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その9


 

     9



 木々の間を縫うように続く上り道を、二つの影が移動していた。


「人が自ら苦しみを求める理由は、大きく分けて二通りだと聞いたことがある」


「…………」


「その苦しみを上回る別の大きな苦しみから逃れたいと思う場合。あるいは、その苦しみを超えてかなえたいと思う願いがある場合。霊夢、いまのお前の場合はどっちだ?」


「……さあね」


 霊夢は荷物だらけになっているその身体の歩みを恐ろしい勢いで進めながら、気のない返事をする。


「それより……なんであんたがこんなところをうろついてるわけ?」


「もちろん、紫様のご命令さ」


 ふわふわと浮遊しながら霊夢のあとをついてゆくその人物は澄まし顔で答える。より厳密に言えば、人ではない。帽子をかぶっているからそれと分かりにくいが、両の耳は尖っていて、腰の後には九つの尾が広がっている。そのきらきらと輝く毛並みはある種の神々しささえ感じさせる。


「わたしは式神だからな、自分だけの思いつきで行動しているわけではない」


「それは分かるけど……で、わたしにつきまとってどうしようというの?」


「そうだな……とりあえず」


 その妖獣は、すっと身体を反転させて霊夢の前を塞ぐ形て空中に静止した。


「わたしとひと勝負してもらおうか」


「ふん……」


 霊夢は鼻を鳴らし、歩みを止めた。


「正直、今日はあんまりそういう気になれないんだけどなあ」


「だろうな。実際、いまのお前の霊気はかなり乱れている。この幻想郷を守る博麗の巫女らしからぬことだ」


「……大きなお世話よ」


「聞け、霊夢。お前のその乱れは、己の心のありようを独りで測ろうとしているからだ」


「…………」


「だが、そんなことは誰にも出来はしない。想いにせよ、願いにせよ、そのありようは他者を相手に測るしかない。だから、このわたしが相手になってやろうというのだ」


「ふうん……つまり、あなたがわたしの心を測ってくれるとでもいうの?」


「強いて言うならば、な。わたしに勝てばお前の想いはそれだけのものだったということだ。負けたなら、やはりそれだけのものだったということだ」


「あんたらしいへ理屈ね……つまり、なにも賭けずにただ勝負をしようというのね」


「そうだ」


「いいわ。そこまで言うなら……」


 霊夢は荷物を下ろし、懐から符を取り出した。


「そのかわり、今日はとことんまでやらせてもらうわよ? 覚悟することね」


「ふふ……さすがは霊夢だ。そうこなくてはいけない」


 八雲藍は薄く笑みを浮かべる。


「それでは、いくぞ」



     **********



 魔理沙は博麗神社への飛行途中、これまでの経緯をすべて話してくれた。


『だいたいの事情は分かったが……その失敗は霊夢に隠すほどのことではないと思う』


「そうなんだけどな……でも、今回の件はけっこう霊夢にとっちゃダメージがあったんじゃないかと思うのさ」


 魔理沙はその片手で抱きかかえている私を見下ろして言う。


「あいつはわりといつも暢気で、ちょっとしたことには動じないタイプなんだが、今朝はなんかえらく気の抜けた顔してて……まあ、あいつのことだからバレたとしても、あっさり

『へー、そうだったんだ』で終わるかもしれないけどな。でも、マジ怒りされたらヤバそうだ」


『そんなに怒ると怖いのか?』


「いや……まあ、実は普段まともに怒ったところってのはまだ一度も見たことがないんだ。あいつが感情を剥き出しにするのは戦いのときだけだからな」


『戦い? ここの巫女は戦うのか?』


「巫女がっていうより、この幻想郷に住むいわゆる『人外』の連中はたいていは戦うんだよ。もっとも、一種のお遊びなんだがな。ただ、遊びとはいえ勝負はそれなりに真剣なんだ。勝った者は敗れた者にあらかじめ約束したことをさせる権利がある。それがこの戦いのルールなんだ」


