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真夏の椿事

作者: kakio

 駅を出ると今までいた生活空間とは異質の場所へ来た気がした。

 この場所へ来るのは10年ぶりのことで少年時代を過ごした記憶による感傷がそうさせたのかも知れない。

 電車で40分程揺られれば辿りつくこの場所に、何故か足が向かなかった。

 親の転勤だかなんだかで慌しく未知の場所に向かう事になった頃の僕は12歳で、そういう境遇におかれた少年が大抵思うように期待と不安を半々くらい胸に抱えていた。

 というのは嘘で、正直に言えば引越しなんてしたくなかった。親しい友達もいたし、好きな娘もいた。何故この小さいながらも自分なりに築いてきた親密な世界を手放さなければならないのか理解できなかった。

 今から思い返せば、電車で40分程で到着する場所にわざわざ移った理由がよく分からない。親にどうして? と問えばよかったのだろうが、通勤が楽だったから、とか他愛のない理由だったに違いない。今さらどうしようもない。どうせ子供にできることなんてありゃしなかったのだ。

 というわけで、そういうどうしようもなさを堀起こしたくないがために、こちらに足を向けるのを拒絶していたという感じは否めない。我ながらしょうもない理由だ。


 空には雲ひとつなく、太陽が我がもの顔をして地上を蒸発させようかとするように命一杯光を放射していた。

 冬の間に忘れ去られてしまわないように人々に何かしらの痕跡を残そうかとするような切実としたものすら感じさせた。

 今日、この町に来たのは唐突に懸かってきた電話がきっかけだった。

 僕は郊外に台風が来たら空の彼方に塵となって消えてしまうんじゃないかと言うようなボロボロの築30年という一軒家を借りて住んでいた。日当たりが悪くて常にジメジメした陰気な家だったが、アパートでそれ程大きな音量で音楽をかけていたというわけでもないのに、隣の大学生がうるさい! とドアを蹴りあげていくのを3回我慢した後、4回目にキレまくって飛び出していった僕の顔があまりに尋常なものじゃなかったのか逃げ出した大学生の背中にドロップキックをかました後に何もかもが嫌になって、多少割高でもいいからとにかく一軒家をと賃貸マガジンを片っ端から買いこんでどうにかこうにか探して見つかった所なので割と気に入っていた。

 そのボロっちい家でニルバーナを聞きながら、もしかしてあの大学生は音が大きいのが気にいらなかったわけじゃなく、ニルバーナが病的に嫌いだったのかもしかして? とふと思い起こしている日曜日の昼下がりに電話が鳴った。

 「何やってる?」。10年間話していない事などまるで架空の出来事のように今日暇だから遊ばない? というような気軽で親しみのこもった声だった。

 「あの、どちらさまでしょうか?」。僕は友人の声を瞬時に複数思い起こしたが、該当するものはひとつとしてなかった。間違い電話?

 「おいおい、酷いな。俺だよ。忠司。津田沼忠司。忘れちまったのかよ?」。もちろん覚えていた。声が記憶より1オクターブくらい低くなっていた。

 「そんなわけないよな。とにかく次の日曜日に俺のマンションに来いよ。住所変わってないから。ほんじゃな」

 ガチャン。ツーーーーーーーーー。相変わらずだな、と思う。自分の用件を告げると有無を言わさずにそれを否定する事など許さない、というか言っても聞きやしないだろう。

 どうやって電話番号を知ったのか? どのような理由があって連絡をしようと思ったのか? 何故今なのか? 考えれば考えるほどわけがわからなくなった。忠司とは僕が引っ越すまで確かに一番親しい友達だった。だけど、などと考えても答えは出るはずはなかった。僕とつるんでいた頃の忠司を思い起こせば。

 

 僕等が知り合ったのは確か小学3年生の頃だった。僕はその頃、昆虫に夢中になっており暇があれば家から10分程の原っぱに昆虫狩りをやりに行ったものだった。季節は初夏で、そこらの名前の分からないボーボー生えている草を踏みしめるとやはり名前の分からない緑っぽいちっこい虫がパッと飛び散った。そこらに落ちている棒切れを拾って、片っ端から草叢をなぎ倒しながら虫を大量に飛翔させていた。ちぎれた葉っぱから独特のにおいがした。

 背後からパンパンパンパンと凄まじい轟音が聞こえた。驚いて振り向くと忠司がニヤニヤ笑いながら僕を眺めていた。


 「ちょっと来いよ」。僕はかなりの警戒心と恐怖心を抱きながら黙っていた。轟音のおかげで、体がすくみあがっていた。

 「いいからこっちこいってば」。さっきより少しばかり脅迫を含んだ声で相変わらず唇を歪めながらいった。足に杭を打たれたみたいに一歩も足が動かない。

 「来い」。手にライターと見たことのない物をちらつかせながら言った。もうお前に猶予はないんだと言うように。

 僕は何とか一歩を踏み出し、油の切れ掛かった機械みたいにぎこちない歩き方で忠司のほうに向かった。余程、おかしな歩き方だったのか、忠司は笑いを堪えきらずに爆笑しだした。

