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麗らかな春の日差し、手入れの行き届いたティーセット、机の上に並べられた沢山の洋菓子。
その前に座る一人の男子生徒。
藤田一路、この物語の一人目の主人公である。
「ごめん待った?」
ガチャッと音を立て一人の男が入ってきた。
藤田の同級生、犀条秋次。藤田と肩を並べるこの物語の二人目の主人公である。
「ううん、準備してたら全然大丈夫だったよ」
「そっか、よかった今日は紅茶なんだな」
「うん、偶にはいいかと思って」
ポンポンとテンポよく会話を続けていく二人、人気のない小さな部室の中で午後のお茶を楽しむ、名目上料理研究部の活動ではあるが二人しかいない部室は恋人の憩いの場と言っても指し違えない。
そう、この二人は恋仲なのである。
こんな二人が出会ってから恋に落ちるまでを描くのがこの物語の本筋である。
少し寒くなり始めた10月下旬、料理研究部部長にして唯一の部員である2年生の藤田霧仁はいつものように部室である調理室に向かっていた。
ヒタヒタと上履きと廊下の触れ合う音がする。
ポケットから鍵を取り出し慣れた手付きで南京錠を解錠してドアをあける。流れ作業のように高級そうに見える湯呑を戸棚から取り出すと同様の戸棚から力強い字で「玉露」と書かれた茶筒を取り出した。
2つを慎重に机の上に置くと、ガスコンロの蓋を開けヤカンを準備して湯を沸かし始めた。
湯を沸かす間に急須も用意しお茶っ葉を適量入れお茶っ葉に少し水をかけて前出ししておく。こうすることでお茶の旨味が増すのだ。
湯が湧き切る前にカバンから慎重になにかに箱を取り出した。
箱には水澄庵の文字。近所の高級和菓子店の名前だ。
丁寧にお茶を淹れ、少し大きめの豆大福をきれいに盛り付けひとしきり写真を取ったらお茶が飲める熱さになっている。
少々お茶をすすってから大口を開けて豆大福を頬張れば甘じょっぱい豆大福の味が口の中にふわっと広がる。
「はぁ、ひあわへ…」
思わずこぼれたつぶやきを豆大福と一緒に飲み込むと湯呑に口をつけた。
食べ終わり片付けまでの人仕切りの作業を終えると今度はカバンから和菓子ではなく勉強道具を取り出した。
受験生ではないとはいえ近々進級に関わる試験を控えている。藤田も部活ばかりではなく自宅での勉強もしているのだが、何しろ部員が一人だと茶を飲み終わりお菓子や料理を食べ終わってしまうとなかなかすることが見るからない。ゆえにガリ勉というわけでもないのだが、こうして部活の時間に参考書や教科書と向き合っているという次第である。
「やっぱり数学は嫌いだ…」
数分もしないうちに投げ出した。勉強をしようという気持ちはあるもののなかなか進まないというのもまたこの世の道理である。
わからない問題があるとやる気がなくなってしまうのは致し方ないことではないだろうか?
そう思いなおり自身の得意教科である日本史の教科書と向き合う、そんなことをしているから理系科目の点数が伸びないのだ。
すらすらと説き進めていく、当然だ得意教科なのだから。
下手の横好きとはよく言ったものだが、やはり得意なもののほうが好きだと思うのは自然の摂理じゃないか、そんな文系チックなことを考えていると調理室のドアが勢いよくあけられた。否乱暴に蹴破られた。
「いってぇぇぇっ」
「え、なになになになに」
しんじられない、とでも言いたげな顔で開け放たれたスライド式のドアを呆然と見つめる藤田、ふと下のほうに目線を落とすとそこにはうなり声をあげながらうずくまる大柄の生徒の姿があった。
なぜそんな大柄の男が生徒だとわかったか、単純に制服を着ていたからである。
うずくまっている姿からもわかるが藤田とは対照的にずいぶんと制服を着崩しているようだ。
「何してんだよ、犀条…」
このうずくまっている男、犀条と藤田は初対面というわけではない。といっても入学式の日に早速先輩に喧嘩を吹っ掛けけがをしていた犀条をたまたま藤田が発見し保健室まで連れて行ったっきりでそこから一年以上かかわりはないのだが。
お互い名前だけは知っているような関係だ。世に言う顔見知りというやつ。
「犀条なにしてるの…」
あきれたようなまなざしを送りながら犀条に声をかける藤田、その声に犀条が顔を上げる。
「先公から逃げてんの、バイク登校ばれて生徒指導呼ばれてたんだけど無視して部活行こうとしたら著中で見つかってよ絶賛逃亡中」
くそしょーもない、藤田の率直な感想だ。
「ええ、それかくまったら俺もおこられるやつじゃない?」
「大丈夫大丈夫見つかりっこねぇよ」
「じゃあこのドアはどうやって説明つけるつもり?俺にごまかさせるの?」
不服な表情でそう告げるもガン無視といったところか犀条は準備室に隠れてしまった。
「頼んだ」
「は!?ちょっと待ってよ!」
そう準備室に手を伸ばしたその時だった。
「大丈夫か~?」
