った。
「本当に届けますからね」
私は何度も老人にそう言ってお屋敷を出た。
「行くよ、マシマロ」
私がマシマロを呼ぶと、私の背中に飛びついて掴まっていた。
「は、今から百個……」
お姉は電話で驚いていたけど、またゲンジ君もモトハル君も居るって言ってたので、取り掛かっている筈だ。
私も早く店に戻り手伝わなきゃ……。
私が店に戻ると、既にタケル君も来てて、またマーガリンとマヨネーズ、カラシを必死でバンズに塗っていた。
「モナコ、漬物が足らないわ」
お姉は鯖を揚げながら叫ぶ様に言う。
「わかった、漬物屋行って来る」
私は近所の漬物屋に走る。
私の後ろをマシマロが走って着いて来る。
シャッターを下ろしかけた漬物屋に着き、私はシャッターを無理矢理持ち上げた。
「ごめん、おじさん、いつもの追加で」
と言うと、おじさんはレジのお金を数えていた。
「おお、モナコちゃん。ちょっと待って」
そう言って柚子大根を二本袋に入れてくれた。
「ありがとう。明日もお願いね」
私はそう言って店に走る。
マシマロは店の外に停めたトライクの籠の中に上り丸くなっていた。
中に入ると私は柚子大根を切る。
「タケル、あと幾つ」
お姉がタケル君に訊くと、タケル君はヘロヘロになりながら、
「あと三十七」
と答え、またマーガリンを塗る。
「自分の店のサンドイッチでもこんなにやらねぇよ」
私はそれを見て笑いながら漬物を切った。
「鯖はこんなモンか」
とモトハル君が鯖を捌く手を止めた。
「ありがと、モトハル」
お姉は油を切っている揚げた鯖を数えて、タケルの傍に持って行く。
「これで百」
そう言うとタケル君の背中を叩いた。
「あとで美味いモン食わせてやるから」
お姉はバンズに鯖を載せ始めた。
私も漬物を切ってお姉を手伝う。
「骨抜き終わった分、冷蔵庫に入れとくぞ」
とモトハル君は大声で言う。
「よろしく」
もう、店の中は戦争状態。
私はお姉が鯖を挟んだバンズを一つ一つ紙に包み、袋に入れて行く。
「よし、出来た」
とお姉が最後のバンズを私に渡した。
それを紙に包み袋に入れた。
「じゃあ行って来るよ」
私はその袋を持って店を出た。
「気を付けてな」
モトハル君の声が聞こえたが、もう返事も無しに私はトライクを走らせた。
藤倉さんからもらったメモの住所まで五分程。
私はスマホのナビを見ながら走った。
またマシマロは嬉しそうに風を浴びている。
さっきの藤倉邸と違い、今度は古いビルだった。
「此処が……」
私はトライクを降りて、その古いビルの階段を上った。
またマシマロは私の背中に飛びつく。
ここの三階……。
私は階段を三階まで上ると、如何にも組事務所って感じのドアをノックした。
明かりはついているが何の返事も無い。
しばらくすると、派手なシャツを着た若い男がドアを開けた。
「何だ……」
しかしヤクザってのはどうしてこんなに不愛想なのかな。
「サヴァ天です。鯖バーガーお届けに参りました」
私は半ば自棄になり、その男の脇を潜ってその事務所の中に入った。
「そんなモン頼んでねぇよ……」
「えっと……日下さんって方は……」
私がそう言うと、事務所の中で偉そうに座っていた男が顎で合図した。
すると若い男が奥の部屋へと入って行く。
やめてよ、チャカとかドスとか……。
私は、背筋を伸ばして目だけを動かし事務所の中を見た。
古い事務机、麻雀卓、代紋の入った額、神棚……。
ドラマの世界のヤクザの事務所そのものだ。
奥の部屋のドアが開き、若いヤクザが私の前に走って来た。
「奥へどうぞ……」
さっきとは打って変わって丁寧に私は奥の部屋へ招かれた。
部屋の中には猫を抱いた老人が座っていた。
私が部屋に入ると、ドアが閉められた。
その瞬間マシマロが私の背中から飛び降りた。
「おお、猫も一緒か……」
老人がそう言うと、膝の上に居た猫が床に飛び降りて、マシマロの傍に来た。
「あの……」
私はマシマロ達を見ながら声を出す。
「ああ、わかっている。藤倉が寄こしたんだろう」
老人は手を出して私の言葉を制した。
「幾らだ」
老人はゆっくりと立ち上がり、ハンガーに掛けた上着のポケットに手を入れた。
「いえ、お代は藤倉様に戴いてますので」
私の言葉にその老人はゆっくりと振り返った。
「何だと……」
少しドスの効いた声になった。
「俺に恥をかかせる気か……」
やっぱりそうなるのね……。
老人は財布を掌で叩きながらソファに座った。