 「そうびびんなよ。お前をどうこうしようってわけじゃないんだからよ」。僕は流石に少々むかっ腹が立ち「びびってなんかないよ」と言ったが、貧弱なビブラートを掛けたような声がでてきて思った。絶対、俺びびってる。

 おかしくておかしくて堪らないように笑いを堪えながら「ま、お前がいうならそうなんじゃない」。忠司の目を覗きながら、というより逸らせなかったわけだがテクテク歩いて接触まであと3メートルと言う時、「ちょっと待った。それ踏んじゃうぞ」。忠司の視線を辿っていくと地面にカエルがいた。野球の硬球を一回り大きくしたぐらいの大きさのカエルで、頭を何度もコンクリートの壁に叩きつけたみたいにひしゃげていた。ひしゃげていたと言うより、何か耐え切れないものを抱え込んで内から破裂したと言う方が適切かもしれない。体全体に穴が開き、粘着質の液体をびちゃびちゃと噴出していた。手足全てがちぎれてなくなっていた。

 「これだよこれ」。忠司は右手を突き出して手のひらに乗っているものを見せた。「爆竹だよ。お前見たことねぇの? これをよ」カエルを一瞥して「こいつの口ん中突っ込んで破裂させたんだ」。縦1センチ、横5ミリほどのダイナマイトを縮小したようなものが真ん中の導火線から20個ほどくっついていた。

 「そんな棒切れでトンボ打ち落としてるより、ずっと楽しいぜ?」。僕がトンボやらバッタやらを棒切れで叩き落としていたのをどこかで見ていたのだろう。彼はどうやら昆虫虐殺の類の仲間をスカウトしたいらしかった。「見てろ」。忠司は屈みこんで、爆竹を5個ちぎり、5本の短い導火線を器用にひとつに繋げ哀れなるカエルの口に突っ込んだ。ピクピク動いているところを見るとまだ生きているようだ。更にポケットから導火線を延長する為にティッシュペーパーを捻って継ぎ足して、ライターで火を点けた。「離れたがいいぞ。結構飛び散るから」。ティッシュが導火線に辿りつく1分ほどの間、僕らは無言でカエルを凝視していた。ティッシュが燃えつき導火線に火が渡ると1秒も経過しない内に「パパパーン」と畳み掛けるように音が重なって耳をつんざくのとほぼ同時にカエルが踊るように宙を10センチほど舞った。頭がちりじりになり、下半身しか残っていなかった。もはや、カエルにはとても見えなかった。それでもピクピク動いていた。

 「どうだ? おもしろそうだろ?」

 僕はすぐさま忠司と同盟を結んだ。


忠司のマンションは駅に向かい合っている道路からまっすぐ歩いていけばよかった。約2キロというところだ。熱さで汗が吹き出る。懐かしき商店街を潜り抜ける。この店まだやってんのかとか、おいおいこのしけた商店街にこんな立派な店似合わないんじゃない? とかあの何所のチェーン店だかわからないコンビ二まだやってんのかとか人事の様に思いながら。

 日頃、あまり運動しないせいか眩暈がしてきた。あの頃はこのぐらいの暑さ走りまわる事ぐらい何でもなかったよな、とかどうしても感傷的な気分になってくる。久しぶりだからな、それに全ての責任を押し付けて感傷に浸る自分を正当化しながらゆっくりと歩いていく。

 忠司のマンションが見えてきた。6階建てで、道路を挟んで向かいに同じく6階建てのマンションが建っている。よくそちら側でピンポンダッシュをやりまくったものだった。一度だけ、本気でキレた20代ぐらいの男に追いかけられた事があった。そりゃ30回もピンポンピンポンやられりゃ切れるだろうと今なら思うが。忠司に蹴りを背後から食らわせ、僕にげんこつをお見舞いした後、散々説教をして帰っていった。もちろん、僕らがその位でへこたれるわけがなく、ドアの前で爆竹を30発ほど破裂させてリベンジを果たした。コンクリートに音が反響して凄まじい音を発していた。その後、どうなったっけな・・・

 「何物思いに浸ったような顔してんだよ」。三階のベランダで煙草を吸っている忠司が、僕に向かって声をかけた。電話と同じように10年という時を感じさせない自然な感じで。

 「いや、なんでもないよ。何号室だっけな?」「303」。僕は狭い階段を使って三階まで上がり、狭い通路を歩きながら「津田沼忠司」と言う表札が出ているドアを見つけて正面に立ちインターホンを鳴らした。ガチャリと鍵を外した音が聞こえ、ドアが開いた。出て来たのは綺麗な女性だった。同い年ぐらいで白のワンピースが似合いまくっている。街ですれ違った後、思わず目で追ってしまうような素敵な女性だった。何所かで見たことがあるような・・・。

 「すいません。間違ったみたいです」。女性は笑いを堪えられないようにドアを閉めた。バタン。僕は303と言う数字をじっくり見てここで間違いないと確信し「津田沼忠司」と表札が出ていることをもう一度確認する。混乱する。301号室から305号室までの表札を全部確かめる。間違いない。

