その6
6
行かなければ……。
あの子に、届けにいかなければ……。
そして、あの子に……。
こんなところで……こんなところで、無くなるわけにはいかない。
このまま、終わってたまるものか……。
『……もう少し、頑張れ』
え?
『あと少ししたら、着くからよ。そしたら、お前は蘇る』
本当か……?
『ああ。だから、絶対、消えて無くなるんじゃないぞ』
そうか……ありがとう。
**********
好天に誘われ、中庭のテラスにテーブルを出して人形たちとともにひとときのティー・ブレイクを楽しんでいたアリス・マーガトロイドは、ふと見上げた空の彼方から白い団子のようなものが急速に接近してくるのを見て眼を丸くした。
「な、なに……あれ?」
見る間にその団子は巨大化し、アリスに正面から近づいて来た。
「きゃああああああっ!」
アリスは椅子から飛び上がるように立ち、その勢い余って尻餅をついてしまった。人形たちがあわてふためいたような動きでアリスの周りを守るように集まる。
と、眼と鼻の先の空中でぴたりと静止したその塊は、ぶっきらぼうな声を出した。
「なにそんな大げさに騒いでんだよ……わたしだよ」
よく見ると、その塊はどうみても布団で、その上の方にまるで埋め込まれたように帽子をかぶった金髪の女の子の顔が出ていた。
「魔理沙……」
「大変だったんだぜ、こんなもんかぶって飛んでくるのは。布団ってのは空気抵抗無限大だな。おまけに陽の光を浴びて布団はふっくらしてきやがるし……わたしは移動物干し台かっての」
「そもそもなんで、そんな物を」
「まあ細かい説明は後だ。とりあえず急いで見て欲しいもんがあるんだ……」
☆★
棚にならんだ工具類、素材、作りかけの人形の群れ。アリスの人形作りの場である工房は、雑然としながらもどこかある種の秩序を感じさせる。
「それで、これがその人形といういうわけね?」
作業台の上に横たえられた霊夢そっくりの人形を、アリスは好奇心をあふれ出させんばかりの目つきで見詰つめる。
「まあ、そうなんだが……待ってくれ」
魔理沙はいくぶん冷や冷やした様子で、アリスをおさえるような手つきをする。
「とりあえずはまず、この布団っていうか、血痕に宿ってる魂をそっちに移したいんだ。それが最重要なんだから」
「分かってる。でも、たぶんそれはそんなにむずかしいことじゃないわ。おそらくこの人形には魂の座を設けてあるはずよ。そこになにか霊夢自身と関係あるものが入っているはず」
アリスは人形が着けている巫女服を丁寧に脱がせる。
「ほら……ここに蓋があるでしょう」
細い針金状の工具で、慎重に蓋が開けられる。
「……ああ、これね」
アリスはピンセットで中に詰められたものを取り出した。
「なんだ……? 髪?」
「なにかお札みたいなものを丸めて髪で縛ったものね。たぶん霊夢がじぶんで書いたんでしょう……魔理沙、その布団こっちに持ってきて。これを血痕に触れさせるから」
「ああ……」
魔理沙は掛け布団を抱え上げ、血痕のついた部分をアリスに向かって差し出す。
「…………」
アリスは小声で呪文を唱えながらゆっくりとピンセットでつまんだ小さな巻物を血痕に近づけていった。
と、薄い光の糸が血痕と巻物の間に現れ、きらきらと輝き始めた。
魔理沙はその様子を息を呑んで見詰める。
やがて、最後の強いきらめきとともに、光の糸は消えた。
「……今度はこっちから気配を感じる? 直に触れないように気をつけてね、まだ不安定かもしれないから」
「分かった」
魔理沙はアリスのもつピンセットの先の巻物に手をかざして意識を集中した。
「あ……」
あの血痕よりも強く安定した気配が感じられた。
「ああ、ちゃんといるな。しっかりしてる感じだ」
「そう。それならいちおう成功したみたいね」
アリスはほっと息を吐き、ふたたび巻物を人形の腹の中に納めて、蓋をした。
「いまのはどうやったんだ?」
「わたしの使う人形操作術の応用のようなものよ。魔法の糸と同じ、意志の通り道を作ってあげたの。そしたらそれに沿って移動してくれたみたいね」
「いや……さすがだな。感心した」
「そ、そんな大したことじゃないのよ」
アリスはすこし照れたような表情で言う。
「こういう場面で謙遜するこたねーよ。わたしはこの方面は疎いからな、正直どうしようかと思ってたんだ。助かったよ」
「でも……むしろ、問題はこれからよ」
「……どういうことだ?」
「おそらくこのままだと、魂がこの核に閉じ込められる形になって、外との意志疎通ができなくなるわ。パチュリーは霊夢の肉体から魂を移動させることを最優先したんでしょうけど、その後のことまでは気が回らなかったのね」
「で、なんとかする方法はあるのか?」
「あることはあるんだけど、わたしもヒトの魂に対する操作っていうのはあんまり手がけたことがないから、確実とは言えないの」
「やってみてくれよ……わたしとしてはもう他に打つ手がないからさ」
「でも、いいの? 霊夢の人形なんだし、あんまりわたしが勝手なことしちゃうと問題があるんじゃない?」
「うーん……」
一瞬、魔理沙は考え込んだが、首を振って言った。
「いや、いいよ。もうここまで来たら、お前の人形使いとしての腕を信じる」
「……!」
「いざとなったらわたしが霊夢に謝るから。もしレミリアが文句を言って来たらそっちも引き受けるさ」
「そう……そこまで言ってくれるんなら、わたしも後には引けないわね」
アリスは頬をかすかに紅潮させ、ぐっと手を握りしめた。
「わたしなりに最善をつくしてみるわ」
その7につづく