最終章 未来へ
季節は巡り、再び春が訪れた。
淡い桃色の桜が風に揺れ、川沿いの道を歩く人々の頬をやわらかく撫でていく。
美由紀はそのなかにいた。ワンピースの裾が風に揺れ、日傘の下で瞳を細める。
彼女の隣にはレナがいた。ふたりの歩幅は、今では自然に揃っていた。
「ねえ、あの頃……わたし、自分を好きになるなんて思ってなかったんだ」
桜並木の下で、美由紀がぽつりと呟く。
「鏡を見るのも、名前を呼ばれるのも、ずっと怖かった。でも、レナと出会ってから……
“自分で選んでいい”って初めて思えた。名前も、服も、声も、生き方も――」
「うん。……わたしも、あなたと出会って、ずっと探してた“誰かのためじゃない愛し方”を知った気がするの」
レナはふと、美由紀の手を取った。
ふたりの指が絡まり、そっと確かめるように握られる。
「この先も、何があるかはわからないけど。
でも、あなたと一緒なら、ちゃんと選びながら進める。
今日のわたしが、昨日のわたしと違っても、いいんだって思えるから」
美由紀は、微笑んだ。
「うん。だってわたし、“わたしであること”を選んだから。
何があっても、誰に否定されても、それを取り戻す勇気は、もうあるから」
空を見上げると、花びらが風に乗って舞い降りる。
その一枚が、レナの髪にそっと留まった。
美由紀は小さく笑いながら、指先でそれを取る。
「……桜って、なんでこんなに胸がぎゅってなるんだろうね」
「きっと、始まりと終わりのどちらにも寄り添ってるからじゃない?」
レナの言葉に、美由紀はまた、笑った。
•
その日、ふたりは並んで歩きながら、小さなアパートに戻った。
部屋の中には、変わらない景色がある。
カーテンの隙間から差し込む光、いつもの紅茶、
そして並んだ二つのマグカップ。
美由紀は、日記帳を開いた。
新しいページに、ゆっくりとペンを走らせる。
わたしは、今日も“わたしであること”を選ぶ。
それは、誰かに見せるためじゃない。
誰かに理解されるためでもない。
“わたし”と向き合うために。
“わたしたち”として歩いていくために。
小さな一歩を、これからも重ねていこうと思う。
ページを閉じると、静かにレナの声がした。
「明日も、また一緒に歩こうね」
「うん。どこまでも」
そして、ふたりの物語は、日々という名の未来へ続いていく。
⸻ 完