 僕はわけがわからなくなりながら、もう一度303号室のインターホンを押す。ガチャリ。ドアが開く。女性が出てくる。大笑いしながら。

 「あの、こちら津田沼忠司さんのご自宅ですよね?」「違いますけど?」「すいません。また間違ったみたいです」。バタン。僕の混乱は最高潮に達していた。さっきベランダに忠司いたよな? おいおい、暑さにやられて幻でも見たっていうのか? 勘弁してくれよ。303号室の前で立ち尽くしているところで階段の方から「久しぶりだな一樹」と言う声がしてそちらの方を向くと忠司が笑いながらこちらに歩いてくる。

 「悪いな。ちょいと煙草が切れて買いに行ってたんだ。どのくらい待った?」。僕はかつてないほど奇妙な顔をしていたに違いない。お前さっきベランダで煙草吸ってたじゃないか? 「何て顔してんだよ? そんなに待ったのか? たかが10分ぐらいでそう怒るなよ。10年に比べりゃ大したことないだろう」と笑いながら303号室の鍵を開け「汚いけどまぁ入れよ」と言った。

 部屋は3部屋あって、3畳ほどのキッチン、6畳ほど居間、3畳ほどの忠司の部屋となっていた。綺麗とはいえなかったが、汚いとも思えなかった。先程見た女性は影も形も見当たらなかった。

 「おい忠司。お前女と暮らしてる?」。聞かずにはいられなかった。「何言ってんだよ。しがない一人身だよ俺は」。冷蔵庫からビールを取り出して、僕に放る。

 「わけのわからない事いってないでとりあえず再開に乾杯だ」


 僕と忠司は飲みに飲みまくってヘロヘロになりながらもさらに飲み、冷蔵庫の中のビールがなくなるとジャックダニエルズをあけ、ロックでさらにさらに飲みまくり、ボトルを全部開けてしまうと近くのディスカウントショップに肩を組んで買いに行き、店員から何だこいつらは? という顔をされたところで忠司が教育がなってないなぁーこの店は! と叫んで取っ組み合いの喧嘩になりそうなところで僕が謝り、ビールを3ダースほど買ってまた部屋に帰って飲んだ。

 「一樹くん、あんまり変わってないよね。っていうか全然変わってないよ」。和美はほろ酔いで少し赤い顔をしながらそう言った。和美? 僕が当時好きな子だった。

 「そりゃそうだよ。人間ある物事に関しては決して変われやしないんだ。あの頃みたいに昆虫やらカエルやらザリガニやらを吹っ飛ばしたりはしないけどさ。そういうのは、繰り返していくうちにある一定のポイントになると止めちまうもんだけど、変わらないものはやっぱり変わらないんだよ」

 「どうして俺たちに何も言わないままいなくなったんだ?」。忠司は言った。

 「お前が引っ越したあの日二人で約束してたよな? 和美にどっちが好きか確かめようって」

 「それに関しては悪いと思ってるよ。でもな、俺は本気でここから離れたくなかったんだ。それだけは本当だ。お前と和美から離れる事に我慢できなかった。俺に何が出来た? 何にも出来やしねぇよ。がたがた離れたくないとかいってお前等に迷惑掛けるぐらいなら何にも言わずに消えた方がいいと思ったんだよ俺は」

 「お前そういうところ未だにかわってないだろ?」

 「変わってないよ。言っただろう。ある種の物事は変えようがないんだ。いくら努力してもな。自分じゃどうしようもないってこと、ひとつやふたつやみっつぐらい誰だって抱えてんだろうが」

 「こういう事聞いてくれる人他にいるの? 何で変えられないんだって悩んでたこと他に聞いてくれた人いる? 私たち以外に?」

 「いないよ。俺はそういう物事を一人で抱え込んでもいいように強くなろうと努力してきた。それはある程度成功したよ」

 「それは逃げじゃないの? 一人で抱えこんで強くなろうとしたっていうけど、それは強くなったんじゃなくて人と向き合うことから逃げることによって得た物じゃないの?」

 「そうだとしても俺はそれは一つの達成だと思ってる」


 忠司と和美は服を脱いでセックスを始めた。忠司は言った。

 「これがお前が選択もせずに逃げ出して残った現実だよ。俺は和美を手に入れた」。和美は恍惚の表情をしながら目をつぶって甲高い喘ぎ声を上げている。

 「お前に今なにがある? 心から話せる友達もいない。愛している恋人もいない。仕事もやりたくもない退屈な酷いもんだって投げたようにやってる。ゼロだろ? そういう関わりを避けてきたお前は空白だろ? なぁ? 何とか言えよ一樹」。僕は無言で二人の性行為を眺めていた。

 「一樹君。裸になりなよ? 鎧着込むみたいに頑なになんないでさ。一緒にやろうよ」

 ブラックアウトだかホワイトアウトだか頭に何らかのショックを受けたように服を脱ぎ捨て二人に混ざる。

 僕等三人は一晩中馬鹿みたいに延々と交わり続ける。明日世界が終わるんだ。ある意味では。

 黒と白のせめぎあいを頭に感じながら僕らは果てることのない交わりを延々と繰り返し続けた。


 

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