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二十五重の塔  作者: quiet
13/24

13 近況報告



 鳴ることは、ないでもない。

 普段だって。


 そういうとき、おれはいつもすぐに腰を上げる。玄関の方に向かっていって、「何?」なんて言ってすぐに扉を開けてしまう。


 でも今は、根が張ったように動けずにいる。

 だって、そういう風にインターフォンを鳴らしてきた奴らは、全員部屋の中にいるから。


 もう一度、その音は鳴った。


「誰?」

「いや……ちょっと出てみるわ」


 窓架の言葉で、ようやく動き出せた。あずきも一緒に立ち上がってくれる。〈塔〉のインターフォンは当然モニター付きで、入り口の方の壁際についている。


 人が映っている。

 レインコートを、目深に被っていた。


 鍋の間にも耳に入ってはいたけれど、外の風雨はさらに勢いを増して、もうほとんど冬の嵐のような有様だった。入口のライトに照らされて、濡れた何者かの姿が浮かび上がっている。黒っぽいレインコートのフードを被って、その下にはつばのある帽子も被っている。風にあおられて、そのコートが激しくはためいている。


 顔は見えない。

 通話のボタンを押した。


「はい」

 反応がない。


「はい、どなたですか」


 少し大きな声で、もう一度言う。

 その客の、肩が動いた。


 何か手元にカバンでも持っていて、それを漁ったり持ち替えたりしているんだろうか。通話のボタンを押してからは、雨風の音がびちゃびちゃとスピーカーから流れ出しているけれど、それに紛れてがさごそと、マイクのすぐ近くで衣擦れする音が聞こえてくる。


『あ、』

 少し高めの、男の声だった。


『すみませーん。こちらのマンションの方ですか?』

「……まあ、はい」


 それ以外の人間が、インターフォンを押して出るわけがない。特に隠すことでもないだろうと、素直に答える。


『わたくし、出入りの業者なんですけども』


 男は、何かをコートの裾から取り出した。

 社員証みたいなものだろうか。光の反射で、上手くは見えない。


『搬入口の鍵が閉まっちゃってるんですけど、管理人の人と連絡が取れなくなっちゃってまして。あ、食料品です。食料品』


 管理人、という言葉に心当たりはない。

 が、続いてきた『食料品』という言葉に、おれは一瞬振り返る。一階のコンビニに毎日のように供給されていて、今日も鍋にしたあの食材たち。どう考えても、とは思う。何かしらの搬入が〈塔〉には発生してなきゃおかしい。


 最近見なくなった、店番の婆さんの顔が思い浮かぶ。


『開けてもらうことって、できますかね?』


 指は、伸ばさなかった。

 インターフォンなんて滅多に使ったことがなかったから、こっちの音を向こうに伝えないようにする方法がわからない。だから、無言で隣にいるあずきを見る。


 時計を指差す。


 二十一時七分。

 こんな時間に、業者が来るか?


 あずきも難しい顔をしていた。来ない、とは言い切れない。おれも同じだ。こういう時間に、住人の部屋のインターフォンを押す業者っていうのはいない気がする。だけど、コンビニは二十四時間開いてる。おれたちが積み重ねてきた常識っていうのは、ほとんどがテレビの再放送だとか、図書館の本だとかに由来していて、だから、今の形に合っているのかわからない。


 判断ができないでいた。


「――百羽?」

 そのとき、こたつの方で窓架が言った。


 他にどこにも視線をやるところがなかった。おれは百羽の方を見る。頭の後ろしか見えない。だけど、窓架が下から覗き込むような体勢を取っていることと、気づかわしげな顔をしていることは、見て取れる。


「どした?」

『開けてもらうことって、できますかね?』

「おい、玲」


 声を掛けたと同時のことだ。

 あずきに肩を叩かれる。もう一度、インターフォンに視線を戻す。


『開けてもらうことって、できますかね?』


 二人になってた。


「――は?」

『開けてもらうことって、できますかね?』

「……やっぱり、」


 百羽が呟く。おれは目を疑う。インターフォンのモニターに、奇怪なものが映る。

 人が増えている。


 全く同じ姿をしていた。帽子の上から、黒っぽいレインコート。目深にフードを被っていて、顔は見えない。そういう男が、最初は一人だった。


『開けてもらうことって、できますかね?』


 画面の外から、もう一人現れた。


『開けてもらうことって、できますかね?』

『開けてもらうことって、できますかね?』

『開けてもらうことって、できますかね?』


 三人。

 四人。


 どんどんと増えてくる。全員が同じ背格好をしているように見える。同じような身分証を手に持っている。雨風の音が聞こえなくなる。代わりに衣擦れの音が何重にも重なって響く。部屋の中で反響する。がさごそ。ごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそごそ



『開けてもらうことって、できますかね?』



 パリン、とガラスが割れる音がした。


「おい、こいつら入ってきたぞ!」


 おれが叫ぶと、あずきと窓架の動きは早かった。

 まずあずきは、扉を開けて廊下に飛び出ていく。「上ってくるぞ!」とおれたちに教えてくれる。窓架は急いで火と電気の始末をする。廊下からの冷たい風が一気に部屋に吹き込んできて、気温を下げる。もちろん、おれも止まってはいない。