『つまり何かを賭ける、ということか』


「そうだ。賭けの内容はいろいろだがな。ただ、場合によっちゃ生き死にに係るようなことだってある。ま、そいうヤバい状況は滅多にあるわけじゃないが、あいつは……霊夢は、そういう戦いも何度か経験してる。妖怪の類が起こす『異変』を鎮めるのがあいつの役割だからな。早い話、この幻想郷の守り神みたいなもんだ。そういう言い方をすると、あいつはあんまりいい顔をしないがな」


『どうして……?』


「なんつーのか、使命感みたいなことでやってるわけじゃないからさ。あいつはただ自分が感じたままに、やりたいようにやってる。理屈でどうこうじゃないんだ。ヤバそうなヤツはとにかく力づくで叩きのめす。で、勝負を付けて、こっちの言い分を通したらそれでおしまいだ。あとは幻想郷のルールに従ってくれれば、もう敵も味方もない」


『そんなやり方でなんとかなるものなのか?』


「少なくとも今まではなんとかなってきた。ただ、それがいつまで続くもんかってのはなんとも言えないがな……」


『…………』


「ま、話が飛んじまったが、要するにアレなのさ、こんなドジ踏んで、それでまたあいつにあっさり笑って許してもらうなんて状況は……なんか自分的に許せないんだよ。それだったらあえて隠し通して、少しばかり胸をちくちくさせてた方がいいような気がするんだ。今後のためにもな」


『……そうか』


「それにせっかくアリスの人形に布団のしみ抜きまでやってもらったしな、証拠隠滅ってことで」


 魔理沙は背中にひもで縛り付けられている掛け布団を指で示しながら、薄く苦笑を浮かべた。


「ただ、あいつが先に里から戻ってるとちょっと面倒なことになるが……まあ、けっこうな額の金を渡したし、簡単には動けなくなるぐらいの買い物すると思うからたぶん大丈夫だろう」


『……浪費家なのか?』


「いや、普段が普段だから、反動がでかいんだ。実際、あいつがどうやって食えてるのかよく分からないところもあるしな」


 たしかにあの神社のたたずまいでは、すくなくとも裕福という感じはしない。


『ところで、さっきからあのあたりに光みたいなものがチカチカしてるのが見えるんだが……何だろうな』


「ん? どこだ?」


『あの……すこし開けてるところの脇の、あの森のあたり』


「あれは神社の参道のあたりだな……どのみち近づいてくれば分かるが、ちょっと飛ばしてみるか。しっかりつかまってろよ」


 魔理沙がそう言ったとたん、いきなり前方からの風圧が高まった。


 風を切るような音がごうごうと響く。


「やっぱ、背中にこんなもん背負ってるとスピードが上がらねえなあ」


『いや、結構速いような気がするが……』


 やがて、前方の光の煌めきは、次第に大きくなってきて、それがある種の流れのぶつかり合いであることが明らかになった。ふたつの影が激しく動き回り、その周囲には輝く光弾が乱れ飛んでいた。


「うわ……ありゃ、藍だぜ」


 魔理沙がつぶやく。


「しかも相手は、霊夢だ」


『よく分からないが、もしかして例の戦いというやつか?』


「ああ。あの毛玉みたいなのは八雲藍っていって、この幻想郷でも最強クラスの妖獣なんだ。しかし、妙だな。あの化け物がわざわざ参道にまで出張ってくるなんて……ま、いいか。とりあえずこっちにとっちゃ好都合だ。先に神社に行って、決着がつくのを待ってりゃいい」


『……霊夢を助けないのか?』


「幻想郷の戦いは原則として一対一だし、あとから加勢するのはルール違反だ。それに」


 魔理沙はにやりとする。


「霊夢はめったなことじゃやられやしない。まして博麗の巫女が自分とこの神社の参道で戦って負けたなんてことになったら恥もいいところだからな。意地でも相手を叩き伏せるだろうさ」


