その4
4
神社に帰りついた霊夢は、人形を抱いたまま居間に腰を降ろした。
「さて……どうしようかしらね」
さっさと寝たらどうだ? それで魂が離れやすくなるんだろう。
「そんなこと言ったって、こんな真っ昼間から寝られるもんですか」
いくらでも方法はあるんじゃないか? なんなら酒を飲んで寝るというのはどうだ。ここは神社なんだし、お神酒ぐらいあるだろう。
「……あなた、たまにはいいこと言うわね」
霊夢は台所に行くと、大きな瓶子と白い陶製の杯をもって居間に戻った。
それにしても、ずいぶん古風なものを使ってるんだな。
「ここではいちおうこれが普通よ。外の世界にはもっといろいろあるんでしょうけどね」
霊夢はふたたび人形を膝に抱くと、瓶子から杯に酒が注ぐ。澱が混じった濁り酒だ。
と、一気に杯があおられる。日本酒独特の甘辛さが、熱さに似た感覚を残して喉から腹に向かって落ちてゆく。
「そうか、あなたも一応いまは感覚を共有してるんだものね……ということは、あなたも酔うことになるのか」
そういうことになるかな……。
「正直、この人形を使ってどうなるかは何とも言えないけど……もし失敗して妙なことになったらごめんね」
まあ、それはお互いさまだろう。そっちにだって危険がないわけじゃない。
「危険? でも、わたし的にはこれ以上はどう悪くもならないような気がするけど」
でも、もしかしたら、君の魂がこの人形に移らないとも限らないが。
「がはっ!」
……だいじょうぶか?
「ごほっ、ごほ……もお、いきなりなんてこと言うのよ!」
あくまでも可能性を言っただけだ。
「そりゃそうだけど……でも、たしかにその危険もなくはないわよね」
しかし、本人の身体と魂の結びつきは何にもまして強いだろう。身体に別な魂を残して依代に移るということはいくらなんでもないんじゃないのか。
「うーん、まあそうか……だけど、それならそういう不安にさせるようなことをわざわざ言わないで欲しいわ」
それは悪いことをした。あやまる。
「……しかし、あなたって不思議よね。魂だけの存在にしちゃ妙に素直な性格をしてるわ」
そうか? むしろ魂だけだからさっぱりしてるんだと思うが。
「普通はなかなかそういうわけにはいかないのよ」
ふたたび杯に酒が注がれ、霊夢は豪快に中身を空ける。
「ふう……魂だけの存在としてそれなりの意識を保てるってことは、何か強力な想いが残っているわけでしょう。それはたいていひどくいびつな形になって現れることが多いのよ。怨霊とかはそのたぐいの典型よ」
少なくとも恨みつらみとかそういうのはなかったように思うがね。
「そう……」
ただ、自分が何者かということが思い出せずに消えてしまうのはすこし残念な気はするが。
「まだ消えると決まったわけじゃないわよ。この依代に移りさえすれば、とりあえず存在し続けることはできるわ。そうすれば可能性は残るじゃない」
確かにな。
「それにね……まあ慣れてきたってこともあるんだけど、わたしも少しばかりあなたに興味が出てきたの。なんとなく、あなたってわたしの周りにいるいろんな連中とはちょっと違った感じだし。それに、結界を超えてまでここに来たっていうあなたの正体も気になるしね」
そうか……そう言ってくれるなら私にも存続の意味はありそうだな。
「ま、とりあえずいまは成功を祈りつつ飲みましょう。あとは天命を待つ、それしかないわ。しかしあれね、これって、一人で二人分飲んでる感じで、ある意味お徳用よね」
まったく……面白い子だな、君は。
「……いちおう褒め言葉と受け取っておく」
それは助かる。
☆★
「さしゅがに……空きっ腹だったかりゃ、効いてきた」
そうだな。つまみもなしに、ここまでがぶ飲みできる奴はそうザラにはいない。
「このまま寝たんじゃまじゅいわよね……」
霊夢が片手に人形を抱えたままふらりと立ち上がる。
「とりあえじゅ……ふとんは敷かなきゃ」
足がぐらついているな、だいじょうぶか?