「お姉ちゃん。座んな」
私は袋をテーブルの上に置いて老人の向かいに座った。
マシマロと老人の猫は部屋の隅で、黙ったまま見つめ合っている。
「鯖バーガーだったな……」
老人は袋の中からバーガーを一つ取り、包みを開いた。
そして大きな口を開けて食べ始める。
「おお、評判通りの味だな……。うん、なかなか美味い」
そう言いながら一気に食べ終えた。
そしてテーブルの上にあったお茶を飲んだ。
「藤倉の所にバーガーを届けさせたの私だ。藤倉の分とこの分……」
老人は目の前の袋を顎で指した。
「合わせて幾らだ」
「藤倉さんの分はもう戴いてます」
「それじゃ困るんだ。筋が通らん」
「こちらの分も藤倉さんに戴いてますし」
「それは面子が立たない」
私は、俯いて溜息を吐く。
「あの……」
私はゆっくりと顔を上げた。
「教えて戴けますか、お互いに他人の分の注文をされる訳を」
困り果てた私の顔を見て、老人は目を丸くしてソファに深く座った。
そして、微笑み、
「冷める前に、皆に鯖バーガーを食わせてやっても良いかな」
と言う。
私が無言で頷くと大声で、「おい」と言った。
すると直ぐにさっきの若いヤクザが入って来た。
「鯖バーガーだ。あったかい内に皆で食え」
と老人は袋を指差す。
若いヤクザは袋を持って部屋を出て行った。
老人は微笑みながら、私を見た。
「私と藤倉はもう、何年もこうやって東京中、いや日本中の美味いモノを贈り合っている」
私は眉を寄せて頷いた。
「勿論、この数だ。お互いに減ってしまった構成員では食い切れないだろう」
老人はお茶を一口飲み、テーブルの上に湯飲みを置いた。
「そしてお互い贈られたモノで、美味かったモノへの返事として同じモノを返す。そんな事がいつの間にか決まりになった」
老人はゆっくりと身を乗り出した。
「お姉ちゃんの店の鯖バーガーは藤倉も気に入ったという事だな」
私は口を瞑って頷いた。
「余ったモノも絶対に捨てない。近所にある孤児院へ後で持って行くんだ。向こうもそうだ。近くにある施設に届けている筈だ。それは私たちの世界で言う「筋」と言うモンだ。金もそうだ。お互いが注文したモノを相手が払う。それは「面子」と言うモンだな」
「あの……」
私は老人の顔を真っ直ぐに見た。
「何かな」
私は息を吸って、一気に吐き出す様に、
「面子とか筋とか、良くわからないですけど、要は仲がいいから贈り合っているって事ですか、それとも何て言うか、喧嘩する代わりに相手を困らせようとされているんですか。そんなモノの道具にされたんじゃ私たちは大変ですよ。七十とか百とかって注文されるとその度に店の中が戦争みたいになるんです。近所のお店にも迷惑かけるし、パン屋のタケル君なんてマーガリンとかまで塗って手伝ってくれてるんですよ。勿論、お金もらえるから良い、商売なんで、それはそれで良いんです。けど、それで今日お店に並んでたお客さんを待たせてしまったり、注文を断ってしまうことだってあるんです。仲良いならもっと素直に仲良くしたら良いんじゃないですか。もっともっとご近所にも美味しいモンなんていっぱいあります。二人で食べ歩きとかすればいいじゃないですか」
私は肩で息をしながら言った。
そしてすっきりした。
老人は身を引いて私を呆然と見ていた。
私はゆっくりと立ち上がって、
「帰るよ、マシマロ」
と言い、マシマロの方を見た。
するとマシマロは老人の猫に負いかぶさり腰を振っていた。
「ま、マシマロ……」
老人は立ち上がって、声を震わせた。
「うちのマリアちゃんを……」
やばいな……。
私は腰を振っているマシマロを抱かかえ、逃げる様に事務所を出た。
十八のお姉を妊娠させたモトハル君の親も、こんな心境だったのだろうか。
私は一気に階段を駆け下りて、トライクに飛び乗る。
エンジンを掛けると一気に走って帰った。
しばらく経って、藤倉さんからまた注文が入った。
今度はご自分での注文だった。
私がトライクで藤倉邸を訪ねると、其処には日下老人が居た。
やばい……。
私はそう思ったが、藤倉邸の庭に真っ白な子猫が遊んでいた。
「おお、お姉ちゃん来たか、こっちだ」
と日下老人は私に手招きをする。
いつもの様に背中に張り付いていたマシマロは飛び降りてその子猫の傍に寄った。
「マリアとお姉ちゃんの猫の子供だ」
と日下老人は笑っていた。
「私が此処で育てる事にしたんだよ」
と藤倉さんも笑っていた。
 