 方向転換して、魔理沙は神社の建物のほうへと向かう。


「どっちにしても、あの調子ならそろそろ決着はつくだろう。体力の限界ぎりぎりまでやるなんてことは普通ないからな」


『……一種の娯楽のようなものか』


「それに近い感じはあるな。妖怪たちにとっちゃ楽しみなんて、せいぜい酒とこの戦いぐらいなもんさ」


 魔理沙は拝殿の正面に急角度で進入すると、階のすぐそばで停止し、ふわりと地面に降り立った。


 そのまま拝殿に上がり込み、母屋へ回ると背中の紐を解いて掛け布団を降ろした。


「ふう……やれやれだぜ」


『お疲れさま』


「ああ、ま……お互いさまにな」


 私を卓袱台の上に座らせると、魔理沙は畳にぺたんと座り込み、そのまま布団の上に横倒しになった。


「正直、もうくたくただぜ……まあ自業自得なんだが……な」


 そのまま動かなくなってしまったので、おそるおそるそばに近づいてみると、いつのまにすやすやと寝息を立てていた。その寝顔は、それこそ西洋人形のような可愛らしさだった。


『……こうして見ると、まだ少女っぽい感じではあるな』


 その様子をなんとなく眺めているうちに、ふと後から人の気配を感じた。


 とっさに私は「動き」を停めた。


「ただいまーって、あれ……? 寝てるの、魔理沙。しかもこんな布団の上で……暢気ねえ」


 廊下から影が近づいて来て、視界に霊夢の姿が現れる。魔理沙の言う通り、どうして動けるのかと思えるほどの荷物を両手に抱え、背中にまで何か背負っていた。


「こっちは狐相手に理不尽な戦いを強いられてたってのに……ま、それは八つ当たりか」


 どさどさと荷物を周りに降ろす。紅白の巫女服には戦いの影響か、多少汚れがついていた。


 と、霊夢が私の方に眼を向けた。


『…………』


「…………」


 ゆっくりと歩み寄ってくると、しゃがんで私の身体を抱き上げる。


「ねえ……返事してよ」


 ……!


「これじゃ、なんか……いやだよ。中途半端だよ」


 …………。


「理由があったんでしょう? わざわざわたしの心の中にまで……入って来たんだから。それなのに、あっさりいなくなるなんて……」


 唇が、ゆがむ。


「もっと、ちゃんとあなたの話を聞けばよかった。追い出そうとなんて……しなければよかった」


 …………。


「もしかしたら、あなたはわたしにとって大切な何かだったのなのかもしれないのに……」


 いきなり、私の頭は霊夢の胸に押し付けられた。

 細い両腕が、私の身体を取り囲む。


「お願い……お願い。もし聞こえてるなら、返事をしてよ……お願い!」


 どうすれば……いいだろう。

 本当は魔理沙に説明してもらったほうがいいんだろうが……。

 何も言わない、というわけにはいかないようだ。


『……あの、だな』


「えっ……?」


 霊夢はばっとわたしの身体を胸から引き剥がす。

 霊夢の顔が目の前に現れる。その眼が大きく見開かれている。


「何、いまの?」


 きょろきょろと周りを見回す。


「魔理沙……じゃないわよね」


『私、なんだが……』


「…………」


 霊夢はゆっくりと私に顔を戻す。


『ええと……つまり』


 うまく自分のことを説明できる言葉が見当たらない。

 と、ひとつ思い浮かんだことがあった。


『あれだ、ひとりで二人分酒を飲んだ、お徳用な私だ』


「あっ……!」


 霊夢が口を開ける。


『分かる……』


「バカッ!」


 いきなり大声で怒鳴られ、身体が揺すぶられる。


『いや、あの』


「びっくりするじゃない、いきなり!」


『すまない。驚かせるつもりは』


「あのねえ、わたしはね……」


 と、突然なにか水っぽいものが瞳の上に落ちてきて、私は驚く。


『なっ……何だ?』


「ち、違うわよ」


 霊夢が片手で顔を隠す。


「あんたがあんまり変なこと言うもんだから、つい、びっくりして……」


『違うって何が……』


 言いかけて、ふと理解した。


『……そうか』


 霊夢の涙が私の目に滴り落ちたのだ。


「何が、そうか、よ……」


『いや、悪かった』


 私は自分の頬を伝い落ちている涙をぬぐい、彼女に向かってとりあえず頭だけでお辞儀をした。


『もう一度初めまして、霊夢。私の名前は、チビ霊夢だ』



その10につづく

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