「んー……たぶん」
襖を開け、奥の部屋へとよろよろと移動する。
「えーっとふとんは……」
押し入れの引き戸を開ける。
「あー、もう掛け布団だけでいいや」
空いている方の左手だけで下の方から掛け布団を強引に引っ張り出そうとする。
「んあ……でてこにゃい」
……なんか危なっかしいな。とりあえず人形は降ろしてちゃんと両手を使った方がいいぞ。
「らめよ。にんぎょー離してそのまま寝ちゃったら、あなたが移れにゃくにゃるかもしれないで……あっ」
がくん、と足下が揺れる。
次の瞬間、部屋がぐるっと回って、派手な音が響く。掛け布団を引っ張り出した勢いでそのまま後に倒れたのだ。
「いたた……あー、もうらめりゃ」
おい……。
「おにんぎょーはちゃんともってりゅから」
それはいいが……このままじゃ風邪引くぞ。
「だいじょぶ。たぶん、だいじょう……」
声が消え入るように小さくなってゆく。
ん……こっちも、そろそろか。
まあ……果たして再び目覚めるか、どうか。
まさに神のみぞ知る……だな。
…………。
……。
**********
夕暮れ近くになって、博麗神社の母屋に勝手に上がり込んでゆく人物がいた。
「霊夢? れいむさーん? いないのかって……わあっ!」
居間に入った霧雨魔理沙は奥の寝室の押し入れの引き戸の前で寝こけている霊夢を発見して、眼を丸くする。
「酒の匂いがするな。なんだおい……博麗の巫女ともあろうもんが、昼間っから酒飲んで寝てるのか? いいご身分だよ……しかも、布団もなんだかいい加減だし」
魔理沙は中途半端になっている布団をちゃんと引き上げてやろうとして、霊夢が抱えているモノに気づく。
「おお? なんだこりゃ、人形か」
霊夢の手から強引に人形を引きはがし、しげしげと眺める。
「ほっほー、こりゃ霊夢にそっくりだな。すげえ……」
魔理沙は霊夢の身体に布団をかけてやると、居間に戻って卓袱台の上に人形を座らせた。
(もしかしてアリスが作ったのか? しかし、あいつの人形とはちょっと違う感じだな。言っちゃなんだが、こっちのほうがつくりとしてはデキがいいような気がする……けっこうな値打ちもんかもしれないな)
横たわっている霊夢に眼を向ける。
(それにしても、このそっくり人形を抱えて独り酒ってのはいったい……何か込み入ったことであったのか?)
魔理沙は、卓袱台のわきに置かれているけっこうな大きさなの瓶子に気づき、持ち上げてみる。
「まだ入ってるな……とりあえず、わたしもちょっとご相伴に預からせてもらうとするかね。それにしてもなんだ、つまみもなしに飲んでたのか。これじゃもう、酔っぱらうために飲んでたようなもんだな」
瓶子を傾けて杯に酒を注ぎ、口元に近づけようとしたとき、魔理沙はふと妙な気配を感じ取った。
「!」
杯を置いて立ち上がり、周囲にすばやく視線を飛ばす。と、どうやらその気配は横たわっている霊夢の下腹あたりから発しているようだった。
欄間から斜めに差し込む夕陽が赤黒い模様を落とす部屋の中で、その気配は次第に広がりはじめていた。
「なんだ……いったい」
気配はやがて光を帯び、掛け布団全体を包み込み始めた。
「……亡霊? いや、違うな」
見ているうちにその光は徐々に薄れてゆき、やがて掛け布団のある一点にすーっと集まったかと思うと、ふっと消えてしまった。
「…………」
魔理沙はゆっくりと霊夢のそばに歩み寄り、光が消えたあたりに顔をちかづけてみた。
「うん……なんだこりゃ、血か」
霊夢の左手が掛け布団の端を握っていて、その周りに血痕がついていた。よく見ると、指に傷があり、そこから血が流れ出ていたのだ。
(怪我してたのか……まあ傷はたいしたことないみたいだが。しかし、それとアレがどう関係あんだ?)
頭を抱え込む。だが、彼女の知識の範疇ではこの現象を解き明かすことはとてもできそうにはなかった。
とうとう魔理沙は結論を出した。
「……見なかったことにしよう」
忍び足で寝室を出ると、障子を開けて外に出ようとしたが、そこでふと卓袱台の上の人形に眼を向ける。
(アレは……もとに戻しておいた方が良さそうだな)
魔理沙は人形を手にして寝室に戻り、霊夢の腕に抱えさせると、静かに掛け布団をかけるとふたたび部屋を出た。
建物の外に出ると、すでに空には闇が拡がりかけていた。
(ちょっとヤバかったかなあ……)
魔理沙はすこし憂鬱な気分で箒にまたがると、博麗神社を後にしたのだった。
その5につづく