その22
22
すでに陽が暮れ始め、西の空が赤くなってきている。
ここ数日の静寂がうそのように、博麗神社の境内は異様な活気を見せていた。といっても、別に例大祭のたぐいがあるというわけではない。しかも来ている客の大多数は人ではなかったりするという点がすでに普通の神社の祭などとは異なる事態であることを物語っている。
私はといえば、とりあえず拝殿の回廊に端に敷かれた座布団に座り、人々というか人ならぬ方々の働きぶりをぼんやりと見ているしかなかった。何しろ、この小さな身体では彼らのやっている肉体労働を手伝うのは無理があったし、それにさっきも霊夢に「とりあえず今はじっとしていることがあんたのいちばんの仕事だと思いなさい」と厳命されてしまっていた。アリスが徹夜で仕上げてくれたという晴れ着……というか、つまりは紅白の巫女服なのだが、私が下手に動き回ってこのせっかくの新品の服を台無しにしてしまうことを霊夢は恐れたようだった。
「あら、なんだか寂しそうね。本日の主役さんなのに」
顔を上げた私は、目の前のそのあまりの奇怪な構図に面食らった。
声の主は、あでやかな帽子をかぶり、洋風の可愛らしい衣裳に身を包んだ女の子だった。それはいいのだが、どう見てもその女の子が腹の下が、空間の途中ですっぱりと切り取られてしまっているのだ。にもかかわらず、彼女はにこやかな笑顔を浮かべて私に手を振っている。
いくら人外だらけの幻想郷とはいえ、こんな風変わりな存在は聞いたことがない。
『あの……貴女は?』
「あら、申し遅れました。わたしはね、八雲紫よ。ゆかりはね、紫色の紫と描くの。けっこうお嬢様な感じの名前でしょ? もっとも、私の周りの連中はスキマ妖怪とか、スキマばばあとか言ってるけどね」
私はその名前の解説に関してはあえて感想を述べずに、簡潔に自己紹介をした。
『お初にお目にかかります。チビ霊夢と申します。みんなチビと呼んでいますので、八雲さんも……』
すると、彼女は笑顔で私の言葉を遮ると指を振って言った。
「紫って呼んで? あなたの同居人もそう呼んでるわ」
『では……紫さんもよろしければ、どうぞ』
「分かったわ、チビちゃん。今後はそう呼ばせてもらいます。さて、こんな恰好のままでお話するのも失礼ね、どっこらしょと」
紫さんは両手を何かにつくような形にすると、ぐっと背を伸ばして身体を引き上げるような仕草をした。すると驚いたことに下半身がまるで、服で隠されていた身体が現れいでるかのようにするすると姿を見せた。
そのまま彼女は地面に降り立つと、回廊を囲っている低い手すりにもたれかかる形で座布団の上のわたしと向き合った。
「あんまり驚かないのね、チビちゃんは。わたしのこんな有り様を見ても」
『いえ、十分驚いているのですが……人形の身なので顔に出ないだけです』
「ああ、そっか。でもなんていうか、あなたの魂には何かわたしの知り合いにはない、不思議な静けさのようなものを感じる。というか、やっぱりの向こう側の人なのね」
『境界の向こう側……ですか』
「……ええ、そう。ちなみにね、わたしは境界を操る能力があることになってるの。つまり今みたいに空間にスキマを開いてそこから自由に出入りできたりもするわけ。だから、場合によっては向こう側との出入りもできる。わたし自身はもちろん、誰か別の者の出入りを助けることもね……」
『…………』
「でも、あなたが向こう側から来たことについてはわたしは何も係っていないから。これは天地神明に誓って本当。今日は実はこれをあなたに言いに来たかったの」
『それだけの能力を持っていたら、どんなことでもできそうですものね』
「ふふ……まあ、力があるということが必ずしもわがままが効くということではないんだけれどね」
紫さんはくすりと微笑む。その笑みは、少女の笑みというよりも、齢を重ねて一定の境地に至った宗教家の笑みのように見えた。
「今日はせっかくの宴会だし、わたしとしてもおおいに楽しませてもらおうとは思うけど、まじめな話はむしろ先に済ませちゃったほうがいいから……なにしろ、盛り上がると歯止めが利かなくなる連中ばっかりだし。飲めないお酒を無理して飲んだあげく、暴れ回っておつきのメイドさんに世話を焼かせるお子様もいるしね」
