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童貞王  作者: 吉田淑子
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明智探偵登場す

とかげというものはいったいいやらしい生き物です。目立ったぬめぬめと光る体躯を持ち、そのくせ人を見るとサッと逃げる様子など、まるで地下に隠れ棲んで存分に派手に着飾っている、暗い趣味の人間のようではありませんか。

その、とかげのような人間があるおそろしい、陰惨な事件を起こしたことを、私は今でもときどき思い出します。


有名な探偵の明智トモロウ氏は、日頃の疲れを癒すために、箱根で温泉三昧を決め込んでいた。ところが、朝は温泉、昼は温泉、夜も温泉の生活に、都会で慌だしく過ごしていたトモロウ氏は三日で飽きてしまった。滞在は半月と決めていたが、まだ精力あふれる年齢のトモロウ氏には、冬場のカエルのようにジッとしていろというのが、とても難しい。

「美女でも引っ掛けたらどうです」

助手のコマワシ少年がそう言った。

「先生なら、すぐに付き合ってもらえますよ」

「ふむ。悪くない案だ。ここがこんなに田舎じゃなければね!」

声の大きいせいで、店の従業員にジロリと睨まれるのもお気になさらず、トモロウ氏は嘆息した。

「田舎、田舎って。妙齢の女性はみな美しいものです」

そういうコマワシ少年は、すでに片手にまるで小鳥のようなかれんな少女を抱いている。

「手が早いな、君は」

「えへへ、そういうわけなんで、あしたっから僕は、先生に付き合えません。ごめんあそばせ」

コマワシ少年はおどけてみせた。

どうしようもなく、トモロウ氏はトボトボと芦ノ湖あたりを散歩していた。美しい景色も、やれやれ、一度だから感動できるものをこう何度も見せられては興ざめだ。ウロウロするうち、ふと男女二人組を目に留めた。女は水色の巨大な帽子に水色のワンピースを着た、色白の美少女だったが、隣の同い年くらいの少年が忌々しい。

(なアんだ、男連れか)

そう思い、一瞥して通り過ぎようとすると、

「……もし……あなた……」

と、少女のほうに声を掛けられた。

「なんでしょう」

「あなた、明智トモロウ探偵ではありません? 新聞で拝見いたしました」

「いかにも」

「まあ、素敵。こんなところで出会えるなんて」

少女はその容姿から察したよりも幾分低い声で、それでも無邪気にトモロウ氏との出会いを喜んだ。隣の少年も喜んでいるらしかった。

「僕もあなたのご活躍は小説で拝見しておりますよ。しかし、さいきんに読んだ、『毒蛙』でしたっけ、あれはちっとも面白くなかった。蛙の毒を使うにしたって、トリックがねえ……あれ、筆者がつまらん脚色を加えたんでしょう。あの作者、文面が大袈裟だもの。僕はあまり上手いと思わないな……」

少年は探偵小説が好きらしい。ペラペラと語られてトモロウ氏は戸惑った。確かにOという人に、自分の活躍譚を書いても構わないと言ってあるが、自分では目も通していないのだ。青年は今どき時代おくれの書生の格好をした、坊ちゃん育ちらしい顔だちの優男だった。

「克彦さん、あんまりいろいろ聞いたって良くないわ。探偵さん、箱根にはいつまでいらっしゃるの」

「二週間ほどは」

「では、また会えますわね。わたくし、あのホテルに泊まっております」

彼女は湖のごく近くのホテルを指差した。

「わたくし、とても退屈してますの。もしも、探偵さんもお暇でしたら、活躍を聞かせてほしいわ」

「よろしい。お暇だったら伺いましょう。お名前は?」

「薔子、藤原薔子ですわ」

彼女、薔子は笑った。かれんな笑顔だと言いたいが、凶悪な事件を解決してきたトモロウ氏には、微かに毒を含んだような顔に見えた。とにかく、彼女がなにか、不自然なように思えたのだ。