「一旦出るぞ! 四階で詰められたらヤバい!」


 クローゼットから、とにかくこいつらが着れるようなコートを引っぺがしてはぶん投げてやった。室内で鍋をしにきたんだから、当然こいつらは外套なんか持っちゃいない。かと言って、部屋に戻って悠長に支度ってわけにもいかない。


「あずき、どっちから来る!?」

「いつもの方からだ! 奥に回るぞ!」

「ほら、百羽立って!」


 窓架が百羽を、ほとんど担ぎ上げるようにして立ち上がらせる。百羽は俯いている。顔が見えない。


「ごめん」

 と小さく呟いた。


「わたし……帰ってきちゃ、ダメだったね」

「んなわけあるか、馬鹿!」


 何を言っているのかも、何が起こっているのかもわからない。だけど、そのことを確かめている時間もないからおれたちは、とにかく百羽を引っ張るようにして部屋を出た。


 廊下は、ひどく暗い。

 いつからこんな風に電気が点かないことが当たり前になっていたんだか、思い出せない。嵐の夜だからっていうのもあるのかもしれない。持ち出してきた傘の意味なんてほとんどなかった。フードのついてるアウターにすりゃよかったと思ったって、今更どうしようもない。


「こっちだ! 足元に気を付けろ!」

「ほら、行くぞ!」


 あずきが先導して、おれが一番後ろ。百羽と窓架の背中を押すようにして、廊下を走っていく。

 すぐに、廊下の後ろの方から足音は迫り始めてきた。


 大群だ。人に向かって、そういう言葉を使ったのは初めてだったと思う。でも、おれにはそうとしか見えない。同じ服を着た、全く同じ背格好の奴らがどんどん押し寄せてくる。廊下はとっくの昔に水浸しだった。靴の中がぐしょぐしょになっている。足が重い。階段なんか、もういつ滑り落ちるか気が気じゃない。


「みんな、このまま裏口に――」

「あずき、」


 それを下り切る直前、振り向いたあずきに向かって、窓架が叫んだ。

 向こうも、そんなに間抜けじゃなかったってことだ。この規模のマンションを見れば、階段が複数あるくらいのことは想像がつく。片一方から上っていけば、もう片方から逃げられるってことも想像がつく。


 そこで、待ち伏せすることだってできる。


「前!」

「――――」


 ものすごく、嫌な予感がした。

 そいつらの動きは、ずっと不可解だったけど。目的なんて全くわからなかったけれど、こっちに害意を持っていることくらいはわかったから。雨と風をかき分けるようにして、おれたちを一番前で守ってくれていたあずきに、殺到したから。


 その手が、肩にかかる。


「――うおおォっ!」

 その瞬間に、すっかり忘れ去っていたあずきのそれが出た。


 刀だ。

 咄嗟に出した右腕から、突然腕輪が消えた。代わりに刀が現れた。前のときと違って、鞘がない。あずきはまるで、何度も何度もそうしてきたみたいな淀みのない動作で、それを振る。


 レインコートの、腕が吹っ飛んだ。

 絶句した。


「お前ら、先に行け!」


 肩のあたりから腕一本分が、丸々宙に舞った。グロテスクな映画みたいな光景で、正直なところおれは自分の置かれている状況がものすごく怖くなった。それでも、あずきが他の奴らに突っ込んでいくんだから、ここでぐずぐずしちゃいられない。開いた道を、この隙に突破しようとする。


 もしも迷ってたら、とんでもないことになったはずだ。

 腕を飛ばされたレインコートどもは、刀にぶっ飛ばされた部位を、床から拾って、くっつけて、元通りにしたんだから。


「あずきくん!」

「百羽、いいから!」


 ここで初めて、百羽が顔を上げた。

 あずきの方に駆け寄ろうとするが、そんなことをやってる場合じゃない。おれと窓架と二人がかりで無理やり百羽を前に進める。おれの肩に一度レインコートの手がかかったのを見れば、その百羽の行動もすぐに収まる。振り払って、前へ進む。


 裏口から出ると、クジラの叫び声みたいな雨が降っていた。背中と頭が痛い。一気に身体が冷える。隣にいる奴らにだって、大声で叫ばなきゃ通じない。


「車の方に先に行ってろ!」


 それだけで、窓架はわかってくれた。駐車場の屋根の下に入るや、すぐに百羽を連れて走っていく。一方おれは、詰め所のキーボックスを開いていつもの鍵を確保している。寒い。指が震える。いっぺん床の上に落とした。屈む。使用報告書なんか書くつもりはない。ハンマーで叩いたら割れそうなくらいに冷えた手で、鍵を思い切り握り込む。


