表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ぱんきち

先輩のはなし

作者: 平松冨永




※可能でしたら『パンと魔法と新世界』読了後にお読みいただけると嬉しいです。









 朝の食堂は、いつも混み合っている。


 街の外での任務を受けた新人たちは、出発を早めないと間に合わない。夜明けの鐘と同時に飛び起きて、身支度(みじたく)を整え腹になにかを詰め込み──昼に空腹を満たすための、焼きたての(つな)ぎパンを買い求め、駆け出していく。


 夜明け前から、調理場もパン釜も大忙しだ。

 単純肉体労働が多い若者は、とにかくよく食べる。低賃金故に複数任務を掛け持ちし、己の健脚頼りで移動を繰り返し。娯楽や奢侈(しゃた)に費やす余裕がない、カツカツの暮らしの中、日々の興味は食へ向かう。


「サトイモパン! うああ今日は大当たりよー!」


「ばっか、塩気足りねえだろ!」


「燻製干し(かじ)るわよ!」


「いいから繋ぎパンにしておけ! サトイモパンなんて高いし、すぐ腹が減るだろう!」


「うっさい! サトイモパンがある日はあたしはコレよ!」


 勘定台の手前でわあわあ騒ぐ新人たちを眺め、食堂勤めの男は苦笑した。

 自分にもあんな頃があったな、と。



 □ □ □ 



 ≪公務遊撃隊(パルトフィシャリス)≫と呼ばれる職能は、なんでも屋だ。

 国内の治安維持を(にな)う衛兵団の手伝い雑務、建築現場の人足、農作業の助っ人、職人や商人を手助けし運搬作業で走り回ることもあれば、通路の清掃や倉庫整理に駆り出されることもある。

 各種許可証を得て、食糧や資源採取のため里山や林に立ち入ることもあれば、各村の加工所で保存食の製造に呼ばれることもある。


 二年で半減、三年()っても続けている者は更にその半分。

 ほとんどが己の力量を知り、将来と向き不向きに悩み、可能性と現実を天秤にかけ、続けることを諦める。

 講習や実習で得た許可証や免許、任務で(つちか)ったコネと伝手(つて)を使い、転職するのだ──命があれば。




 調理場に勤めるその男は、元パルトだった。

 塩泉がある村で、朝から晩まで塩を()き続ける実家の生業(なりわい)が性に合わない、と飛び出してパルトになるも──人を喰らう≪魔の物(ホブズ)≫と戦う力がない、と早々に自覚して、街に根を下ろした。そんな、どこにでもいる中年だ。


 彼が他者と少しだけ違ったのは、食への欲求の強さだった。

 量を食いたい、ではない。

 (うま)いものを食いたい、毎日違うものを食いたい、という欲だ。



 □ □ □ 



 ≪豊国(リーシュ)≫の主食は、麦だ。

 パンに向く、膨らみ伸びる小麦は最上であり、租税対象となる。

 そうでない小麦や酒造に向く大麦が、国民の常食。水で溶いて薄く焼くか、(かゆ)として粒食(りゅうしょく)されるか。

 パンは一般国民であれば月に一度、「指定日」に購入できるご馳走だ──パルトの、この食堂では例外だが。

 低賃金をパンで(おぎな)っている、というのは恐らく事実だろう。


 畑地の都合で植えられる黒麦、燕麦(えんばく)、他の穀類がそこに混じる。

 季節の野菜と豆が加わり、塩蔵や燻製された肉や川魚が時折。果実や麦糖、蜂蜜は量が限られる。


 他国から辿(たど)り着いた者(いわ)く、リーシュは食に恵まれた国だ。

 水と野草で(かさ)増しした豆麦粥を(すす)るしかない貧農に比べれば、神世(かみよ)(ごと)き豊かさだ、と。


 だが、しかし。


 ──もっと旨いものを食いたい。


 彼は、物心着いた頃からずっと、そう思い続けていた。

 生まれてはじめて口にした、干し≪秋渋≫の激烈な甘味と。

 食い意地に負けて齧った枸櫞(シトロン)の強烈な酸味と苦味が、原因かもしれない。




 パルトになり、英雄となることを諦めた彼は、ひたすら「食い物」に関する任務を受け、食肉加工免許を得るべく座学講習と実習に通い詰めた。

 山野の恵みに精通すべく、入林許可証や採取免許を得た。

 まだ足りぬ、と水泳実習を受け、川漁師からの任務を血眼(ちまなこ)になってゲットした。

 ≪魔獣(ホブリフ)≫や≪魔鳥(ホブリド)≫の可食部位を学び、武器ではなく包丁に金をかけ、多種免許を引っ提げて解体現場に乗り込んだ。

 あらゆる村の加工所に突っ走り、特産物の保存と加工を体験し。

 猟師や漁師たち、解体師たちの勧誘に頷かず、極貧のままパルトを続け、限界まで屯所に留まった。


 逐一、書き()めた食材情報の竹簡は、箱寝台の中に収まらなくなった。泣く泣く薄い木紙に書き写し、これでまた増やせる、と喜んでいたら──彼は役場から()び出された。


「いい加減にしろ」


 大量の竹簡は国に買い上げられ、彼は「調理研究家」という前代未聞の職に就かされた。

 そろそろ屯所の中庭で、調理実験をしようと目論んでいた彼には、痛い転職命令だった。

 パルトでなくなるとはつまり、屯所併設のこの安宿に泊まり続ける権利がなくなった、ということなので。




 仕方がないので、彼は街の酒場へ駆け込んだ。下(ごしら)えの住み込み調理員として雇ってくれ、と頭を下げていたら、役人が駆け付けてきた。


「違う、そうじゃない」


 彼は役人に引きずられ、貸し部屋棟に連れ込まれた。イヤンおれをどうするつもり、逆さに振っても免許木札と包丁と食材木紙しか出ないわよ、と訴えて、備え付けの水瓶(みずがめ)で殴られた。