「それはわたしのことを言っているの?」
一瞬、どこから声がしているのかと思ったが、どうやら回廊の床面よりも下の位置にいるらしい。
と、かすかな羽音が響いてフリルとリボンで飾られたパーティー用ドレスに身を包んだレミィの姿が現れた。
「これはまた、紅魔館の小さなお嬢様。お久しぶりですね、お元気そうで何より」
「あなたも無駄に元気がよさそうで、けっこうなことだわ」
レミィはいくぶん顔を引きつらせながら言う。どうやら「小さな」という表現が彼女的にはかなり引っかかったようだ。
「その無駄な元気のおかげで、お互いこうして何百年も生きてるわけですもの……ありがたいことだと思わなくちゃ。それじゃ、チビちゃん。またあとでね」
そう言うと、紫さんは手早く空間に隙間を開くと、あっという間にその内側へと姿を消してしまった。
「ふん……相変わらず逃げ足は早い奴ね」
レミィは空中から降りて回廊の手すりに腰を下ろした。
『いらっしゃい、レミィ』
私が声をかけると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「ええ。あなたの大事な日にご招待いただいて嬉しかったわ」
『いや、まあ……そんなに大がかりことをやるつもりはないはずなんだけどね』
「わたしも含めて幻想郷の住人の楽しみなんて、何かにかこつけて集まって騒ぐぐらしかないから……きっとよってたかって勝手に大がかりにしてしまうわよ、霊夢たちも含めてね」
『そうか……』
「それに、何かいろいろと武勇伝があったらしいじゃないの……あとでゆっくりと聞かせてもらうわ」
『そこらへんもそう大したことじゃないんだ』
あまりその話をしてしまうと、魔理沙にとってもいろいろと不名誉な話が出てきてしまう。
「謙虚さを美徳とするのは東洋の人々の習わしのようだけど、ときには己の成した事を語るのも悪くはないわよ。もっとも、チビはいつも冷静だものね……これでお酒でも飲めればいろいろと面白いことになるのに」
『……そういえば、レミィにひとつ訊きたいことがあったんだが』
「うん、なあに?」
『たとえば、酒に魔法をかけるなんてことはできるものなのか?』
「えっ……」
レミィの眼がすこし泳ぎ始めた。
「ああ……まあ、わたし自身は魔法使いというわけではないからあまり詳しくはないけど……どうして? 何かあったの?」
『いや、そういうわけではないんだが、このあいだブランデーをいただいただろう。あれはもとは葡萄を発酵させて醸造した酒、つまりワインだ。そして、ワインは西洋では生命の水とも言われる。キリスト教での生体拝受では、パンをキリストの肉、ワインをキリストの血に見たてている……それほどの扱いを受ける飲み物ならば、なにがしかの魔力をもともと秘めているものなのかな、と思ってね』
「ははあ、なるほどね……」
レミィはいつまにか回廊のそばに立つ形で控えていた咲夜さんに助けを求めるように眼を向ける。すると、彼女は他の人間には気づきにくい動きでうなずいて見せると私に向かって言った。
「チビ霊夢様、たしかにそうした酒に魔法をかけるということは可能だとパチュリー様から聞いたことがあります。ただ、特別に調合した魔法薬を仕込むといったことでもしない限り、そうした魔法は効果も限定的だと思います。それと、おそらく人よりもより魔力もしくは自然の力で動かされているものに効くのではないかと」
『なるほど……』
つまり、魔理沙が吹き込んだ息が私に影響を与えたのも、私が一種の魔力で動くものであるからこそ、と解釈ができるわけだ。だが、そうなると……。
『たとえば、妖精なんかに対してはどうなんだろう?』
「えっ」
レミィが眼を見開いた。
「チビ、あなたまさか……」
が、いましている話は特定のことではなくあくまで一般論として話しているのだと気づいたらしく、あわてて口をつぐんでしまう。
「妖精ですと……たしかに強い効果が出ても不思議ではないかもしれませんね。妖精は自然の魔力を循環させる存在そのものですから、似たような性質の……」
そこで咲夜さんの言葉がふと止まった。
その視線は、回廊の向こう端、拝殿の隅の柱の影から顔を半分ほど出してこちらをそっとうかがっている妖精の姿をとらえていた。
