「私で童貞捨てたクセに…♡」と言われても、俺はまだ童貞なはずなんですが
――それは、とある日の放課後の、生徒会室で起こった。
「私で童貞捨てたクセに……♡」
社長椅子に座った会長は、書記である俺に向かってそんなセリフを吐いた。
しかも夕陽に照らされながら、頬を少し膨らませて。
本来であれば、両手を上げて「わーい! 激萌えだーい!」と大歓喜していたところだろう。
しかし、そうできない理由があった。
それは――
「……え? 俺はまだバキバキに童貞なはずなんですけど」
「…………は?」
会長が目を丸くさせ、俺を見る。
聞き返したいのは俺の方だ。
俺がクラスの女子と打ち上げ花火を下から見るか、横から見るか、はたまた右斜め45度から見るかというので盛り上がったという話を会長にしたら、下半身を激しく刺激する一言を言われたのだ。
ちなみに、会長は普段下ネタを言うようなタイプではない。
むしろ“生徒会長”という言葉が持つ清廉さを体現したようなお方だ。
間違っても「童貞」なんて言葉は使わない。
「いやいや、ちょっと待ってほしい。書記くんは私で童貞を捨てたよね?」
「いえ、バキバキに童貞です」
「そのバキバキって枕詞やめてもらえる?」
「すみません」
ぐ〇ぴぃさんもすみません。
「書記くんは童貞じゃないよ。だって私で童貞を捨てたんだから」
「ちょっと待ってください」
話の途中だが、初めから気になってしょうがなかったので遮らせてもらう。
どうしてもこれだけは訂正したい。
「なんだ」
「俺は童貞を捨てるなんて、そんなことはしません。もし童貞を手放すなら、童貞を差し上げます」
「その発言がモロに童貞っぽいけど、書記くんはもう童貞じゃないんだよ。そして私も、君と同じで処女を捨てた。書記くんの言葉で言うなら……その、処女を差し上げたことになる」
恥じらいながら言う会長。
「……すみません、トイレ行ってきていいですか?」
「行くな今じゃない」
クッ……。
仕方ない、我慢しよう。
もはやそれどころじゃない状況だし。
「すみませんが、俺は本当に童貞を手放した記憶がないんです。会長の話からして……その、俺と会長が……えっと、し、した? んですか? いや、だとしたら覚えてるというか、忘れられないというか……え、マジですか?」
「バキバキに童貞感を出さないでくれ。自分が嘘をついてる気がしてくるから」
会長が深くため息をつく。
しょうないだろ。
だって半端なく困惑してるんだから。
今俺は言わば、シュレーディンガーの童貞状態なんだし。
「んんっ!」
会長が咳払いをする。
そして頬を赤く染めながら、力強く言い放った。
「私は書記くんと、致したんだ! しかもここで!」
「え、ここで⁉」
「そうだ、ここだ」
「せ、生徒会室で」
「……そうだ」
「…………ま、マジかよ。ほんとに知らない話なんですが」
「はぁ⁉ どうして覚えてないんださっきから! 私をからかうのは……や、やめろぉ!!!」
会長が机にバン! と手を突き、立ち上がる。
その顔は真剣そのもので、とてもじゃないが嘘をついているようには見えなかった。
俺もふざけて照れを誤魔化すのはやめて、真剣に向き合う。
これは一大事だ。
「会長、俺ほんとに心当たりがないんです。会長と生徒会室でしたなんて」
「っ! ……そうか、ほんとに覚えてないんだな……」
そう言って、会長は意外にもあっさり椅子に座り直した。
……ん? この反応、どう考えたっておかしい。
「…………もしかして会長、俺が覚えてない心当たりがあるんですか?」
「うぐっ! そ、それは……ちょっと寝ぼけてたっていうか、やけに素直だなって思ったっていうかぁ……」
「ほらやっぱり! ちゃんと説明してください!」
「うぅ……き、嫌いにならない?」
「なりませんって! 俺の童貞を差し上げた可能性が大な人なんですから、あなたは!」
「…………わかった」
会長は叱られた子供みたいに小さく呟くと、話し始めた。
「前に部活動の予算で死ぬほど忙しかった期間あっただろ? 私と書記くんが二人で夜遅くまで生徒会室に残ってて、書記くんが仮眠してて……」
「それで?」
「て、テスト期間にそ、そういう気持ちになりやすいっていうのあるだろ? そ、その要領でむ、ムラっとしてたっていうか……」
「えぇ⁉」
「それで、ちょっと書記くんにちょっかい出すつもりが、寝ぼけてたのか私に抱き着いてきて、それでそのまま……」
「…………」
「しょ、書記くん? 何とか言ってくれ」
「…………あの、会長」
照れて、モジモジする会長。
俺は全身全霊で、頭を下げた。
「すみませんでしたッ!!!」
「なんだ急に!」
「最初の方は何やってるんだ会長って思ってたんですけど、寝ぼけて抱き着いて、そのまま行為に及んだとか俺も同罪かそれ以上にヤバいことしてましたね! しかもそれを覚えてないとか、たぶん違う世界線なら軽く死刑の大罪を犯してました! ほんと、すみませんッ!!!!」
途中まで会長結構ヤバいなとか思ってた自分を殴りたい。
激しく。
「しょ、書記くん……」
困惑した様子の会長。
俺はそれでも、必死に頭を下げ続ける。
これじゃ会長に示しがつかない。
会長はこほんと咳払いすると、「顔を上げてくれ」と俺に声をかけた。
「で、ですが……!」
「いいから」
会長に強く言われ、顔を上げる。
会長はそっぽを向き、耳まで真っ赤にしていた。
そんな会長はあまりにも可愛くて、こんな状況なのにドキッとしてしまう。
「一つ聞かせてくれ。その……私で童貞を捨てたことは嫌……だったか?」
「っ!」
会長の言葉にハッとさせられる。
会長はそんなことを気にしていたのか。
俺はこの件をあまりに深く考えすぎていたのかもしれない。
けど、会長はもっと初歩的で、まず初めに考えるべきことに目を向けていたんだ。
(そうだよな)
会長が正しい。
今、ごちゃごちゃ考えるべきじゃないんだ。
俺が今考え、会長に言うべきなのは、きっと――
「むしろ、最高ですッ!!!!」
俺の言葉に、会長がぷっと吹き出す。
「あははははっ! なんだそれは」
「俺の素直な気持ちです! だって会長に童貞を差し上げられるなんて、これ以上ない喜びですから!」
「雰囲気で何とかもってるけど、言葉はなかなかに最低だな……でも、すごく嬉しいよ」
「会長……」
ごくりと唾を飲み込む。
ヤバい、会長が最高に可愛い。
今すぐにでも抱きしめたい。
いや、それ以上のことも……。
「会長!」
「なんだ?」
優し気に微笑む会長。
俺は誠心誠意、愛の告白をするかのように告げた。
「会長のこと、抱きしめてもいいですか!」
俺の言葉に、会長が驚いたように目を見開く。
やがて頬を緩ませると、呆れたように言った。
「まったく、そんなことをわざわざお願いするとは……」
そう言いながら、会長が立ち上がって俺の隣に立つ。
そして腕を広げ、微笑みながら言うのだった。
「私で童貞捨てたクセに」
おしまい。