 頭痛を(こら)える顔をした役人の説明によって、彼は自分が屯所の調理員として国に雇われ、月給を貰えるようになり、この貸し部屋に住むことができるようになった、と理解した。

 夜間、調理場を使い、実験研究をすることも許可された、とも。


「なんだ、最初からそう言ってくれれば」


「言う前にすっ飛んで行ったのはどこのどいつだい!」


 役人は竹製の浄水筒で調理研究家を殴った!

 調理研究家は貸し部屋の床にぶっ倒れた!




 それが彼ら夫婦の()()めである。

 彼の妻の口癖は「こんなはずじゃなかった」「やだこれ美味しいー!」であり、娘二人にそれは引き継がれている。



 □ □ □ 



 それはさておき。


 毎朝の喧騒(けんそう)を横目で見つつ、彼は木皿を洗う。下働きの仕事ですから、と止めさせようとする周囲の声を聞き流して。

 こういう単純作業をしている時ほど、彼は新たな発想が浮かぶのだ。

 赤身の多いホブリフ肉を、ハーブ油に漬け込んだものは成功だった。塩を混ぜたものは、やや固くなった。ならば麦糖ではどうだろう。

 酢漬けにしたものを焼くと、好き嫌いが分かれるようだった。肉の鮮度は大丈夫なのか、とこっそり尋ねてきた新人パルトには、笑顔で食評の礼を言いつつ、腕固めをお返ししたこともある。


 食の好みは、千差万別だ。

 出身地区ごと、村ごとに「普通」は違う。塩味に飽き飽きしていた彼のように、川魚を有り難がらない者もいる。ミントの冷涼感を受け付けない者もいれば、苦汁(にがり)で固めた豆汁の味が分からない者もいる。

 リーシュという小さな国の、各地から集まった若者たちの舌に、統一感はない。だからこそ、この職場は面白い。

 彼はそう思い、日々研究し、異なる料理を作る。肉と魚と野菜と豆と、穀物と調味料を無限に組み合わせ。

 味見の度に一喜一憂、失敗作は表に出さない。

 そして失敗を重ねることで、正解に辿り着けることが──今の彼の、生き甲斐(がい)でもある。


 いや、娘たちの成長とは別腹で。

 どっちが主食でどっちが菓子かは、訊かないで。嫁さんの水瓶フルスイング怖いから。



 □ □ □ 



 その日の夜、食堂内が盛り上がっていた。

 東の未開地から戻ってきた、最強パルトのチームに新人たちが群がっている。

 彼らはそれぞれ家庭を持ち、普段は「七番目の衛兵団」と呼ばれ、街と西地区を中心に活動しているのだが──大型ホブリフ討伐の要請で、出ていたようだ。


 新人たちが武勇伝を尋ね、最強チームは控え目に言葉を返している。

 夢を見させすぎないよう、意図的に選ばれる言葉遣いに、彼は微笑んだ。

 若者が無謀に命を()ける賭博(とばく)に傾かないよう、制するのは年長者の(つと)めだ。


「あの、じゃあ失敗しないように心掛けることってなんですか?」


 派手な英雄(たん)のような文言が返らないことに()れたのか、新人パルトがそう問う。


「火かげん」


 国一番の棒使いの返答は、新人パルトたちを絶句させ、彼の共感を誘った。




「パンを(あぶ)っておいてね、とアーガさんにたのまれたのに、ぼくは少しだけ目をはなした。パン、暖炉で焦げてもえた」


「あーまー……しゃーねえって。今、一番目が離せねえだろ下の息子が」


「もうねー、(つか)まり立ちできるようになるとねー」


「おお勇者よ、パンを焦がすとはなにごとだ、って、アーガさんがレードルでぼく、ぼこぼこ」


「あのね、違うからね君たち。この人は強いけど、そりゃもうホブリフ並に強いけど、御伽噺(おとぎばなし)みたいに悪者を倒してないから、奥さんが面白がって呼んでるだけの渾名(あだな)みたいなものだから……って、ほら、若い子たちが信じちゃうじゃないですか」


「アーガさんつよい。ぼくは手も足もでない。ぼっこぼこ。大しっぱい」


 唖然とする食堂内に、彼は調理場から声をかけた。


「おう、そりゃ真理だ! 嫁と火加減がいっちゃん(こえ)えし気を付けるんだぞ!」


 取り戻せる失敗なら重ねて学べ、と続け、彼は爆笑した。









閲覧下さりありがとうございました。

ご反応頂けると幸いです。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] わぁ、後日談だぁ! もっとこの新世界の話を読みたいと思ってました。ありがとうございます。 突撃成功して子供まで居るんですね。 パンへの拘りが変わってない…w
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