その26(最終回)
26
眼が醒めたとき、部屋の障子は真っ白に光っていた。どうやらかなり陽が高くなっているようだった。
『…………』
身体を起こすと同時に、私を胸に抱いて横になっていた霊夢が動く気配がした。
「おはよう……?」
『ああ、おはよう』
霊夢は白い寝間着姿のままもぞもぞと蒲団から這い出ると、ゆっくりと立ち上がって障子を左右に開いた。
「うはっ、まぶしい……頭に響く」
額を押さえ、首を振る。
『……だいじょうぶか?』
「まあ、宴会のあとはいつもこんな感じだし。そういえば、その……そっちの調子はどうなの? まだ、影響ある?」
『うん? どうかな。まあ、まだ力は残っている感じではあるな』
服装は元の紅白の巫女服に戻っているが、身体にはなんとなくあの戦いのときの研ぎすまされた感覚があるような気がする。試してみると、身体がすっと浮き上がった。それを見て霊夢がすこし難しい顔をする。
「これってどうなのかしら……あなたにとっては。かえって厄介ごとを引き寄せたりしない?」
『霊夢と似たような能力をもつことが、か? まあ、そうだな……同じような恰好をしているわけだし、一種の眷族のようなものだと見られるかもしれない。でも、ただの居候よりはいいかと思うが。それに、もう昨日のあれで、大々的に宣伝してしまったようなものだろう』
「まあね……」
霊夢は縁側に出ると、腰を下ろした。私もその隣に腰を下ろす。
「酔った勢いとはいえ、悪かったわ」
『ん、何が?』
「ば……だから、あれよ。わたしがその……『吹き込んだ』でしょう」
『ああ、あれか……』
あの独特の体内に循環する感覚には、何かすこし甘美なものが入り混じっていたような気がする。もちろん、そんなことは絶対に言えないが。
「もしかすると、なんだけど……もう一度ちょっと見てみたかったというのはあったんだと思うわ。あなたが力を得た状態っていうのを」
『そうか。なら、いいんじゃないか?』
「いいって、何が?」
『これからも霊夢の力を分けてもらって、分身のようなものとして過ごすことがさ。自分が何者かを知るというのが私の当面の課題なわけだけれども……仮でもいいから、何か自分が立っていられる場所が欲しいからね』
「それって、つまりあれよ? 私に、定期的に『吹き込んで』くれって言ってるのと同じよ?」
『まずいのか?』
「ま、まずくはないけど……そう気軽にできることじゃないってことぐらいは知っておいて欲しいわ」
……!
『……霊夢、もしかして』
「知ってるわよ。アリスからも聞いたし……あなた自身、まだ自分が男か女か分からないんでしょ? でも、わたしはあのときから……あなたがわたしの身体から離れていなくなっちゃったときから、あなたのことは男にしか感じられなくなっているの。理屈はよく分からないけど……」
私は驚きのあまり、身体が固まってしまった。つまり、魔理沙が思っているよりもずっと以前に、霊夢は私のことを男だと感じていたということになる。
「でもまあ、そんなことを言っちゃうと、なんかお互いにいろいろと気を使っちゃうかな……なんて思い込んじゃってね」
『じゃあ、魔理沙がふざけて……したときも……』
「あのときはとっさに、女の子同士って言ったほうがその場が収まるような気がしたから、つい言っちゃったのよ。でも魔理沙はなんか微妙な顔してたから、バレてたのかもしれないけど」
霊夢は少しうつむき気味になって言った。
『……私の性別がはっきりしないことで、問題が起きそうか?』
「別にそんなことはないわ。ただ、アリスのとこで、その、初めて……したときは、それなりに勇気がいったわよ。たとえ身体が人形だって、あなたは人の魂を持っているんだもの」
『…………』
「でもね、こういう風に言えちゃって、かえって良かった。黙ってると、なんか溜まってきそうだったから。うん……良かった」
霊夢は自分に言い聞かせるような口調になった。
「ただし、これは魔理沙とかには内緒にしといてよ。余計な気を回されるのも嫌だし」
『……分かった』
若い女の子の心は、なかなか微妙なものだな、と思った。が、こんな風に感じること自体、私の正体が実はけっこうな年齢の男だという証左なのかもしれない。
と、噂をすれば何とやら、箒に乗った魔法使いが空の向こうから姿を現した。
「いよぅ、霊夢あんどチビ、どうだ調子は! もうお昼過ぎだぜーっ!」
帽子の下からはみ出た金色の巻き毛と黒いドレスのスカートをなびかせ、母屋の前庭に着地する。
「まったく元気がいいわねぇ……頭に響くから大声出すのやめてくれる?」
「何だその恰好は、いま起きたところか? 神社の巫女にあるまじき行いだな」
「大きなお世話よ……」
霊夢は盛大にあくびをする。
「昨夜は主役のチビの代わりにお酒を飲まされ続けたんですからね、これぐらい仕方が無いわよ」
「そこらへんを慮ってですな、本日はこの霧雨魔理沙様が霊夢さんのために二日酔いによく効くハーブティーの出前に特急で参上いたしたわけですよ」