「……そういえばお嬢様、わたくし、お屋敷から持って来た宴会用の食材の確認しておりませんでした。申し訳ありませんが、そちらの方を片付けておきたいのですが」
「そう。それは仕方ないわね。わかったわ、それならわたしも一緒に立ち会おうかしら。じゃあチビ、悪いけれどまた後でね」
『ああ、かまわないよ。また』
私は苦笑したい気分だった。しかし、今の一連の反応でレミィの仕掛けであるということははっきりした。どんな運命を視てそんな仕掛けをしたものか分からないが、そこまで聞き出そうとしても無理だろう。それこそ、ただ「楽しみ」のためだけだったのかもしれない。
それはそれとして……。
「ねえ」
『やあ……チルノ』
「あのさ、良かったの? あたいなんかがこんなとこに招んでもらって……」
さきほど柱の影にひそんでいた彼女だったが、レミィが去ったのを見ておそるおそる近づいてきたらしい。
『いや、むしろよく来てくれた。魔理沙とのことがあったから、もしかして来てもらえないかなとも思っていたぐらいでね』
「ううん、ああいうのは幻想郷じゃいつものことだし……でも、あんたとのことは、あたいが変な出しゃばり方をしちゃったような気がしたんだ」
『そんなことはないさ』
チルノはそこで言葉を切り、私をじっと見つめてきた。
「……あんた、あたいみたいな妖精って不気味かい?」
『いや。可愛らしいと思うが』
「そんな、見かけがどうとかいうより、その……モノを凍らせたりさ、そういうの」
『氷の精なんだから、それは自然なことだろう』
「うん……まあ、そうなんだけど。あたい、これからはあんたと話をするときとか、できるだけ周りを冷やさないように気をつけるよ。だから、その、ときどき……」
『見かけたら声をかけてくれると嬉しい』
「そ、そう!」
チルノはひどく嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃ、また……今日は、あんたが主役の宴会なんだから、あんまりあたいみたいな下っ端が出しゃばってもまずいしね、お嬢様とかもいるし」
『まあ、あまりそういう遠慮はしないでくれ。私にとってはみんな友人なんだ。そういう上とか下とかいう区別はしていない。なかなか一人一人に挨拶している時間もないかもしれないが、ゆっくりしていってくれ』
「ありがとう……じゃあ」
細く白い腕を振ると、チルノは氷の羽根を翻して離れて行った。
「……へっへっへっへ」
『そのどこぞの親父のような笑い声は、魔理沙だな?』
「ご名答だぜ」
振り返ると、回廊の上に立って魔理沙が私を見下ろしていた。
「そろそろ宴会の準備が出来たみたいだからな、迎えに来てやったんだよ」
『そうか』
私が立つと、魔理沙は片手でひょいと私の身体を抱き上げ、拝殿の階段を下り始めた。
「それにしても、あれはお前どうすんだ?」
『どうするって何が』
「チルノさ。あれは完璧にお前に参ってるみたいだぞ」
『それはどうやら紅魔館のお嬢様が仕掛けた悪戯のせいらしい。その仕掛けの効果が切れるのを待つしか無いだろうな』
「アリスが言ってた例の酒にかけた魔法ってやつか? まあ、それがたとえ本当だったとしても、嘘から出た真って言葉もあるからな。いったん火がついたものは簡単には消えないぜ。それは人だろうが妖精だろうが、同じことさ」
『…………』
「まあ、そう悩むほどのことではないがな。そんなことより、今夜はまず、お前の幻想郷における華々しきお披露目が主眼だ」
鳥居の周囲に蓙を敷き並べて作られた宴会場には、すでに大勢の面々が集まって来ていた。その会場の一方の端にある主賓席のような場所には霊夢やレミィはじめ、主立った面々が顔をそろえているようだった。そこに到着すると、魔理沙は私の身体を両手で高々と掲げた。
「皆の衆、お待たせしたぜ。今夜の主役にして、ここ博麗神社の巫女博麗霊夢の姿そっくりの生き人形、人の魂を宿したチビ霊夢さんのご登場だ!」
おおおおおっと、どよめきが上がり、一斉に拍手が沸き起る。
「それじゃ、とりあえず一言挨拶をしてくれよ。お前の声はたぶんここにいる誰にも届くだろうから、普通にしゃべればいい」
魔理沙は私の身体を肩に乗せてくれた。その姿勢でやれということらしい。
私は覚悟を決めて、挨拶を始めた。
その23につづく