17 言おう
全部忘れていた、と窓架は言った。
多分、と記憶を取り戻せば、その理由まで話してくれた。
あのとき、つまり初対面の頃の、図書館で会った窓架は、本を燃やしていた。それは〈塔〉の中に眠る記憶を焼くことで、よりこの場所を曖昧にするため。自分たちのような、かつての現代社会においては見えなくなっていた存在が入り込むための隙間を、より拡張するため。
その甲斐あって、教室に入り込むことができた。
けれど同時に、自分自身もまた、自分が何者なのかを忘れてしまった。
なんだそりゃ、とおれは言った。
こっちの台詞だ、とも窓架は言った。
元はと言えば、と腕の変形も見せてくれた。こういうことができるはずの存在だった。人型を取ることもできるし、それ以外の形を取ることもできる。人にできることの多くを同じようにこなすことができるし、同時に、人ができないことを当然のようにすることもできる。
ただ、それを忘れていた。
じゃあ、おれは?
窓架にやり方を教われば、おれも少しだけ、自分の身体の形を変えることができた。でも、心当たりがない。窓架と違って、おれはそこまでたくさんのことは思い出せない。いつここに来たのかとか、元は何だったのかとか、そういうことを全て忘れている。
何を覚えていて、何を忘れていて、何を思い出したのか。
確かめるために、おれたちは真夜中、もう一度示し合わせて〈塔〉を登った。
例の部屋に立っても、それ以上は何も思い出せなかった。
けれど二十四階まで登れば、もう誰の邪魔が入る心配もない。おれたちはそのまま、全ての記憶を確かめ合った。それでわかったことが、一つある。
取り戻しているのは、『二人で』いたときの記憶だ。
つまり、おれと窓架の両方が同じ場にいた、そのときの記憶だけ。
関連したもの――つまり、何のために図書館に来たのかとか、そういうことも覚えている。けれど、その時点で覚えていないことは、今も思い出せていない。だから当然、おれは窓架が来る以前のことは何も思い出せない。覚えていない。
どうして、この〈塔〉の中で時間が繰り返しているのかも。
話すことがなくなれば、おれたちはもう少しだけ、二十四階を探索した。一度目は、怖気づいてさっさと帰ってしまったから。改めて。
パソコンを動かすと、注文システムが見つかった。
おれはそれに、少しだけ見覚えがある気がしていた。窓架と初めて会った頃、おれは婆さんの――百羽の祖母さんの代わりに、コンビニの店番をしていたから。それと同じに見えた。どこからこの場所に物が供給されてるんだろうって、もしかしたらこれを使えばわかるんじゃないかと思った。
試しに、カップ麺を一つ注文してみた。
文字が浮かんで来る。
製造開始。
製造中。
製造完了。
配荷開始。
配荷完了。
どこに、と探してみたら、すぐに見つかった。
一階のエレベーター。ボタンを押すと、扉が開く。
見たことのない形の台車に載せられて、『みかんラーメン』が一個。
∞
「最近、窓架ちゃんと玲ちゃん、仲良いね」
鋭い指摘が飛んできた。
ある日の昼休み、百羽からだ。
「そう?」
「元々仲良いぜ。な」
「いや、別に仲良くはない」
実際、仲が良くなったかはともかく、距離が縮まったのは確かだった。
当面のところ、全部秘密にしておくことにしたから。
おれたちもまだ、自分が見たものを受け止めることができずにいた。いつもならすぐに共有できたはずの情報も、一旦は自分たちのところで止めておきたくなってしまうくらいに。
端末でやり取りして記録に残すのも、不安が残る。
だからおれたちは、部屋に戻るとすぐに眠ってしまう。真夜中、また四階より上に登っていって、ひっそりと情報を交換し合って、話をする。自分たちがどういうものなのかを知ってからは、不思議と、暗闇も大して気にならなくなった。
「何かあった?」
「いや、別に」
そういうことを繰り返していたら、多少はそう見えたって仕方ない。わかってはいるが、直に言われると緊張した。
そこに窓架が、