そういいながら部屋に入ってきたのは料理研究部の顧問でありこの学校の現国教師である菖蒲愛三教諭だ。
「おわ、なんだこれ」
「あ、その少し強く閉じたら立て付けが悪かったのかドアが外れてしまって…」
「おかしいな、この間用務員のおっさんに直してもらったばかりだからそう簡単に外れねーと思うんだけどな…」
「アハハ、なんででしょうね…」
ひきつった笑みで応対する藤田を準備室の小窓からのぞき込む犀条は小刻みに肩を震わせながら声を殺して笑っていた。
「まぁ怪我わねぇみたいだしよかったわ、また用務員のおっさんに直してもらわねーと…」
ぶつくさ言いつつ調理室を後にする菖蒲、その様子を見て藤田は何事もなかったことに安堵しながら準備室のほうをじろりとにらんだ。
「早くでてこいよ」
藤田は腕を組んで椅子に腰かけると冷淡な声でそう告げた。その声に反応して準備室からおずおずと顔を出したのは若干おびえた犀条だった。
縮みあがる犀条に若干の同情を覚えるが藤田が怒るのも無理はない、ドアを蹴破ってきたただの顔見知りがごまかしてもらった恩も忘れ扉の向こうでぐっぐと笑いながら肩を揺らす光景はイライラボルテージをMAXにするには十分すぎる。
「悪かったって、今度なんか奢るからさ」
「ほんとだろうな?」
「もちろんもちろん!男に二言はねぇよ助けてもらったしな」
「ふーん、じゃあ購買のカツサンドで」
「うげ、一番高い奴じゃねーかよー」
「なんか文句あんのか?」
「ねえっす」
かくまってもらった立場故何も言い返せない犀条、先ほどの態度は大違いだ。犀条が了承した様子を見届けると、どっか行けよとでも言いたげに視線で調理室の外を指す。犀条はしばらく考えた様子だったがいやだという文字を顔に浮かべ藤田の隣に居座った。
「帰れよ…ていうか部活でもなんでも行けばいいだろ」
「つめてーなーいっちゃんはよー」
「…いっちゃん?」
いっちゃんと突拍子もないあだ名で呼ばれ怪訝な顔をする藤田。それを見た犀条は面白がって続ける。
「そ、藤田の下の名前って確か一路だろ?だからいっちゃん」
「腹立つからそのあだ名で呼ぶな」
「えー?いいじゃ~んいっちゃん、呼びやすいし親しみやすくない?」
「そんな親しみやすさはいらねー」
つめたいなぁ、そうぽそっとつぶやくと犀条は調理室の端っこから丸椅子を引っ張りだしてきてそこにドカッと腰かけた。
「おい座るな、早く部活行けって部活行きたかったから補修抜け出してきたんじゃないのかよ。ていうか補修行けよ!」
藤田はシャーペンを追ってしまいそうな勢いでぎゃんぎゃんとまくし立てた、割ときつい声で怒鳴られているにもかかわらず犀条は平気な顔。それに腹を立てたのか藤田は怒鳴るのをやめ参考書と筆記用具をもって犀条が座っている席とは間反対の部屋の隅っこに腰かけた。
それを見かねた犀条が追いかけるように隣へ、気付いた藤田はまた部屋の反対側へ。
続けるうちにテンポが速くなっていきついに藤田が走り出した。それを追いかける犀条。こうなると負けず嫌いな性格の藤田をだれも止められない。ついに参考書と筆箱を机の上に放り出して以下に追いつかれないかを考えながら走る等になってしまった。同時に犀条もこのまま文化部に逃げられたままではインハイ出場の名が泣くと負けじと追いかけた。しかし調理室は藤田のテリトリー完全に地の利があるのは藤田だ。
追いかけっこをしているうちに藤田はあることを思い出した。窓際の一番後ろの机は引き出しのばねが壊れておりある特定の場所をたたくと三秒後に勢いよく飛び出すようになっているのだ。
藤田はやたらめったらに走るのをやめ犀条を誘い込むために窓側へ駆け出した。そして犀条がついてきているところを確認すると方向転換をすると同時に不自然にならないようにバンッ!と机の天板の端を叩いた、するとあら不思議追いついた犀条の大事な部分に飛び出してきた引き出しがクリーンヒット。
「んぐあぁぁぁぁぁ…」
体を折るようにして倒れこむ犀条、その様子を見て作戦成功!と高笑いしながらガッツポーズを決める藤田。
「何やってんだお前ら」
そんなカオスな状況に足を踏み入れたのは用務員さんを引き連れてきた料理研究部顧問の菖蒲だ。
うずくまる犀条ガッツポーズを決める藤田。次の瞬間にでも面倒ごとはごめんだぞ、なんて言いだしそうな気だるげな顔。
「何でもないです」
先ほどの高笑いは冗談のように姿を消しスンとした顔でそう答えた藤田、そんな藤谷間発入れずにツッコム犀条漸くの事復活したらしい。
「なんもないわけあるか!俺のムスコを粉砕しやがってぇぇぇぇ…」
「お前が追いかけてくるのが悪いんだろ!こっちは静かに勉強してたいのに、第一さっきだってな」
「あーもういいから、犀条は早く補修行けよ小林の奴カンカンだぞ?」
「あやっべぇ」
「それさっき俺も同じこと言ったよな!?変なところで先生の言うこと聞きやがって…」
怒るのを諦め呆れ返る藤田、眉間に深く溝が刻まれている。
微妙な空気の中用務員さんが気まずそうにドアを回収していった。