「玲!」

 あずきが来た。


「車! 頼む!」


 おれは叫んで、あずきに鍵を押し付ける。撒いてきてくれていたら嬉しかったが、流石にそこまでは期待しすぎだ。後ろから、まだ人が追いかけてくる気配がする。


 車まで走り抜ける。


「玲――うわ、生きてる!」

「勝手に殺すな!」


 あずきが言って、鍵を開ける。運転席に乗り込む。おれたちも続く。ライトが点く。


「掴まってろ!」

 どこにだよ、なんて訊く暇もない。


 急発進。ただの左折がドリフトになる。タイヤが滑っているだけなのか運転テクニックなのかわからない。急流を下るボートみたいな軌道で、車は駐車場の出口へと向かう。


 そうして、屋根を突き破るような雨の音。

 ヘッドライトの先に目を凝らしながら、おれたちは進んだ。





 辿り着いた先は、百羽の実家だった。


 国南家、の表札の先。あずきがとんでもない運転で獣道を突っ切ったおかげか、何とかレインコートは撒けたらしい。合鍵はおれが持っていた。電気は点けない。携帯のライトで家の中を照らしながら、おれは一年前の付き添いの記憶を思い出して、大量の古いタオルや毛布を手に、リビングまで戻る。


「何なの、一体」

 とは、その毛布に埋もれながら窓架が言ったことだ。


 流石に、もう古い家だから電気やガスは通っちゃいない。車の暖房を全開にして走ってきたから、多少服は乾いちゃいるが、それだって冬の夜だ。おれたちは、身を寄せ合うように小さく円を描いて、座っていた。


「わからん」

 と零したあずきが、一番疲労の色が濃い。


 当たり前の話だった。謎のレインコート集団を相手に、斬った張ったの大立ち回り。それから真夜中の嵐を突っ切る危険なドライブ。アクション映画のきついところだけ一気にやらされた形で、疲れないわけがない。


「ちょっと待ってな」

 だからおれが、率先して動いた。


 シャッとカーテンを勢いよく閉める。一気に部屋の中がまた暗くなったが、それでも多少は隠れるのにマシになったはずだ。それから、とテレビ台の下に手を差し込む。あった。防災用キット。LEDランプを点けて、設置する。


 まともな灯りがようやくできて、ふっと一瞬、気の抜けたような空気が流れる。

 でも、もちろんそんな風に悠長にしちゃいられなかった。


「なあ、」


 ずっと黙っていた、最後の一人。

 百羽に向かって、おれは訊いた。


「何か、知ってんのか」

「…………うん」


 小さく、百羽は頷いた。

 目線は上げない。最初にね、と掠れるような声で呟く。


「みんなには、ごめんね。あのとき、ほんとはわたしが残ればこんなに危なくはならなかったんだけど」

「馬鹿言え。置いてくわけあるか」

「うん。そう言うと思ったから、わたしもみんなが逃げるのに乗ってきちゃった」


 その言いぶりに、おれはふと、違和感を覚えた。


 何だかそれは、計算づくみたいな言い方だったから。レインコートの集団が現れたときから、確かに百羽は急に大人しくなったと思っていた。それは単に精神的に何らかのストレスがかかっての反応だと思っていたが、今の言いぶりは、妙に冷静に響く。


「あのね、」

 百羽は、この後に起こる全てのことも、知っているように見えた。



「この世界って、もうほとんど滅んじゃってるみたい」



 そこから百羽が語ったのは、荒唐無稽としか言えないことだった。


 最後の衆参同日選挙以降、少なくとも、この国は壊れてしまった。権力争いをベースにした真偽不明の情報の濁流が、真偽そのものの価値を壊してしまった。その結果、科学の発展とともに姿を消したはずのものが、蘇ってきた。


 曖昧なものは、全て再び存在を取り戻した。

 たとえばそれはこの国では、妖怪だとか、怪奇現象だとか、そういう風に呼ばれてきたものたちのことだ。


「でも、完全に政府が壊れたわけじゃなかった。元の形なんてもうほとんど残ってなかったし、単なる有志の真似事で作られた、これまでの政府とは何の連続性も持たない組織だったけど。そういう『曖昧な』ものが溢れて完全に壊れちゃわないように……『総理大臣』を作る機関が残ってた」


 それは、おれたちが歴史の授業で習うような役職と、同じものじゃない。

 この国の『理性』を司る、人間を媒体にした機構。天地がひっくり返ってしまわないように。重力がなくなってしまわないように。基本的な物理法則をその頭に叩き込まれて、特殊な方法で『保存』する。固定する。確定する。


 世界の基準を定める杭。

 これまでに数百人がその地位に就き――現存するのは、十数人。


「邪魔だから」

 と、百羽は言った。


「別に、『妖怪』にとってそういう人間は邪魔だとか、それだけの話じゃないよ。そんなに簡単なものじゃなくて、たとえば、『総理大臣』が別の常識を持っていた方が、自分に都合が良いって考えた人とか。そういうところからも狙われてる。他の国では『王』とか『神様』って呼ばれることもあるから、単純に自分がその座を奪いたいって考えてる人もいる」


 なあ、とおれは訊いた。

 まさかさ、と怖気づきながら訊ねた。


「うん」

 百羽は、内心を隠すように、少し微笑んで答えた。


「わたしも、そう。出世しちゃった」



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