「まあ、あのコンビニのお婆さんのところにいるとき、私と玲のペアになることが多いし。それじゃない」
とフォローを入れる。
百羽の方も、別に本気で怪しんでいたわけじゃないらしい。というか、〈塔〉の上の方に行ってよくわからない記憶を取り戻してきましたなんて到底想像の及ぶ範囲じゃないわけだから、怪しまれる余地もない。ああそうかも、と窓架の言葉に簡単に頷いてしまう。
チャイムが鳴る。
一方、隣の席から、
『三角関係の始まりか? 任せてくれ 芳尋堂あずき』
「……」
数学の授業が始まった瞬間、手紙が飛んでくる。ちらっと見ると、あずきはアリバイ作りのつもりなのか、こっちに目線を向けもしない。その代わり、口元がニヤついている。
そのニヤついた口元が固まる。
机の中から、教科書が出てこない。
あずきがこっちを見る。
おれは一度そっぽを向いた後、「嘘だよ」と笑って、机をくっつけてやる。
∞
「ビビったあ……」
「心臓に悪いわ、あの子」
意外と鋭いんだよな、と話し合うのは放課後、コンビニの奥の部屋だった。
しゅんしゅんとストーブがヤカンを沸かしている。どうせ今夜も五階から先に上がるつもりだから、おれたちは少し早めにと、夕食用のカップ麺を作っていた。
「うわ出たそれ。やめて。匂いが充満するから」
「オッケー。窓開けとく」
「開けんな」
おれはいつもの『みかんラーメン』で、窓架は『牛すきラーメン』だった。そっちはそっちで匂いが出るし、そもそもこいつはしょうゆ味が好きなのではなく単にすき焼き好きなのではないかという疑問がないでもない。
「流石は『総理大臣』かもな」
「あー」
確かに、と机の上で二人、ちまちまとかやくとスープを開けている。
百羽の祖母さんは、いまだに目覚めなかった。
百羽がやけに心配そうにしていたのは、案外無意識のうちに家族だということがわかっていたからなのかもしれない。あの、どうやら発作が起こったらしい日から、婆さんは一向に目を覚まさないでいる。何かあったらいけないからと、おれたちもそれなりに、出来る限りはここに様子を見にくることにしていた。
で、何となく最初の組み分けを引きずって、百羽とあずき、おれと窓架のペアになることが多い。
婆さんは、布団に横たわったまま、静かに呼吸をしている。
「この人もさあ」
窓架が言った。
「さっさと目を覚ましてくれれば、色んなことがわかるのにね」
それはそのとおりだが、本人だって寝たくて寝続けているわけでもないだろう。まあな、とおれは相槌を打って、箸を割って、
「なんか握ってることは確実なんだろうな。〈塔〉の便利システムのこともそうだけど」
しかし、こうして見ると婆さんもいくら何でも安らかな眠りすぎるように見えた。
もっと寝たきりっていうのは、色んな困難を伴うものだと思う。医療機器もろくにない――『注文』してみれば別かもしれないが――この場所で、ただ眠り続けているだけっていうのも、どうも普通の病気の結果というより、何かもっと『魔法』めいたものを感じる。
魔法。
そのことを思って、
「あのさ、」
麺をかき混ぜて、
「どうする、これから」
おれは、訊いた。
窓架の方が、麺を啜るのは少し早かった。ず、と美味そうな匂いを撒き散らしながら、もっきゅもっきゅと口を動かして、
「ほうって?」
「いや、何の進展もなかったら、二人に言うのかって話。つか、ちょっと遡って訊いていいか?」
「だめ」
「そもそも窓架って、なんでこの〈塔〉に来た……てか、何がしたかったんだ。ここで」
何って、と。
先に「だめ」って言った割には、ちゃんと窓架は答えてくれた。
「そりゃ住処を探すのはどんな生き物だってやってることでしょ。着の身着のままで砂漠のど真ん中に捨てられたら、まずは住めそうなところ探すでしょ。それだけ」
「それからは?」
ず、とおれも麺を啜った。
柑橘類の、芳醇な匂いが顔いっぱいに広がってくる。
「それから?」
「そう。それから」
窓架は、今度はすぐには答えなかった。