魔理沙はそう言うと、お屋敷務めの執事よろしく私たちの前にポットとカップを乗せたトレイを差し出してみせた。
「あらまあ、やけに気が利くわね……でも、それって魔理沙が淹れたお茶なの?」
「ふふん、そこらへんのクレームも予期して、お茶に関しては我が友アリス・マーガトロイドに頼んで淹れていただいたのだ」
魔理沙は縁側にトレイをおき、ポットから琥珀色の液体をカップに注ぐ。
「ほい、どうぞ」
湯気の立ち上るカップが霊夢に手渡される。霊夢は香りをすこし嗅ぎ、それからカップに口をつけて中身を飲む。
「うん……まあ、なかなか悪くない味ね」
「ちなみに、チビは飲み食いのたぐいは無理だからっていうんで、この花束を預かってきたぜ」
魔理沙はどういう仕掛けになっているのか分からないが、帽子の内側から小さな花束を手品のように取り出して、私に手渡してくれた。薄紫のキク科の花、それを囲むように小さな白い花があしらわれている。
「今朝、森で摘んだんだそうだ」
『そうか、ありがとう……でも、どうして?』
「まあ、アリスもお前らには何かいろいろ感謝しているらしいぜ。わたしにはよく分からんけどな……」
「ふうん……」
霊夢は私の抱えている花束に指先でちょんちょんと触れながらつぶやくように言う。
「たぶん、そのよく分からないってところに問題があるんだろうけどねえ」
「なんだよ、それは……?」
魔理沙が首をかしげる。
「魔法使いも、万能じゃないということよ」
霊夢はお茶をすすりつつ、私に眼を向ける。
「ねえチビ、あなたそのうちまたアリスのところに行った方がいいんじゃない? 霊気の通り道だのがまたいろいろ変わってるかもしれないし」
『ああ、そうだな……そのときは、また魔理沙に連れて行ってもらえるといいな』
霊夢は得たり、という表情でにっこりとした。
「そうね。どう、魔理沙。そのときはお願いできる?」
「いや、わたしは別にかまわないけど……霊夢は一緒に行かなくていいのか?」
「わたしはあんまり人形の細かい話とかは分からないしね。下手にいろいろと聞かされて気を揉むより、任せちゃった方が気が楽ってものよ」
「いいけどな……霊夢お前、心配じゃないのか」
「何が?」
「わたしが独りでチビを引っ張り回すと、またろくなことが起きないかもしれないぞ?」
「こないだのことを言ってるなら、もう気にしないで。それに、もう他の連中にもお披露目も済んだんだから、妙なことはそうそう起きないでしょ」
『とは思うけどな……』
私はさっきから遠くの木陰からこちらに向けられている視線を感じていた。それが、あの妖精かどうかはここからは分からなかったが、可能性はありそうだった。
「ま、霊夢がそう言うなら、遠慮はしないけどな。チビの相手をしてると、ふだん考えてないようなことが頭に浮かんだりするしな」
「でも、時と場合によってはそこそこ遠慮してもいいわよ?」
霊夢はずずっとカップから茶をすすりながら言う。
「なんだよ、難しいこと言うなよ」
「それが伝統的な人と人の関係ってものじゃないの。それは言葉だけじゃ、簡単には言い表せないものなのよ」
私自身もどうやらこの幻想郷の人と人、もしくは人ではない存在たちが織りなす関係にいやおうなく入り込んでいくことになりそうだった。とりあえず、今はそんな感じで日々が過ぎてゆくことになるのだろう。
『……まずは、ここからだな』
「うん、何?」
霊夢が問い返す。
『いや……』
私は霊夢の膝の上で花束を抱えつつ、空を振り仰いだ。
『今日も、幻想郷はいい天気だと思ってね』
「そうね」「だな!」
霊夢と魔理沙の笑顔が、青い空の色とともに私の小さな身体を包み込んだ。
(了)
あとがき:東方傀儡異聞~御霊宿りし巫女の器~を書き終えて
いちおうここまでで話は一区切りとさせてもらいました。回収していない伏線もいくつかありますし、すべての話を終わらせることはまだできないのですが、まずはこの物語の枠組みみたいなものを成立させる話としてここまで書いてみたというところです。
どんなものでしたでしょうか? 人形というものをオリキャラとしてもってきたというのはアイディアとしてとりたてて斬新という感じでもないとは思いますが、霊夢そっくりの人形に男っぽい魂が入っているというのがミソといえばミソかなあと。
思っていたより長い話になりましたが、最後までおつきあいいただけたのなら、そして何がしか感じ取っていただけるものがありましたらこれに勝る歓びはありません。
次回からは続編である「東方傀儡異聞2~想い映えたる不死の躰~」の連載を開始しますのでよろしくお願いいたします。http://ncode.syosetu.com/n9558k/
最後に、この偉大なる幻想郷世界を構築された上海アリス幻樂団のZUN氏に最大の敬意を表させていただき、この一文を終わらせていただきます。
参考文献:東方求聞史紀(ZUN著/一迅社);東方文花帖(監修・執筆:ZUN他/一迅社)