その5
5
翌朝早く、博麗霊夢は目を覚ました。
「…………」
はじめは頭の中がぼんやりしていたが、やがて昨日の一連の出来事が蘇り、あわてて手元を見る。その腕には例の人形がしっかりと抱え込まれていて、霊夢はほっと息を吐く。
「移った……の?」
すくなくとも、いまの彼女の意識の中にはあの妙に冷静で、それでいてどこか屈託のなさも感じたあの存在は感じ取れなかった。
だが、人形にもこれといった気配のようなものはないようだった。
(いちおうは理屈にのっとって作った魂の器なんだから……そこに魂があれば何かしらの気配はあるはずだけど)
意識を集中してみても、やはり何も感じ取れなかった。
霊夢はため息をついて人形を抱え上げ、障子を開けて縁側に出た。小鳥たちがさえずる中、鳥居の向こうには、朝焼けが東の空をうっすらと朱色に染め始めていた。
「成仏しちゃったのかな……それとも『外』に戻ったの?」
☆★
一日ぶりになってしまた朝のお務めと質素な朝食を終えた霊夢は、拝殿の前の縁側に座り、人形を両手で抱えたままぼんやりと空を見上げていた。
と、目の前の空間に日の光を背にする形でいきなり黒い影が出現して、ふわりと境内に降り立った。
「おっはよーい」
黒い帽子をかぶった金髪の少女が手を振る。
「……魔理沙。どうしたの、こんな早い時間に」
「ああ、いや……その、ちょっと久しぶりに早起きしちまってなあ。散歩がてらうろついてたら近くまで来たんでな、寄らせてもらった」
「ふうん、珍しいこともあるもんね。まあ、いいわ。そろそろお茶を入れようと思ってところだから。ちょっと待ってて」
「あ……ああ、悪いな」
魔理沙はどことなくぎくしゃくとした調子で縁側に腰を下ろす。
そばには例の人形が腰を下ろしている。
「…………」
ややあって、霊夢が菓子鉢と湯のみをふたつ載せた盆をもって戻って来る。
「なあ、霊夢。この人形、どうしたんだ?」
「ああ……これ? 実はね……」
霊夢が経緯を話すうちに、魔理沙の顔がなんとなく白っぽくなってきた。
「……だけど、結局そいつはどこかに行っちゃったみたいで……って、どうしたの、魔理沙?」
「ああ、いやいや大丈夫……その、例えばさ。その魂が何か別のものに入っちまった、なんてことはあり得ないのか?」
「さあ、そういうことはないと思うけど。わたし、寝てる間もずっとあの人形をしっかり抱いてたし」
「…………」
「ただ、もしかするとまだそこらへんをうろうろしてるって可能性もないわけじゃないし……だから、もうすこし様子を見ようかなと思っているの」
「……お前さ、なんつーか……多少、ショックなんじゃないのか?」
「ショック? そんなことはないわよ、べつに」
霊夢は苦笑を浮かべ、軽く手を振る。
「どこの誰とも分からない魂だもの。ただ、あれなのよね……ほんの短い間ではあったんだけど、自分の中に『いた』ものでしょ? それがいなくなってしまったから、何とはなしにこう、なにか隙間みたいなものができたような気がするのよ。まあ、わたしの思い込みでしょうけどね」
魔理沙はすこし考え込んでいる様子だったが、やがて勢いよく立ち上がった。
「よし、分かった!」
「分かったって、何が?」
霊夢がびっくりしたような顔つきで魔理沙の横顔を見上げる。
「そういうときはな、やっぱ気分転換が必要だ、そうだろ?」
「え……」
「実はな、こないだちょっとした妖怪退治の仕事が入って、けっこうな金になったんだ。だからさ」
魔理沙は帽子を脱ぐと、中から布袋を取り出し、鈍い輝きを放つ貨幣を何枚か出して、霊夢の手に握らせた。
「え、ちょっと、何……」
「賽銭だ。臨時賽銭。な? それでちょっと里にでも出てよ、すこし気晴らししてこいよ」
「魔理沙……」
「なんとなく、その……お前がそういう顔してるのはちょっとアレなんだよ……」
「わ……わたし」
霊夢の瞳が潤む。
「お、おいおい……なんだよ、だからそういう顔するなって」
「ううん、ごめん。なんかちょっと感動しちゃって……あんたがこういうことしてくれるなんて……思ってもみなかった自分が恥ずかしい」
「え、ああ、まあ……そんなこといいよ」
「ありがとう! すごい、なんかすごい」
霊夢はお金を握った両手を差し上げて、ぴょんと跳ねる。
「こんなにたくさんお金、久しぶりに見た。ねえ、いいの? ほんとにいいの? 後で返せったって無理よ?」
「そんなこと言わねーよ。とにかく、行ってこいよ。わたしはここで留守番してるから。この人形もとりあえずここに置いといた方がいいだろ? 見といてやるよ」
「ああ、そうね……でもいいの? 魔理沙も一緒に……」
「知ってるだろ? わたしはほら、里は苦手だからさ」
「そう……じゃあ、うん……悪いけど行ってくる! ありがとね、魔理沙」
次の瞬間には霊夢の身体はひゅん、と空中へと飛び出していった。
「……お土産買ってくるから!」
「気をつけてな……」
魔理沙はすごい勢いで遠ざかってゆく紅白の飛行体を見送ると、縁側に残された人形を抱え上げた。
「さてと……こっちは始末をつけなきゃな」
魔理沙は母屋の霊夢の寝室に入り、押し入れを開けて慎重な手つきで掛け布団を出す。
例の血痕はそのまま残っていた。
(たぶん、ココに魂が居着いてるんだろう)
膝をついて血痕に手をかざし、意識を集中してみる。
(ん……弱いが、気配はあるな)
集中を解いて、魔理沙は腕組みをする。
「どうしたもんかな……あの吸血鬼が直にからんでるとなるとそっちに挨拶無しでパチュリーには相談しづらいし」
傍らの人形に視線を落とし、息を吐く。
「やっぱ、専門家に当たってみるしかないか」
魔理沙は外に出ると、帽子の中に人形を押し込んでかぶり、掛け布団をマントのように無理矢理羽織って箒にまたがった。
(まったく……なにやってんだかな)
かすかに眉をしかめつつ、魔理沙は空中へと飛翔した。
その6につづく