箸がスープの表面で浮かんだり沈んだり、繰り返して、
「……私さあ」
と、相談事みたいに呟いた。
「このままでいいかもって思ってるんだよね」
「このまま?」
「言わないままってこと。百羽にも、あずきにも」
それは正直なところ、おれにとって、
「……魅力的な提案だな」
「でしょ? 別にさあ、自分の正体が蜘蛛だってわかったからって、ここで暮らすのに支障はないし」
「え、蜘蛛だったのかよ。あれ」
そう、と窓架は腕を変形させてみせてくれた。確かに、ちょっとした糸みたいなものがその指に絡んでいるように見える。
「別に、大した過去があるわけでもないし。このまま波風立てずにいたら、また元に戻るんでしょ?」
だったら、と窓架はそこで言葉を切った。
このまま気付かなかったふりをして、そのまま本当に、もう一度忘れてしまっても……。
「百羽が央都に行くと厄介なことになるみたいだから、それだけ止めた方がいいだろうけど。建物は結構前の状態を持ち越すみたいだし、教室に私たちだけがわかるようなメモ書きでもしておけば――」
「おい」
「何」
「迂闊なこと言うなよ。どうすんだ今急にそこの扉がガラッと開いて『わたしの話してた?』って百羽が入ってきたら」
自分で言っといて、自分でも怖くなった。
おれは窓架と完全に同じタイミングで席を立つ。扉を開ける。廊下を覗く。
誰もいない。
ふう、と息を吐いて、席に戻った。
「あんまり聞かれちゃマズい話は、夜にしようぜ」
窓架も、特に異存はなさそうだった。
が、一度広がってしまった話題の袋というのは、簡単にその口を閉じられない。
「本当はあそこが一番意味不明だけどね」
「まあな」
「あと、玲の正体」
「だから言うなって。つか、」
おれは声をひそめて、
「多分、蛇だろ。窓架と似たような感じの」
「いや、私の見立てではあの謎システムで作られた人造生命体だと思う。注文票に『人間っぽいやつ』『一点』で」
こいつ、とおれは思った。
「で、私はそんなに記憶が蘇ってもダメージなかったけど、玲は本格的に思い出すと大ダメージを負う。『おれは何のために作られたんだ……』とか言って」
自分のルーツの方は大体わかったからって、情報量の差を活かして攻撃してきた。
そっちがその気なら、とおれは、
「言っとくけど、そっちもまだ謎に包まれてて解明されてないとこあるからな」
「どこが?」
「初めて会った頃お色気セクシーキャラで行こうとしてた理由」
殺されるかと思った。
身体を変形こそさせていないものの、明らかに常人の身体能力を遥かに上回る動きで襲い掛かってきた。うおおっ、とおれは思わず声を上げた。変形してまで自分の身を守るべきか迷った。カップ麺がUFOみたいに宙を舞った。凄まじい音も鳴った。
「えっ、大丈夫!?」
そのとき、扉が開いた。
びたっ、とおれたち二人の動きが完全に停止した。
ひゅうるるる、と炸裂し損ねた季節外れの花火みたいに、カップ麺が降ってくる。反射的におれは、それを右手と左手でそれぞれ掴む。窓架の両手は、畳の上に置かれている。
おれの身体を、挟み込むようにして。
というか普通に、押し倒すようにして。
「――――」
カキン、と百羽が硬直した。
氷の彫像みたいな、本当に見事なフリーズっぷりだった。「アノ、」と金属音みたいな声を出す。ギギギ、と油を差し忘れたブリキの人形みたいな動きで、
「オジャマシマシタ」
「待て待て待て! 見ろこれ、カップ麺持ってるだろ!」
ドアを閉めそうになったので、おれは慌てて呼び掛けた。
ぴたりとそれで、百羽の動きが止まる。おれの手の先を見る。ほんとだ、と呟く。おれと窓架を見比べる。こいつが、と窓架がおれを指差す。
「『おれ、お手玉できたことないんだよな』とか言っていきなりカップ麺でジャグリングを始めて」
ものすごく適当なことを言い始める。
「えぇっ!?」
なぜか百羽が、それを真に受ける。
新種の虫を見るような目で、百羽がおれを見ていた。目が言っている。玲ちゃん、それほんと?