「きっと、いらしてね……」

彼女はそう言って、ホテルへ向かって歩き出した。足場が悪いのを、ときどき青年が支えていた。

トモロウ氏の鋭い観察力が、二人は恋人ではないのではと思わせた。湖を背に去るふたりの姿は、恋人よりも主従に見えた。

「ふむ。あとで伺うか」

トモロウ氏は退屈していたので、何よりあの魅惑的な美少女が気になってしまったので、翌日さっそく例のホテルへと向かった。

「あの、藤原という者はこのホテルに……」

フロントに尋ねるまでもなく、「探偵さん」と例のハスキーボイスで呼ばれて振り返る。

「いらしてくだすったのね。嬉しいわ」

「藤原さん」

「アラ、いやだ、よして……わたくし、名字で呼ばれるのはきらいよ」

薔子はそうやって、甘えるような口調で、「わたくしのことは薔子と」と言う。

「薔子ちゃんね」

「ええ、そうよ……探偵さん、よろしければ湖畔を散歩しません?お話を伺いたいわ」

不思議な少女は、今日は淡い桃色のドレスだった。

「昨日の少年は?」

「克彦さんは、気分が悪いから今日はいけないわ」

「それは、看病はしなくていいのかい」

「いいのよ……いつものことだもの」

薔子はトモロウ氏の腕を掴んで外へと促した。外は快晴だった。ばかばかしいほど見晴らしも良い。見飽きた光景だが、薔子は無邪気に喜んだ。

「まあ、ご覧になって。富士山があんなにくっきり!」

「そうだね」

彼女といると、どうやら景色も新鮮に写る。しかしトモロウ氏には気になることがあった。

「きみはなぜ、こんな辺鄙な場所に来たんだい」

「まあ、探偵さんに質問されるなんて、わたくし犯人みたいね……」

「いいから」

「お金と暇があるんだもの。避暑に来ちゃいけない理由があって?」

「あの青年とはどんな関係?」

「克彦さんは、わたくしの世話のために来てくれたのよ……わたくし、かわいい青年が好きだから、ホテルの年増女じゃ我慢できなかったの」

そう言って薔子は笑った。内容とうらはらの、屈託ない笑顔だった。それだけに、トモロウ氏はゾーッと背筋に悪寒を感じた。なぜか、薔子は白痴に思えた。これだけ美しくて、性的なものにまったく無頓着なようなのは、どうにも少しおかしいのではないか。

「でも、先生のような紳士も好きよ……ねえ、お話をして頂戴」

まただ。また、彼女は巧みに甘えてくる。彼女ほど美しい女はそういないし、彼女ほど的確な甘え上手な女もそういない。まして少女と呼べる年齢で。

薔子は女でありすぎるように感じた。それは女を研究しつくして女以上に女らしくなる女形のような……

「ああ、それでは話そうか」

トモロウ氏の勘は少し騒いでいたが、これはいけないくせだと首をふった。まったく、事件でもないのに、ついつい人を観察してしまう。職業病だな、とトモロウ氏は苦笑して、この不思議な美しい少女とのデートを楽しむことにした。

湖畔の木陰で休みながら、トモロウ氏はご自慢の探偵譚を語った。薔子はひたすら微笑んで相槌を打っていた。

「……まあ、すごいわ。それでは、先生に捕まえられない犯人はいないわね」

「えへん、まあ、そのようになるかな」

「でも、はたしてこれからもそうであり続けるかしら。犯人が、魔術師のような天才だったら……先生も敵わないかもしれませんわね」

薔子は件のハスキーボイスと微笑でもってそう言った。

「さあ、けれど、そんな人間はいないでしょうな」

「そう、人間でない生き物……つまり化け物ですわね。化け物相手に勝てるかしら」

「ばかばかしい!」

トモロウ氏は笑って彼女の話を遮った。

「私の少ない経験からだが、人間というものは低俗だよ。まず、彼らには生活がある。百年先の国の未来よりも明日の我が身の心配ばかりしている。つまり、我が身の損になることはしないわけだ。犯罪の天才――化け物がいるとすれば、まったく自分の利にならないことを、まったく無表情でやってのける奴のことだな」

「まあ、それでは、気違いが天才になってしまいます」

「実際そうだね。訳のわからない事件がいちばん恐ろしい。理由なき犯行――恐ろしい!カネだオンナだと言われた方がずっとマシだね。まあ、そんな理由なき犯行なんて事件はめったにあるものじゃないさ。一見なんの理由もない通り魔のようなものにも、それらしい理由はあるくらいだから」

「まあ、面白い」

薔子はコロコロと笑った。年頃の少女がこんな話を聞いておかしいものだろうか。やはり薔子は少し不思議な少女だった。

やがて、夕日が沈みかけたので、薔子と別れて、自分の泊まっているホテルへと帰る。明日もまた会えるだろうか――明日は少し遠くで、買い物でもしようか。呑気に温泉につかりながら、トモロウ氏はそう考えた。

助手のコマワシ少年が駆けてきたのはその時だった。


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