おれは――
「ああ。見ろよこの空。絶好のジャグリング日和だろ? おれ、卒業したらカップ麺のジャグリングで食っていこうかと思ってるんだ」
「……玲ちゃんって、もしかしてバカ?」
バカだと思われても、押し通すべきものがある。
そう信じて、その適当な発言に、乗った。
あははそうそう、とここ最近で一番気持ち良さげに窓架が笑った。何なら今まで会ってから一番かもしれない。こいつほんとバカでさー。ほんとバカ。バカの世界チャンピオン。見てて笑っちゃうよ。一緒に笑ってあげるのが人情ってやつかもね。ほら百羽も笑ってあげなよ。
「あははははは!」
「……やっぱり、窓架ちゃんと玲ちゃん、仲良くない?」
バカが……。
おれは付き合い切れなくなった。ジャグリングだか何だか知らないが、ご自慢の蜘蛛の脚を八本出して人類未踏のジャグリングでもしてろ。というか、普段だったらもうちょっとおれも必死で弁解していた気がするが、先に「変形して争ってる最中じゃなくてよかった……」という安心が勝って、今のやり取りの弁解にいまいち真剣になれない。
誤解なら、どうせそのうち剥がれる。
「そんなことより、どうしたんだよ。何か用か?」
「えっ、今の『そんなことより』なの」
「ああ、正直めちゃくちゃどうでもいい」
おれは牛すきラーメンの方を机にパァン!と置く。そしてみかんラーメンを啜る。ずるずるずる。美味い。余裕が出てきた。百羽はおれを不審げな目で見ている。
あ、と急にハッとしたような顔をする。
「そうだよ。そんなのどうでもいいや」
ようやくその宇宙の真理に気付いてくれたらしい。
おれたちがどったんばったんやっていたことへの追及をやめて、百羽は、
「ね。二人ってどこから薬取ってきたの?」
おう、と思わず怯んでしまうようなことを言う。
どこって、とおれと窓架は思わず言いよどむ。今ちょっと口の中に物入ってるから答えられません、の手を使おうと思って、ずるずる麺を啜る。安っぽいカップ麺には、残念ながらそんなにたくさんの麺は入っていない。すぐに途切れて、
「う、」
苦し紛れに、
「上」
「どこの階段から上った?」
追い詰められる。
こういうときのために打ち合わせをしておくべきだった。視線を交わすこと自体が何らかの答えになりそうで、窓架を相手にアイコンタクトも取れない。とりあえずスープを啜ってみる。その間に窓架が、
「なんで?」
「さっき、あずきくんと二人で部屋の方に帰ってたときなんだけど――」
上手い返しで、百羽は特に違和感も持たずに話し始めてくれた。
おれと窓架がこっちの部屋に行くことになったので、百羽とあずきは二人になった。たまには宿題でもしようかははは俺は絶対やらないみたいな心温まる会話とともに、階段を上っていった。でも、と話をした。あのおばあちゃんもいつになったら目が覚めるんだろうね。早く覚ますといいよな、コンビニのからあげも毎回玲に作ってもらわなくちゃいけないし。そういえばあずきくんの部屋汚いってほんと?
そういえば、
「おばあちゃんの部屋って、掃除とかしとかなくても大丈夫かな」
流石に本人の断りなく、急ぎの用事というわけでもないのに部屋に入るのはどうかとは思ったそうだ。が、言うだけタダだし、どうせやることもなかった。おれと窓架が薬を取ってきたという部屋に行ってみて、それから考えてみようということになった。
その部屋に上る階段が見つからない。
代わりに、崩落した天井を見つける。
ヤバい、とおれは思った。
「上ったのか?」
「うん――え、窓架ちゃん?」
バン、と扉を蹴飛ばす勢いで窓架が部屋を飛び出した。
ばっか、とおれは本気で思う。気持ちはわかる。あずきがあの部屋を見つける前に止めたい。だけど、今のじゃいくらなんでも不自然だ。おれは言い訳を考える。
考えてる間に百羽は、
「もしかして、知ってた?」
「……まあ」
ここで嘘を吐いても意味はない、とおれは思った。だから素直に答える。どこで話を曲げようか考えている。
「玲ちゃん」
考えられなくなる。
百羽が、おれの袖を掴んできたから。
「最近、何かあった?」
疑われるよりも、寄り添われる方がずっと、逃げ場がなかった。
百羽は、問い詰めてきたわけじゃなかった。なんであんなことを知ってて黙ってたのかとか、窓架ちゃんと他に何を隠してるのかとか、そういうこともきっと思ってたんだろうけど、でも、一番におれに伝わってくるのは、それじゃなかった。
「わたしね、」
そうじゃなくて、
百羽はあの日、おれを抱き締めたみたいに、
「いつでも二人の味方だよ」
何か、胸からこみ上げてきそうになる。
おれは、それを呑み込んだ。
「……色々、言いたいこともあるし、言えないかもってこともある」
「うん」
「ただ、それはおれが勝手に言っていいってことでもなくて……その、だから」
うん、と百羽は頷く。
おれは、いくつもの意味を込めて、百羽に言った。
「ちょっとだけ、待っててくれ」
うん、と。
やっぱり、何の疑いもないように百羽は頷いた。
∞
もしかしたらずっと、とおれは思っていた。
長い長い、〈塔〉の階段を上りながら。
もしかしたらずっと、百羽はおれを心配してくれていたのかもしれない。
あの日わけもわからず――今になればその意味も何となくわかっちゃいるが――百羽の実家で、天井裏を見て泣いた日から。あるいは、百羽の祖母さんが倒れた日からむしろ、より強く。弱って見えたおれのことを、気にかけてくれていたのかもしれない。
その心配に、おれはどう答えていたんだろうか。
言おう、と思った。
さっきの窓架との話を踏まえて、それを完全無視するようで悪いけど。それでもやっぱり、おれは百羽のああいうところに弱かった。いざ目の前にしたら、上手く立ち回ろうっていう気がなくなってしまった。正直に言うと、あの部屋で色んなものが思い起こされていたせいもあると思う。あの部屋で、何百年分……は大げさかもしれないが、それでもたくさんの思い出が蘇って、おれは、百羽のことがこれまでの何百倍も――
その先を呑み込む。
見つけたから。
「玲」
二十四階の廊下。
あずきが顔を上げて、こっちを見た。
何も変わったところはなかった。隣には窓架もいた。おれは内心、さっきまで考えていたこととは裏腹に、少しだけそのことに安堵していた。
「お前ら、こんな面白いところを俺たちに隠してたのか」
笑って、あずきが言った。
ああ、とおれは頷く。悪い悪い。そう言って、二人に近寄っていく。
見ると、立っているのは例の薬の入っていた部屋の、真ん前だった。
「この下の階は何だったんだ。工場みたいになってたが」
「それは私たちにもわかんなくて。わかんなすぎて、一旦封印みたいな」
「なんだそれ」
ギリギリのところで、窓架が引き留めたのか。
それともすでにあずきはあの部屋の中に入っていたが、ああいう風に記憶を掘り起こされるのはおれたち化け物だけで、あずきは例外だったのか。
たぶん、後者の方が近かった。
きぃ、と扉が開いたから。
風か何かだったんだと思う。閉まり切っていなかった扉が、ほんの少しだけ傾いた。おれは焦った。それと同時に、油断してもいた。部屋の外にいるから大丈夫なはずだって、そう思っていた。窓架が何も言わずにそっとドアに近付いて、音もなく閉めて、それから改めて仕切り直せるはずだって、そう信じていた。
でも、違った。
あのときの条件はきっと、おれたちが部屋に踏み込んだことじゃなかった。同じ階にいて、扉を開けた。ただそれだけのことだった。
少しの時間差があっただけ。
そのことを、思い知らされる。
脳裏にもう一度、閃いた。
永遠にこの感覚に慣れることはないんじゃないかと思う。稲妻に打たれたような、頭が鉛になったような、そんな感覚。窓架と二人で見た記憶の先。三人揃っているときのものだけじゃない。おれとあずきが、二人でいたときのものも。
「お前、」
初めて出会ったときのことも。
「ずっと、騙してたのか」
あずきが、おれを見つめている。
その手元で、何かが閃いた。